04/23.ミーマ

 熱砂の南大陸を支配する猫殻族ネコガラゾクの国・『クリソラ王国』。その国家騎士の家が、ミーマの生家だ。

 ただし騎士といっても名ばかり。地元では『トレッド』の蔑称で呼ばれる底辺階級で、ろくに俸給ももらえず、もちろん猫目の紋など持っていない。そもそも『糸』の蔑称自体、猫目紋ネコメモンの最下級『針紋ハリモン』に従うだけの者、というところからきている。

 針と糸、下の下、というわけだ。

 だからこそミーマが生まれた時、彼女の父親は、

 『ユキヒョウだ! わが家に野生種が生まれたぞ!』

 と狂喜した。

 狩猟型の野生種は、猫殻ネコガラにおいてである。

 大柄で強靭な身体と、高い戦闘能力をあわせ持つ猫殻ネコガラの野生種は、数いるカラの中でも有数の戦士であり、紋族モンゾクを守る戦力として引っ張り凧だ。しかもミーマはユキヒョウでも、全身が真っ白な体毛でおおわれた突然変異。まさにだったからたまらない。

 『その名のごとく純白のユキヒョウ』

 噂はたちまち都へと伝わり、ミーマは物心つくかつかないか、という幼少期、(家が数軒立つほどの支度金と引き換えに)両親と離され、法王庁へと参内することになった。

 そこまで聞けば幸運な話にも聞こえるが、そうと言えない事情がある。

 当時の都、特に法王庁は、混乱のど真ん中にあった。

 猫殻族ネコガラゾクには『王宮』と『法王庁』という2つの頂点が存在する。

 要は、『王』と『法王』が張り合っているのだ。

 一応、形としては王の方が上位だが、

 『神への寄進は非課税』

 という特権を持つ法王の資金力は、時に王すら凌駕するという。

 仕来しきたりによれば、王家の長男が王、そして次男以下の誰かが法王、と定められている。

 だが、ミーマが参内した当時の王国では、例外的にという逆転現象が起きていた。王位にあった長男が病死したため、次男の法王を飛び越える格好で、三男が王位を継いだのだ。

 実は、一度でも王、もしくは法王に即位した者は、

 『永遠にその座にとどまるべし』

 という仕来しきたりがあり、それが起こした悪戯というわけである。三男にとってはどころではない、まさに望外の幸運といえた。

 が、次男の法王はおさまらない。

 悪いことに、その次男法王のゲノスは『ライオン』。猫殻ネコガラの野生種でも別格として、


 『獅子殻シシガラ


 と、呼ばれることさえある最強のゲノスだ。対する三男王のゲノスはオセロット。ゆえに、

 (我こそは百獣の王、真の王なり)

 次男法王が真剣に思い込んだとして、それも仕方なかろう。とはいえ仕来しきたりが邪魔し、いまさら自分が王にはなれない。ならば、

 (我が子を王位につけたい。いや、絶対に王にしてみせる!)

 そんな狂気にも似た執念が渦巻く中、法王庁に放り込まれたミーマの一生がどんなものになるか、想像するまでもなかろう。

  案の定、ミーマの人生は、ほとんど完膚なきまでに破壊された。

 彼女が最初に放り込まれたのは、通称『爪研スクラッチャー』と呼ばれる、まあ学校といえば学校のような場所だった。

 爪研スクラッチャーは、子供の猫殻ネコガラに基本的な教育と、神の教えと、そして初歩的な戦闘・殺人技能を叩き込むために設立された機関で、卒業生は例外なく法王に仕える兵士となる。

 幼い心と身体を、文字通りような洗脳と訓練。脱落は即、死を意味する過酷な環境。だが、それでも同年代の子供同士、肩を寄せ合って過ごした日々は、ミーマにとって、

 (まだマシ)

 だった。これまでの生涯で、この時だけは『友達』と呼べる者もいたし、ごくたまにとはいえ、両親と面会することも許されていたからだ。

 真に地獄だったのは爪研スクラッチャーを卒業した後、法王直属の『鐘撞隊リンガーズ』に選ばれてからだ。

 鐘撞隊リンガーズ

 法王庁の中心にある鐘楼に登り、時の鐘をく尼僧たちをそう呼ぶ。表向きは鐘撞かねつきのほか、法王の身の回りの世話をする雑用僧とされているが、その真の顔は法王庁の裏の仕事、神の名の下に暗殺や隠密任務を担う特殊部隊である。

 そしてもう一つ。

 指揮官である一ノ鐘ファーストリンガーを除き、全員が若く美しい女性で構成され、しかも『妊娠可能であること』が条件、といえば想像がつくのではないか。

 ミーマにとっては、思い出すだけで吐き気が、いや、いっそ本気で死にたくなる記憶。

 彼女たちは法王のハーレム要員であり、だった。

 『お前たちは法王猊下の番犬で、玩具で、そして家畜だ。かたじけなく思うがいい』

 一ノ鐘ファーストリンガーの高圧的な口癖が、今もミーマの耳から離れない。

 ミーマら若い鐘撞リンガーを支配する一ノ鐘ファーストリンガーは、既に中年にさしかかる年齢だったが、ゲノス・チーターの肢体と美貌は健在。

 また抜群に頭が切れ、加えて恐るべき剣技の持ち主だった。

 日ごとの訓練で、若い鐘撞リンガーたちが束になってかかっても、彼女から一本取るどころか触れることすらできない。逆に一ノ鐘ファーストリンガーの剣に翻弄され、血を吐くまでなぶり者にされる。

