07/23.処女


 ウォードに向かって、ミーマの容赦ない殺気が吹き付ける。

 実はカラの世界では、ミーマのような女戦士は珍しい。子供が母親のカラを受け継ぐ、という法則上、女性がいないとカラが滅びてしまうため、大切にされるのが通例だからだ。

 だからミーマのような女剣士、加えて美人とくれば異色も異色。ましてこれほどの殺気を放ちうる者など、ウォードでさえ、

 (いままで見たこともねえ)

 まるで針か剃刀のように鋭い殺気は、猫殻ネコガラに特有の集中力と、そして修練の凄まじさの証明。

 (我が剣は、誰にも負けぬ)

 その信念が、ミーマを支えている。


 昨夕、島の浜辺で行った待ち伏せも、だから当然のようにだった。


 沈没船から泳ぎ着いたカラたちを、砂浜と森の境目に広がる闇に隠れて襲うのだ。で疲労困憊した上に、足場の悪い砂浜でさらに体力を消耗したカラなど、ミーマにとってもはや敵ですらない。

 マトだ。

 闇の中、音を立てないよう剣を抜く。ミーマの剣は細身だが、現代フェンシング用の、まるで針金のようにしなる、あの剣とは違う。として十分に機能する刃を両側に持ち、当然、重量もそれなりにある。

 正面に剣、構え。

 剣を持った手の甲を上にし、親指と人差指で鍔の根本を軽く握る。こうすると、柄の先がちょうど手首に当たり、握った2本の指を支点とした梃子てこの形が完成する。刀身の重さを、握力に頼らずに支える工夫である。

 敵に向かって真っ直ぐに伸ばされた刃は、真横に寝かせた水平。背中からくるりと回した尻尾を、はむ、と口でくわえる。

 この尻尾は、敵を殲滅するまで離さない。

 きゅう、と、ユキヒョウのカラが歪む。と、見た瞬間、

 ぼっ!!!

 巨大な雪球ゆきだまを、思い切り投げつけたような音と共に、ミーマが跳んだ。最初のマトは、よろよろと砂浜を歩いていた牛殻ウシガラの男。

 『か……っ?』

 なにが起きたか、それすら分からないまま心臓を貫かれ、即死。真横に細く穿たれた傷口から血が吹き出したのは、牛殻ウシガラの男が倒れた後だ。本来は赤いはずの血が、闇夜に黒く濡れ光る。

 ミーマは牛殻ウシガラの死を確かめもせず、最短距離にいた山羊殻ヤギガラの女の喉を貫き、そのまま手首をひねって首の動脈をはねた。

 ぶしぃぃぃっ!!!

噴水のような血が、信じられないほど高く吹き上がる。辺りに漂う血煙は、月光に一瞬だけ白く、後に黒い。

 『待ち伏せだ!!』

 誰かが叫んだ。島にいるカラは全員、互いに殺しあう敵同士。だが共に遠泳してきた一団には、いわゆるというものだろうか、微妙な連帯感のようなものが芽生えていたようだ。辛い経験を共にすると、お互いに仲間意識を持つようになる、というアレである。

 が、今のミーマにしてみれば、

 (甘い)

 としか言えない。

 生き残るべきは1人。ならば頼れるのもただ1人、自分だけだ。

 吹き出す血を目眩ましに、ミーマが駆ける。滑るような足運びから、目にも留まらぬ刺撃を繰り出し、ほとんどのカラに一刺しで致命傷を与えていく。

 幾人かのカラが武器を抜いたが、結果は変わらない。ミーマの刺撃は、大半のカラ速度で、しかも彼らの武器の撃ち込まれる。

 「しっ!」

 また1人、遥か遠い間合いから喉を貫かれる。まるで槍のような長射程、いや下手な弓矢にすら匹敵する。

 彼女に剣を教えた一ノ鐘ファーストリンガーは、四角い武道場の角に部下を立たせ、自分は対角線上の反対の角に立ち、その位置からただの一跳びで部下の身体を貫いてみせた。しかも両眼と喉の一撃三閃。即座に治療薬を飲ませなければ失明、下手をすれば死ぬこともある訓練を、一ノ鐘ファーストリンガーは嬉々として繰り返したものだ。

