第3話 天敵ベリト宰相

 魔王ゼノビオスの腹心、ベリト宰相閣下をどう思うか。

 ベリト宰相と面識のある三人に聞いてみたことがある。


『え~ベリトかっかぁ~? んーとね、顔はグッとくる感じなんだけどぉ~、ちょっとつれなさすぎるのよねぇ。なんていうの? 女よりお金が好きな御方よね~。あと嘘つき。そこもちょっとイイんだけどぉ~』

 巻き毛をいじりながら山羊獣人のボインな美女メイドはそう評した。


『奴は二枚舌どころか千枚の舌を持っている。大嘘つきだ。だが、たまさか真実を吐き出す事があるから余計にたちが悪い』

 眉間に皺を寄せながら、狼耳と尻尾を持つ騎士は生真面目に述べた。


『宰相閣下って、意外と寂しがり屋なんじゃないかしら。長く生きてらっしゃるからね。心を預けられる友も恋い慕う相手も、本当に長い長い間、何も持たずに歩いてらっしゃった方だから……。まぁ、それもこれもあのお方が嘘つきだからいけないのだと思うのですけど』

 優雅にティーカップを傾けながら、縦に裂けた蛇の瞳孔を持つマナー指南役の老貴婦人は述懐した。


 つまり要約すると。

 ベリトは嘘つきだ。


 ルキフェル王家に忠誠を誓う魔神十三家門のうち、唯一、私のアシュタルト公爵家と同格の公爵位を持つ男。先代魔王の治世より筆頭宰相の地位を誰にも譲ることなく、いかんなくその能力を発揮している男。

 ……私の何百倍もゼノの役に立っている男だ。

 私は、奴が気にくわない。


「おや、いらっしゃるとは思いもしませんでした。アシュタルト公爵。月下のもとのみに花咲くムーンクォーツ・リリーのごとき麗しい貴女を拝見できた幸運を、気まぐれな巡り合わせの妖精に感謝しなくては」

「……心にもない言葉がここまでペラペラ出てくるのはもはや才能ですね、ベリト宰相閣下」

「もちろん社交辞令ですとも」


 にっこり笑いながら皮肉を言ったら、同じくにっこり笑いながら速攻で皮肉が返されたよ! ちくしょう、すぐに言い返せないのが腹立つ!

 ベリトはひとを馬鹿にしたように真紅の目を細めた。

ちなみに宰相閣下の黒髪紅眼という組み合わせは魔族としてポピュラーな方である。艶やかな黒髪は長く伸ばされ、肩口をとうに過ぎており、お前は一昔前のヴィジュアル系バンドかと毎度ツッコミたくなるが。


「陛下が私の入室をお許しになったということは、貴女の用件はもう片付いたのでしょう? そのような熱烈な視線で見つめていただいても迷惑千万なので退散してはいただけませんか?」

「慇懃無礼を隠そうともしなくなりやがりましたね、宰相閣下」

「こんな序盤から喧嘩口調になる貴女よりはマシだと自負しております」

「性格最悪の金の亡者にだけは自分の方がマシとか思われたくないですよ」

「いえいえ、貴女の粗雑さと口の悪さに比べれば、だいぶマシだと言う他ないと思いますが」


 にゃんだと、この鮮血の陰険悪魔めが!

