第7話

 俺たちがアーケード台に向かうと、そこには渋々台に向かって練習を始めた朝比奈さんとそれを指導するセクハラコーチがいた。

 「だから、そこはそうじゃないって、もっとチャチャっとコマンド入力しないと!」

 「ふえ~、ちゃんとしますから、そんなとこ触らないでくださぁい!」

 俺は、皆の夢と希望が詰まった朝比奈さんの胸部のマッターホルンとマッキンリーを後ろから手をまわして鷲掴みにしているハルヒセクハラ部長の後頭部めがけて、手刀を軽く振り下ろした。

 「衆人環視の前で何やってるんだ」

 「急になにすんのよ。ミクルちゃんがあまりにもドンくさいから、こうやって直々に指導してやってるんじゃない」

 「だいたい、他人のことをとやかく言う前にお前はちゃんと練習できてんのか?」

 「わたしだって練習したいわよ。決戦まで時間がないし。でも、肝心の台が空いてないの!」

 ハルヒが指さしたところを見ると、確かに台は全て、いかにもな感じの人々で埋め尽くされていた。もしかしたらコンピ研の卑劣なサンドバッグは、こうなることをあらかじめ予想していたのかもしれない。その知恵を少しは勉強に生かせばいいのに。

 「あ、ミクルちゃんまた負けた。ちょっとは悔しいと思いなさい、この!」

 「ふえ~!」

 「だからやめろって」

 負けるたびにハルヒが朝比奈さんの衆人の視線が特に集中する箇所を両手で揉みしだくものだから、また朝比奈さんもいい感じの悲鳴を上げるものだから、向こうの台に座っている対戦者はおもしろがって台を離れようとしない。それどころか完全になめ切って、わざと攻撃を喰らっておいてから最後に凶悪なコンボをキメてハルヒを煽る作戦に出た。空中で殴る蹴るの暴行を受ける画面中の朝比奈さん。体力ゲージが減っていくたびに、ハルヒの表情が険しくなってゆく。最後の必殺技を喰らい、誰もが朝比奈さんの負けを確信したが、向こうの計算が狂ったのかほんの僅かに体力が残っていたようだ。

 「ようし、いくわよ!今から大反撃よ、ミクルちゃん!」

 「あ、気絶しちゃいました……」

 体力ゲージはもう見えないくらいでもギリギリ残っていたようだが、攻撃を喰らい過ぎたせいでピヨリ状態になったようだ。こうなるともうお手上げだ。反撃と言っても相手の体力は3分の2くらい残っているし、それもわざと喰らったから実質的に朝比奈さんが与えたダメージは0に等しい。その代わり相手プレイヤーに多大な快感を与えることには成功しているが。

 「『あ』じゃないわよ!はやくレバガチャしなさいって!」

 ハルヒがレバーを掴んでガチャガチャし始めたが時すでに遅し、相手は一撃必殺の準備を終え、無情にも気絶から目覚める前に一撃必殺は見事炸裂、なんかド派手なムービーが流れ、それが終わった頃にはキャラクターは無残に地面を転がる屍と化していた。

 「あーーーーー!!!もう!!」

 ハルヒが台を平手でバン、と叩く。

 「次からは一回負けるごとに一枚ずつ脱がしていくから!」

 「えぇ……そんなの……嫌ですよぉ……」

 「嫌だったら絶対に勝ちなさい! でないと本当に脱がしていくわよ」

 それを聞いてギャラリーの眼の色が変わった。もちろん、俺たち以外にハルヒについてよく知っているヤツなどいるわけはなかったが、この頭に黄色いヘアバンドをつけている騒がしい女子高生の性格を、みんな何となく理解し始めていた。

 つまり、こうして言ったことを本当に実行してしまうだろう、と。

 向こうの台に座っている、いかにもな人(制服を着ていないから、おそらく大学生だったのだろう)が、後ろの仲間と何やら話をしていた。

 おい、何か知らないけど、勝ったら脱いでくれるらしいぜ――ああ、分かってる。俺に任せとけ、玉ねぎみたいに一枚ずつはいで素っ裸にしてやるよ――もう手加減する必要はないからな。とにかく全力で叩き潰せよ――分かってるって。それより、向こうへ行って写メの準備しとけ。絶対逃すなよ――了解。

