17/23.到来
その後の2人をいちいち描写するのは、それこそ野暮というものだろう。
次にミーマが目をさましてみると、そこは床にあぐらをかいたウォードの膝の上だった。2人とも裸のまま。そしてミーマの膝の上にはマヒト。
寝所棟の空気は元の冷たさに戻っていたが、それでも決して寒くないよう、3人の身体をありったけの毛布でモコモコに包んだのは、ウォードの仕事に違いない。
「起きたか? マヒトが腹減ったとさ」
ウォードの声に変化はない。そばの床に、汚れたオムツが丸めてあるのは、既にひと仕事終えた証拠。
「ん」
半分ボケた頭で、マヒトに乳を含ませる。頭がはっきりしない。どうやら途中で意識を失ったらしい。
思えば法王庁時代、さんざん
だというのに、生まれて初めて意識を飛ばすまで、ミーマの身体は喜びを極めてしまった。
ぼっ、と、いまさらながら顔が赤くなる。
(やってしまった……!)
羞恥が襲ってくる。なによりウォードの亡妻・キャルルに申し訳が……。その時、ウォードが突然、
「怒られるだろうな、ウチの嫁に」
心でも読まれたのかと、ミーマは内心で飛び上がったが、違うようだ。
ウォードが静かに続ける。
「だけど、どの道ウチの嫁には、あの世でぶん殴られるはずだった。ルールーを守ってやれなかったことをさ」
この男に罪悪感を負わせてしまった。それはミーマの
「だけどキャルルも、きっと言うと思う。『その子を守ってやれ』って」
無心に乳を吸うマヒトを、ウォードは優しく撫でる。
「ミーマ、今の俺にはお前の力が……お前が必要だ」
かつて妻子を守れなかった、その負い目から、仕方なくするのではない。今、目の前にある事実と問題に、目をそらさず向き合った結果、導き出された結論だった。
「司令部としては、前線からの意見具申に肯定的である」
ミーマが尻尾の先をくるり、とウォードの前に差し出す。
ウォードがそれを、自分の口にはむっ、とくわえる。
契約が成立した。
冬の日々は、あっという間に過ぎた。
ウォードとミーマは、大忙しで
なにより幸いだったのは、マヒトが風邪ひとつひかず、島の冬を越してくれたことだった。生まれたばかりの
とはいえ、世の中には大人でも感染する強力な病原体がいくつもあり、マヒトがそれを避けてくれたのは、まさに強運以外のなにものでもなかった。
やがて雪が解けて気温が上がり、海の荒波が収まってくると、また食料の豊かな島が戻ってくる。無数の山菜や木の芽、タケノコが食べきれないほど採れ、海の貝や魚も、冬の間にすっかり数を回復していた。
ウォードとミーマは、この山海の幸を大いに食い、マヒトも離乳食を口にしはじめる。昨秋、島に実ったわずかな野生の米を、この時のために備蓄しておいた。これをミーマがクタクタのお粥に調理し、慎重にマヒトへ与えていく。最初は息を詰めるような作業だったが、両親の心配をよそにマヒトはケロっとした顔で、もっともっとと口を開け始める。その旺盛な食欲に、
「ま、まあ食い意地も大事だわな」
ウォードが妙なフォローを入れたぐらいだ。
文明を離れた離島の生活ではあったが、きれい好きのミーマのお陰で家も、彼ら自身も清潔に過ごした。日々の食事と労働、そして剣の修行によって、ウォードもミーマも身体が絞られ、むしろ男っぷり、女っぷりが上がったようですらある。
こうして彼らは、冬の日々をともに働き、鍛錬し、食い、愛し合い、そして眠った。
まるで春のその日がくれば、世界のすべてが終わるかのように。
そして、その日が来た。
島の頂上に築いた彼らの砦から、島を取り巻く大潮流が止まるのを確認する。
「いよいよだな」
「ええ」
マヒトを抱いたウォード、そしてミーマが、それぞれ反対方向の水平線に目を凝らす。何者かがやってくる、その確信があるわけではなかったが、潮流が止まる今日という日を警戒して過ごすのは、2人の
先に異常を感知したのは、やはり
「船」
「!?」
ミーマが指差す方向をウォードが凝視するが、まだ見えない。
「どんな船だ?!」
「……おかしな船だわ。船体が2つある。双胴船、というの?」
「なんだと!?」
ウォードが目を剥く。その意味を、彼だけが理解したのだ。
やがてウォードにもその船の姿が見えはじめると、彼はしばらく無口になり、やがてミーマに向かい深々と頭を下げると、
「すまねえ、ミーマ。俺はここまでだ」
胸に抱いたマヒトをミーマへ渡す。
「どういうこと?」
「ありゃあ
みずからの死を告げる割に、辛さや焦りが感じられないのは、彼なりに今日まで、この結末も想定していたのだろう。
「
「……」
「おい、くれぐれも馬鹿なことは考えてくれるなよ」
「馬鹿なこと、ってなに?」
分かっていて聞き返すミーマも、たいがい気は強い。
「マヒトを守ってくれ、ミーマ。卑怯な言い方と分かっちゃいるが、もう頼めるのはお前だけなんだ」
言うだけ言って、さっさと山を降り始めたウォードに、マヒトを抱いたミーマは黙ってついていく。
途中の森でウォードが枯れ枝を集め、砂浜に出ると火を焚いた。煙を上げ、船に位置を知らせるのだ。一度、船から飛び立った影が空を飛び、砂浜の上を旋回した。
「カモメの! 大猿は逃げも隠れもしねえ! 黙って
聞こえたのかどうなのか、
船が近づいてくる。と、ミーマは気づいた。
(帆を張っていない?)