 ちなみに今のミーマは

 『一撃二閃が限界』

 と認める。

 が、この浜辺でそんなものは必要ない。体力を使い果たし、ろくに逃げることもできない烏合の衆など、重ねてミーマの敵ではなかった。

 辛うじてミーマに反撃できたのは、犬殻イヌガラゲノスオオミミギツネの男だった。どこか小さな紋族の戦人イクサビトか、あるいは流れの傭兵であったらしく、ミーマの奇襲を皆に伝えたのもこの男だ。

 キツネの男は、もはや着ている暇のない鎧と荷物を砂浜に捨て、右手に片手剣、左手に直径30センチほどのバックラーだけ持つと、『処女構おとめがまえ』でミーマに向かってきた。

 『処女構おとめがまえ』などと聞けば、あまり強そうには聞こえないだろうが、もちろん歴とした武術である。

 まず片手剣を握った右拳を左胸に当て、剣は軽く左肩に担ぐ。その上から交差するように、バックラーを持った左手も右胸に当てる。

 そして左肩を相手にさらすように半身に構える。

 これが『処女構え』だ。

 いささか下品だが、この姿がのように見えることからその名で呼ばれる。

 が、この構えの、名前にそぐわぬ威力はここからだ。

 左肩から背中が、と見せておいて、そこに撃ち込まれた敵の剣をバックラーで、ちょうど裏拳を撃つようになぎ払い、弾き飛ばす。そして逆にがら空きになった敵の正面に踏み込み、片手剣で止めを刺す。小型で軽いというバックラーの特性を活かし、盾で敵の剣を防ぐのではなく、そこに『処女構え』の真価がある。

 すず、と砂を蹴り、処女構えのオオミミギツネが進み出る。ゲノスの特徴である大きな耳が、ひくひくと震えているのが闘志の証。

 だがミーマは微塵もひるまない。それどころか口にくわえた尻尾を、軽くくわえ直す余裕さえある。

 ふっ!

 ミーマが出る。わざとが望む通り、左肩に向け刺撃を送る。

 『!!』

 キツネのバックラーが胸前を離れ、ミーマの剣を迎撃に向かう。しかし、

 ぶん!

 空振り。それどころか、

 びび、びん!

 キツネのバックラーが薙ぎ払われるの間に、ミーマの剣が三閃。バックラーを持つ犬殻イヌガラの左手首、そして肘の内側を流れるように裂いておいて、最後は脇の下から心臓を貫く。

 即死。

 キツネの右手の片手剣が、一度も振るわれることなく、ごそり、と、砂に落ちた。戦場ではそれなりの手練だったのだろうが、ミーマにはこの程度、やはりマトでしかない。

 そしてマトは、あと

 『待ち伏せのうえ不意打ちとは卑怯なり!!』

 浜辺の砂を蹴立て、ミーマに突進してくるのは馬殻ウマガラゲノスカモシカの騎士だった。

 馬殻ウマガラの特徴である頑丈な足の蹄で砂を蹴り、右手に槍、左手に大盾という騎士の基本スタイルで突進してくる。

 彼ら馬殻ウマガラは、陸上において侮れない戦士だ。なにせ身体が大きくパワーがあるため、重装甲・重装備に耐える。

 そして彼ら馬殻ウマガラが最も恐れられるのは、

 ずどどどど!!

 足場の悪い砂浜でさえものともしない、この脚力と機動力だ。現代で言えば、ちょっとした大型バイク並。この突撃をまともに受けては、さしものミーマも分が悪い。

 だがミーマの表情に変化なし。

 ぶおん!! 

 長大な槍が音を立てて撃ち込まれる。ミーマの剣よりリーチが長い。だが、

 じゃっ!!

 ミーマは瞬息の足さばきで真横にかわしつつ、突き出された槍の切っ先を、剣の刀身に滑らせるように

 ざくん!

 ミーマの剣に《《いなされた》槍が、突撃の勢いのまま地面の砂へ突き刺さる。

 「ぬう!!」

 カモシカの騎士が槍を引き抜こうとするが、自業自得、馬殻ウマガラのパワーで深々と刺さった切っ先は簡単に抜けない。

 その隙。

 カ、カン!!

 左手に構えた大盾に、左方向から衝撃。フェイント、と気づく間もなく、盾を振り上げる。

 結果、身体の正面が無防備に開く。

 しゅん!!