 騒音でほとんど聞こえなかったが、おそらくこのような会話をしていたのだろう。二人ともニタリと笑うと、後ろにいた仲間の一人がこっちの台の方にやってきた。

 これで準備万端というわけだ。

 画面には、相手キャラの勝利ポーズと決め台詞と一緒に「コンティニュー?20…19…18……」とカウントダウンが刻まれていた。

 ハルヒが急いで俺から強奪した100円硬貨を入れようとしたが、投入される前にその手を掴んだものがいた。

 「ここは任せて」

 「ユキ……でも、アンタは対戦に出れないし、今は台が空いてないからここで練習するしかないの」

 一体いつの間にやってきたんだ。全く気づかなかったぞ。12…11…10……カウントダウンが過ぎてゆく。

 「それも任せて。私がここで全員を引きつけるから」

 「そんなのどうやって――

 「任せて」

 長門の強硬な主張に、ついにハルヒも折れた。コイン投入口から手を放す。

 「ま、何を考えているのか知らないけど、ユキなら何とかなるかもね」

 6…5…4……

 「どいて」

 座ったままの朝比奈さんを見下ろしながら、無表情にそう要求する長門。

 「いいからはやくどいて。わたしがやる」

 俺はその光景を見て、ハードカバー本を振り下ろそうとする、あの日の姿を思い出していた。

 一瞬、硬直していた朝比奈さんであったが、すぐに台から離れるとそこに長門が滑り込んで、硬貨を投入した。

 「2…1……ニューチャレンジャー!!」

 それにしても、さっきの『わたしがやる』というセリフには、少し殺意がこもっているように感じた。『わたしが殺る』が正しい書き方だな。

対戦の結果は始まる前から見えていたが、問題は他の台に居座るやつらをどうやってどかすか、だった。

 向こうの台に座っているやつは、かわいそうに、これからどんなことをされるかも知らないで、

俺はこっちのほうがタイプだな――さっきより強そうだけど大丈夫かよ――まさか、俺に勝てるわけないだろ。たかだか女子高生だぜ。大丈夫、コテンパンにしてやるさ――期待してるぜ――それより、二人分の写メ、準備しとけ――了解

などとかわいい会話を交わしていた。多分。

さて、肝心の対戦だったが、始まって最初の方は長門もまだ様子見だったこともあって、互角に近い勝負を演じていた。一回目に負けたときは、(それがそいつにとっての、本日初の黒星だった)「なぁに、まだ決着がついたわけじゃない、三本先取のうち一本取られただけだ。それに倒せない相手じゃない。もう弱点は見きった」と大言壮語していたが、長門が大人げなく本気をだしはじめると様子は一変した。

 何度やっても勝てないどころか、満足なダメージすら与えられない。コンボをやれば途中で抜けられる。逆に、長門のアクロバティックなコンボは面白いように決まっていった。

 向こうの大学生らしき対戦者の表情が、みるみる内に変わっていった。額には、すでに脂汗がびっしりと噴き出していた。

  結局、その勝負は長門が勝った。当然の結果だろう。相手の大学生らしき御仁は、もちろんすぐにコインを投入した。仲間に写メまで頼んだ以上、ここで引き下がる訳にはいかない。続けての試合は2対2にもつれ込み、最後の三本目は長門が辛うじて取った。が、これは後から考えるに、餌をおびき寄せるための罠だったのだ。

 客観的にこの戦いを見てみると、一試合目は長門が相手に一本も取らせず完勝した。しかし、二試合目は互いにほとんど互角。どっちが勝ってもおかしくなかった。これで相手は長門のことを『思った以上に相当手ごわいが、勝てないこともない相手』と見るだろう。しかも、一試合目より二試合目の方が接戦ということは、大学生側が調子を上げていると誰もが思う。もちろん、本人もそう思うし、周りの観衆もそう考える。

 それが、長門の狙いだった。

 キャラクターセレクトの画面に移り変わったとき、珍しく長門の方からハルヒに喋りかけた。

「涼宮さんにお願いがある」

「なんなの、ユキ。珍しいわね」

 長門は、ハルヒにそっと耳打ちした。

 「本当に大丈夫なの?まあ、ユキが言うなら大丈夫なんだろうけど」

 長門は頷いて言った。

 「まかせて」

 ハルヒが少し笑った。

 「おい、はやくキャラ選べよ」

 大学生がハルヒ達を急かす。だが、これは長門も予想だにしていなかった幸運だった。向こうから喋りかけてくれたおかげで、怪しまれることなく自然に話しかけることができるからだ。

