02/23.ウォード 



 ウォードを含む100人のカラ

 まったく面識のなかった彼らが、辺境の港町に集まったのが1ヶ月前。そこで1艘の帆船を与えられた、それが半月前のことだ。

 船主は不明。

 船内には、航路を指示する案内人が1人きりで、あとは操船も何もかもカラたちが自分で行う、という乱暴な航海の末に、この島の近海にたどり着いた。

 「よくまあ、沈まなかったもんだ」

 操船を引き受けたウォード自身が、そう漏らしたものである。

 それが昨日。時刻は昼。

 案内人の男は、常にフード付きのマントを被り、カラゲノスも隠した陰気な男で、時折航路を示すほかは口を利くことすらなかった。ウォードは、

 (鼠殻ネズミガラか?)

 と、にらんでいる。

 その男が、水平線に小さく島が見え始めると、船の甲板に100頭のカラを集め、

 『島の中央、山の中腹にある古代の神殿こそが目的地である』

 きいきいと、聞き取りにくい声で話し始めた。

 その島は、航路からも外れた絶海の無人島で、しかも1年の大半を猛烈な潮流に取り巻かれ、近づくことすらできない。そのため海に棲む魚殻ギョカク達でさえ、島の存在を知るものは、

 『ほとんどいない』

 という。

 年に2度、春と秋のそれぞれ1日だけ海流が止まる日があり、今日こそがに当たる。

 『星巡ホシメグリが重なる明日の朝、最初の日光が差し込む祭壇に、お前たちの望みを捧げるがよい。ただし……』

 案内人が思わせぶりな間を入れる。


 『望みがかなうのは1度だけ。ゆえにお前たちは、互いに殺し合わねばならぬ。最後に生き残った1人だけが、望みをかなえらえれる』


 変わらずきいきいと聞き取りにくい声で、案内人が芝居じみたポーズを決めた。だが100のカラたちに、三文芝居に付き合う義理はない。

 『1人残らず殺すのか?』

 『誰か勝手に転けて死んでもアリか?』

 空気を無視して次々に質問が飛ぶ。案内人は一瞬ムっとしながらも、

 『1人2人残っていてもかまわぬ。直接手を下す必要もなし。ただし望みがかなうのは1人だけ。そこは変わらぬ』

 最後まできいきいと、聞き取りにくい声で答えた。

 それから半日。

 日も沈みかけ、いよいよ島も目の前というところで、その異変は起きた。

 『火事だ! 船底に火が!』

 誰かの叫びと、立ち上る煙に反応したウォードが船底に降りた時には既に遅し、そこはもう火の海だ。

 (やりやがった!)

 何者かが積み荷の油樽をひっくり返し、火を着けた。一瞬で状況を把握したウォードが、甲板へ取って返してみれば案の定、脱出用のボートがなく、換わりに遥か島の方へ漕いでいく小さな船影。

 しゅん!

 あの犬殻イヌガラの弓手が矢を放ったが、夕暮れの海は暗く、また当たる距離でもない。

 『誰がやった!?』

 ウォードが大声を張り上げ、100人のうちの欠けたカラを探そうとしたが、既に船内はパニック状態。犯人探しどころか、もはや収拾すらつきそうもない。

 案内人のも姿を消している。

 (こりゃ駄目だな)

 もやは船を救うのは不可能、ウォードは即座にそう判断。

 となれば行動あるのみ。

 人波をかき分け、時にはその怪力でふっ飛ばしながら、雑魚寝の船室に戻る。まず履物はきものを脱いで素足、服も脱いで下着だけになると、甲板掃除用のワックスを全身に塗りたくる。そして服や荷物、武器を防水布で包み、小さめの空樽といっしょに背中にくくりつける。即席のだ。

 準備完了。

 (よし!)

 思い切り息を吸って止め、もうもうと煙を上げる船内を全速力でくぐり抜ける。火の回りが異常なほど速く、既に船底から浸水する音が聞こえている。

 (短い縁だったが、さらば!)

 船に別れを告げると、後ろも見ないで海へ飛び込んだ。

 実はウォードという男、ゲノスこそゴリラだが、事情あって海育ちゆえに、泳ぎには自信がある。水慣れした巨腕で海水を掻き分け、島に向かってぐんぐんと進む。

 先に海に飛び込み、泳いでいた馬殻ウマガラの男(ゲノスは鹿だった)に追いついた。

 「猿、てめえ!?」

 危険を感じて叫び声を上げる馬殻ウマガラの首を、ウォードは片手で捕まえると、ゴリラの怪力で無言のままし折る。

 そしてもう1人、先を泳いでいた鼠殻ネズミガラゲノスは珍しいテンジクウサギの男を、やはり片手で捕まえて首を折った。2人とも、ほとんど抵抗すらできず亡殻ナキガラとなり、波の間へと沈んでいく。

 (これもイクサだ。悪く思うな)

 短い間とはいえ、航海を共にした仲間を殺すことに、当然複雑な思いはある。しかし、もう戦いは始まっているのだ。

 これでウォードの先を行くのは、ボートで先行する1人のみ。船内には魚殻ウオガラも、空を飛べる鳥殻チョウカクもいなかったから、これ以上先回りされる懸念はない。

 余談、鳥殻チョウカクを『トリガラ』と呼ぶのは蔑称であり、注意が必要だ。

 ウォードはしかし、わざわざ泳ぐ方向を変え、島をぐるりと回り込むようなコースを取る。理由は、

 (食らっちゃたまらねえ)

