18/23.開戦

 「おいらにそれを信じろ、ってぇのか、おい?」

 ざあ、とオヒーが身体を入れ替え、でミーマをにらむ。

 敵認定だ。

 ふたたび大波が起き、ミーマの膝まで海水が押し寄せる。だがそれでもなお、ミーマはひるまない。相手は名にし負う渦潮ウズシオ霜鯨シモクジラ、容易に言いくるめられる相手でないことぐらい、はなから承知の上だ。

 だが退くな。攻めろ。

 、生命をつなぐのだ。

 「『尻にモンを入れた女』の話など、信じられぬと?」

 もう一度、尻肉に入れられた恥辱の紋を見せつける。今となってはこれこそがミーマの切り札。

 「むン……」

 オヒーの右目が鋭さを増す。

 確かに紋族モンゾクおさとして、いや、それだからこそなおさら、ミーマの尻肉に光る猫目のモンは無視してよいものではない。モンに対する敬意の欠片もなく、あえて汚すようなその行為は、この世界の掟を根底から揺るがすものだ。

 「それを猫の法王がやった、ってのか?」

 「左様さよういつわりなく」

 そこは紛れもない真実だ。そして今、その事実が世界最強の紋族モンゾクの長に伝わった、それだけで、まず間違いなく法王の首は飛ぶ。といってオヒー自身が手を下す必要はない。猫目紋族ネコメモンゾクのしかるべき人物に、

 『手前てめえらんとこじゃ、女の尻にモンを入れるのか?』

 と、訊くだけでいい。

 相手は必死に否定するだろうが、ここにミーマというがある以上、言い逃れは不可能。猫目紋族ネコメモンゾクとしては、みずから事実関係を調べ、

 『法王、乱心』

 ということにでもして極刑に処し、それをもって他紋族タモンゾクに対するしをつけるしかない。

  しかも加えて、

 「外法を企んだのも、法王だと?」

 「それも偽りなく」

 モンを汚した上に、外法に手を染めたとなれば、もはや法王1人の首では済むまい。その横に王その人の首を添えても、果たして足りるかどうか。

 要は、ミーマが語った内容が公になったら最後、もはやなにをどうしようが猫目紋族ネコメモンゾクは信用を失い、崩壊・消滅を免れないということだ。

 「証拠は? あんのか?」

 「尻にモンを入れられた、紋付モンツき女の証言では足りませぬか?」

 「……」

 「では、外法の仕掛けを作った者が。《夫》の見立てでは、築城クラスの石工ギルド。口は堅いでしょうが、だまされて外法に手を貸したと知れば」

 仕事の秘密を守る掟も、意に反して外法に手を貸す羽目になったとなれば話は違う。みずからの保身のため、禁を破って証言する可能性は高い。

 (乗ってこい)

 ミーマは内心で、叫び出したいような気分だった。

 実は、勝算は十分すぎるほどある。今やミーマは、猫目紋ネコメモンを国ごと吹き飛ばせる、まさに最終兵器そのものだ。しかも、その爆破スイッチを渦潮紋ウズシオモンの宗主その人に差し出している。この意味は大きい。

 『このスイッチを押し、すべてを公にするぞ』

 そう脅すだけで、猫目紋ネコメモンは今後一切、渦潮紋ウズシオモンに逆らえなくなる。逆に渦潮紋ウズシオモンは、みずからの息のかかった王を擁立して傀儡かいらいとするもよし、あるいは猫目の国を丸ごと植民地化するも思いのままだ。しかも一兵の兵も、一銭の金も失う必要がない。ウォード1人の命と引き換えにしても、あまりに安い買い物なのだ。

 逆にオヒーがウォードを殺すというなら、ミーマも死ぬ。そうなれば、目の前にぶら下がった巨大な利権は手に入らない。紋族モンゾクの長として、それはいっそ紋族モンゾク全体への背信行為ともいえる。

 「そいつで、その猿の生命いのちを買おう、ってわけだ」

 「あいにく渦潮紋ウズシオモンの相場は存じませぬが」

 ミーマはオヒーの片目から、一瞬たりとも目を離さず、

 「猫の尻ひとつでは、猿1匹の対価に足りませぬか?」

 言った。

 もはや後戻りの余地はない。切れるカードもすべて切った。あとはオヒーの胸ひとつ。

 (彼だって、ウォードを殺したくはないはず)

 いくらことわりを尽くしても、最後の頼みの綱は結局これだ。繰り返しになるが、渦潮紋ウズシオモンの権益を守るため、ただウォードという存在を消したいだけなら、なにも自分からこの島に来る必要はない。ウォードの命を奪うなら、せめてこの手で、という情があってのことなのだ。だが、