 「ちょっと話があるの。賭けしない?」台越しに話しかけるハルヒ。

 「ハハ、何言ってんだよ。ちょっと勝ったからって調子に乗ってんのか?まあ、勝ったらジュースぐらいおごってやるよ。あの子の強さに敬意を表してな」

 「ふ~ん。写メ、撮らなくていいの?」

 「は?何のことだよ」

 だが、言ってることとは裏腹に、もうこの大学生は半分こっちの話に乗ってきているようなものだった。魚は餌に喰らいついた。後はリールを巻き上げるだけだ。もちろん、ここの力加減が最も難しいところではあるが。

 「これから10戦して、もしこっちが一戦でも負けたらあたしたち3人、アンタの望み通り全員スッポンポンになってやるわ」

 あたりから完全に人の声が消えた。他の台に座っている奴も、みんなハルヒの方に目をやる。ピロピロと鳴る電子音だけが、ゲーセンの中に響き渡る。

 「あんたおかしいよ」

 例の大学生が台から立ち上がって言う。

 「別にナンパするわけじゃあないが、あんた、見た目は中々イケてると思うよ。十分かわいい。でも、頭のネジは十分なのかい?それに賭けと言ったな。それなら、こっちは一体何を出せばいいんだ?俺のナニか?そんなんじゃあ釣り合わんだろ」

 「一万円」

 こいつ、本当にバカだ。というより、こんな作戦を提案した長門も相当バカだ。やっぱり、朝倉涼子との戦いで頭のネジを数本持っていかれたらしい。しかも代わりに入れたネジが谷口のだから、もはや救いようがない。

 「ちょっと待て。金はやばいって。まるで売春だよ」大学生の正常な反応。

 「売春じゃあないわ。それはここの全員が証明してくれる」

 観衆の沈黙の視線は、大学生がこの賭けに乗ってくれることを欲していた。まあ、万が一のときは他人が不幸な目に遇うだけだから、野次馬にとってはノーリスクでいいものが見れて丸儲けという寸法か。

 「さあ、どうなの。まさか、今さら怖気づいたなんて言わないわよね?」

 「君は露出狂か?そこの子がどんだけ強いか知らないが、10戦10勝はこのゲームじゃ無理だ。俺は君らのために言ってやってるんだぞ。止めるなら今のうちだと」

 「負けるのがそんなに怖いの?包茎短小」

 また沈黙。ピロピロピロピロ……電子音がグルグルと鳴り響いている。誰もいない家についているテレビみたいに。楽しそうなメロディーを皮肉をこめて奏でながら。

 「みなさん、聞こえたでしょうか?」

 突然、大学生が大きな声で観衆に演説をし始めた。

 「再三再四止めるように忠告したにも関わらず、ここのかわいそうな子は私の忠告に耳を貸さないどころか、挑発までしてきました。これでは受けざるを得ません。私は向こうのいわれなき誹謗中傷への、正当防衛としてこの賭けを受けます。いいですか。喧嘩を売ってきたのは向こう、こちらは仕方なくそれを受けた。その点についてご了承いただけるのなら、みなさん、携帯の電池をお確かめの上自由に観戦なさってけっこうです」

 それから大学生は、台越しにハルヒを指さした。

 「まあ、公衆の面前だから、素っ裸になるまでしなくていいよ。その代わり、お前ら3人の出来立てのパンツぐらいは置いていってもらうからな。後で高校生だからとか、そんな言い訳はもう通用しないぞ。最後にもう一度きく。本当にこれでいいんだな?」

 「アンタの方こそ大丈夫なの?あとでお金ないとか言わないでしょうね」

 大学生は黙って諭吉大先生が印刷された紙切れを、人差し指と中指に挟んでピラピラとはためかせた。

 「じゃあ、はじめようか」

 金と女子高生のパンツ。この二つの単語を聞いて無視できる健康な男子がこの世にいようか、いや、いるはずがない。

 大学生が台に座り長門がキャラを選んだ途端、今までプレイ中だった者までがいっせいに観戦に集まってきたのだ。まるで生ごみ置き場に捨ててあったモッツァレラ・チーズにたかるドブネズミみたいに。その場の全員が、チーズに食い込まんばかりの勢いで画面を見つめている。ゲーセンの中は空調が効いていたが、それが局地的とはいえ一気に外の暑さを上回る熱気に包まれた。

 「さあ、ここは長門さんに任せて、そろそろ僕らも練習を始めましょう」

涼しげな笑顔を浮かべる古泉に引きずられ、俺は湿った人ごみの中を抜けていった。



 “このゲームは始めてですか?”

