06/23.ルールー
『神殿』と言われて来てみたが、それはいわゆる
高さ5メートルもあろうかという巨石を削って柱とし、それを丸く立て並べた上に、同じく巨石の横石を渡して円形としてある。
その中心に置かれた四角い石が『祭壇』だろう。
日の出まであと数分。その前に、あの祭壇へ
ミーマとウォードの位置関係は、円形神殿の真北を零時とするなら、ウォードが4時でミーマが8時。現状の位置取りは互角。
「……赤子か?」
ミーマの背中、荷物の小ささに気づいたのだろう、ウォードが訊ねてきた。何かしら情報を引き出すつもりだろうが、それにしても、よくしゃべる猿だ。
「『息子』……死産だった。そちらは?」
無視すればいいものを、なぜ余計なことまで答え、しかも訊き返すことまでしたのか。
「『娘』だ。病にやられてな……五つだった」
ウォードもまた、義理もないのに答えを返すと、背中の荷物をよいしょ、と背負い直す。
五つの子供の
まぎれもない強者、しかも
渦潮の
『
と、称する。
また、本来は海に棲む
『
と、称される彼らは、
しかし。
(だから何?)
ミーマは闘志を呼び起こす。何者が相手だろうが、敵にビビって
剣を抜き、尻尾を口にくわえた臨戦態勢。余計な緊張こそないが、斬りつけるような殺気は隠さない。
(おお!)
そんなミーマの姿に、ウォードはほとんど魅せられたと言っていい。
(……正反対だな、アイツとは)
ウォードの脳裏にもう1人、ウォードの目を奪った女性の姿が浮かぶ。
くりくりと愛嬌のある目をした
名を『キャルル・ホウィホウイ』。正確な発音は例によって
ウォードの妻だった女性だ。
(いけ好かねえ連中)
として、評判はよろしくない。が、
(アイツだけは、変わり
ウォードは、
痛みと共に。
彼ら2人の結婚は、宗家の長をはじめとする紋族の長老会議が決めた。それ以前には、お互い会ったことも、そんな相手がいることすら知らなかった。そういうものだ。
ウォード自身、あまり結婚には乗り気でなかったし、妻の実家や親戚からは『流れ猿の婿』とさんざんな嫌味を言われ、嫌がらせも受けたが、
(
と、黙って受け入れたのだ。
2人の
伝統の『婿いじめ』である。
ちなみに
翌朝、目覚めたウォードは、枕元に小柄な女がちょこなんと座っているのを見て、
(誰だこいつ……?)
しかし女は平気なもので、
『貴方様の嫁です』
にっこり、と笑った。これにはウォードも、
『お……?』
二日酔いの頭をフル回転させる。が、なんとも言葉が出てこない。
『嫁です』
大事なことらしく、笑顔のまま2回言われた。対するウォードは、
『……おう』
精一杯、いかめしい顔を作ってみる。が、
『嫁』
3回目がきた。ウォードの負けであろう。
『……嫁?』
『はい!』
会心の笑み。
『
キャルル、
その後の2人の結婚生活は順調で、逆に周囲を驚かせた。武辺一辺倒の無骨者と、気位の高い公家のお
『とてもではないが、合うまい』
と、思われていたからだ。
だがウォードは立て続けに手柄を立て、若手の
ちなみにウォード、嫁のキャルルに、
『ホントによかったのか、俺が旦那で?』
と訊いてみたことがある。夫婦水入らずの寝床でする話でもないだろうが、まあ、そこがウォードだ。
一方、訊かれたキャルルはきょとんとした顔のまま、ちょっと首を傾げて、
『なぜ?』
逆に訊き返す。
『だってよ、俺ぁお前の実家の言うとおり、流れの子だぜ?』
ウォードはごりごりと頭をかく。ウォード、
彼の言う『流れの子』とは、頼るべき
たとえばある
ただちに別の
ウォードの母も、そうした漂流民の1人だった。女の流れは通常、誰か別な男に嫁ぐのが一般的だが、
男の
『アンタの父さんは、
というのが母の口癖だったが、一体どこの
そんな時、ウォードの運命が一変する出会いがあった。
港で働くウォード母子に、目を止めた男がいたのだ。今、ウォードが
まだ子供のウォードが、大人顔負けの馬鹿でかい荷物を運ぶのを目にした宗主は、
『
と、声をかけ、
『お
ウォードはその時、自分がなんと答えたかおぼえていない。実はそれぐらい衝撃的な出会いだったからなのだが、今、その話は後に譲ろう。
宗主はその後、なにくれとなくウォード母子を気にかけ、母が船の事故に巻き込まれて亡くなった時は、
しかも天涯孤独となったウォードの身を引き取り、
『今日から
こうして
だからウォード自身、生まれの悪さを隠す気もない。
『お公家さまのお
そう言って自嘲するウォードの鼻先へ、いつの間にかキャルルの鼻先が急接近。
『!?』
驚いて仰け反るウォードの首っ玉に、がしっ、とキャルルが抱きつく。毛むくじゃらの
そして、
『生まれの、育ちの、名紋のと、口を開けば口ばかりの殿方には、ほとほと飽き飽き』
そう前置きした上で、ウォードのたくましい身体を愛おしげに撫でながら、
『ここに嘘のない、本物がありますのに。なぜ釣り合わぬなどと?』
『ほんもの?』
『そう、本物』
キャルルが腕をゆるめ、また鼻先をくっつける。
『たとえば貴方様。この先、我らが子を授かったとしまする』
『? おう?』
『そして万が一にも
