第14話 井岡リツ(ド・サド)

 関わり合いになりたくない。


「そーゆー趣味を理解してくれる恋人が現れるといーね。んん、わたしは遠くで応援してるから……頑張って、じゃーね」


 言いながら、階段を戻ろうとする。


「リツ、サドだろ?」


 だが、パッと伸びてきた野球部の手が、わたしの手首を掴んでいた。素早い。そしてこっちの性的嗜好を言い当てた風の発言だ。


「はなして」


 ゾゾゾっとした。


「そ、その目だ。へ、へへ」


 タケシが嬉しそうに笑っている。


 悦んでる。わたしに見られるだけで、見下されているだけで、ズボンを膨らませて、気持ち悪いぐらいに顔が緩んでいる。ずっと、小五の夏をオカズにしてきたという言葉がリフレイン。


 ずっと?


「……タケシ、カノジョいたじゃん。ほら、中学のときに、告白されて付き合った、あの子は」


「物足りなかった」


 手首を握る力が強くなる。


「おれには良い子すぎた。優しくされても励まされても、まったく響かねぇんだ。わかるだろ? リツならさ。わかるはずなんだ」


「わかんないよ」


 わかりたくもなかった。


「おれのチンコを見て、リツ、なんて言ったか覚えてるか? ケッサクだぜ? ほんと」


 けれど、タケシはわたしの反応にさらに興奮するみたいで身体を引き寄せ、囁くように思い出話をしようとする。かなり気持ち悪い。


「覚えてるわけないじゃん」


 見たことすら忘れてた。


「ウミウシみたい、って言ったんだぜ?」


「そ、そーなんだ?」


 傑作?


「笑えるだろ? それで、おれは海でウミウシをみる度に、リツはオレのチンコを思い出すんだろうと変な気分になってた。よくわかってなかったんだよな。その気分がどういうことか」


「人、呼ぶよ?」


 わたしは言う。


 聞いてられなかった。


「バラすぞ?」


 だが、タケシは怯むことなく言う。


「はい?」


「リツが御子柴のこと好きでもないこと」


「あのね、わたしたち昨日……」


「処女をくれてやったのかよ」


「! タケシに言うことじゃ」


「センのことが好きなんだろ?」


「!?」


 言い合いがヒートアップしそうなところで、思い切り水をぶっかけられた。わたしは言い返す言葉を失って、タケシを睨みつけてしまう。簡単なはずだった。おにいがわたしを好きなだけで、わたしはおにいのこと。


 別になんとも。


「双子の兄妹だもんな、二人ともおかしくなる」


「わたしはおかしくない」


 ただのサド。


 ぜんぜん、フツー。


「そうか? おれの目を見ろよ」


「うるさいっ!」


 わたしは捕まれていない方の手でタケシを殴ってしまう。拳が顔に入る瞬間、幼なじみは気持ち悪いほどに笑っていた。しまったと思う。手なんか出しても、こいつにはご褒美だ。


「ひっ」


 男の腰が、ビクンと跳ねた。


「へ、変態っ!」


「やっぱ、おれにはリツしかいねぇ。付き合ってくれよ。同性愛なんてガラじゃねぇだろ?」


「なに言ってんの! この状況で!」


 気持ち悪い。本当に。


 でも、なんでか、わたしも気持ちよくなっていた。こんなに気持ち悪くて殴りやすい相手、たぶん他にいない。頭の奥の方でそう確信してる。おかーさんとおとーさんの姿が思い出される。


 ペニスバンドをこいつにぶち込みたい。


「罵られるだけで脳がとろけそう」


「!」


「だが、もっとだ。リツ、もっとできる女だろ? 思うままにおれに命令してくれ。どうすればいい? おれがどうすれば満足できる?」


 こいつ、ヤバい。


「わたしに、関わらないで」


「関わらないという命令に従えというならいいぜ? おれとリツは関わらないことを通じて、永遠に繋がるわけだ。プロポーズか?」


 タケシは自分で言いながら、自分で笑った。


「なに言ってんの?」


「関わったらどうするんだ?」


 目を輝かせて、わたしの質問に答えない。


「どうするって」


「関わるなって命令されてるのに、おれはたぶん我慢できなくてリツのところに行くぜ? 別の男でも女でもデートしてるそばまで見に行って……」


「なに言ってんの? やめてよ」


 ストーカーとか別の変態に変態してるし。


「やめて欲しかったら罰をくれるよな?」


「……!」


 もうダメ、逃げ出したい。


 わたしは手首を掴むタケシの手を抓ったが、目の前の男が待ってましたとばかりにじっと見つめてくるのでどうにもできない。マゾ強い。なんでもかんでも悦びに変えてくる。


 どうすればいいの。


 人を呼んでも、今のところ手首を握られてるだけ、これで騒いでもわたしがおかしいと思われるだけ、人前で思いっきりビンタしておいてそんな理由で被害者ぶっても無意味だから。