双胴船のマストに帆が見えない。しかも風の方向だって、まるで見当違いだ。なのに船だけがぐんぐんと波を切り、島へと近づいてくる。だがウォードの方は驚きもせず、大盾と戦斧を砂の上に置き、胸甲さえ脱いで胸の
やがて船の全容が見えるようになって、やっとミーマにも『双胴船』の意味が理解できた。噂には聞いていたが、実際に見るのは初めてだったので、ピンとこなかったのだ。
(そういうことなのね……!)
驚くなかれ。
双胴、つまり2つの船体を平行に接合したその間に、巨大な
全長、いや身長30メートル超。
そして
人呼んで『
これすなわち、世界最強の
悠々と島に近づいたオヒーが、頭から船を脱いで、こちらへ泳いでくる。両脇に、オヒーほどではないにしろ、やはり巨体の
(……
ウォードが波打ち際まで出、膝と両手を砂に突く。
ず、ざあああああ!!!
オヒーの巨体が砂浜に乗り上げ、その勢いで大きな波が押し寄せた。砂に伏せたウォードの身体が波に飲まれ、一瞬だけ浮き上がる。その波はさらに、離れてマヒトを抱くミーマの足元にまで打ち寄せる。
オヒーの両脇を固めていた
(お前らまで、よく来てくれたなあ)
だがウォードは2人を見ない。顔も上げず、声も出さない。罪人の彼に、その資格はない。
脳裏に去来するのは、オヒーと初めて出会った、あの港の思い出だ。母を手伝い、荷役の仕事に勤しんでいたウォードに、オヒーが声をかけた。
その時の驚きといったら、
(荷を運び入れる船の向こうから、でっかい顔が覗いてるんだもんなあ。よく荷を落っことさなかったもんだ)
しみじみと思い出す。
(あれが最初で、これが最後か。うまくしたもんさ)
頭を下げたまま、ウォードが苦笑する。
本来ならウォード、オヒーが来る前に自決するのが筋である。外法に手を染め、
それでもウォードが自決せず、こうしているのは、最後の最後にオヒーが発言を許してくれる、そのチャンスに賭けたからだ。といって、自分が生き延びるためではない。
マヒトとミーマの身柄を、オヒーに預けるためだ。『2人の身柄お願いする』、そう告げるためなのだ。そしてオヒーさえ『うん』と言ってくれれば、世界にこれ以上頼れる味方はいない。マヒトもミーマも、必ずやその生を全うできるよう、取り計らってくれるはずなのだ。
発言を許してもらえるか、それとも問答無用でぶち殺されるか。
(五分と五分)
ウォードはそう踏んでいる。生命を賭けるには十分な数字だ。
「……猿」
オヒーが巨体を斜めにずらし、片目だけをウォードに近づけて呼びかけた。
『敵を見るに右、身内を見るに左』
と決めているという。
(『左』だ)
ウォードは見なくてもそれがわかる。オヒーはまだ、ウォードを『身内』と見てくれている。そもそも、世界最大・最強の
だがウォードは、あえてそこにつけ込む。この身に換えても、マヒトとミーマの身柄を保障させるのだ。
そして予想通り、待ちに待った一言。
「最後になにか、言いてえこたあ、あるか?」
(……きた!)
オヒーの言葉には、およそどんな感情も読み取れなかったが、それでもウォードは内心で快哉を叫ぶ。この瞬間のために自決の道を捨て、ここまで無駄に生命を張ったのだ。
「お……」
「
思いっきり
ミーマだ。
「うぉい?!」
がば、とウォードが顔を上げ、ミーマを振り返ると、
「お
べし、とウォードの身体を叩き潰したのはオヒーだ。その巨大な掌は、ほとんどウォードの身体を隠すほどの大きさ。オヒーにしてみれば、虫ケラを潰すも同じである。
「いや、お
オヒーが熱のない声でツッ込む。潰した手の下から、海水が赤く染まり始める。本当、シャレにならない破壊力。
「で? 誰でえ、
オヒーの問いに、ミーマがマヒトを抱いたまま進み出る。その前にシャチとサメ、2人の若者が無言で立ちはだかるが、ミーマを止めることはできない。シャチもサメも、
だがミーマは
相手はただ一人、世界最強の
「お初にお目もじを
堂々名乗り、マヒトを抱いたまま片手で法衣の裾を
「ウォード殿の妻です」
言い切った。
「なんだとぉ!?」
オヒーに問い直されるが、
「妻です」
大事なことなので2回。
「ちょ!?」
「マジで!?」
左右でシャチとサメも仰天する。しかし、なおミーマは動じない。
「
3度目。もはや
「
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