 船に放火し、ボートを奪って島へ先行したカラの次の狙い。それが、沈む船から島へ泳ぎ着くカラ達であることは明白だ。

 我々の世界のトライアスロン競技を引き合いに出すまでもなく、波のある海を泳ぐのは非常に体力がいる。これがとなるとさらに倍、となれば、さらに数倍もの体力を消耗することになる。ゆえに、

 『水中では靴を脱ぎ、できれば服も脱ぐべし』

 これを知らずに水に入って溺れ死ぬケースは、実は非常に多い。

 『水の底から何者かに、足や身体を引っ張られた』

 そんな怪談、水難にまつわる伝説の大半が、実はこれに起因する。

 今、火災で沈む船から脱出したカラの多くが、それを知らぬまま海に入るだろう。加えて彼らは、を抱えている。となれば、

 (島まで泳ぎ着けるカラは、まず半分もいねえな)

 ウォードが予測する。

 たとえ無事に泳ぎ着いたとしても疲労困憊は避けられず、その隙を襲われれば、どんな強者だろうが、ひとたまりもない。

 ウォードは島への最短距離を避け、わざと泳ぐ速度をゆるめる。そして空樽の浮力に身を任せて休息しつつ、日没で急速に暗くなっていく海をじっと観察した。

 ウォードに続いて海に入ったカラが、次々に島へ向かって泳いでいく。そして、

 (お、やっぱりか)

 ウォードの予想通り、夜の闇が降りきった海岸で、泳ぎ着いたカラを何者かが襲った。暗さと距離が邪魔し、カラの正体までは不明だが、月光を反射して閃く剣の軌跡が、ウォードの目に焼き付く。

 結局、海岸へと泳ぎ着いたカラの大半がそこで殺されたようだ。

 (そろそろか……?)

 ウォードが島に上陸したのは、陽が完全に沈み、島が夜闇に包まれた後だった。そこから目的地の神殿を目指す途中、あの犬殻イヌガラの弓手を含む2人と戦い、殺している。名乗りもせずに殺し合い、そして亡殻剥ナキガラハぎを繰り返したのだ。

 ウォードの足運びが、知らず知らずのうちに速くなっている。夜明けの刻限が迫っているという焦りと、そして、

 (もうたくさんだ)

 その気持ちが、ウォードの心と身体をちりちりと焼いていた。魔導・外法に手を染めておいていまさらだが、この島で繰り広げられる殺戮の中で、自分がどんどん薄汚く、みじめになっていくように感じる。

 そして、そんなウォードを責めるように、背中に背負ったが少しずつ、重くなっていくようだった。

 (勘弁しろよ)

 ウォードがに、そして自分自身に弁解する。

 島の中心に近づくにつれ、森は次第に傾斜を増していた。どうやらこの島、遥か太古には火山島であったらしい。だが現在では風雨と森林による浸食が進み、噴火どころか火口の跡すら微かな、いっそ穏やかと表現してもいい山体を形成していた。

 目的地の神殿は、その中腹付近。いよいよ近い。

  (……!?)

 ウォードの耳がぴくり、と動いた。

 何者がが森を移動する微かな音。既にウォードの存在に気づいているらしく、慎重に落ち葉を踏み、下草を掻き分けているのが音でわかる。

 (来るか?)

 大柄で頑強な猿殻サルガラの全身に緊張が満ち、即座に解ける。そこは大猿オオザルウォード、イクサに臨んでガチガチに緊張するとか、そんな可愛らしい人生は歩んでいない。

 ガサガサバリバリと、森を移動する音が大きくなる。向こうもウォードに気づかれたことを知り、戦いよりも、先に目的地に着く方を選択した。

 「おいおい! ここまで来てかよ!!」

 ツッコミ半分、挑発半分に叫んでおいて、ウォードも走り出した。バリバリバキバキと、森の落ち葉や下草を盛大に踏み散らかし、小枝をへし折りながら突き進む。何らかの罠が仕掛けられている可能性もゼロではなかったが、

 (まず、ねえだろう)

 と、判断。

 奥へ進めば進むほど、森の木々は太さと高さを増していく。中には幹の太さだけで、ちょっとした家ほどもある巨木さえ珍しくない。

 これだけ成熟しきった原生林となると、高い巨木の葉が日光を独占してしまうため、地表に低木や下草は生えにくい。コケなどの地衣類が密生し、滑りやすい地面を、ウォードが突き進む。

 前方に大きな柱のような影。その先、森が切れているのが見える。

 (神殿ってヤツか!?)

 ざぉん!!

 ウォードの巨体が最後のやぶを突き抜ける。

 さぁん!

 ほぼ同時、ウォードよりもはるかに軽い音を残し、敵もまた姿を表した。

 その姿。

 (まさか?!)

 ウォードは一瞬、自分の目を疑った。

 「お前が?!」

 ウォードが思わず声を上げる。その視線の先。


 立っていたのは、一人の猫殻ネコガラの女だった。

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