20/23.復活

 (ととさま……!)

 ルールーの声は、間違いなく幻聴だろう。

 だがウォードは目をさました。そして同時に、自分が激怒しているのを自覚する。意識もないまま、ありとあらゆる激情に身をさいなまれていたのだ。

 

 ああああああ!!! あああああ!!!


 マヒトが泣いている声がする。もうそれだけで、ウォードの中にあるすべてのスイッチがオンに、そして全開になる理由として十分だ。

 両側に見張りの鐘撞リンガー。覚醒に気づかれないよう注意しながら、周囲を確認する。

 場所は、あの環状列石。その石柱の根本に座らされ、上半身を鎖でくくり付けられている。体中が傷だらけなのは、ここまで地面を引きずられたらしい。幸い深い傷はないが、自慢の白銀担ぎシルバーバックからなにから、まさにズダボロの有り様。

 だが、ウォード自身の傷などどうでもいい。

 環状列石の中心、蛻殻ヌケガラを呼ぶという祭壇の前にマヒトが、そしてミーマがいる。

 ああああああ!!! あああああ!!!!!!

 背負い籠も、産着も剥ぎ取られて泣き叫ぶマヒトを、一ノ鐘ファーストリンガーが抱きかかえ、その足元にミーマが転がされている。そして、

 「やめろ! その子に触れるな! マヒトに、私の子供に、その薄汚い手を触れるな!! 許さない! が許さない!!」

 叫んでいる。ずっと叫んでいたのだろう、もはや声も枯れ、喉からか、あるいは噛み切った唇からか分からない血が、地面に転々と垂れ落ちている。

 「殺す! 必ず殺してやる! ファースト! 私のチーシェルを殺した! 二度も殺した!! が、お前を許さない!! 」

 だが当然、一ノ鐘ファーストリンガーにとってミーマの叫びなど、心地よいBGMのひとつに過ぎない。薄笑い、いや、いっそ性的快楽すら感じていると見られかねない、恍惚の表情。

 一ノ鐘ファーストリンガーの側に立っている、やたら大きな猫殻ネコガラは、獅子の法王だろう。なるほど、使でもなければ笑われそうな背の高い冠を被り、馬鹿でかい、顔が映りそうなほどの宝石をはめ込んだ首飾りを下げている。

 泣き叫ぶマヒトを、恍惚の薄ら笑いで見つめているのは同じ。

 「姉上、本当に大丈夫なのだな? これでうまくいくのだな?」

 「もちろんよ、ガララグルルラ」

 一ノ鐘ファーストリンガーの声は、文字通りの『猫なで声』。

 「蛻殻ヌケガラの力を貴方が手に入れれば、もはや猫目紋ネコメモンの掟も、渦潮紋ウズシオモンでさえ敵ではない。もっとも、宗主のクジラはもう始末してしまったけれど」

 含み笑い。ミーマの尻にモンを入れたことも、外法に手を染めたこともなにもかも、これで帳消しにする気だ。

 (……そうは問屋が卸ろさねえぞ)

 ウォードは、むしろ安心している。自分が起きるまでに、すべてが終わっている、という最悪の事態は避けられた。

 ミーマのお陰だ。

 マヒトの泣き声とミーマの叫び、そして『ととさま』の言葉が、ウォードをギリギリ間に合わせてくれた。『ウォード』と呼ばず、『ととさま』と呼ぶのが、いかにも彼女らしいではないか。

 戦人イクサビトの習性で、自分の武器の在り処を確認。彼の大盾と戦斧、そして胸甲がまとめて環状列石の側に放り出されている。

 (甘い連中だぜ)

 これが渦潮紋ウズシオモンなら、捕虜の武器は必ず破壊して遺棄する。そして四肢の関節を叩き折り、物理的に動けなくする。逆にである鐘撞リンガーは、殺しや拷問こそ上手でも、こういう鉄火場に出た経験は少ないのか。

 あああああ!!! ああああああ!!!