 奴のピジョンブラッドの瞳と私の瞳が火花を散らす。いや、比喩表現でなく高まった魔力が視線に乗り、プラズマ放電のごとく空中でバチバチ言ってるのだ。


「お前ら、口喧嘩するだけなら余所へ行け。物理的に喧嘩するなら尚更どっか行け」


 永久凍土のごとくクールなゼノの声に我に返った。

 我らが魔王陛下は、犬猿の仲の文官筆頭と武官筆頭には目もくれず、不死鳥の羽でこしらえた最高級の羽ペンでせっせと政務に勤しんでいる。

 あ、武官筆頭ってのは私ね。私。

 アシュタルト公爵が軍務の最高役職である王国軍元帥を務めることが、ルキフェル王国の代々の慣習なのだ。ちなみに大元帥は国王。つまりは魔王ゼノ。

 まぁ王国軍元帥って言っても一年前に母から引き継いだ役職で、それゆえに色々問題があるっていうか、ないっていうか色々あるのだが・・・・・・。

 とにかく文官筆頭のベリト宰相よりも役に立ってないのは確かだ。それは認める。くやしいが認める。


「申し訳ございません、陛下。目前に迫りました即位一年記念式典に関して、いくつか変更点がありまして奏上に参りました」

「……警備に関することなら私も知っておくべきだと思いますけど」


 私の一言に対して、ベリトはキザったらしく完璧な笑みを作った。


「ええ、もちろんですとも。変更に伴う警備の関連事項については既に貴女の部下の大将軍閣下と調整済みです。大将軍閣下から報告が行くでしょう」

「つまり私は口を出すなと」

「そうです。国家守護の要たるアシュタルト公爵が動くのは国を揺るがす大事のみ。こんな警備一つでいちいち『殲滅の女公爵』が動いていては兵たちも動揺します」

「……それは母の二つ名であって、私の呼び名じゃない」

「同じことですよ。特に末端の兵士にとってはね」


 喉の奥に何かがつかえたような心地がする。

 母と同じく恐怖の象徴と捉えられることは別にいい。いいんだけど。

 こうもあからさまに「オメーが出てくると兵士がビビって仕事にならんから、すっこんでろ」と言われるのは悔しい。腹立つ。

 いやここまで見事に『アシュタルト公爵』としてビビられるようになったのって、自分の行動も影響してるんだけどね?

 それでも私みたいにどうしようもなくイメージが固定する前に、ゼノが『なんか怖い魔王』って国民に思われてるのをどうにかしたいわけだ。

 とうの本人は「どうでも良い」と言ってるけど。

 私と違ってゼノは賢君と称えられてしかるべきだから。


「ゼノ。今日のところは引き下がるけど、この件でまた来るから」

「……ああ、お前がそうしたいなら来ればいい」


 週刊誌マエラを執務机に置きっ放しにしたまま、私は扉へと向かう。


「いくら幼なじみといえども貴女は臣下です。陛下の御名を呼び捨てにし、対等に話すのは無礼に過ぎますよ」

「くどいぞ、ベリト」


 嫌味な宰相閣下をたしなめるゼノの声を背後に聞きながら、扉を閉めた。




  +++++




「おや、今週のマエラですか。私も読みましたよ、この記事は」


 有能ではあるが性格の悪い部下が週刊誌をペラペラとめくるのを見て、ゼノビオスは片眉を跳ね上げた。ディアネイラが自分に置いていった物に軽々しく触れられたのが不快だったからだ。

 それがどんなにくだらないものであろうと、こと幼なじみのディアネイラが関わってくるとゼノビオスは狭量になる。


「そんなにお怒りにならないでください。すぐお返ししますとも」

「……別に怒ってなどいない」


 ただ単に気にくわないだけだ。

 ついでに言えばゼノビオスにとって、さきほどの事態も気にくわない。確かに「仕事の邪魔しかしないのなら帰れ」とは言ったが、ベリトにディアネイラが追い出されたのは不愉快なのだ。

 魔王ゼノビオスの心中は常にひねくれていて、矛盾を抱えている。


「こんな雑誌まで持ってきたアシュタルト公爵に、国民人気を気にしろとでも指摘されましたか?」

「もっとやかましかったが、そう言っていたな」

「まぁ彼女の言い分にも一理あると思いますよ。のちのち金を搾り取るためにも、国民からの人気は高い方がいい」

「……お前が国民をどうしたいかはよく分かった」


 ベリトが金の亡者で、政治を上手くこなすのも全ては金が増えるのを見るのが何よりも楽しいからという理由なのも知っている。その点に関してなら、ベリトは分かりやすい男だ。

 しかしベリトがディアネイラをどう思っているかについて、ゼノビオスは分かりかねていた。

 宮廷では『ベリト宰相とアシュタルト公爵は犬猿の仲』とのもっぱらの評価で、ディアネイラ自身も『あいつ嫌い』と常々言っている。そこに嘘はない。

 けれどベリトは嘘つきで有名な男だ。

 たとえばさきほどディアネイラに言っていた『貴女に会えて嬉しいと言ったのは社交辞令です』という言葉こそが嘘だったとしたら?

 ゼノビオスには、ベリトがディアネイラに対してだけ面と向かって毒を吐くことが、好意の裏返しのように思えてならないのだ。


「では陛下、わたくしめからの報告を始めさせていただきます」


 ゼノビオスはベリトの優雅な笑みを睨み付ける。

 この男の真意がどうであれ、ディアネイラを渡す気など微塵もなかった。


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