第5話
「ええ。美濃囲いはここの角筋が弱点なんですよ。しかし、まだ勝負は最後まで分かりませんよ」
その時点で、すでに古泉の三間飛車の戦法は俺の美濃囲いを滅茶苦茶に切り裂き、竜馬を作って圧倒的優勢を築き上げていた。
それで、今の話で何かわかったのか? 別に目新しいことなんてなにもなかっただろ。
「うーん……」
早くしろ。
“いえ、あなたの説明はどうも主観的な事柄が多くて、理解するのに時間がかかってしまいますね。『NASAもビックリ』だとか『朝倉に追い詰められた俺の脳内にショボイ走馬灯が駆け巡る』だとか。『この地球はじつは神的存在の宇宙人が創ったものだとか言ってもおかしくなかったし~』のくだりは長すぎですね。あなたのその時の考えはどうでもいいんですよ。もう少し、事実だけを簡潔に述べるようにした方がいいでしょう。あと、ウルトラマンはどんな時も『ジュワッ』しか言わなかったはずです”
国語の授業ならもう十分間に合ってる。お前の文章論はどうでもいいから、長門がどうしてビッチになったかを『簡潔に』説明してくれ。
“いいでしょう、それでは説明しますね”
ピーーーー!とポットが鳴った。お湯が沸いたようだ。
“まず、事件以前の長門さんの性格ですが、多分、無口な文芸部員そのものと考えていいでしょう。しかも涼宮さんの調査に来た宇宙人なのですから、少なくとも地球人の考えるような感情はほとんど無かっただろうし、ましてエロスなんて全く無かったでしょう。ここまではいいですね?”
俺は長門の方をちらっと見て心の中で言った。
ああ、それは何となく分かる。調査に感情やエロスは邪魔だからな。
“そうですね。そのような邪魔でしかないものが長門さんの身についたのは、明らかに事件の後。結論から言いますね。長門さんは故障しているんですよ”
長門が本から目を上げた。こっちと目線がかち合う。すると、またもや長門の頬が少し紅潮し、急いで目線を本のページに戻した。何を想像しているのか知らないが、勘違いも甚だしい。読んでいる本も実は表紙だけ真面目な小説で中身は官能小説なんじゃないだろうな?
“聞いてますか?”
故障してる、ていうのは聞かなくても10万光年くらい手前から分かってる。それにしても、あの時傷は完全に治ったと思っていたのだが、実はそうではなかったらしい。さすがの長門もバックアップなしで完全に元通りになるのはキツかったみたいだな。
でも、見た目には異常はないし、どうして地球人のお前に故障した、なんていうのが分かるんだよ。
“最初に言った通り、これはあくまで『可能性の高いと思われる推測』なんです。ただ、今のあなたの話でいくつかの状況証拠はあがりました。
まず、朝倉さんとの激しい戦闘。このとき受けた傷の回復は、おそらく長門さんの能力では治癒しきれなかった。なぜなら情報生命体は、既存の情報を操作することはできても、涼宮さんのように無から新たな情報を作りだす、そういったことは不可能だからです。そういうときのためにバックアップがいるのですが、そのバックアップがバックアップを必要とする事態を生み出したのが今回の事件ですから、皮肉なものですね。そして、治癒しきれないとなると――僕も宇宙人の専門家でないのでよく分かりませんが――おそらく人間としての形態を保つことができなくなってしまうはずです“
バックアップがアップアップしているお前の文章のほうが余程わかりづらいと思うね。
俺は勘付かれないように、そっと盤上から長門の方に目線だけを動かしてみた。
思いっきり目が合った。
表情のないはずのヒューマノイド・インターフェイスが焦ったように視線をそらす。
思いっきり人間の形態じゃねえか。明らかに既存の長門じゃない情報が上書きされているようだが、これはいったいどういうことなんだ?