 マヒトが、地面に転がされたに両手を延ばす。

 「マヒト!! マヒト!!!返せ!私の子だ! もうお前には奪わせない!!」

 ミーマが叫ぶ。その目の涙は本物だ。しかしどうすることもできない。彼女にはどうすることもできない。

 (……待ってろ、いま行く!)

 ウォードの全身に熱が満ちる。だが両脇の見張りは抜刀している。覚醒が気付かれれば、その瞬間に殺されるだろう。

 一瞬で決めねばならない。その隙があるとすれば、ただ一度。

 その一瞬にすべてを賭ける。生命も、なにもかも捨てて、そのすべてをの上へと叩きつける。

 「さあ『神の子』よ、蛻殻ヌケガラを、神を呼ぶのです!」

 一ノ鐘ファーストリンガーが、裸のマヒトを祭壇の上に捧げた。

 ああああ!! あああ!

 マヒトの泣き声が、いっそ弱くなる。それが気に入らなかったのか、一ノ鐘ファーストリンガーがマヒトの首に爪を立てる。

 (やめろ!!)

 「やめろ!!」

 ウォードの心に、ミーマの叫びが重なる。

 ああああああああああああ!!!!!

 火が着いたようなマヒトの泣き声が、偽りの神殿に響き渡る。

 ずぶり。ウォードの尻の下に、異様な感覚。

 (来たぁ!)

 あの青黒い粘液が、地面から湧き出してくる。

 「にゃ……っ?!」

 環状列石の中に展開していた鐘撞リンガーたちが、一斉に動揺する。瞬間、声の限りにウォードが叫ぶ。

 「逃げろぉ!! 毒だぁあ!!」

 、だ。しかしタイミングは完璧。ウォードの両側にいた鐘撞リンガーが、とっさの判断で森へ退避する。未知の危険に対し、その反応は正しい。

 ウォードに与えられた一瞬。そしてすべて。

 (行っけえ!!)

 両足に渾身の力。縛られた身体を、鎖ごとズリ上げて立ち上がる。背中の擦り傷に気絶しそうな傷みが走るが、無視。

 「ホぅおおおお!!」

 さらに全力。両足の力だけで、列石を構成する石の柱を押す。しかし石柱の太さは一抱え以上、高さも5メートルはある巨石を、いくらウォードの怪力でも動かせるのか。

 ぐらり。

 動いた。大人が大人数で徒党を組み、ようやく動かせるような巨石が、ウォードの2本の足、それだけで動揺する。

 (くが渦守ウズモリめてんじゃねえ!)

 ウォードが心で、自分を鼓舞する。

 渦潮紋ウズシオモンの陸戦部隊、その若き将であるウォードとって、『』はお手の物だ。敵の侵入を阻むよう、巨石を強固に組み上げた城壁に比べれば、など鎧袖一触。

 といっても十二分。冬の間で、すべての柱の根本に太い木のくさびを打ち込み、いつでも壊せるよう細工しておいた。雨や風では壊れないが、大猿ウォード・ゴリラのカラが持つ怪力を持ってすれば、この通り

 じわじわと、足元の青黒沼が深さを増す。そして、

 ぞ!

 沼の中心から、《ヤツ》が来る。

 「ひい……!」

 ウォードのにも気づかず、見張りの鐘撞リンガーたちが喉の奥に悲鳴をこびりつかせる。当然だ。

 巨大な蛇じみた頭骨、禍々しい牙。手も足もない、じゃらじゃら骨だけの長い胴体。まさに悪夢そのものの形を体現した亡殻ナキガラが、ふたたび神殿へと姿を現したのだ。

 (よう、半年ぶり)

 ウォードが心で挨拶。だが、今、この刹那せつなだけは味方だ。すべての視線が、亡殻ナキガラへと集中する。

 「!!!」

 最後のひと押し。

 ぐら……ぁぁあああ、どずぅんん!!!!

