第2話 おにい(木通蔓)

 一瞬の恋だった。


「よくわからないけど、おにいがそれで満足するならいーよ。女装してわたしになりきってオナニー? したらいーんじゃない?」


 わたしはそう言って部屋を出ようとする。


「律儀に宣言しなくていーから」


 外見がほぼ一緒だから気持ち悪いのは確かだけど、それはきっとお互い様だ。双子に生まれたら諦めるしかないことなんだ。


 腹いせに男の格好をしてナンパとかしよう。


 男をナンパしておにいのホモ疑惑を振りまくのだ。


「待ってくれ」


 おにいがわたしの手を掴んで引き留める。


「えっ?」


 まさか女装して押し倒すの?


 自分レイプ?


「明日から、これで学校に行こうと思う」


「うぇえ!?」


 泥水を飲んだみたいな声が出た。


 健気な妹演技が限界だった。


「高校入学から七ヶ月、バイトに励んで完全にリツと同じ持ち物はそろった。一体化をさらに推し進めるために外に出ようと思う」


 おにいはマジメな顔でいった。


 同じ顔じゃなかったらどのツラ下げて言ってるのか本当に疑うところだ。わたしの顔だからマジメ可愛いんだけど。


「露出プレイはやめてよ! わたしが変態みたいになっちゃう! 家の中で満足してよ!」


 わたしは手をふりほどいて言う。


「オナニーの話じゃない!」


 おにいは怒った。


「でもしてるんでしょ!」


 反論は許さない。


「…………してる」


 おにいはしゅんとなった。


 男なんて結局そういうことなんだ。


「してるんじゃん! あれなんでしょ、鏡の前でわたしの姿になってわたしにいやらしいポーズをさせる想像をしながら自分でポーズして、コーフンしてるんでしょ! 汚らわしいっ!」


「リツの頭の中の方が汚らわしいだろ!」


 おにいは涙目になっていた。


「じゃー違うの!?」


「う、ぬ……違わない」


 性格的にウソがつけないらしい。


 もう本当に泣きそうだ。


 おにいはしっかりしてるだけど、兄妹ケンカではわたしがほぼ勝っている。ケンカの必勝法は負けるケンカはしないということだ。逆に勝てると思ったら攻撃の手を緩めてはいけない。相手が弱みを見せたなら徹底的に攻め倒す。


 これでキミもケンカマスターだ!


「マジメな話とか言ってマジメに変態なんだから! 泣いたってダメだからね! どうせ好きなわたしに罵倒されてスカートの中はコーフン状態なんでしょ! ほらっ!」


 わたしはおにいを辱めるべく膝上十センチのスカートを摘んで持ち上げた。ケータイのカメラを準備しておくんだったと思いながら。


「あ、よせっ」


「……」


 わたしは硬直した。


 なんで同じパンツをはいてるの?


「おおお、お風呂のぞいたの!?」


 あとずさりして部屋のドアを背中にわたしは胸と股間を隠して言う。なんだか今更な気もするけど、おにいがそういう陰湿な性犯罪に手を染めているのが具体的になると怖くなってきた。


 そっくりでも男と女。


 もし暴力に訴えられたらあらがえない。


 兄妹ケンカの勝敗も手を出さないのが前提。


 禁断の恋はいーけど、陵辱は困る。


「ちが、違うっ! のぞいたりはしてないっ!」


 おにいはぶんぶんと首を振った。


「グーゼン? そんなの信じられないっ!」


 考えてみたら、同じ下着を持っているってことはわたしのクローゼットの中身を調べて入手してるってことで、ストーカーだ。生活範囲がほぼ一緒だから自然すぎる超ストーカー。


「落ち着け。声が大きい」


 おにいは下の階にいる両親と祖母を気にした。


「い、一度だけ下着の入った引き出しの並べ方をチェックした。それからは双子の勘でほぼ同じものを着けられるってだけだ。リツは整理整頓だけはきちんとしてるから」


 だけ、ってなに?


「ほぼ同じってどうやってわかるの?」


 ムッとしながら、わたしは追求する。


 家の中で盗撮されてたら間違いなく油断してパンツぐらいは見えてしまっている。おにいが女装オナニーをするのは勝手だけど、わたしの映像でオナニーするのはすっごく気持ち悪い。


 分別の問題だ。


「じょ、女装に使った服は自分で洗うしかない。大きいものはコインランドリーに行くんだが、下着は周囲の目もあるから、家で手洗いをして、こっそりリツのに混ぜて干してた」