“そうです。あなたから話を聞くまでは、そこが一番大きな謎だった。一応、他の人間から必要な情報をコピーして取り込めば応急処置ぐらいにはなるでしょうが――
長門は確か慎重派だったから俺にはそんなことはしそうにないな。
“ええ、なんといっても、あなたは涼宮さんに多大な影響を与える重要人物ですからね。蚊の吸血でもマラリアのような感染症にかかることもある。僅かでもリスクは取れないでしょう。今までは長門さん自身が消滅してしまう影響も考慮して、やむなく――そう、あなたから情報を拝借したと考えられていました”
それは大いに矛盾している。今の長門を電子顕微鏡で覗いてみても、ケツからガトーショコラを出すほどお上品な俺の情報は痕跡すら見当たらないじゃないか。
そのうえ大事なバックアップは長門自身がぶっ壊した。
“そこがどうしても分からず、今まで不確定な推測の域を出なかった訳です。しかし、さっきのあなたの話に颯爽と登場した、ある一人の人物によって、ようやくその謎も解けたというわけです”
ああ、そういうことか。さもありなん。
“そう、忘れものを取りにきた谷口さんです。たまたま近くを通りかかった彼の情報をほんの少し拝借したんですね。彼の性格は……古典の授業で見た通りでいいんですよね?”
まだ二乗しても足りないくらいだ。要するに、頭のネジが少々ぶっ壊れたので谷口のピンク色のネジを拝借してきたというわけか。
“ええ。おそらくは、お察しの通りでしょう”
やれやれ。厄介なことになったもんだぜ。
「王手」
古泉がピシャリと竜馬を切り返す。かなり不利な状況だが、完全に打つ手なし、と言うわけではない。
部室のドアがゆっくりと開いた。ハルヒが部室に入って来たようだ。
俺は王将を逃がすか、それとも金将を上げて守るか、どちらにするか考えていた。
「ねえ、キョン」
いつもとは違って、ハルヒの口調は落ち着いた様子だった。いつもの語尾にエクスクラメーションマークを5つくらい表記したくなる勢いも、ドアを吹っ飛ばすように開ける勢いも無く、でもまあ、ハルヒにだってたまにはちょっと元気の無い日くらいあるさ、とそんな程度に考えていた。
「何だ? 俺は今、古泉に追い詰められているところだから何か話があるならちょっと待ってくれ」
「別に大した用事じゃないの。さっきの古典の授業について、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何だ、珍しいな。まさかお前が勉強の話をしてくるなんて」
ここは金将を上げておくことにしよう。その方が後々役に立ってくれそうだ。
俺は駒を持ち上げ、パチッと盤上に置いた。
まあ、どうせハルヒのことだから、「次のテストで平均点を取れなかったら赤点なの!!どうにかしなさい、キョン!!」とかそういう類の話だろう。
「このノートに書いてあるA~Dって何なの?」
俺は一瞬、背筋にうすら寒いものを感じた。
体は、全く動かない。というより動かせない。金縛りにあった人間というのは、きっとこんな感覚なんだろうと思いながらなんとか首だけ動かして見ると、そこには確かに俺の筆跡で、余白の異常に多い俺の古典ノートにA~Dの選択肢が書かれていた。Dのところに丸をつけた跡まであった。その下に書かれている「ファイナルアンサー?」が「無条件降伏、イエスかノーか」と問いかけているように見えた。
「ねえ、何なの? 早く答えてくれない? それとも、何か答えにくい事情でもあるの?」
前にテレビで見た情報によると、確か金縛りにあった人間は声すら出せなくなるらしい。俺は放課後の昼下がり、起きながらにして金縛りにあってしまったようだ。
「ねえったら。他人が訊いてるんだから何か言ったらどうなの?」
ハルヒが、俺の座っているパイプ椅子の脚をガンガンと蹴りはじめた。
「ねえってば」
ガン、ガン、ガン、ガン……
もうすでに俺の頭の中から将棋のことは消し飛び、いかにこの場をうまく取り繕うかでいっぱいになっていた。それにしても、いつの間にノートを盗られたのか……きっと5時限目と6時限目の間の休み時間に盗られたのだろう。隙はいくらでもあった。
「まあ、どうしても答えられない、て言うならしょうがないわ。わたしの方から説明してあげる。絶対言い訳できないようにね」
ハルヒは、ノートを俺の方に広げたまま、選択肢のBを指した。