 「……駄目だな」

 オヒーは、巨大な身体を微かに揺らし、ミーマの提案を蹴った。

 「確かに美味しい話だ。だが、その美味しい話に釣られておきてを曲げたとあっちゃ、渦潮ウズシオおさとしてしめしがつかねえ。それに……」

 その言葉は静かで、むしろミーマを諭すようでさえある。

 「誰よりその猿が、そんなおいらを見たくねえだろうよ」

 交渉は決裂した。ミーマは知らず、唇を噛む。 

 「おめえとその子についちゃ、安心しな。猿の望みどおり、渦潮ウズシオで守ってやらあ」

 ウォードの狙いは、とっくに読まれていたらしい。3人が浜に立っているのを見ただけで、そこまで読んだとすれば、やはり恐ろしい相手だ。

 終わった、と、誰もが思ったその時だった。

 「親父オヤジ殿、船が来ます。です」

 空から、声が降ってきた。カモメの男だ。

 「なんだと?」

 じろり、とオヒーが空を見上げる。

 「申し訳ねえ、島の反対側から来やがったようで、ついさっき見つけました」

 カモメが、ざば、と、オヒーの側に着地。オヒーはしばらく考える様子だったが、

 「……よし、おいらが話をする」

 ざあ、と砂浜を離れる。

 「そこの猫の話が本当なら、なんにしても捨てちゃおけねえ」

 ざあ、と波を蹴立て、オヒーが泳ぎだす。その後姿へ、

 「宗主殿!」

 ミーマが叫ぶ。

 「猫殻ネコガラの法王とその姉ならば、油断はなりません! お1人では!」

 だがオヒーは無視。己の力に絶対の自信を持つがゆえに、他殻ホカガラの女の言葉など、聴く耳すら持っていない。

 「ウォード!」

 ならばと、ミーマが走る。オヒーに潰され、波打ち際にひっくり返っているウォードに駆け寄り、残り少ない回復剤の1本を開け、無理やり口に流し込む。シャチとサメが一瞬、顔を見合わせたが、ミーマをとめることはしなかった。それどころか、ウォードの両側に巨体を寄せ、抱き起こしてくれる。

 「ぶ、ああ!!」

 薬が回り、ウォードが覚醒する。

 「ウォード!猫殻ネコガラの船が来た!宗主殿が危ない!」

 「お……おお?!」

 ボケたウォードの目に、こちらへと近づいてくる大型の帆船と、それに向かって泳ぐオヒーの後姿が写る。そしてちょうどその時だ。帆船に異常。

 「んだぁ?!」

 船の甲板から突然、白く巨大な球体が出現し、空中へと浮上したのだ。球体の下部にぶら下がっているのは、大型の籠。しかも球体はひとつではなく、続いてふたつ、みっつと、連続で浮遊し、風に乗って島のほうへと移動してくる。 

 「おいミーマ、ありゃ一体なんだ?!」

 目を剥くウォードに、

 「よ。空から攻撃してくる!」

 ミーマが緊張した声で説明する。空気より軽いガスを発生させ、風船をふくらませて空を飛ぶ気球は、猫殻ネコガラの国が極秘開発した最新技術だ。

 「……?!」

 渦潮紋ウズシオモンを束ねる大鯨おおくじらも、初めて見る気球に、驚きと不審のあまり泳ぎを止める。だが、

 「だめ、っ!」

 ミーマが叫ぶ。気球のひとつがオヒーの上空に近づき、籠の中から不審な物体を投下しようとしている。

 「ミーマ、マヒトの耳ふさげ!」

 ウォードが立ち上がり、ミーマに指示。続いて樽のような上半身に、思い切り息を吸い込む。そして、

 「親父オヤジィいい!!潜れええ!!!」

 砂浜に寄せる波さえ振るわせる、凄まじい銅鑼声。ミーマに耳をふさがれたマヒトでさえ、目をまん丸にしてウォードを見つめている。そしてオヒーに、その声は届いたか。

 届いた! オヒーが一瞬、砂浜のウォードたちを振り返り、次の瞬間には巨体を翻して、波の間に消えていく。しかし。

 ひょう……気球の籠から、黒い不審な塊が海めがけて落下し着水した。次の瞬間。

 まず青い海面から巨大な、真っ白い水柱が膨れ上がる。次に、

 ど、ど、どぉぉおおおんん!!!