 俺は、騒音もうるさいし口の中の怪我もまだ治ってなかったので、テレパシーで古泉からゲームを教えてもらうことにした。例の台付近が騒がしいが、それは放っておこう。詰まるところ、みんな長門のお人形遊びにつき合わされているだけなのだから。

 まあ、初めてだな。

 “では、基本的な操作からお教えしましょう。まず、それぞれのボタンにはパンチ、キック、スラッシュ、ハイスラッシュの4つの攻撃が割り振られています。これらをタイミングよく押していくことで、ガトリングという、まあ、一番簡単なコンボですね。とりあえず、それをやってみてください”

 俺は古泉の言った通り、ボタンを押して金髪の剣を持ったキャラ(さっき台に座っていたやつがほったらかしにしていた。おかげで100円得した)を操作した。古泉の言ったことは意外と簡単にできた。

何とかなりそうだな。

“次は必殺技をお教えしましょう”

朝比奈さんがさっき喰らってた、ド派手なムービーが流れるやつか?

“あれは一撃必殺といって、このゲーム独自の、相手を一撃で葬り去る技です。あれはある特殊な状況下で特定の条件を満たした場合に使えるもので、今は覚える必要はありませんよ。必殺技は、普通の……波動拳は知ってますか?”

 まあ、それくらいは。

“それが必殺技です。入力コマンドを必要とする技。大体の必殺技は、その波動拳と昇竜拳のコマンドとその応用で出せますから。さあ、後は練習あるのみです”

 練習練習、練習練習……日々繰り返す単調な日常より退屈な作業を、このゲーセンで金を払ってすることになろうとは、人生とは皮肉なモンだ。暇だったので、画面端で一人飛んだり跳ねたりしている挙動不審の金髪キャラを操作しながら、俺は古泉に向かって心の中で話しかけた。

 そういえば最近、ハルヒの閉鎖空間はどうなってるんだ?

 “予想に反して、あまり大きな動きはありませんね。今では比較的静かですよ。長門さんも中々味なことをしてくれますね。今回のこの無謀に見せかけた賭けも、涼宮さんのストレス発散には大いに役に立つでしょう。でも、さっきあなたのノートが見つかったときは少しヒヤッとしましたが”

 俺の方はヒヤッとじゃ済まされないほどだったがな。三途の川の上流に立った気分だよ。

 “でもまあ、涼宮さんのことです。きっとあのノートの切れ端もスカートと一緒に洗濯機の中に放り込まれるのでしょうね”

 ぜひそうであって欲しい。あ、それと頼みがあるんだ。

 そのとき、向こうの台で大歓声が上がった。どちらにしても、もう俺たちには大して興味のないことだ。ハルヒがアレに熱中してストレスを発散させて、ついでに一万円もらえればそれでいい。

 “なんですか?”

 古典のノート、後で写させてくれないか。久々にまともに板書したのに、ハルヒに持っていかれちまった。

 “お安い御用ですよ”

 また大歓声。周りのギャラリーががっかりしているところを見ると、長門の凶悪なコンボが決まって逆転したのだろう。

 “フフ、長門さん、頑張ってくれていますね”

 たしかに。でも、結局練習できてるのは俺とお前の二人だけだけどな。

 “まあ、そのあたりは長門さんの計算違いだったのでしょう。涼宮さんが挑発した後は、長門さん一人で相手する。その間、我々四人は空いた台で練習する。ところが、作戦がうまくいき過ぎた。あまりに多くの観客が押しかけたため、涼宮さんも朝比奈さんも物理的にその場から離れられない。それに、涼宮さんの挑発があまりにも挑発的過ぎました”

あれだけ自分の身体を賭けておいて、勝負の観戦もしないという訳にはいかんだろうからな。それにしても、あいつ、見てるだけなのに楽しそうだな。

 “そうですね。古代ギリシャでも、自らの自由と引き換えにギャンブルをすることもあったようですから。それ程ギャンブルの魅力というのには凄まじいものがあるのでしょう。今回の一件で、涼宮さんもだいぶストレス発散になったんじゃないでしょうか。まあ、売春スレスレのギャンブルなんてあまり健康的なストレス発散方法とは言えませんが”

 タバコ吸ってるやつが言うことかよ。

 俺は観衆からチラチラと垣間見える長門の横顔を何となく眺めていた。アーケード台に向かう長門の顔も、どことなく楽しそうに見えた。



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