21/23.蒼蟲

 (……、そいつぁ!)

 ウォードが腹の中で叫ぶ。冬の間、ミーマが見せてくれた『仮想敵』に、なるほどそっくりだ。

 強いことは知っている。だが恐れはない。ずんずんと、何の策もないかのように近づく。敵に先手を取らせ、右の盾で剣を弾き、左の武器で仕留めるのが本来の『処女(おとめ)構え』。

 だがウォードのそれは違う。

 間合いに入る。

 瞬間、一ノ鐘ファーストリンガーの剣が起動、ウォードの背中へセオリー通りの一撃。

 「ふっ!」

 瞬間、ウォードがセオリーを無視、大盾と戦斧を前後に、思い切り振り抜く。

 『両刃打モロハウち』!

 前兆なし、ゆえに回避不能の猛撃が、一ノ鐘ファーストリンガーの剣ではなく、身体そのものに襲いかかる。

 ばん!

 新たに打ち直された大盾が、空気の抵抗を紙のように引き裂く。だが、

 ぶん!

 空振り。

 恐るべし、ミーマすら直撃を食らったウォードの必殺技を、一ノ鐘ファーストリンガーが完全回避した。なにをどうやったのか、突っ込んできたはずの身体が完全に射程外に逃げ、剣と腕も、遥か上空へと逃げ延びている。

 まさに人外の反射神経と技量。そして余裕の笑い。

 「んっふ……?!」

 だが、その余裕も一瞬。振り抜かれたウォードの大盾、その向こうに光。

 尻尾をくわえた、純白のユキヒョウ。

 「ファースト!!」

 一ノ鐘ファーストリンガーの目には、まるでウォードの体内からミーマが出現した、そんな風にさえ見えただろう。ウォードの大技はフェイント、本命はその盾の後ろから出現する、ミーマの奇襲攻撃だ。

 『処女おとめ構え』をとったウォードの後ろに、一ノ鐘ファーストリンガーからは死角となるようにスタンバイ。ウォードが『両刃打モロハウち』を放つと同時に踏み込み、攻撃する。

 時間差ゼロの二段攻撃。

 ウォードのぶ太っい太腿を思い切り蹴って、ミーマが跳ぶ。超至近距離からの飛び込み撃ちだ。

 「み、ミーマぁ!!」

 さすがの一ノ鐘ファーストリンガーも、その名を正確に呼ぶ暇はなかった。ミーマさえ初めて見る、鬼の形相。

 ざくん!!

 ミーマの剣が初めて、一ノ鐘ファーストリンガーの肉をえぐった。腰から脇腹。そして回復剤を入れたバッグのベルトをぶち切る。

 「ぎい!!」

 他人に斬られるなど、しかもこれほどの深手を負わされるなど、人生で初めてだろう。ミーマですら、ウォードという稀有のパートナーを得、徹底的にコンビネーションを磨いて、初めてなし得た。

 血が舞う。一ノ鐘ファーストリンガーの血だ。

 「ホぅ!!」

 間髪入れず、ウォードの戦斧が叩き込まれる。だが。やはり恐るべきは一ノ鐘ファーストリンガー

 「がぁっ!!」

 片足だけで後ろへジャンプ。すかさずミーマが追う。敵は深手、回復の手段もない。

 今しかない。

 「ガラルー! こいつらを殺しなさい!」

 一ノ鐘ファーストリンガーが叫び、そして械殻カイガラの骨に取り付くと、後様うしろざまに、その背に飛び乗った。

 「誰か、薬を!」

 一ノ鐘ファーストリンガーが、周囲の鐘撞リンガーに要求する。どこからか、回復剤のバッグが投げられる。しかし、

 「ざまあ!」

 がしゃん! ウォードの大盾が叩き落とす。そしてミーマも械殻カイガラの上へ。

 「マヒトを返せ、ファースト!」

 ふたたび投げられる回復剤。しかし、いかに一ノ鐘ファーストリンガーといえども、マヒトを抱き、しかも恐るべき気迫で襲いかかるミーマの剣をさばきながら、それを受け取ることはできない。

 無情、回復剤の束はがちゃ、がちゃと、虚しく地面に落ちる。

 「ちっ!」

 ならばとミーマに向き直る。

 「やってくれるわね、ミーマァィイ!」

 「なんでもいい、マヒトを返せ!」

 びゅん!!!

