01/23.森
ばつん!
また1本、盾に矢が刺さった。
(畜生、ツイてねえな)
大樹の幹に背中を預け、丸型の大盾を前に掲げてうずくまりながら、ウォードは腹の中で毒づいた。
が、無理もない。
こともあろうに
しかも時刻は夜明け前。
夜目が利き、耳も良く、なにより悪魔じみて嗅覚が鋭い
(野郎、尻尾の先も見せやがらん)
この通り、敵の
とはいえ、そんな窮地にあっても、
(これぞ『犬猿の仲』ってか。……笑えねぇ)
ウォード、意外と余裕がある。豪胆、そう呼んで差し支えなかろう。
ちなみに彼が内心でつぶやいた『犬猿の仲』から解釈すれば、敵が『犬』なら、こちらは『猿』。
手甲を巻いた腕、革ブーツに包まれた脚、そこだけはむき出しの胴、すべてが太く、
このウォード、正式な名を『ヴォードードーゥ・ホゥイホウィ』という。
正確な発音は同じ
(っても、これじゃラチぁ明かねぇな……しゃーねぇ、やるかよ)
驚くほどあっさりと腹をくくり、立ち上がる。巨体に似合わない、いっそ軽みさえ感じさせる動作。ウォードの持つケタ違いのパワーの証明だ。
そうして立ち上がってみれば、背中に何やら大きな荷物を背負っているのが分かる。
「おら、撃ってこいや!! ワン公!!」
四方の深い闇に向かって銅鑼声を張り上げる。夜間戦闘でこんな大声を出すのは一見、自殺行為にも見えるが、なにせ相手は
下手な逃げ隠れは無意味どころか時間の無駄。
(なら
「どうしたどうしたぁ! この通り、俺ぁ逃げも隠れもしねえぞ!」
丸型の大盾を左手、両刃の戦斧を右手に振りかざし、見えない敵を挑発する。あとは勘とタイミング、そして『運』。
「……!」
瞬間、ウォードの身体が伸び上がった。戦斧を握った右腕をはるか頭上へ、まるで投げ上げるように振り回す。
がっ! と、巨樹の幹に戦斧の刃を深く、がっちりと噛ませておいて、
「むんッ!」
ひ!
矢。一瞬前までウォードがいた場所へ、盾と巨樹の隙間を真横から縫い通す一撃。
(危ねえ!)
足に履いた革ブーツ、その靴底ギリギリでかわす。だが終わりではない。
始まりだ。
宙に浮いた太っとい両足を巨樹の幹にぐん、と踏ん張るや、幹に噛ませた戦斧を力任せに引き抜く。と、同時に、
「ふッ!」
引き抜いた勢いはそのまま、後ろざまにジャンプ。
と!
再び矢。巨樹の幹に深々と突き刺さったその場所は、またしてもウォードが一瞬前まで張りついていた場所だ。
一手、半秒でも読みを誤れば串刺し。しかしウォードの唇には太い笑みさえ浮かぶ。
(そうこなくっちゃよ!)
強敵上等。
跳んだウォードは空中で一回転、『バク宙』を決めて着地する。巨体と重装備をものともしない身軽さ、これぞ
た!
3本目の矢は地面。もしウォードが真下へ着地していたら、確実に脚を撃ち抜かれていた。
ほんの瞬き数回分の攻防は、ウォードの読み勝ち。
「そこかぁあ!!」
3つの矢筋から、ついに射手の位置をつかんだ。さすが1射ごとに移動して射つ手練は見事だが、それでも草をすり、藪にかかる音までは消せていない。
それを見逃すウォードではない。
「オオぅホぅおオオォォ!!!」
これぞ本家本元、ゴリラの雄叫びを吹き上げながら、弓手の方へと突進する。盾を前面に低く構え、足を綱渡りの綱を渡るよう、真っ直ぐに運ぶ。なぜというに、
『盾持ちの足狙い』
が弓手の基本だからだ。
か!
矢。やはり足元。だが盾が防ぐ。ウォードは止まらず、盾のまま正面の
どぐぉおん!