「まず、このB。これはキョンがユキとミクルちゃんに二股かけてた、てことを意味していて、どちらかに帰ってもらう、つまりどちらかと別れる、てことを意味しているのね」
おいおい、出発時点ですでに論理が飛躍しすぎだぞ。
「それはこのノートだけ見れば飛躍しすぎかもしれない。でもキョンの、授業中に寝ぼけてした発言。確か『セフレの虞姫が妊娠した』だっけ? クラスのみんなも古典の禿げ茶瓶も『虞姫(グキ)』て発音したと思っているようだけど、わたしの耳だけはごまかせなかったようね」
朝比奈さんは、いち早くハルヒの怒りの波動を感じたのか、沸いたポットをほったらかしにして部屋の隅に避難を開始していた。
「わたしには、はっきりと『ユキ』て発音しているのが聞こえたわ」
確かに、口の中の怪我のせいで『グキ』とはっきりした発音にはなってなかったかもしれない。もしかしたら『ウキ』に近い発音だった可能性もあるが、でも『ユキ』とは絶対に言ってない。きっと、朝比奈さんと長門の闘争のあの日に見た光景が忘れられず、そう言う風に聞こえたというだけだろう。
「つまり、Bはセフレのユキと、ミクルちゃんと二股かけてたけど、何らかの原因でそれが二人にばれてしまった。それでどちらか一人と別れよう、てことを意味しているの」
もう嫌になってきたな。なんならお前を妊娠させてやろうか?
「ここまで分かれば後は簡単だったわ。まずA。これはわたしにバレないようにカモフラージュするってことね。まあ、あんたみたいなチンカスがわたしの望むような不思議を提供してくれたらSOS団をつくるまでもないけどね。そしてCは、超能力ってとこがよく分からなかったけど、とにかく古泉君なら一応副団長だし何とかしてくれるかも、て思ったんでしょうね。最後の、あんたが選んだD。これは『もうこの現実から逃げたい』て意味で間違いなさそうね」
その通り。最後だけ大正解だ。平常点5点やるから、もう見逃がしてやってくれないか?俺はもう限界なんだ。この恐怖に耐えるので精神が限界に達して、発狂しそうなんだ。ある意味異世界の人間になっちまうかもしれないけど、さすがのお前でもそんな異世界人はいらんだろ?
「そう考えると三日前の長門とアンタのアレ(つまり、俺の淡ーい甘酸っぱい青春の一ページのことだ)も納得できるわ。ミクルちゃんに『俺たちはこんなに仲いいんだぜ』てアピールしてたわけね」
でも人間の、それも成長した人間の精神というのは、そう都合よく壊れてくれるようには出来てないらしい。とにかくこのまま黙っていると俺がハルヒの言い分を黙認したと取られかねないので、恐怖でカラカラに乾ききった舌を傷の痛みに耐えながら何とか動かすことにした。
「違う、ハルヒ、聞いてくれ……だいたい、俺がそんなにモテるわけが――
ハルヒが俺の真実の訴えを遮って投げたノートは、ひらひらと白いページを優雅にはためかせながら、将棋の駒を盤上から蹴り落として着地した。
「意外と勉強熱心なのね」
ピーーーーーーーーーーー!!!!!
ポットが、内部から吹き上げる蒸気に耐えきれず悲鳴を上げていた。沸点をとうに超えたお湯はポットそのものを内部から揺さぶり、ガタガタと音を立ててさえいた。
「今すぐ土下座して謝るなら、死刑だけは勘弁してあげる」
朝比奈さんはすでに、来るべき惨事に備えて机の下で頭を抱えて座り込んでいる。
俺は、コンロの上で火に炙られているポットと一緒にガタガタ震えていた。
「早く素直に土下座したら?」
ポットが、内部の蒸気の力に耐えきれず、泡を噴き出して倒れ落ちる。床がジュウと音を立てて焼ける。
「待ってくれ、本当に俺は何もしてない! それに、お前が言ったことは全部ただの推測じゃないか。俺は無実――
“危ない! 右ストレートがきますよ”
古泉の的確なアドバイスのおかげで、俺はハルヒのパンチを辛うじてかわすことができた。でなければ、今頃はさっきのポットと、仲良く部室の床の上で日向ぼっこしていたに違いない。
「違う! 本当に何もないって! それはただの暇つぶしに書いただけだ!」
「本当に?」
「ああ、本当だ。そこの二人に聞けばわかる!」
「確かにそうね。分かったわ。二人の話を聞いたうえで、もし何もなければ、今回は特別に『疑わしきは罰せず』てことにするわ」
良かった。頭の中にウンコでも詰まっていそうなハルヒ(クソ女)だって話せば分かってくれることがある。俺はほっと胸を撫で下ろした。
“油断しないで下さい!”