「あっ。何度か下着が増えてたことがある」


 おにいの言葉にわたしは思い出す。


 うっかり自分で畳まず、おかーさんがやってくれたときとかにあった。これ二枚持ってたっけ、みたいな。もっと違和感を持つべきだった。


「早く気づいてれば……」


 おにいが手遅れにならずに。


「ま、オレももっと早く気づかれると思ってた」


「はぁ?」


 なにそのわたしが悪いみたいな言い方。


「そうじゃない。オレはリツのことをいつもずっと見てるのに、リツはオレのことに全然興味がないんだと寂しかったんだ……」


「キモい」


 おにいの発言を切り捨てる。


「うっ。うん。その通りだ。オレはキモい」


 肩を落としてウィッグを外す。


「お願いします。学校に、リツの姿で行かせてください」


「おにい」


 深々と頭を下げられて、わたしは戸惑う。


「ダメなんだ。オレはもう。こうしてリツの姿になって夜に自分を慰めるだけじゃ抑えられない。時々、怖くなるんだ。いつか襲ってしまうんじゃないかって」


 おにいは力なくフローリングにへたり込む。


「……」


 いっそ襲ってくれた方が面倒がない。


 わたしはそう思った。


 そこまで行ってしまえばおにいに対してこんな気持ちになることはないはずだ。二度と会わないと決断できるし、周りもそれを後押ししてくれるに違いない。


 双子だから辛い気持ちは伝染する。


「してみる?」


 わたしは言った。


「え?」


「してみたら落ち着くんじゃない? おにいは考え過ぎなんだよ。近親相姦だからダメとか、そんなのくっだらない。世界の歴史を見たら近親婚なんていくらでもあるよ?」


 おにいの正面に膝をついて、向かい合う。


「ハプスブルグ家とかはそれで滅んだとか言うけど、そんなの気にすることないし、どうせ日本の少子高齢化は止まんないんだから細かいことだよ。モラルなんてさー……」


 女の子座りをするおにいの手を握る。


 自分から誘うのはなんか違うけど、おにいは受精卵を分けた兄妹だ。自分から禁断の恋に踏み込んでもヘルマプロディートス。


「いーよ。たぶん、思ってるほど普通の女の子と変わらないと思うけど。はじめてがおにいなら、優しくしてくれるとわたしは信じてるから」


「ダメだっ!」


 どん。


 おにいはわたしを突き飛ばして部屋の隅へ。


「え、ええー?」


 なんで?


 女のわたしがこんなに迫ったのに?


「よせっ! やめてくれ! そんな風にされたらオレはおかしくなる! おかしくなるんだ!」


 おにいは頭を抱えて体を丸める。


「もう十分おかしいよ!?」


 女装して妹と一体化する兄の時点で。


「オレはリツの人生をぶち壊したくない! 大事にしたいんだ! 平穏で幸せな結婚をするのをみたい! 同じウェディングドレスを着たい!」


「え?」


 なに言ってるの。


「いや、その前にデートからだ。恋人ができて、変わっていくリツの気持ちを感じたい。悩んでファッションを決めて、何度目かな、五回目ぐらいのデートでそろそろと勝負下着に悩む。そんな気持ちの変化を感じたいんだ」


「ごめん。なに言ってるかわかんない」


 わたしは逃げだそうとする。


 双子なのにこんなに違うバケモノに育ってしまったおにい。もう妹の手には負えないので、両親を呼んでくるしかない。そしてどこかの学校の寮に放り込んで貰おう。これから五十年ぐらいは会わなくていい。


「メリットはある!」


 おにいは言った。


「……」


 すでに兄妹であることがデメリットですが?


「オレがリツの姿で生活すれば、オレの手柄はすべてリツの手柄だ。わかるだろう?」


 おにいはわたしを見つめていた。


「双子なのにずっとオレの方が出来が良くて、比較されて下げられてきたリツなら、このメリットがわかるはずだ。オレはすべてを捧げて、リツの姿で正しく生きる。だから」


「ううん、妹の女装の時点で正しくないから」


 拒否。


 ナチュラルに見下されてるし。


「それ以外は正しく!」


「……うーん」


 確かにそれは魅力的なメリットだった。


 おにいは成績優秀で、運動神経もあって、モテてきた。性別が違うからそこまで羨んでもこなかったけど、その力をわたしの姿で発揮すれば、必然的にわたしの印象は良くなる。


 女装兄を持った妹、という苦労は同情され、わたし自身もモテるかもしれない。それはつまり禁断の恋の可能性が増えるということだ。悪い虫を引き寄せるラフレシアのような効果。


 臭い部分はぜんぶおにいに任せられる。


「ふ」


 わたしはほくそ笑んだ。


 これは夢物語すぎる。


「おとーさんとおかーさんが許可したら、いーよ?」


「本当か!?」


 おにいは笑顔になった。


「うん」


 わたしは頷く。


 それこそ許可される訳ないから、この話はこれでおしまいになるだろう。それならそれで別に今までと変わらない。メリットは得られなくても、デメリットは特にない。おにいの部屋のものを全部捨てて、二度と口を利かないだけだ。

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