 腹の底をぶん殴られるような爆発音が、少し遅れて届いた。

 「ぐぉぉおおお!!!」

 海から苦悶の声が響き、真っ白な水柱に真っ赤な血が混じる。

 「親父オヤジぃいい!!」

 ウォードが、そしてシャチとサメが、海に向かって叫んだ。だが返事はない。オヒーが浮いてこない。

 「野郎、やりやがった!」

 ウォードが全身に熱気をまとわせて叫ぶ。

 「手前ら、なにボサっとしてやがる! イクサだ! 渦潮紋ウズシオモンが海でナメられてんじゃねえ!」

 自分より遥かに大きなシャチとサメを怒鳴りつける。

 「! お前は親父オヤジだ! 悪太郎丸アクタロウマルに薬があるな? 親父オヤジにもしものことがあったら、俺ら全員腹切ったって足りゃしねえぞ!」

 シャチの背中をどやしつける。

 「! お前は糞猫どもの船だ! 舵を食い切って動けなくしろ! 行け!」

 サメの足を蹴っ飛ばす。

 「兄貴は?!」

 シャチが一瞬、ウォードを振り返る。だがウォードは激しい態度を崩さない。

 「陸は俺の領分だ、気にしてんじゃねえ! とっとと行け!」

 サメとシャチが顔を見合わせ、そしてなぜか一緒にミーマに向かい、

 「猫のアネさん、自分はオルク・サカマタと申します」

 シャチ。

 「カルカリ・ホホジロ」

 短くサメ。

 「ご武運を」

 揃って頭を下げる。

 「お前ら……?」

 ぽかんとするウォードを無視し、シャチとサメが海へ飛び込む。陸ではいかにも鈍重だったものが、水に入った途端、まるで放たれた矢のようにすっ飛んでいく。

 「行くわよ、ウォード!」

 「お、おう」

 ウォードがあわてて武具を身に着け、背負い籠に入れられたマヒトを、ゆるめた胸甲の中に放り込む。竹で編んだ背負い籠は、軽いが丈夫で、少々の衝撃は受け止めてしまう。

 「上から矢を撃ってくるわ」

 「森だ。急げ」

 ゴリラとユキヒョウ、2人の戦人イクサビトが砂浜を疾走はしり、森へと駆け込んでいく。

 猫目の船から飛び立った気球は10。いずれも見事に風に乗り、島に近づく。ウォードたちが隠れた森に向け、高度を下げ始める。弓に矢をつがえた鐘撞リンガーたちが、気球の籠から地上を狙う。

 だが島の森は深い。長い年月の間に、太陽光を独占できる大木だけが生き残って巨大化を続け、天然のドームを形成しているのだ。ゆえに、いったん森に入ってしまえば、上空からウォードたちを見つけるのは困難を極める。いや、それどころか、

 ぼっ!!

 鐘撞リンガーたちの矢が放たれるより早く、地上から空気を引き裂く飛翔音。

 ぱつん!……しゅぅうううう!!

 気球のひとつが気の抜けた破裂音を発し、ガスを噴出しながら落下しはじめる。

 「だ! 投石!」

 さすがは鐘撞リンガー、精鋭として鍛え抜かれた動体視力だ、たった一撃で見破った。だが見破ったからといって、彼女らになにができるか。

 ぼっ! ぼっ!

 ぱつん!ぱあん!

 森の中から、気球へ向かってが開始される。ウォードが使うのは、丈夫な革紐を編んで作った投石紐だ。二つ折りにした紐の間に、石を引っ掛けるようにセットし、くるくると振り回して紐の片方だけ離すと、遠心力で加速された石が発射される。原始的な武器だが、力のない者でも初速100km/h級の速度が出せるとされ、しかも弾が石なので離島であっても補給が容易、という利点がある。

 問題は、それを操るのが怪力・ウォードだということだ。

 通常、投石紐で使われるのは大きめの鶏卵程度の石だが、ウォードがぶん回している石はゆうにソフトボール大、下手をすると小玉のスイカほどもある。もはや立派な『砲弾』だ。

 これを肘と手首だけで、軽くひゅんひゅん、と回転させておいて、最後はムチを振るうように、ぴしっ、とさばく。

 ぼっ!!

 石が発射され、勢い余った投石紐がひゅるん、とウォードの身体に巻き付くのが、なんだか妙に艶めかしくさえ見える。野球の投手が投げるように、肩や腰のバネを動員しないのは、そうしなくても十分な速度が得られることと、動員する筋肉が多いほど、狙いが定めにくくなるためだ。

 ウォードの対空砲火を食らった気球が、しゅうしゅうとガスを漏らしながら、次々に森へ降下してくる。

 ごん!!

 中には気球ではなく、籠の方を直撃する石もある。軽さを優先して籐で編まれた籠は、スイカ大の石の直撃で大きく裂け、そのまま乗っている鐘撞リンガーだちの重みで砕け散る。

 「ひ……!」

 矢をつがえていた鐘撞リンガーが宙に放り出され、そのまま森へ落下。いくら猫殻ネコガラでも、あの高さでは助かるまい。しかも、

 「下に罠!」

 森の地面には、所構わず罠が仕掛けてある。罠と言っても単純、先を尖らせた竹を地面に埋め込んであるだけだ。もっとも竹の先には屍毒。魚や貝の食べ残しが腐った汚物を詰め込んである。腐敗したタンパク質の塊は、刺されば濃厚な黴菌を身体に移し、そのままだと敗血症を引き起こす。治癒薬を使っても、病原体は消せない。そのまま亡殻ナキガラ行きだ。

 ではウォードたちは?

 「木の上!」

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