「なんて、うっそぴょーん。偽証罪で死刑」
“今度は左ジャブからのアッパー狙い! おそらく、部屋の隅に追い詰める気でしょう”
とにかく、避けるだけで精一杯で、俺はハルヒの目論見通り部屋の隅のコンロ前に追い詰められた。チラッと机の下にいる朝比奈さんを見ると、もう今にも心臓発作で死んでしまうかと思われる程震えあがっていた。しかも、ちょうど胸元のボタンが外れているせいで、魅惑の谷間が丸見えではないか。
「そこの熱湯に額をつけて土下座するなら、今からでも考えてあげてもいいわ」
ポットの周りは少しだけ黒く変色していた。きっと、余りに熱くなったお湯のせいで少し焦げたのだろう。まだもうもうと湯気が上がっている。とにかく、今はチラリと垣間見える朝比奈さんのピンクのブラジャーを見ている場合でないことだけは確かだ。
「おい、長門、朝比奈さん、黙って見てないでお前たちからも言ってやってくれ!」
「問答無用! くらえー!」
“一発目はフェイントです! そのまま走って扉まで逃げてください!”
心の友、古泉の助言に従って俺はアンパンマンのごとく勇気を振り絞ってハルヒの拳へとダッシュした。頭の中に、朝倉涼子に襲われた時と同じショボイ走馬灯が駆け巡ったものの、俺は死亡フラグを見事乗り越えて部室の扉――自由への扉の前まで到達することができた。
ハルヒはこの状況でフェイントが読まれたことに驚き、そのときの戸惑いが俺に逃げ切るための0.1秒を与えることになった。
果たしてハルヒがどれ程の俊足を誇るのか知らないが、一度この部室を出てしまえば俺の勝ちはほぼ確定する。なぜなら、古泉のテレパシーの超能力がある以上、俺には最新式偵察衛星が味方してくれているに等しいからだ。
俺がドアノブに手をかけようとした瞬間――
“危ない、伏せて!”
ドアを開けた不幸な来訪者が入って来たのと、しゃがんだ俺の頭の上をハルヒが全力投球した椅子がかすめて行ったのは、ほぼ同時だった。
何か嫌な打撃音がしたかと思うと、その不幸などこかで見たことがあるような人は鼻から血を噴出して真後ろへと、勢いよく倒れた。あの衝撃ではもう二度と起き上がらないだろう。
「部長、部長! しっかりしてください!」
この面々は知っている。と言うより、これだけオタク臭い濃いメンツは忘れようがなかった。
「あれ、またコンピ研が喧嘩売りに来たの? 今取り込み中だから後にしてね」
「そうはいかない!」
部長氏はきっと後半終了間近に相手にゴールを決められてグラウンドに倒れ込んだサッカー選手が雨の中ロスタイムにもう一度立ち上がる様な悲壮な決意を込めたもりだろうが、顎先まで濡れている鼻血のせいで下着泥棒に失敗した変態にしか見えなかった。しかも立ち上がった部長氏をアオリで見ている俺にとっては、夕日を反射してキラキラ光る鼻血は滑稽にしか映らなかった。
「何勝手なこといってるのよ」
お前が言うな、と俺の雑用以外の主要業務であるツッコミを心の中でこなす。
「だいたい、ノックはしたの? 勝手にわたし達の部室に入って来るなんて、主権侵害よ!」
「ノックならこっちの拳が痛くなるくらいしたよ。君たちがノックに気づかない程お取り込み中だっただけだ」
しかしこの部長、中々タフである。ハルヒ会心の椅子投げを喰らってこれだけ早く立ちあがれるとは。前世はサンドバックか何かだったに違いない。
「とにかく、君たちに勝負を申し込みたい」
「どうせまたインチキするつもりでしょ」
「いいや、今回はインチキなんて全く出来ないものを選んだ。この勝負は完全に公平なんだよ」
卑劣なサンドバックのいうことだ、どうせまた自分たちの土俵で戦うつもりなのだろう。イチローが小学生相手に「公平に野球で勝負しようぜ」と言ってるのと同じだ。
部長氏は、いまだ屈んだままの俺の領空に手を伸ばし、ハルヒを指して言った。
