黄色い太陽 青い影

穴田丘呼

夢一夜

 5月の太陽が薄黄色く輝いている。少女は○階だてのアパートの屋上で、その太陽を見ていた。鉄のドアから斜めに切れた影が、少女の半身をおおって、細い足首がくびれたかっこうになっている。

 少女は歩きだした。あずき色の鉄柵に手おいて、薄く引いた雲のまぎわにある街のテッペンをのぞいた。

 高架線路は白い壁をつらぬいていて、その支柱は大きな虫ケラの足のように見えた。あとは木の葉を引いたじゅうたんだった。

 少女はまた、すこしアゴをあげて空の上を見あげた。かすんだ色彩が、少女の髪をキラキラと光らせた。細い髪が、風に揺られてチラチラと目の前で動いた。時々その髪がまつ毛や眼球にひっかかったので、あいた、という声が口元でささやかれた。どうにかするとその声は、風の音に吹き消されてしまいそうだった。

 少女は今まで何をしていたか知らない風だった。手に水気を含んでいたが、もう鉄柵のぬくもりとあわい風とが運び去っていた。高架線路に、カキ色の電車が、のっかって走って来た。

 その音が少しずつ少女に近づいてきた。少女はその音が近づいてくるのを感じると心持ち視線を落とした。あざやかなカキ色を持った箱型の電車だった。虫ケラの足がズンズンと歩きだし、電車は少女を背後の方に切り入ってしまった。

「あなたはもう少し、そっとしといてやることを考えるべきだよ。そんなことを夢中でいたって、わたしには何もわからないよ」

 少女はそう頭の中でつぶやいた。

「あなたがいくらか答えるすべを持ってるなら、どうかもっと素直な気持ちでいてよね」

 ドアの向こうの物干しざおのシーツや大きなシャツやらが、ひらひら動いている。プラスティックの洗たくカゴが、そのすかした陰陽をつけておかれてある。

「決断すべき時よ。もうここまできたんだから。話しはそれからでも十分よ、おそかないわ」

 少女の話し相手は、自分でもあり、それ以外の人でもよかった。語る相手さえいたなら、誰にだって語りえたことだった。しおからトンボでも、ギンヤンマでも悪くはなかった。ただこの時期には少し早かったし、街をうろついて、屋上までたどりつくトンボはそう期待できなかった。そうだし、もしもトンボが、少女の体のどこかにとまったなら、少女はひどく傷ついたに違いない。

 夜になって少女はひどく憂欝な夢を見た。

 ひとりの少年が彼女に詰問するのだ。どこかで見たような少年だったが、名も、どこから来たのかもわからなかった。

「カキネがあり、その上のカキネの上のカキネはなんというカキネだ?」

 少年は顔をのぞきこみながらそういった。少女はわからないを繰り返して、泪をポロポロと流している。けれど少年は、「カキネがあり、その上のカキネの上のカキネはなんというカキネだ?」と続けるのである。

 少女は両手で泪をぬぐいながら、首を振る。少年はその片方の手を両手でひっつかみ、少女の泣き顔をのぞき込もうとする。

「早く答えなよ。なにな泣いてんだよ。そんなおどしには乗らないぞ」

 そうして少年はクイズを繰り返すのだった。

「そんなにいやだったら飛びこえてみろよ」

 少年は少女の手をぐいとひっぱってどこかに連れて行こうとした。少女はそのままひきずられるようにして、少年の後に続いた。少女のまわりはすべてがかすみ、何色にも何物にも写らなかった。ただどこかできいたミツバチの羽音が、ブーブーと響いていた。少女は突然、その音が恐ろしくなって、少年の手をふりほどいて、座り込んでしまった。ザラザラとした砂じがそこここの肌をさした。

 少年は少女の前に立ち、首を傾けて、手をひろげていた。

「なに、こわくなんかない。ハチはさしはしないよ。人につぶされるだけさ。見といでよ」

 そういうと少年は腕をふりまわして、どこかにいるミツバチをとらまえようとはねまわった。しばらくすると少年はつかまえたぞ、といって、少女の前にポタンとハチをおとした。ハチはみごとにつぶれていて、腹のとったんからは、するどい針が飛びだしていた。そして少年は、さあ行こう、といって、少女の手をとり、引きあげた。

 少女はまた引きずられるようにして、足を進めて行った。もちろんそのころには泣きやんでいて、あたりがまっさおな夜になっているのがわかった。どこもかしこも青色で、月も、闇の空間も青く、それでいて、まわりははっきりと見えた。

