08/23.攻防
びたぁん!!
ふっ飛ばされたミーマが、地面に叩きつけられた。
「がヒ……っ!?」
ろくに受け身も取れず、無様な悲鳴を漏らす。ボロボロに裂けた黒い法服が血を吸い、見る間に赤黒く染まっていく。
ウォードの大盾に刺さったまま残された
ここまでの戦いで、かすり傷ひとつ追わなかったミーマの身体が、たった一撃でボロ布のような有り様へと変貌していた。
太い血管へのダメージがないこと、そしてとっさに左腕を犠牲にし、背中に背負った息子の
息ができない。身体への衝撃と、そして精神的なショック。
(いや、できる!)
「か、はっ!」
腹筋を無理矢理に駆動させ、わざと逆に息を吐ききってから、空っぽになった肺へ
「がァあああァァァっ!」
ミーマが吠える。プライドも体裁もかなぐり捨てた、肉食野生獣の咆哮だ。
(動け、このノロマ!!)
自分自身を
(動け、今すぐ!)
剣を握ったままの無事な右手を、強引に地面へ支っかえ、脚で闇雲に地面を蹴る。進行方向はどこでもいい、とにかくウォードの攻撃範囲から離れるのだ。
「おォウ!!!」
背後からウォードの気合声。どすどすと馬鹿でかい足音が、死刑宣告のドラムのように響く。
だぁん!!
ウォードの戦斧。ミーマがはいたブーツの
だだだっ!
傷ついた身体から力を振り絞り、ミーマが
途端に、背後でぴたり、とウォードの足音が止まる。
(追っても無駄だ)
と見たのだ。嫌になるほど冷静な判断だった。
ミーマも脚を止め、再び剣を構える。仕切り直し、だが状況は圧倒的にミーマに不利。一番まずいのは左手の感覚がなく、そのため回復剤を取り出すのも、飲むこともできないことだ。
(一度この場を離れて……いやダメだ)
日の出まであとわずか。今すぐにでもウォードを倒し、祭壇に走らないと間に合わない。
間に合わない。
ちり、と、ミーマの背中を
ミーマを追うのをやめたウォードが、逆に背後の祭壇に向かって、じりじりと後退をはじめた。盾と斧を持った両腕を身体に引きつけ、両肘を腰の骨に当てて、腕にかかる負担を軽くしている。といってミーマへの警戒も怠っていない。
万事に隙がなく、しぶとい。戦場でもっとも会いたくないタイプの
(侮っていた)
自分の油断を思うと、ミーマはくわえた尻尾を噛みちぎりそうになる。
大盾でミーマを吹っ飛ばした技、あれは
(『
ミーマが記憶では、背中と肩、肘、手首といった上半身の筋肉だけを瞬間的に緊張させ、両手の剣を真横に振り抜く技。
元々が空を飛びながら使う技のため、踏み込みや体重の移動がなく、技の発動予測が難しい。ミーマでさえ、食らうまでわからなかったほどだ。
ダサい旧式の
大猿・ウォード、ミーマに勝るとも劣らぬ『武芸者』だ。
(……それが)
ミーマはくわえた尻尾をぎり、と、本気で噛み締める。痛みが文字通り身体を一周し、脳天を焼く。
「それがどうしたぁ!」
血まみれの尻尾を吐き出して叫び、ぶん、と首を振って再びくわえる。そして、
だぁんっ!!!
両足で地面を蹴り、ウォードとの間合いを一気に詰めた。ユキヒョウのバネを目いっぱい使った大跳躍。
「ホおぅ!」
ウォードも左手の盾を掲げ、ミーマを迎え撃つ。
ウォードとミーマ。
ふたつの
だが。
(チーシェル、たった一度でいい、貴方が笑ってくれるなら)
(ルールー、もう一度だけでいい、お前が笑ってくれるなら)
猿と猫、父と母、男と女。
思うところはただひとつ。
(鬼がどうした!)
(地獄がなんだ!)
右手の剣を一直線に、ミーマがウォードへ突撃する。高く上げた右足が、待ち構えるウォードの真正面に踏み込まれる。
その直前。
ざっ!
後ろへ残したミーマの左足が、地面をこすって急減速し、予測より遥か手前に着地する。
ミーマのフェイント。
ウォードの迎撃タイミングがズレる。
「ふっ!」
目一杯に伸ばされたミーマの剣が、地面をこするほど低く、すくい上げるような刺撃を送り込む。突撃と見せて急停止し、盾の下端をかい潜って剣を撃ち込む『
ばっ!
細剣の切っ先が、ウォードの膝を貫いた。
「ぐ……!」
膝の関節に、焼けた火箸をぶち込まれたような激痛。だがウォードはうめき声ひとつ。
ぶん! と、ミーマの剣に向かって大盾を打ち下ろす。恐るべし、刺さった膝と大盾でミーマの剣を叩き折る気だ。この闘争心こそ見よ。
だがミーマが速い。踏み込み脚の体重を、再びつま先から踵へ移しながら、素早く剣を引く。
がん!