『よせ、縁起でもない』
ウォードは顔をしかめる。が、キャルルは平気な顔で、
『たとえ話』
『たとえばだぞ。たとえばだ』
ウォードがしぶしぶ念を押す。
『たとえば、流れとなった貴方様の一家は、飢えまするか? 私と子は、凍えて震えねばなりませぬか?』
『ないわ』
ウォードは即答した。キャルルの期待した通りに。
『お前と子供らにだけは、なにがあろうと毎日、腹いっぱい食わせてやる。狭くとも温かい住処と、服もあがなってやる。……俺の母がそうしてくれたように、な』
言いながら、大きな手で肩の荷ダコを撫でる。『流れの子』と馬鹿にされようが、荷役の母を助けて働き、大人に負けじと食い
『このウォードの
『ほら、本物。これが本物』
キャルルは、まるで我がことのように誇らしげな顔になると、つ、とウォードから身体を離し、ウォードの荷ダコに向かって両掌を合わせ、
『かたじけなく存じます』
『おいおい、まだ早かろう』
苦笑するウォードにキャルルは、
『いえ、これはお
『む……』
漢・ウォード、こういうのに弱い。
『貴方様、泣かない』
『泣いとらん』
『大事、大事』
キャルルがウォードを、今度こそ全身で抱きしめた。
2人が、一人娘の『ルールー』を授かったのは、その後すぐのことだ。そして母と同じイルカの
『だいじ、だいじ』
である。
まずキャルルの頭を撫でて、
『
とやった後に、ウォードの側へ来て、
『
と、ウォードの肩の荷ダコを撫でるのだ。
『
ウォードが訊ねると、
『
えっへん、と得意げに胸を張った。そして、
『
こういうのに、とことん弱いウォードの頭を、優しく撫でてくれたものである。
そんな日々はしかし、やはりあっけなく終わりを告げた。
ウォードが南の大陸へ
さらに海の真ん中に浮かぶ『島』という地理的条件から、生活排水を海へ直接捨てるのが一般的なため、特にコレラや赤痢、チフスといった下水処理の未発達を遠因とする伝染病に弱かった。未処理のまま海へ流された病原菌が、それを蓄積した海産物を通じて再び人々の口へ入り、感染が広がるのだ。
『いまだ治療のすべはございませぬ』
渦潮紋で医療を担う
魔力のこもった高価な治癒薬を使えば、一時的に症状を抑えることはできる。しかし治癒薬には病原菌そのものを消す効果はなく、時間が経てばすぐ元の木阿弥になってしまう。
結局、できることといえば感染者を隔離し、その排泄物や死体を焼却処分する程度だった。
伝染病発生の連絡を受けたウォードは、キャルル宛てに、
『ただちに都を離れ、氷洋の実家に疎開せよ』
と手紙を書いた。氷洋は5つの海のうち最北端の海で、
キャルルが死んで、1ヶ月が過ぎていた。
彼女はウォードの手紙を受け取った後も、娘のルールーだけを船で実家へ送り出し、自分は都に残って感染者達の世話に奔走していた。そして感染し、死んだのだった。ウォードが受け取ることができたのは、骨壺に入った一握りの骨だけ。
『本当に良う働いてくれたに、まこと、済まぬじゃった』
医者から謝罪されても、ウォードにはどうすることもできない。そして、その半月後。
娘のルールーも死んだ。
北の氷洋にある
伝染病から逃れるため、お付きの女中と共に船に乗り、
『流れ猿の娘ごとき、我が瑠璃の都が汚れるだけよ』
と、放置したのだ。結果、船は青京に引き返すしかなくなり、乗っていた
この非情、いや非道の扱いに、
『
号令一下、船の入港を拒んだ
加えて宗主みずから、ウォードを始めとする病の遺族たちに、
『
と謝罪があり、相当額の補償も約束された。
だが、それでもルールーが、キャルルが帰ってくるわけではない。
ウォードは、表向きこそ
葬式には
『
と、みずから列席してくれる予定だ。となればウォードも、喪主として恥ずかしくないよう身支度し、式を取り仕切らねばならない。
ちなみに葬式のことはキャルルの実家にも知らせたが、欠席の返事すらこなかった。
(勝手にしやがれ、だ……)
久しぶりに我が家に帰ったウォードだが、やはり心は動かない。あれほど暖かく楽しかった場所が、妻も娘もいない今となっては、まるで異国の牢獄のようにしか感じられなかった。
それでも使用人たちにあれこれと葬式の準備を指示し、やっと自室にこもったウォードを、しかし訪ねる者がある。
ウォードが知らぬ
彼女は、奥様・キャルルとお嬢様・ルールーの死を涙ながらに悼んだ後、告げた。
『死者を蘇らせる道がございます』
もし、ウォードがまともな精神状態だったなら、外法に誘うこの女に耳を貸すどころか、即座に斬って捨てたかもしれない。だが今、女が語る話は、止まっていたウォードの心に一つの火を放った。
(俺にも、まだできることがある)
どうしようもないと思っていた悲劇に対して、この身体を、この命を使って抗う、そのすべがある。
母が生み育て、妻と娘が頼りとしてくれたこの
ぎりっ、と、ウォードの全身に力が満ちた。
『
そしてウォードはその夜、娘の
(待っておれ、ルールー。
そして今、ここでミーマと相対している。
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