ウォードの突撃を食らった雑木が根ごとなぎ倒され、その向こうで逃走にかかっていた
わずかな星明かりの下、あらためて確認する
手に弓、腰に矢筒。背にはウォードと同じく、大きな荷物を背負っている。
「……!」
潰された
だが遅い。
(逃げられると厄介)
「ホおーゥ!!」
天も裂けよと雄叫びを上げながら、まだ遠い間合いから長い腕を伸ばし、戦斧の刃で
どむっ、という湿った斬撃音に続き、ぶしゃっ、と鮮血が舞う。
「がぁあああ!!」
たまらず、今度こそ悲鳴が上がった。牽制と言いつつ、ウォードの腕力だ。振り下ろされた戦斧は
「ちぃっ!」
だがウォードには十分な数秒。敵に肉薄する。
「フんっ!」
今度こそ完璧に間合いをとらえ、打ち下ろされた戦斧が、
「!!!!!!」
声にならない絶叫。苦し紛れに振った腕からウォードの喉へ、ナイフが飛ぶ。
かろん。
むしろ涼しい音を立てて、ウォードの丸盾がナイフを打ち落とす。受けたのではない、盾の縁で苦もなく払い落とした。
万事休す。
「糞ぉッ!」
その悪態はもはや声帯を震わせることなく、無声音。それでもせめて目で殺さん、とばかりにウォードを睨みつけ、歯を剥き出す。
その闘志、その意気こそ見事。
敗北と死を潔く受け入れる美学もあれば、最後の一瞬まで諦めることなく、恥でも泥でもむさぼり喰って
「恨みっこなしだぜ」
ウォードが
「むンっ!」
必殺の戦斧を
決着。
「……ふッ」
大きく一息ついただけで、ウォードは休むことなく作業にかかった。犬の
だが今のウォードには、誇りだの名誉だのを口にするヒマも、そして資格もない。
(堕ちたもんだぜ)
だが、そんなウォードの手が止まる。
(こいつ、『
見た目にも鍛え抜かれたシェパードの精悍な胸板、そのちょうど真中に、2本の牙を円で囲んだ
『
北大陸東方の大森林・『
昼なお暗い東ノ森を支配する
(道理で
ウォードが過去に戦ったどんな
それが互いの名を名乗ることもせず、紋を見せ合うこともなく殺し合い、そして死んだ。
「堕ちたもんだなぁ、お互いよ」
言葉が、つい口に出た。正直、
微弱な白色の光で表される
だが、例えば国や氏族、ギルドなどの社会集団にあって、能力や人望に優れ、それを代表すると認められた者に与えられる証、それが
国家であれば、少なくとも大臣・将軍クラスの『格』と考えてよい。
極端な例を言えば、例の
『必ず土下座』
という法律まである。
だからこの弓手にしても、名前すら知られないまま、こんな場所で身ぐるみ剥がれてよい者ではなかったはずだ。
(どこかに名は?)
ウォードは一瞬、そう思ったが、やはり探すのはやめた。しょせん魔道・外法に手を染め、人の道に外れた者同士だ。
名もなく死ぬのは覚悟の上、いや、いっそ本望だろう。
結局、治癒薬をはじめとする薬剤だけ、腰の物入れに移す。
ついでと言っては何だが、大盾に撃ち込まれた矢を戦斧でバリバリと斬り落とす。
ウォードの盾は頑丈な金属の十字枠に、分厚い木の板を打ち付けただけの代物で、それを革のベルトで腕に固定してある。盾の外縁に金属の枠がなく、よく見ればあちこち欠け朽ちてギザギザのままで、ぱっと見には粗雑で野蛮。
だが侮るなかれ。
これでもウォードが工夫を重ねた愛用品、縁に枠がない理由は、後に譲ろう。
荒っぽい掃除の結果、表面には結構な数の矢尻が刺さったまま残ったが、気にしないことにする。
(じゃあ、な)
夜明けが近い。
「……やべ、急がねえと」
これは声に出た。
(どうせ皆殺しだ。手間が省けるってもんさ)
この気概。
反面、その目は暗い。殺し合い、いや殺戮の連続が、ウォードから光を奪っていた。
この戦いが、いや殺し合いが始まってから約10時間。その間に、最初は100人いた
いや殺されている。
ウォード自身も相当数の
(誉れにも、自慢にもなりゃしねえ)
むしろ逆、どす黒い霧が心を塞いでいくようだった。
ウォードの戦いを振り返ってみれば、次のようである。
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