 ミーマの剣。械殻カイガラの背中、骨だらけのむちゃくちゃな足場で、しかし恐るべき威力で叩き込まれる。

 ぎん!!!

 斜めの受けでいなそうとした一ノ鐘ファーストリンガーの剣が、ハンマーでぶっ叩かれたようにはじけ飛ぶ。そこへミーマの剣閃!

 「なっ!?」

 ぎゃん!!

 一ノ鐘ファーストリンガーが手首を返し、すばやく鍔の受けに切り替える。ミーマの剣が重い。スピードは以前と変わらないが、受けに回ると衝撃が重く、こちらの次の動作が一瞬、遅れてしまう。

 ぞ……

 一ノ鐘ファーストリンガーの背筋に、生まれて2度めの戦慄が疾走はしった。一度目は兄である長男王に、自分の異常性を見抜かれた時。

 そして今、目の前のミーマの剣に。

 ぎん! ぎゃあん!!

 一ノ鐘ファーストリンガーは初めて、自慢の速度を受けに回し、防御に専念せざるを得なくなる。腰と脇腹の傷も浅くない。流れ出る血が、さしもの彼女を追い込んでいく。

 「ガラルー!」

 一ノ鐘ファーストリンガーが叫ぶ。この女が、こうも何度も他人の助けを求めるとは。

 ぐわ、と械殻カイガラの巨体が動き出す。だが様子がおかしい。その巨体はミーマにも、まだ地上にいるウォードにも向かず、一直線に神殿の外へと移動を開始したではないか。

 「ガラルー!? どうしたというの!? 退……っ!」

 暗示の言葉。そうはさせじと、ミーマが襲う。

 ぎゃん、ぎじん!!

 一ノ鐘ファーストリンガーが編み出した剣はつねに一撃必殺、一襲一撃。『鍔迫り合い』などという鈍重で醜い真似はしない。だがミーマの猛襲の前に、剣が鍔に粘る局面が増えていく。

 「ガラルー!!」

 一ノ鐘ファーストリンガーの叫びも虚しく、械殻カイガラの巨体が森の中へ。

 「逃がすかぁ!!」

 ウォードが、まるで走るダンプカーにでも齧りつくように、械殻カイガラの頭骨に両手でしがみつく。械殻カイガラは振り落とそうと藻掻もがくが、ゴリラのカラはするすると、まるで蜘蛛のように頭骨の真下に移動し、そして目的の物を見つけ出す。

 (アレだ!)

 頭骨の顎の下。わずかに骨が砕け、中身の青黒が覗いている。

 大盾の内側に仕込んだ手鉤てかぎ、それをがっき、と骨の割れ目に噛み込ませた。

 「逃がすかあ!!」

 この島に一緒にやってきた100のカラ、彼らが残した武具を素人仕事でひん曲げた、手製にもほどがある鈎だ。本来は大木の上を移動する補助として作ったものだが、こうして使うと蛻殻ヌケガラの割れ目にぴったりとフィットする。

 「ウホォおおお!!」

 左手の手鈎で身体を固定、右手の戦斧を骨にぶち込む。割れるのは経験上、知っている。問題は、割ってどうなるか。こいつがそれで止まるのか。

 だが、もはやウォードに迷いはない。

 がきん!! がきん!!

 愛用の分厚い戦斧を叩きつけ、不気味な白い骨を砕いていく。

 ずがががが!!!!!

 ウォードとミーマ、そしてマヒトを抱えた一ノ鐘ファーストリンガーを乗せたまま、械殻カイガラは森の斜面を疾走していく。青黒い粘液を筋肉代わりにぐねぐねと動かし、骨をガラガラと軋ませ、やぶをなぎ倒して突き進む。

 一ノ鐘ファーストリンガーが率いてきた鐘撞リンガーたちは、もはや1人としてついて来られない。

 「んんー!!」

 「ぎいー!!」

 械殻カイガラの背中のミーマと一ノ鐘ファーストリンガーは、振り落とされないようしゃがみ込み、骨にしがみついて片手だけを伸ばし、剣をぶつけ合う。それが精一杯。

 落ちたほうが負ける。

 ざん!!

