第3話 ちちはは(テンモモ)
「宿題写し終わっちゃったけどー?」
わたしは言った。
「待ってくれ、もうちょっと」
おにいはわたしと同じように勉強机に鏡を立ててメイクをしている。両親の許可を取るためにより見栄えのいい女装にしたいらしい。
ムダな努力だと思う。
それこそ体と心の性別が一致していないとか切実な理由があるなら話し合う余地はあるだろうけど、おにいの場合はおかしな変態性欲だ。そんなのどう説明したって叱られるだけ。
許される訳がない。
ローンが二十年残ってる我が家で両親がご近所の目を気にしない訳がなく、そしてご近所の噂は流行するインフルエンザより悪質に広まる。
中学の頃、一度、わたしが棒つきの飴をなめて近所を歩いてたら、タバコを吸ってたと学校で呼び出しを受けたことがある。誤解だと理解してもらうのにかなりの時間がかかった。PTAの有力者からの通報だったらしい。結局、わたしが日頃から綿密に記録していたお小遣い帳と照らし合わせて、タバコなど買えないと認めさせたのだが、ヒートアップしていた生活指導担当は言ったのだ。
『外で飴なんかしゃぶっているからこういうことになる。いずれお前は男のモノを外でしゃぶるようになるぞ。この売女が!』
録音していたのでこの先生は失職した。
「まだー?」
わたしは言う。
このままではおにいがメイクする間に何人かの先生が職を失う。小学校のプールの更衣室にカメラを仕掛けてた女の先生とか、クラスの女子の初潮を調べてた男の先生とか、スキンシップと称して男子の股間を握っていた男の先生とか、身体測定の映像を売ってた女の先生とか。
「よし、オッケーだ」
「……」
立ち上がって振り返ったおにいにわたしは絶句した。仕上がっている。隣にいることになるだろうお風呂上がりのわたしが冴えなくみえそうなぐらいにビカビカに美化されている。化粧で女は変わるけど、男はもっと変わる。
「どうした?」
「ちゃんと寝る前にメイク落としなよ?」
満面の笑みを向けられ、私は皮肉る。
「リツに言われたくないな。一ヶ月に三回ぐらいはそれで肌を荒れさせてるだろ?」
「厚化粧だって言ってんの!」
同じ顔じゃなかったら殴ってる。
夜も十一時を回って、一階は静かだった。
「父さん、母さん、話があるんだ!」
リビングのドアを開けて、おにいは言った。
「もー、きーてよ、おにいが変態でさー」
わたしも言いながら、後につづく。
顔は一緒だが声は違うからわたしと間違えられたりはしないだろう。両親がどんな顔で出迎えるのか少しわくわくもしていた。おにいの人生の波乱を目撃できるのである。
「んほごっ」
父が豚のように呻いた。
「あら」
蝶の形をしたマスクを着けた母が言う。
キュイイイイン。
その母の股間でタレのかかっていないみたらし団子のようなものが回転している。目に飛び込んできた光景を、わたしはゆっくり眺めた。
「変態だーっ!」
叫ぶしかなかった。
わたしたち兄妹の人生の波乱なのだから。
「これはどういうことなんだ、父さん、母さん」
女装したおにいが言うと訳がわからない。
「んぼごっ」
父は苦しそうに呻いた。
無理もない。パンツ一丁の身体は縄で複雑に縛られていて、口にはボールを噛まされている。鼻はフックでめくれあがり、目隠しをされ、妙に綺麗なおしりを母に向かって突き上げる体勢。
「これが夫婦の営みよ。セン、リツ。あなたたちもこうして生まれたのだから。なにもおかしなことはないわ」
母が蝶のマスクを整えて言う。
光沢のある黒皮ハイレグのワンピース、水着じゃないのが明らかなブーツ、網タイツ、そして片手に握られているのは馬をしばく系のムチ。サディスティッククイーンだった。
「これで生まれたとか、本当にやめて」
わたしが自分の血を呪ってしまう。
「そうだ母さん! 現代科学でまだ男の妊娠は可能になっていないはずだ! そういうウソは教育上よくないぞ!」
「ツッコミのポイントがズレてるよ!」
おにいはバカかもしれない。
「生んだのはもちろん母さん。その手順としてこのテンを貫くドリルが必要なの。テンを貫いた刺激があなたたちを作ったということよ」