空振りした盾が、地面を打つ。いかにウォードが怪力でも、ミーマの剣速に追いつくのは容易でない。
「ほォ!」
ウォードの戦斧が横薙ぎ、だがミーマは読んでいる。剣を持った手首を軽く
ざくん!!
「ぎっ!?」
ウォードがうめく。ミーマの剣で戦斧の刃が逸らされ、ついでに手首を深々と斬られた。
いや《斬られた》のではない。
ミーマはただ、ウォードの怪力の前に自分の刃を置いただけ。ウォードはその罠に、自分から手を突っ込んでしまった。
ぼたぼたぁっ!
ウォードの手首から、蛇めいた太い血。膝の傷と合わせ、放置すれば命にかかわる出血量。
だがミーマの剣は閃きを止めない。
今度は盾の上越し、肘と手首をくるりと返して、まるで刃を放り込むような斬撃を撃ち込む。
『
ぱっ!
ウォードの背中、そこだけ白い『
しかし無念、剣は背中に逸れた剣は、肩甲骨の真上を一直線に裂く。
「ぐ!」
それでもウォード、盾の向こうのミーマを再びふっ飛ばそうと突進。
しかしそれを待つミーマではない。
右へ、超高速のステップ。ミーマの身体が瞬間移動したように消え、そして出現した。
「いィィ!!」
ミーマの口から甲高く、細い気合声。
三連撃。
ししっ、しっ!
肘と肩、手首の伸縮だけを使った軽い斬撃。だが
大して面白くもない作業だ。
だがウォードもさすがのしぶとさ。とっさに戦斧を捨て、右腕で剣を受ける。
ざくざく!
首と脇の下を狙ったミーマの刃が、拳と肘に阻まれる。まったく、この男が相手では作業も楽ではない。
「痛っでぇ!」
痛いですむのか。
ぶん!
ようやく盾が追いつく。だがもはやミーマはあわてない。もはやウォードは武器も捨て、出血も相当。動けなくなるのも時間の問題だ。
時間の問題?
(待てるか!)
油断するな。完全に殺しきるまで、攻撃の手を緩めるな。
か、かん!
まるでオーケストラの指揮者がリズムを取るように、剣の先っぽだけを振り、ウォードの盾を叩く。フェイント。だがウォードは釣られず、盾はピクリとも動かない。
か、かん!
もう一度。だが動かない。そして、
しっ!
虚と実、今度はフェイントではない。剣より先に肩を出し、ちょうどフリスビーを投げるように剣を撃ち込む。途中で手首が返り、刃は大盾を真横から迂回して飛ぶ。
『鈎撃ち《フッキング》』。
まともに決まればウォードの首か、顎の下を横から串刺し。
ぎし。
だが、ミーマの剣に伝わるったのは、斬撃の手応えではなかった。
「?!」
警報。
剣が動かない。刃を何かに
ゆっ!
ウォードの盾が動く。なぜかミーマの剣が、それに引っ張られる。
(盾が剣を?!)
ミーマは一瞬、自分の感覚を疑った。だが間違いない盾が剣を掴んでいる。正確には盾の縁が。
丸木の板にわざと金属の枠を入れず、ギザギザになったままの縁で、ミーマの刃を噛み取った。
刃砕き《ソードブレイカー》。刃を奪われ、下手をすると
(退いて……ダメだ!)
スピードと機動性を優先したミーマの剣は、手の握力を使わず、指で支えているだけ。今、身体を退けば、たやすくすっぽ抜ける。
(
この閃き。
ミーマは退かず、剣を持った右腕の肘で、大盾に向かって肘打ち。肘の先が支点となり、食われていた剣が手元へと引き抜かれる。
生まれ持ったユキヒョウの本能を刃に、そして
「づぅ!」
盾の表面に刺さったままの矢尻に、また肌を削られる。だが、それでも剣を奪われるよりマシだ。
だん!
ウォードの大盾を足で蹴り、空中で一回転して着地する。猫の敏捷性と空中機動。全身に激痛が走り、最初に盾を食らった左半身に至っては、もはや痺れて何も感じない。だが、
(大丈夫、まだ動ける!)
剣を構える。2度目の仕切り直しだが、今度はミーマが有利を取り戻した。
ウォードは追ってこない。いや、追えないのだ。
いかに頑丈なゴリラの
(詰めた)
今度こそ油断ではない。あとは命を奪う一手のみ。
もはやウォードは『敵』ではなく、『的』だ。
気づけばミーマの唇の端が、きゅう、と吊り上がっている。勝利の笑み。
笑み……?
(え?)
いや、それは笑みではない。身体に異常、彼女がそれに気づいた時は、既に手遅れだった。
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