 とうとう森が切れ、械殻カイガラが砂浜へと躍り出た。そこで、

 ずざあ!

 械殻カイガラが止まった。一ノ鐘ファーストリンガーが、一瞬遅れてミーマが立ち上がると、

 「……勝負!」

 ミーマが、。左右、二刀。島で倒れたカラの遺品を、ウォードが石で研いで細身に磨り直したものだ。ゆえに形も色もガタガタだが、切っ先だけは十分に鋭い。

 「はあ?」

 この局面でなお、一ノ鐘ファーストリンガーは馬鹿にしたような視線をミーマに向けてきた。そして師匠よろしく、

 「そんな何の意味もないこと、教えたおぼえはないわ。やめなさい、ミーマァィイ」

 「ファースト、貴女」

 一ノ鐘ファーストリンガーの言葉が終わる前に、ミーマが食い気味に言葉をかぶせる。

 「貴女、

 言い終わるのと同時。ミーマの突き。

 左手!

 「なに?!」

 ぎゃん!! 弾いて、反撃。だが、

 ふっ!

 一ノ鐘ファーストリンガーの剣が《空振り》する。そこにミーマはいない。

 見たこともない足さばきから、身体をくるり、と旋回させたミーマは、一瞬で立ち位置をずらし、左右逆の構えで、また突き!

 ざん!

 一ノ鐘ファーストリンガーの肘が裂かれる。致命傷ではない。しかし、

 「そんな……!」

 精神的なショックが大きい。彼女の理念に、二刀などない。重さが増し、スピードも間合いも落ちるだけだ。なのに。

 「貴女、、とでも言うの?!」

 一ノ鐘ファーストリンガーの叫びに、

 「さあ? どうだったかしら?」

 ミーマの笑いこそ不敵。そして、2本の剣が旋風と化す。右と左、左、また右。ミーマの剣は速く、そして重い。

 (傷と、この『神の子』さえなければ!!)

 一ノ鐘ファーストリンガーは歯噛みするが、こんな足場の悪い骨の上でマヒトを抱き、しかも腰に傷を負っていては、自慢のスピードも半減以下だ。

 しかもミーマの新剣法、侮れない。

 ぎゃん、ぎゃり、り、り!!

 ミーマが押し込む。

 一ノ鐘ファーストリンガーの唇に血がにじむ。剣で押し込まれ、悔しさに唇を噛み切るなど、まさに生まれて初めての経験だ。

 「ミーマァィイ! だけどそれは、お前の剣じゃないわ!!」

 突然、叫び出す。

 「もっと身体が大きく、パワーのある者の……そうだ! 見える……私には!が! おお……見える!」

 この女、この期に及んでなお、みずからの知的欲求が勝つらしい。

 まさに異常者。

 

 だが余談。この一ノ鐘ファーストリンガーの言葉は、後に現実となる。ミーマが生み出した双剣術は、やがて彼女以外の猫殻ネコガラに受け継がれ、完成されることになるのだ。

 ただしそれは先のこと。

 まだこの世界にカラを得ていない、の出現を待たねばならない。


 ぎゃん!!

 一ノ鐘ファーストリンガーが、渾身の力でミーマの剣を弾き、おそらくは最後の跳躍力を使って械殻カイガラの尾に逃げる。むろん、逃さじとミーマが追う。

 「来るな! 『神の子』を殺す!」

 剣をマヒトの喉に突きつける。マヒトはもう、泣いてもいない。一ノ鐘ファーストリンガーの胸に押し付けられ、表情のない目でひく、ひくとしゃくりあげるだけ。裸のまま早春の島を連れ回された。低体温、もはや危険な状態といっていい。