 ウォードが縛られていた柱が後様うしろざまに、外へ向けて倒れた。上に積み上げてあった横石も落下し、見張りの1人が下敷きになる。

 「ひ?!」

 残った1人がウォードへ剣を向けるが、時既に遅し。倒れた柱の根元へ、鎖ごとずり下がったウォードが、ついに拘束を抜け出す。手には、おのれを縛っていた鎖。

 「ホぉ!」

 ウォードの怪力でぶぉん!と振られた鎖が、撃ち込まれる鐘撞リンガーの剣を、その腕ごと巻き込む。

 べしん!

 「にギッ!?」

 鐘撞リンガーの剣が弾け飛び、肘の関節が《逆くの字》にへし折れた。そして次の瞬間には、ウォードの太い腕が鐘撞リンガーの胴体に巻きつき、そして締め上げる。相撲でいう『鯖折さばおり』だ。

 ぶし。

 さしも柔軟な猫殻ネコガラの身体が、腰の関節から割り箸でも折るようにし折られ、声も出せずに絶命する。

 (一丁あがり!)

 ウォードは素早く鐘撞リンガー亡殻ナキガラを剥ぎ、回復剤のたばを入手する。亡殻ナキガラを放り出して回復剤を1本あおり、恐ろしい勢いで武器を身に着ける。大盾に刺さった矢を斬り落とし、一緒にあったミーマのも拾う。

 ウォードたちを甘く見たのだろうが、それにしてもほとほと管理が甘い。ウォードにしてみれば、

 (ほとんどだぜ!)

 敵もようやくこちらに気付いた。だが膝までの青黒沼に、暴れる触手群。そして目の前に迫る蛻殻ヌケガラ。混沌の中、さすがの鐘撞リンガーたちも統制を乱している。

 その中を、ウォードは疾走はしった。は一度経験済み。

 「どけや、うぉらあああ!!!」

 自分を縛っていた鎖の先に、愛用の鍋底兜をくくり付け、即席の分銅にしてぶぉん、ぶぉん、と振り回す。大雑把極まりない武器だが、そこはゴリラのパワー、当たればでは済まない。鐘撞リンガーたちが一斉に回避。

 「猿を! 近づかせるな!」

 一ノ鐘ファーストリンガーは、さすがにウォードに構わない。そちらは部下に任せ、祭壇の上で泣くマヒトを再び抱き上げる。

 蛻殻ヌケガラが魂に、マヒトを取り込もうと迫ってくる。

 「さあ、ガララグルルラ。神を我が手に!」

 「ま、待ってくれ姉上!? あ、というのか!?」

 法王が動揺する。当たり前だ。聞いていた敵方のウォードでさえ、

 (マジかよ!?)

 目を剥いたぐらいだ。蛻殻ヌケガラの力を奪うといって、その手段が『魂の代わりに自分が喰われろ』とは乱暴にもほどがある。だが一ノ鐘ファーストリンガーの表情は恍惚を極め、もはや弟の言葉さえろくに聞いていない。

 「い、いやだ! 余はそのようなこと……?!」

 百獣の王のカラが、青くなってガタガタと震える。と、一ノ鐘ファーストリンガーがそんな弟に、黙って、つ、と指を伸ばし、そのままくい、と首の1点をひねった。

 ふら、と獅子のカラの身体から力が抜ける。一ノ鐘ファーストリンガーはさらに、その耳に唇を寄せ、

 「退

 なにかの暗示か。法王の目から光が消える。瞬間、

 ごう

 蛻殻ヌケガラの巨大な口が、マヒトを抱いた一ノ鐘ファーストリンガーへ殺到する。

 「!」

 一ノ鐘ファーストリンガーが神速の足さばきで、自分と法王の位置を入れ替えた。足元は膝までの青黒沼。ミーマでさえ疾走はしるのに手間取ったその場所で、なにもなかったように神技を披露する。

 やはりだ。

 ばつん!!