 青い風や青いすすき、青いネコや青いフクロウがいっぱいいた。

「さあ、ここのカキネさ」

 と少年はいうと立ち止まり、少女の顔をのぞき込んだ。そのカキネは青い空そのままだった。

「飛びこしてみろよ。飛びこせるぜ」

 少年は少女の背中を押しやった。少女はつんのめるようにして、数歩進んだ。けれど、どれが少年のいうカキネかはわからなかった。少女はまたひどく悲しくなってきた。少年はあるというけれど、その少年が誰だかわからないのがなおのこと悲しさを強めた。少女は思いきって、少年が誰であるのか聞くべきだと感じた。けれど少年はさあ、こせ、という。

「ねえ、何をこせばいいの?」

 少女はそういうのがやっとだった。少年は奇妙な顔をすると、クスクス笑い出した。

「何をなんだって? おまえ見えないのか? こんなでかいカキネが。さあ、早くこせよ。まってるんだぞ」

 少年はイライラしだしたのか、足で砂をけりあげだした。その砂が宙にまいあがるたんびに、少女の頭の上につもっていった。それがとても冷たくて、髪が骨のように固くなりだしたような気がした。

「わかったわよ、飛びます。わたしよく見えるんだから、こんなカキネすぐに飛んでみせるわ」

 少女はひどいかんしゃくを見せた。それが自分でも不思議で、さっきまでの不安な気持ちがどこかに行ってしまったようだった。けれども、いざ飛んでみようとかまでた時に、カキネなんてどこにもないというのが気になった。

「ねえ、最初に飛んで見せてくれない?」

「オレが?」

「ええ」

「別にかまわないけどね。ほんとにいいのかい?」

「ええ」

「じゃあ飛ぶから見といで」

 そういうと少年は、後ずさりして、体を縮めて上の方を見あげた。そうしたかと思うと、少年はタッタッタッとかけだし、力強く砂をけって飛んだ。すると少年の体はスーット高く舞い上がりだした。少年の体はみるみる小さくなって行き、ちょうどミツバチくらいの大きさになった。

 少女はあ然とそのキセキを追っていた。少女は青色の中にひとりとりのこされた。少年を呼びもどそうにも、名を呼ぶわけにはいかなかった。

「ねえ、今度はこっちに飛んできて!」

 少女は無我夢中でそうさけんでいた。すると少年の声がこだまのようにあたりいちめんに広がった。

「ああ、いいとも、そっちに行くよ」

 その声が聞こえると少女は少し安心をした。またもどってくるし―またひとりでなくなるし。

 少年の声が響きながら消えると、タッタッタッというかける音が、どこからか聞こえた。けれどその後に、アッというちょうしはずれの声がかすかに聞こえた。しばらくするとミツバチくらいの大きさの少年の姿が見えた。

 少女は早く来てほしいと願った。また来たら、今度は自分でも飛んで見ようと思った。向こうに何があるのかわからないけれど、ひとりではないことがとてもいいような気でいた。少女は少年の姿を追っていた。ミツバチくらいの大きさの少年が近づいているはずだった。けれど少年をよく見るとなんだかクルクルとキリモミ状態に落ちてきているようだった。そうだし、いっこうに姿が大きくならなかった。

 少年は何やらさけび声をあげているようだった。最初は甲高いひめいであったが、それがいつしか低い羽音にかわっていた。ブーブーという羽音が青い闇のなかでもがいていた。

 少女はその音を聞くと、変な気持ちになった。けれど少年が来て、またたたきつぶしてくれると思い、ただただ上を見つめるばかりだった。けれどいっこう、少年の姿は大きくなりはしなかった。小さなままでキリキリまっていた。それはほんの近くのできごとであった。青い風のいたずらで、少女の頭の上から10メートルのとこらあたりで、キリキリ舞っていた。そいつが急にそっぽを向くと、少年は少女の顔めがけて落ちてきた。いっぴきのミツバチとなって、ひっしになって羽をはばたかせていた。

 少女はそれに気づくと、驚いてミツバチをさけようとした。けれどそのミツバチは少女を追うようにして近づいてきた。少女は手で無意識のうちに振りまわし、ミツバチを追いやろうとした。

 するとうまいぐあいに手にあたり、ミツバチを打ち落とした。少女は目をつぶっていちもくさんに逃げ出そうとしたが、その時少女はミツバチを踏んづけてしまった。

 少女は走った。走ったような気がした。

「カキネがあり、カキネの上のカキネはなんというカキネだ?」

 少女の後ろの方でそういう声が聞こえた。

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