「だから本当にやめて!」
聞きたくない。
ちなみに父の名前は井岡テンと言う。
「んも、も」
恥ずかしそうに父が悶える。
「あら、ごめんなさい。それじゃ喋れないですものね。今はずしますから、えーと、鍵、鍵」
「あーもー、わけわかんない」
この場から一刻も早く逃げたい。
「落ち着け、リツ。オレがついてる」
「おにいは落ち着きすぎ!」
そんなことを言っている間に、父の口を塞いでいたボールが、べっとりと涎まみれに床に落ちた。父が荒い息を吐いて顔を上げる。
「どうしたんだ。セン。その姿は」
それはこっちのセリフなことを父は言う。
「父さん、オレ、言わなきゃいけないことが」
しかしおにいはマジメに受け止めた。
縛られた父と女装した息子が互いに真剣な顔をして対峙する。頭髪が薄くなって中年太りで焼き豚みたいになってる父と、バッチリメイクして妹と一体化しようとしている兄が。
「おかーさん」
ちょっと耐えられない光景だ。
「リツ、黙って見ていなさい」
母は蝶のマスクを外して言った。
「今、とってもいいところでしょう?」
「うん……」
顔が赤くて、目がとろんとして、女の顔をしているのはたぶん気のせいで、息子の女装に父親が真剣に向き合おうという姿勢に感動しているんだと思いたい。思わないとやってられない。
井岡家に救いはなかった。
「いつか、こんな日が来ると思っていた」
父は重々しく言う。
「セン、遂に変態の血に目覚めたのだな」
「血は関係ないっ!」
おにいは首を振る。
「オレは、オレの気持ちとして、リツを愛してしまったっ! それだけだ!」
「……」
なんなんだろうこれ。
「わかるぞ。セン。わたしも若い頃はそう思っていた。モモちゃんに出会うまで、自分は変態の血など関係なくマゾヒストなのだと信じていた」
芋虫のように縛られたまま父は言う。
「父さん」
「だが、違うのだ。これは血だ。特攻隊に選ばれながらも故郷の恋人に自らを染み込ませた手紙を送ることで妊娠させたじいさんの……」
「ストップ! ストップストップストップ!」
耐えられなくなってわたしは割って入った。
「お願いだから日本語で会話して!」
「リツ」
父はわたしを見た。
「その蔑むような目、モモちゃんに似てきたな」
「ぜんっぜん嬉しくないよっ!?」
それっぽいこと言ってるだけでしょそれ。
ちなみに母の名前は井岡モモ。
「父は悦ばしいっ!」
ぐねぐねと前進をくねらせる。
「悶えながら言わないで!」
「リツ。テンをそれ以上責めないで」
母がわたしの肩を掴んだ。
「もう、若くないから我慢が効かないの」
見つめる視線の先、縛られて食い込んだ白ブリーフに怪しいシミができているのを見て、わたしはこの家に生まれてしまったことをはじめて恥じた。そうだったのだ。
「井岡家の男はマゾ、女はサドに生まれてくる」
父は言った。
「オレが、マゾ? そんな、バカなっ!?」
おにいは愕然としているようだ。
ショックを受けるポイントがズレてるけどもうすべてがズレているので大した問題ではなさそうだ。変態には違いない。
「セン、おまえがなぜ女装しようと思ったのか、父はあえて問わない。女装が目的なのか、女装することによって蔑まれることが目的なのか、どちらにしてもやることは同じなのだから。だが、ひとつだけ言わせてくれ」
「父さん」
「本能に従え! その先におまえが求める道がある! 人生は茨の道だ! だが、茨は気持ちいいっ! こうして息子と娘に見られてしまって、わたしは幸せな父だ!」
あー、見られるつもりだからリビングで?
「父さん! ありがとう!」
「セン! 女装、似合ってるぞ!」
こうして、おにいの女装は認められた。
「セン、大人になって」
母が感動の涙を流していたけれど、わたしは内ももをすり合わせてくねくねするその姿に泣きそうだった。たぶんこの後めちゃくちゃセックスするんだと思う。
耳栓をして寝よう。
全部、夢だったらいいのに。
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