「アーケードゲームだ。これで全ての決着をつける」
敵の大群に向かって突撃してゆく指揮官を気取っているのかもしれないが、せめて鼻血を拭いてからにしてはどうだろうか。これではチョコレートを喰い過ぎた変態にしか見えない。
しかしハルヒもそれを聞いて無下に出て行けとは言えなくなったようで、つかつかと部長氏の方に歩み寄った。もちろん、ハンカチを渡すためではない。
「望むところよ。アンタ達に決定的敗北というのを教育してあげるわ。SOS団の授業料がいかに高額か、思い知ることになるでしょうね」
「せめて学校の授業よりおもしろいのを頼むよ。あんまり退屈だと居眠りしてしまうからね」
俺の領空を飛び交う言葉のミサイル。これを撃ち落とすパトリオットは流石に朝比奈さんの未来にも存在しないだろう。まあ、あったとしてもどうしようもない。この二人は、お互いを傷つけあうことでしか交流できないのだから。言いたいだけ言わせてやるがいいさ。
「あと、条件が一つだけある」
「何? 怖気づいたんなら今が撤退するチャンスよ。わたしは寛容な精神の持ち主だから、背中を向けて無様に逃げる者に追い打ちをかけたりはしないわ」
ウソつけ。たった今必死に逃げる俺に何をしたのか、忘れたとは言わせんぞ。
「そこの長門ユキという子。その子は参加禁止だ」
「どうしてよ! ユキだって立派なSOS団団員なんだからダメなんておかしいでしょ!それともなに? またインチキするつもりなの?」
「さっきも言ったとおり、アーケードゲームだからインチキなんて絶対に出来ない、あり得ないんだよ」
「だったら男らしく正々堂々と勝負しなさいよ。たった一人の女の子に怯えてるなんて、ちょっとはみっともないと思わないの?」
「実は、以前、試しにその子を借りたときに今回と同じアーケードゲームをやらせてみたことがある」
そういえば、たまに部室にいないときがあったな。まさかコンピ研の奴らと一緒にいたとは予想外だ。長門もそうやって少しでも周りに馴染んで行ってほしい。ハルヒと朝比奈さんの相手ばかりじゃさすがに疲れるだろうからな……特に朝比奈さんの相手は……
「最初は操作も覚束なかったのに、見る見るうちに上達、1時間後にはそこら辺のゲーマーをなぎ倒していた。その後、試しに僕らと対戦したら見事全員にパーフェクト勝ちした。だから、その子を入れると最初から勝負にならないんだよ」
長門も意外と大人げないな……何もゲームでそこまで本気出さなくてもいいんじゃないか? それとも、やっぱりそれだけストレスが溜まっていたのだろうか。たぶん、対戦相手を朝比奈さんに見立ててボコっていたのだろうと想像する。
「じゃあ、人数はどうするのよ」
「4人か5人。人数は対戦直前まで、そっちで自由に決めてもらってかまわない。助っ人に関しては、あの子とコンピ研以外の北高生徒なら誰でも可。これでいいだろ?」
「何か納得いかないわね」
「別にいいんだよ。逃げても。あれだけ授業料がどうのこうの言っておいて、結局自分じゃ勝負一つできないヘタレ団長さん」
「どうやら、本当にわたしと真剣勝負したいようね。今のうちに言いたいこと言っておいたら? 後でボッコボコにしてやるんだから」
「ふん、そっちこそ、もう泣いたり笑ったりできないようにしてやるよ」
二人は俺の領空で目線を交わし、互いに睨み合っていたが、俺はやおら立ち上がってその二人を引き離した。このまま放っておいたら、リアルファイトに発展しそうだ。
「まあまあ。落ちつけ、ハルヒ。それで部長さん、実際の対戦の日時とその他詳しい説明をお願いします」
「そうだったな。説明してやるから良く聞んだぞ」