 大柄な法王の身体が、蛻殻ヌケガラの身体に一飲みにされる。馬鹿みたいに背の高い冠が宙を舞い、ウォードの目の前に落下。

 「野郎!!」

 怒りに任せ、冠を拾って頭に押し込む。素晴らしく芸術的な細工が施された鹿が、ウォードの頭の形にミシミシと歪む。

 鐘撞リンガーたちを突っ切ったウォードが、片手で鎖を振り回しながら、もう片方の腕を青黒沼に突っ込む。

 「ミーマ!!」

 ざば、と底から引きずり上げたのはミーマ。縛られた鎖を、力任せに引きほどく。

 「……ぐ、げほ!」

 息はある。回復剤、そして手に剣を握らせる。なにより彼女には、これが最高の

 じゃらん! ついに鎖の先が、敵の剣に絡め取られる。ウォードは躊躇なく鎖を捨てて大盾と戦斧、いつもの蛮族拵えバーバリアンスタイルに戻った。ただし頭だけは兜ではなく、鹿

 「やい化け猫!! マヒト返せや!」

 凄まじい気合で怒鳴りつける。真っ黒なゴリラの瞳が闇色の炎と燃え上がり、全身の汗が蒸気となって、たくましい背中の上に雲を呼ぶ。

 「返せ、っってんだ! 聞こえねえのかババア!!」

 狂ったような銅鑼声。旧式の蛮族拵えバーバリアンスタイルにそれは、まさに狂戦士そのもの。だが一ノ鐘ファーストリンガーは一顧だにせず、

 「なにをしてるの、早く片付けて」

 相変わらず、ねやがるような声で指示を出し、マヒトを抱いたまま蛻殻ヌケガラに向かう。

 驚いたことに、あれほど荒れ狂っていた蛻殻ヌケガラが、今は静かに佇んでいるではないか。一ノ鐘ファーストリンガーは、その禍々しい頭蓋骨に、つ、と口を寄せると、

 「……退。……頭を下げなさい、ガララグルルラ」

 あの暗示。こうして弟である法王を、意のままに操り続けてきたのか。

 加えて驚くべし。すう、と、その巨大な頭を下げたではないか。

 「は……はは、あはははっははは!!!!!」

 一ノ鐘ファーストリンガーの哄笑が吹き上がる。

 「ついに、ついに神が!!」

 ぶしゃっ、と、一ノ鐘ファーストリンガーの股間が濡れる。歓喜のあまり失禁した。

 「あはは、あははははは!!!!」

 あまりの狂態、そして蛻殻ヌケガラを含めたすべての異様な出来事に、鐘撞リンガーたちでさえ呆然と行動を止める。

 青黒い粘液で充填された蛻殻ヌケガラ、いや、今や魂を得た『械殻カイガラ』の目に、文字のようなものが走るのを、ミーマは見た。

 古殻コカラ文字。

 

 Exoskeleton・Blue-black

 『蒼蟲アオムシ


 それは確かにそう読めた。

 「なに笑ってやがんだクソババア!!」

 ウォードが怒鳴る。怒鳴りながら、しかし目で微妙な合図をミーマに送ってくる。がさつな外見と裏腹の、氷のような冷静さ。この男は生まれながらの戦人イクサビトだ。

 (行くぞ)

 ずん、とウォードが出る。そのままずんずん、と一ノ鐘ファーストリンガーへ向かう。

 構えはご存知『処女おとめの構え』。

 「ウォード、だめ!!」

 ミーマが、本気にしか聴こえない声で叫ぶ。それも『お約束』。

 旧式装備に旧式の構え、そして鹿。それを一ノ鐘ファーストリンガーがどう見たか。

 「んっふ」

 片手にマヒトを抱えたまま、剣を抜く。ひゅん、と一振りして構え。

 その姿こそは。

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