第12話 おにい(道徳的)
三限に体育があり、並んで走るわたしとミコシーに視線が集まる。関係があるのかないのかタケシは転んでいた。やっぱり生理だったらしい見学のヒロヒロはあまりこちらを見ない。
四限が芸術選択、わたしとヒロヒロは書道。ミコシーは音楽なので別教室、このチャンスにフォローしておきたいところだけど、私語にとても厳しい先生が担当なので難しい。
そして昼休み。
「わたし、先生に呼び出されてるから」
「そう」
ヒロヒロは無表情に答えた。
とりつく島もない。
「さ、先、食べててー」
わたしは言ってナルセンとの待ち合わせの教室に向かう。生徒が自由に動ける時間にムチャはしてこないだろうから、すぐ戻れるはず。
友達をなくしたくない。
それは本当の気持ちだ。真面目なヒロヒロからすれば、わたしの態度は軽率で軽薄で尻軽に見えるんだと思う。実際、尻は自分で思ってるより軽かった。付き合いを考えるには十分な理由にはなる。
これは失敗だったかな。
文芸部で書いてた小説も、オススメされた本もわりと奔放な恋愛だったと思うんだけど、フィクションとリアルはやっぱり違うんだろう。他人事なら楽しめるけど、関わりたくはない。それも妥当な考え方だ。
遅かれ早かれ疎遠になってたのだろうか。
残念だけど仕方がないのかもしれない。
波乱を求めるのはわたしの志向だ。こればかりは変えられない。離れていく人も出てくるのは当然なんだろう。ミコシーみたいに押しの強いタイプが近くにいれば、押し出されてしまうのも予想はできた。
クラスが同じだから、分けて付き合えるものでもないし、ヒロヒロが嫌がってるのを無理に付き合わせるなんてこともしたくない。できるだけ罪悪感を残さないように自然にフェードアウトしていくのがお互いのためかもしれなかった。
どっちにしても教師と付き合ったら同じか。
「……」
地学準備室。
慎重なナルセンが呼び出しに使うだけあって、昼休みの校舎でもほとんど人が近づいてない場所のようだった。日当たりも悪いし、ドアの小窓は黒く隠されてもいる。密会向きではある。
「失礼し……」
や……め。こんな……こと……。
ドアをノックしようとしたところで中から聞こえてきた声にわたしは息を飲む。男の甘い声だ。たぶんナルセン本人。どういうことだろう。あれだろうか、わたしが見せつけたから、逆に見せつけ返してきたとかだろうか。
本気を出せばこんなものだと。
ありえないとは言えない。ちゃんと反撃してくるのは精神が強いということでいいことだ。わたしからしても簡単に屈服する相手なんて波乱がない。だとしたらこっそり入って見せつけられるべきなんだろうな。
ドアの鍵はかかっていなかった。
「……」
周囲を確認して、音を立てないように素早く中に入る。断層の模型だとか、岩の標本だとか、ゴチャゴチャした片づいてない教材で埋もれて、入り口から部屋の奥までは見えなくなっている。舞台装置はバッチリ。
これもナルセンの計算の内だろう。
「いけな、イ……それ、いじょう……はぁ」
声がハッキリ聞こえる。
攻められてるっぽい。マゾだったのか。むしろマゾだからこそわたしの本質を見抜いていたのかもしれない。キスを求めてもしてこなかったのはその手の対応に慣れてないから? だとしたら反撃は変かな?
相手の女がわたしに攻撃しようとしてる?
それが筋としては一番通るかもしれない。マゾのナルセンと付き合ってたサドの女子生徒がいて、別れてたか、冷めてたかしてたけど、乗り換えようとしたからわたしへの牽制をかねて罰を与えてる。そういうプレイ。
いいな、それ。
プレイに利用されるのはしゃくだけど、趣味がいい。わたしが相手の立場ならやる。床を四つん這いで進みながら、わたしはその趣味のいい人と友達になれないか考える。経験豊富な人の話は聞いてみたい。
「おねが……い、だ。リツさ……ァ」
わたし?
なぜか名前を呼ばれて、物陰から様子を見ると、机に手をついたナルセンが背後からわたしに攻められていた。机の影で見えないけど、たぶん股間を握られている。ごそごそと揺れている。
おにい?