部長氏がなぜか偉そうに喋り出したことによれば、対戦の日時は今月末。あと1週間といったところか。時間的な余裕は以前よりあるが、今回は複雑なアーケードゲームだから1週間でも厳しいだろう。長門の情報操作はあまり使いたくない。
そして、対戦する機種は格闘対戦ゲーム『ギルティ・キル』。通称ギルティ、またはGK。よくある2D格闘ゲームで、約20人のキャラクターの中から一人を選んで対戦。選んだキャラは途中で変更できない。勝負は3本先取の勝ち抜き方式。下手をすれば一人相手に全員倒されてしまうこともありうるわけだ。
「まあ、せいぜい頑張りたまえ、SOS団諸君」
「ちょっと待ちなさい」
自信満々で鼻血を流したまま立ち去ろうとする部長氏に、ハルヒが待ったをかけた。
「何を賭けるか、まだ聞いてないんだけど」
「あぁ、すっかり忘れていたよ。そうだな、夏の北海道合宿というのはどうだろう。君たち5人分。その代わりこっちが勝ったらパソコン5台、全部返してもらうからな」
「北海道か……中々いいわね」
もうすでにハルヒの頭の中には、富良野のどこまでも広がるラベンダー畑を駆け巡り、北キツネにルールールーと呼びかけながら餌をやって、摩周湖のマリモで蹴鞠を楽しみ、網走の刑務所で心霊写真を激写するという強行ツアーが計画されていた。俺は北海道ラーメン食えたらそれでいいよ。あ、あと朝比奈さんと北キツネが戯れている様子も見たいなぁ。ついでにカニも食いて~
「残念だけど、君の頭の中の都合のいい妄想が実現することはないよ。だって、最後に勝つのはこのコンピ研だからだ!!」
闇の軍勢を打ち負かした光の勇者が兵士たちに勝利の演説でもしているかのような口調だったが、しかし垂れたままの鼻血のせいで『俺のアソコを見てみろ!』と叫ぶ露出狂の変態にしか見えなかった。しかも、最終的に部員の誰ひとりとして、部長の鼻血に対してハンカチ一つ差し出そうとはしなかった。
コンピ研の面々が立ち去った後には、脚がちょっと曲がっている、ハルヒの投げたパイプ椅子が夕日を浴びて寂しそうに廊下に転がっているだけだった。
とにかく、今回はコンピ研のみんなに感謝したい。俺は、ハルヒというライオンに追いかけられている仔馬だった。そこにコンピ研という、いかにもおいしそうに太った猪がやってきたのだ。もうライオンは仔馬よりも猪に夢中。おかげで、俺はしばらくの間ハルヒの標的にならずに済みそうだ。ありがとう、コンピ研。お土産はマリモのキーホルダーでいいか。
「あいつらには、お土産に『白い恋人』でも買ってあげるとして」
俺は廊下に出て、転がっている椅子を拾い上げた。そして、部室に運ぼうと振り返った。
「とりあえず、有り金全部出しなさい」
ハルヒが右手を広げて俺の前に差し出している。握手するつもりではないようだ。
「ちょっと待て、何で俺が……」
「確かに、今回のことは決定的証拠がない」
部屋の中をぐるぐる歩きまわるハルヒ。
「でも、これだけの状況証拠がある以上、何らかの処罰が必要だと思うの」
止まってもう一度、俺の前に右手を差し出す。こいつ、生命線長いな。
「さ、大人しく速やかに出しなさい。さっきの対戦ゲームの軍資金として、SOS団のみんなで使うんだから。アンタの無駄遣いより余程有意義な使い道でしょ」
何となく古泉の方を見てみると、肩をすくめて手をW字型に広げていた。
“まあ、仕方ないでしょう。今回は生きているだけでも儲けものですから。後で、経費で落とせるように機関に頼んでみますね”
「それと、この古典のノート」
ハルヒは将棋盤の上のノートを取り上げると、例のページをビリビリと破り取った。
「怪しいし、もし後々何かあったときの証拠品として預からせてもらうわね。隠ぺいされても困るし」
もう、好きにしろよ……
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