「手、はなして」


 わたしは言った。


「手をはなしなさい、って言ってくれ」


「な」


「今日はそれでいいから。な? それくらいいいだろ? 冷たく言ってくれ。おれのこと蔑みながら、その汚い手をはなしなさい、って」


 タケシはじわじわと顔を近づけてくる。


 さりげなく、要求内容をつり上げてるのがいやらしい。文字通りにいやらしい男だ。ああ、殴りたい。でも殴ったら悦ばせちゃう。


「く、食い下がりすぎっ」


 手も足も出せない。


「あーっ、やっぱリツはサドだなぁ」


 しかしどん引きするわたしに、さらに嬉しそうに言う。徐々に声のボリュームが上がってきて、もう下に聞こえるんじゃないかと不安になってくる。ヒロヒロとかミコシーとか様子見に来てないといいんだけど。


「は?」


 手も足も出さなくても。


 なにもしてないのにプレイしてるみたいな誤解されたら、状況がさらにややこしいことになる。なんとか早く、切り上げないと。


「おれが求めるとくれないんだろ? しまったー。さすがはド・サド、おれの想像の上を行く責めをやってくるぜぇぇえええ」


「ド・サド?」


 そこはドSって言えばいいじゃん!


「なぁ、リツ・ド・サド様」


「だれがリツ・ド・サド様!?」


「おれのこと嫌いか?」


「そんなの! 嫌いに決まってんじゃん! こんな気持ち悪い幼なじみ、大っ嫌……ィ!?」


 わたしは言いながら、目の前で崩れ落ちるタケシが満足げに笑って白目を剥くのを見た。階段に膝をついて後ろに仰け反って脱力する。


 手首を握る手の力が抜けた。


「やだっ」


 こいつ、イってる。


 そしてまんまと言うようにしむけられた。うっかりしてた。嫌いだなんて、悦ばせるだけだ。どうしたらいいんだろう。こんなのわたしがなにをやってもタケシにはサービスになる。最強だ。最強最悪だ。


「あ」


 階段を降りたところにおにいが立ってた。


「タケちゃん。なんだって?」


 表情が察していた。


「別に」


 心配してきれくれたの?


「なんでもない」


 わたしは甘えたことを口にしそうになるのを堪えた。周りに野次馬が集まってたから。ヒロヒロもミコシーもいた。すっかり注目の的みたいだった。モテ期って怖い。なにをやっても注目を集める。


 十分おかしいから注目されて当然?


「騒ぎばかり起こすな」


 横を通り過ぎるときに言われる。


「おにいには関係ない」


 思わずムッとして返してしまう。


 わたしが騒ぎを起こしてるの?


 教室に戻るとすぐ昼休みが終わってしまい、ヒロヒロとミコシーの険悪なムードは持ち越された。授業中には流石に蒸し返さない。腐っても進学校、放課後のミコシーはバイトなのでアピール合戦してる時間もないけど。


「また明日ですわ。リツさん」


「そんな顔しなくても、電話するからー」


「ええ」


 むしろチャンス。


 ここはわたしがヒロヒロと話をつけておこう。同じような争いを明日も繰り返す訳にはいかない。タケシも部活中、邪魔さえ入らなければ、ちゃんと話になるはず。


 昇降口でミコシーと別れてから、わたしは文芸部の部室に向かう。ヒロヒロはわたしに声もかけずに行ってしまった。色々と気に入らないのだろうけど、わたしとしては大事な友達だった。感謝もしてる。


 だから、ちゃんとお別れしたい。


 コツコツ。


 ノックをして、ドアを開ける。


「失礼しまーす。広瀬ヒロエさんはいらっしゃいますか? 少しお話ししたいことが……」


 部室に行くのははじめてだった。


 なんとなく入りづらいというか、本について語れることなんてないし、本を書くなんて考えたこともないからだ。ただ部員が三人いることはヒロヒロから聞いて知っている。


 三年の部長と、二年の先輩と、ヒロヒロ。


「あれ、お休み?」


 カーテンが引かれて、室内は真っ暗だった。


「緊張して損した……あ!?」


「」


 振り返ると、背の高い女子生徒がわたしをうつむくようにして見下ろしていた。スカートをわざと長くして履いてる、というヒロヒロの説明通りなら二年のセンパイ。前髪が長くて顔がよくわからないせいで、印象まで暗く見える。


「あの、広瀬さん、知りませんか?」


「……」


 カチャリ。


「え」


 カチャリ。


「……」


 片手にはめられた手錠に、背の高い人が自分の手を通す。なにをしているのかわからないが、なにかをされそうなことはよくわかった。北高の闇はわたしが思っているより深いらしい。

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