ドッペルゲンガーを疑うほどわたしはボヤッとはしてない。ほとんど見分けはつかないんだけど、ホームセンターでアルバイトしだしてから、おにいの手は少し男らしくなってる。ナルセンの顎を掴んでいる手。
「やめていーんですかー?」
おにいが口を開いた。
声真似してる!?
「こんなチュートハンパでいーんですかー?」
似てる。すっごい似てるけど。
わたしこんなにバカっぽくない!
「……!」
よっぽど立ち上がっておにいを止めようと思った。でも、わたしは結局、ナルセンが机に突っ伏してしまうまでその光景を見つめていた。ほんの数分、心臓の音が耳の奥で高鳴ってた。覗き見ってコーフンするんだ。
「ナルセン、いっぱいでたね?」
おにいがわたしの真似をして言う。ティッシュで手を拭いながら、その表情には暗い影が落ちてる。無理してる。わかってる。そうなんだ。もちろん男に目覚めた訳じゃないことは明らかだったから。
でも、そうせずにはいられない。
わたしは準備室を抜け出して、その先の階段でおにいを待つ。身体が熱かった。なんて言えばいいんだろう。どんな顔をすればいいんだろう。どうしてあげればいいんだろう。この不思議な関係を。
この気持ちを。
「リツ」
おにいはわたしの顔を見ると、ポケットに手を突っ込んだ。表情は険しい。自分からはなにも言いたくないという雰囲気だった。
「どーするの、これから?」
わたしは言う。
「別に」
そう言って、視線を逸らして歩き出す。
「オレはリツを守る、そう決めた」
「カッコ、よくないよ?」
わたしはその後を追いかけて言う。
「わかってる」
「わたしに守る価値なんてある?」
踊り場で正面に回り込む。
「オレは!」
おにいは声を荒らげそうになった。
階段に声が反響して、ゆっくりと息を吐いて、呼吸を整えた。気持ちを落ち着かせようとしてる。男に目覚めた訳でなくても、あんなことをしたら気分が高まるのは当然だ。人間の身体は、順応するようにできてる。
わたしだって女に目覚めた訳じゃない。
「オレの好きなリツを守りたい」
「自己満足だよ、それって」
わたしはゾクゾクしながら言う。
「わかってる。オレの好きなリツが、リツ本人の望むリツではないことはわかってる。双子だって高校にもなればまったく別の考えを持つようにだってなる。でも、だからって見過ごせない」
苦しそうにおにいは答える。
「だったら、あんなことしないで、ナルセンを告発すればいーのに。手っ取り早いよ。悪い先生じゃないから、残念なことだけどねー」
「別の男に乗り換えるだけだろ?」
おにいはわたしを睨む。
「それなら、まだ目の届く範囲にしておきたい」
流石に賢い。
「ナルセン、カワイソー」
わたしは目を逸らして言う。
「レンちゃん傷つくぞ?」
おにいはしっかり釘を刺す。
サドとマゾ、わたしたちの嗜好は結局かみ合っているし、考えてることが逆でも似たようなものだ。双子だからなのか、両想いだからなのか、どちらにしても、巻き込まれる人は大迷惑。本当に、ごめんなさいだ。
「おにいの好きにすれば……」
わたしは言って、先に階段を下りる。
「……解決策はもーひとつしかないと思うけど?」
「そうだな。リツをまともにするしかない」
おにいは兄妹喧嘩のときの顔をする。
「それが兄としてのオレの責任だと思うよ」
「自分は女装してるのに?」
その物言いはちょっとカチンとくる。
「オレは道徳的だ。リツは不道徳だ」
だけど、おにいは言い切った。
「そーかなー?」
「すぐにわかるさ」
「そーかなー?」
たぶんおにいが男に目覚める方が早い。
わたしはそう思いながらも、ワクワクしていた。すっごかった。見ていただけでミコシーとしたときぐらいは気持ちよくなってる。わたしが波乱の道を突き進もうとすると、おにいまで一緒についてくる。
変態の血だよ、おにい。
どっちに引っ張られるかなんて考えるまでも。
「なんですの広瀬さん! あなた、リツさんのなんなんですの! ただのお友達にどうしてそこまで言われなければなりませんの!?」
「御子柴さんこそ! ただの肉体関係でリッちゃんのなにがわかったつもりなの! セックスフレンドに親友のなにがわかるの!?」
戻ると教室は騒然としていた。
二人の女がわたしの席で髪を掴み合っている。
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