 『お前達の苦痛こそ、わらわの力の元よ』

 微笑さえ浮かべて言い放つ彼女の姿は、今も昔も変わらず、ミーマの悪夢のメインヒロインである。

 この一ノ鐘ファーストリンガー、上司である獅子の法王に対しては、まさに心酔・溺愛のレベルで接するのが日常。だが反面、彼の寝床に呼ばれるミーマたちに対しては、もはや憎悪といっていい感情を隠しもしなかった。

 そのくせ自分が法王に抱かれることは決してない。なぜなら、

 『

 その呪わしい秘密を、ミーマは先輩の鐘撞リンガーたちから教えられた。もっとも法王庁内ではほとんどではあった。

 猫目丸紋ネコメマルモンの王家に生まれ、華やかな将来が約束されていたはずの一ノ鐘ファーストリンガーが、こんな場所で、名も持たぬまま陰湿な人生を送っているのには、もちろん理由がある。

 彼女は、生まれつきの異常者だった。

 実弟への溺愛と執着。逆に、弟以外の人間に対するサディスティックな性的嗜好と殺人衝動。

 『近親相姦加虐性愛快楽殺人者ロイヤルストレートサイコ

 とは、一ノ鐘ファーストリンガーに対して、法王庁の人々が付けたあだ名である。

 異常者であると同時に、抜群の頭脳を持つ彼女は、長い間、自分の性癖や衝動を巧妙に隠し、同時に王家の権威を利用することで、残酷な殺人や凶行を働き続けていた。

 が、ついに実兄の長子王に罪を見ぬかれ、名と身分を剥奪された上で、この場所に落とされたのだという。彼女の異常を見抜いた長子王、その眼力こそ誉れあるべし、だろう。

 しかし、その直後に長子王が早世。当然、事情を知る者は皆、

 『あの女の報復』

 と考え、実際に捜査も行われたというが、ついに証拠は出なかった。長子王の死因は、だから今も闇の中である。

 一ノ鐘ファーストリンガーとは、そういう女性なのだ。

 この異常者の下、ミーマは鐘撞リンガーとして、あらゆる性愛技法と、そして戦闘・拷問技法の両方を叩き込まれた。何も知らぬ少女だったミーマの精神と肉体はバラバラに砕かれ、そして何かの前衛芸術のように、歪に再構成されていく。

 同僚の鐘撞リンガーたちも同様で、お互いに心を通わせることもなく、むしろ憎しみ合うばかり。それも一ノ鐘ファーストリンガーが、そのように仕向けていた。

 そんな場所で、それでもミーマはギリギリ、自分の心を守り続けた。ふたつのものが、彼女の心を救ったのだ。

 まずひとつは『剣』である。

 ミーマは剣の修行に没頭することで、ともすれば狂ってしまいそうな日々を耐えた。

 ミーマのである一ノ鐘ファーストリンガーは、前述の通り異常者であると同時に、剣の天才だった。彼女は猫殻ネコガラの伝統的な剣法に大改革を加え、まったく新しい独自の剣法を編み出たのだ。

  忌むべき支配者である一ノ鐘ファーストリンガーの剣。

 しかしミーマはその剣に、

 『正直、魅了された』

 という。

 さんざん一ノ鐘ファーストリンガーの異常性を強調しておいてなんだが、一方で彼女は極めて聡明、かつ合理的な精神の持ち主でもあった。よって彼女が生み出した剣もまた、この時代では考えられないほど精密で、美しく、そして抜群の強さを誇っていたのだ。

 そしてミーマの修行が始まる。

 『修行』と言っても、それは長い間、師である一ノ鐘ファーストリンガーに、ただ嬲られるだけの日々に過ぎなかった。

 が、それでもミーマは諦めない。一ノ鐘ファーストリンガーに勝つ、ただそれだけを希望とし、修行に打ち込んだ。

 それは、名工の鍛冶師が一振りの剣を鍛える、その工程に似ていたかもしれない。鉄を真っ赤に焼いて、不純物をハンマーで叩き出し、鉄が冷えればまた焼いて、叩く。

 『いつか。きっといつの日か』

 ミーマは自分の心と、身体と、剣に、まるで言い聞かせるようにして、鍛錬を続けたのだ。

 『ちょうどいいわ。がほしかったのよ』

 一ノ鐘ファーストリンガーもまた、そんなミーマを集中的にようになる。

 その結果。ミーマは鐘撞リンガーの中でも抜きん出た手練てだれに成長した。権力志向の強い一ノ鐘ファーストリンガーは、組織のNo2であるニノ鐘セカンドリンガーを指名しなかったが、

 『ミーマこそNo2』

 とは、誰の目にも明らかだった。

 だが、そのミーマを持ってしても、一ノ鐘ファーストリンガーにだけは何としても勝てない。

 『お前は私より大きく、力も強い。だが決定的に。それだけよ』

 猫殻ネコガラ最速・チーターのカラを持つ一ノ鐘ファーストリンガーは、不気味に唇を歪める。

 『力も、サイズも無意味。速さだ。もっと純粋に、速さだけを磨け。そしてわらわを殺してみるがいい』

 言われなくてもやってみせる。

 ミーマはますます剣にのめりこんでいった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る