 ミーマの剣。騎士の鼻の下から斜め上へ、脳髄を貫く。

 騎士の目玉がくるり、と裏返る。即死。

 機動力を誇る馬殻ウマガラといえど、その脚さえ止めてしまえば、やはりミーマのマトだ。

 浜辺のカラすべてを亡殻ナキガラにするまで数分。その間、汗の一滴も、息すら乱していない。

 こうして盾を持たず、重い鎧も着けず、1本の剣のみで防御・攻撃を行う。特に剣の刀身を使って敵の攻撃を防御術は、一ノ鐘ファーストリンガーが編み出した剣術の真骨頂だ。

 重い装備や武器を使わず、猫殻ネコガラ最大の利点であるスピードと瞬発力を存分に活かす。一方で『スタミナ不足』という欠点も補う。このためミーマのような女性剣士でも、男と互角以上の戦いが可能なのだ。


 これぞ猫目紋クリソラ国・法王庁鐘撞隊リンガーズ

 幻のニノ鐘セカンドリンガー・ミーマの剣である。


 今のウォードは、それを知らない。

 相も変わらず、枠もない丸木の大盾を左腕に、無骨な両刃の戦斧を右手に持った蛮族拵えバーバーリアンスタイル。似合う似合わないは別にして、いかにも旧式なのは否めない。島の殺し合いを勝ち抜いた武辺は認めるが、果たしてミーマの剣に抗しうるか。 

 「おうさ!」

 気合だけは十分に、ウォードは島に来て初めて『構え』を取った。

 まず両刃の戦斧を左胸、次に丸型の大盾を右胸に当て、革鎧で包まれた左肩をミーマへ突き出す半身の構え。

 ご存知、『処女構おとめがまえ』だ。

 なんというか、えらい処女もあったものである。

 ミーマより頭一つ身長の高い、頑強そのものの雄ゴリラ。それが処女の恥じらいポーズで向かってくるのだから、さすがのミーマもちょっと毒気を抜かれ、

 (うわぁ……)

 腹の中で、そんな侮りのため息を漏らしたのも仕方ない。

 だが、ミーマは知らなかった。


 大猿・ウォードは確かに旧式だが、しかし『本物』である。

 

 ミーマが

 女のミーマが、またしてもとは悪い冗談だが、それでもやることは同じだ。左肩への攻撃はフェイク、それを迎撃にきた盾を空振りさせ、その隙を突いて致命傷を与える。それだけ。

 死への方程式をなぞるように、ミーマの剣が飛ぶ。

 だが。

 ウォードが動かない。飛来するミーマの剣に対し、まったく動こうとしない。 

 (……?)

 ミーマに一瞬の不信。だが打ち消される。

 ウォードが動かないなら、このまま撃つのみ。薄く研がれたミーマの長剣は、革鎧程度なら楽に貫ける。致命傷にならずとも、肩の筋肉を断裂させ、もはや大盾を持ち上げることはできまい。。

 さくり、と、ミーマの剣尖がウォードの革鎧を、まるで紙のように貫く。そして次は、肉だ。

  (獲った)

 そのはずだった。

 がち!

 (あれ?!)

 剣尖から伝わる、異様な感触。硬いが、金属ではない。たとえば革鎧の下に鎖帷子を着ていても、こんな手応えはしない。

 ミーマが感じたのはもう少し弾力のある、カチカチに角質化した皮膚。そう、たとえば感触。

 「悪りぃな」

 ぞくり、とするほど低い、ウォードの声。

 「かてぇんだよ。そこ」

 やばい、思うより速く、ミーマは得意の足さばきを駆使して後方へ退避する。

 が、遅かった。

 どっごぉん!!!!!

 ミーマの身体を真横から、凄まじい衝撃が襲った。

 「ぎぃ……っ!?」

 ミーマの身体に、なにか巨大なものが激突した。柔軟さが売りの猫殻ネコガラ、その身体がにひん曲がり、首と腰がもげそうなほどの激痛が跳ね上がる。

 決してはなさないはずの尻尾が、ミーマの口から吹っ飛ぶ。

 故郷のクリソラ王国で人気の闘牛、しくじった闘牛士が牛に逆襲される光景が脳裏に浮かぶ。だがミーマに激突したのは牛ではない。

 だ。

 が、裏拳を振り抜く要領で、のだ。

 ミーマの身体が、文字通り吹っ飛んでいた。

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