 「マヒト……」

 ミーマが止まる。だが目は燃えている。あの一ノ鐘ファーストリンガーなど、いよいよ進退窮まっている証拠だ。

 「貴女こそ諦めなさい、ファースト。もう逃げられない」

 じり、と迫る。

 だが一ノ鐘ファーストリンガー、薄く笑って剣を引き、自分の血をべたべたとマヒトの身体になすりつける。血は汚染の元、感染が心配だ。しかもこの女、

 「やめろ!」

 「剣を捨てなさい、ミーマァィイ!」

 ぐっ、とミーマが詰まる。ここは戦場。正しいかどうかは置いておいて、甘いヤツが負ける。だがミーマは。

 ミーマは。

 「マヒトを放して……」

 双剣を下げ、握りをゆるめる。

 にやり、と一ノ鐘ファーストリンガー。優位が入れ替わった。

 「剣を捨てなさい。そうしたら、まあ考えてあげてもいいわ」

 だがその時だ。

 「そりゃこっちの台詞だぜ、ババア」

 ウォードの声。

 そして一ノ鐘ファーストリンガーの目の前に、なんと千切れたカラの両腕がずどん、と落下してきた。

 血まみれの、猫殻ネコガラの腕。

 獅子の腕。

 「……! ガラルー!?」

 一ノ鐘ファーストリンガーが目を剥く。

 「悪りぃね。蛻殻ヌケガラから引っ張り出すのに、腕が突っかえちまったんでよ。なに、薬飲ませりゃ治るさ……今すぐならな」

 よいしょ、と械殻カイガラの上に登ってきたウォード。左手に大盾、頭に鹿。そして右手に、猫殻ネコガラの法王を、片足を掴んでぶら下げている。その身体に両腕はなく、血がとめどなく流れるのみ。

 「早くしねえと、死ぬぜ。あと蛻殻ヌケガラん中で、頭、おかしくなってるみてえだ」

 ウォードの言葉に感情はない。敵にはとことん非情。

 械殻カイガラの顎の下を砕き、青黒の粘液を露わにさせた時、中に何かいると感じた。意を決して手を突っ込んでみたら、

 「コレが引っかかってよ」

 だ。ウォードが鹿と一緒に、頭からかぶる。が、頭のサイズがデカすぎて、おでこに引っかかって止まる。

 「で、引っ張ってみたら、コイツが出てきたってワケさ」

 そして械殻カイガラも止まった。法王が引っ張り出されて魂がなくなった、そういうことか。

 「どうする? 時間ねえぞ」

 ウォードが、腕のない法王を片手で持ち上げる。決して軽くはなかろうに、さすがゴリラ、凄まじい腕力だ。

 断っておくが、ウォードに取り引きする気など1ミリもない。マヒトさえ取り戻せば次の瞬間、誰だろうが皆殺しだ。

 そしてそれは一ノ鐘ファーストリンガーだって同じである。

 「……わかった。『神の子』は返す」

 一ノ鐘ファーストリンガーがつぶやく。その表情は? 悔しさ? 怒り? いや。

 だ。

 「ほぉら!」

 ひゅん、と一ノ鐘ファーストリンガーの腕が動き、マヒトの身体が宙に投げ上げられる。

 「?!」

 はっ、と、ミーマの身体が泳ぐ。瞬間、一ノ鐘ファーストリンガーの剣が起動。

 「ミーマ!」

 だがウォードが読んでいた。ミーマの身体を、ウォードの大盾が突き飛ばす。蛻殻ヌケガラの背中からは落下するが、ミーマは猫殻ネコガラ、しかも下は砂だ。

 一方のウォードは、投げられたマヒトから目を離さない。剣を構えた一ノ鐘ファーストリンガーが迫る。だが、

 (斬るなら斬れ!)

 マヒトを無事に取り戻す。今の彼にはそれしかない。たとえ刺されようが、即死でさえなければマヒトを受け止める。即座に回復剤を飲み、一ノ鐘ファーストリンガーを倒す。シナリオに変更はない。

 だが。

 ぶぅん!!

 予想外、蛻殻ヌケガラが動いた。宙を舞うマヒトに向け、その巨大な頭骨を振り立てる。

 「しまっ……!」

 ばくん!!

 マヒトが喰われた。

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