わたおに(家内円満)

狐島本土

第1話 わたし(恋恋恋)

 控えめなノックでだれかはわかる。


「入っていーよ」


 ベッドに寝転がってスマホをいじりながらわたしは応えた。フランス革命のとき、サドはバスティーユにはいなかったらしい。運命だ。


「風呂、いいぞ」


 おにいは少しだけドアを開けて言った。


「それだけ?」


 わたしはうつ伏せのまま振り返る。


 それくらいのことなら、普段はドア越しに言って済ませてる。双子で高校も一緒だからなのか、最近はあまり家では干渉しない。


「え? いや、ん、入るぞ」


 おにいは遠慮がちに部屋に入ってきた。


「宿題ならやってないよー?」


 起きあがって、わたしは言う。


「見せないぞ。バカ」


 ドアを背にして立ちながら視線を逸らす。


「えー? おにいハクジョーだよ?」


 前は宿題なんか頼まなくても手伝ってくれた。


「バカな妹を甘やかすのが情に厚いなら、オレは……いや、こんな話をしにきたんじゃない。風呂に入ってからでいいから、オレの部屋に来てくれないか? その、ちゃんと寝間着に着替えて」


「んー……」


 おにいの視線に気付く。


「わたし、いつも下着で寝てるけど?」


「パジャマは持ってるだろ。真面目な話ができないから服を着ろって言ってんの。わかる? こんなこと言わなきゃいけない兄の気持ち?」


「着るから、宿題見せて?」


 わたしは笑顔を作った。


「ああ、それでいいから……」


「やったっ」


 わたしはベッドから立ち上がって、シャツを脱ぐ。おにいは溜め息を吐いて部屋を出ていった。今更、妹の胸を見て恥じらうこともないのに。そんなに膨らんでる訳でもないし。


 双子なんだから。


 半一卵性双生児のわたしとおにいは性別が違うから外見的には見間違えられることはほとんどないけれど、体のパーツはほとんど一緒だ。多少の胸と、男女の差ぐらい。


 でも、中身はかなり違う。


 幼い頃からしっかりしていたおにいはそのまましっかりした高校生になり、幼い頃からうっかりしていたわたしはそのままうっかりした高校生になった。


 しっかりしたセン、うっかりしたリツ。


 井岡兄妹について周囲の人たちはこういう風に説明しているらしい。多少は腹が立つけど事実だから仕方がない。中身の差が外見にも出てきたようで、最近では同じはずの顔立ちまで違うと言う人も出てきた。


 キリッとした顔のセン、フワッとした顔のリツ。


 たぶん本音ではボヤッとした顔とか言いたいに違いないのに、兄に対して妹を露骨に貶すのもアレだから遠慮してフワッとしたことを言ってる感じがリアルだ。


 実際に聞いたら笑ってしまうだろう。


「マジメな話ってなんだろー?」


 湯船に浸かりながらボヤッと考える。


「恋、かなー?」


 しばらく考えて可能性がありそうなのはひとつだけだった。しっかりしているおにいだけど、恋人はいたことがない。中学時代から何度か告白されているのは知っている。わたしが取り次いだこともある。でも断っていた。


 好きな人がいるらしい。


 だれなのかは教えてくれない。


「告白する気になったのかなー……」


 想像してみたらちょっとわくわくしてきた。


 双子は同じ人を好きになるという。


 でもわたしとおにいは性別が違うから、取り合いにはならないだろう。兄のカノジョ、カレシの妹という感じで親しくできる。最終的には義理の姉かも知れないのだから仲良くならなきゃ損だ。


「おねえ、か」


 いい。


 それはとてもいい。


「んふふふふ」


 わたしはざばっと湯船から立ち上がる。


 おにいの好きになる人だ。きっとわたしも好きになる。たぶん年上だ。わたしはなんとなく年上が好きだし、おにいもそうに違いない。中学を卒業するときに告白しなかったんだから同級生でもないだろう。年上の、頼りになる、おねえ。


 イメージが膨らみそうになって。


「あ、でも、なんでわたしに話?」


 ボディソープの泡のように弾けた。


 失敗するかもしれない告白前に宣言する意味は特にない。カノジョがもう出来てるならさらっと伝えればいい。マジメになる理由がない。


「恋、じゃないのかなー……」


 わたしは別の可能性を考える。


「でも、恋、っぽい」


 これは双子の勘なのだ。


 なにを考えてるかわかる、というか、同じことを考えていることが多いのである。しっかり者とうっかり者だから考えた結果に差はあるけど、わりと同じなのだ。


 たとえば美術でポスターの図案を考えたら、ほとんど同じデザインの上手いバージョンと下手なバージョンが出来たとか、修学旅行の作文を書いてみたら同じ場所について的確かつ丁寧な文章といい加減かつ曖昧な文章が出来たとか、双子はクラスが分けられるのでちょっとした実験みたいなことになっていた。


「マジメに恋の話をする理由」


 だからわたしは直感を疑わない。


「ずっと好きだった相手」


 ハッとひらめいた。


「……わたしか!」


 口にして、それはすごくしっくり来た。


「おにいが好きなのはわたし」


 これまで想像もしたことがなかったのに、一瞬にしてわたしは信じ込んだ。わたしは、わたしの顔が好きだ。わりと可愛い。そして時々鏡の中の自分をおにいと見間違える。おにい可愛い。


 自覚がなかっただけかも。


「き、禁断の恋っ!」


 わたしはもう一回、体を洗い始める。


 こういう形で来るんだ!?


「ひゃああああああ」


 パジャマを着て恋、風呂に入って恋、部屋に恋、恋恋恋。これはもう準備だ。おにいはしっかりしてるから、わたしがうっかりしないようにしてくれてる。初体験が変な風にならないように。


 抱かれるんだ。


「だよねーそーだよねー」


 恋人になってデートとか、そんなのは兄妹には関係ない。わたしたちには生まれてからずっと一緒の思い出がもうある。今までとそれは変わらない。我慢するなら告白する必要はない。


 おにいは我慢できなくなってる。


「どーしよーどーしたらー?」


 鏡に映るわたしはすっごいニヤケてた。


 心配ないんだ。


 おにいに任せれば大丈夫、でも、女の側も協力しないと気持ちよくないとか、マグロとか言われるらしい。腰を持ち上げるとかなんとか。


 がんばろう。


「うん、ピッカピカ」


 しっかりと石鹸の匂いが体に染み込むぐらい洗って、わたしはパジャマを着て普段通りの下着でおにいの部屋に向かう。自然な感じで驚けるだろうか。予想してましたじゃ、勇気を振り絞ったおにいに悪い。


 でも、もう嬉しい。


 わたしの望みは禁断の恋だ。


 うっかりでボヤッとしてて、取り柄もない。


 そんなわたしは未来に夢とか希望とかは抱けなかった。たぶん生まれ持った能力の限界へはおにいが挑んでくれる。なら、わたしは違う道に行こうと思った。女で可愛く生まれたのだから。


 禁断の恋だ。


 波乱の人生を送りたい。ボロボロになるかもしれないけど、だれからも祝福されないかも知れないけど、生きた証は残るような、波乱に満ちた人生が欲しい。


 だから、わたしは待っていた。


 だれかが禁断の恋へ誘ってくれることを。


 誘ってくれるなら、だれでもいい。


 近親相姦はアリだ。


 おにいなら普通に好きだから。


 男としても好きになれる。


 双子の美男美女かどうかはともかく、そこそこに可愛い双子の男女が結ばれる。禁断だ。家族から白眼視されて、追い出されるかもしれない。波乱だ。子供なんか出来たらもう大変だ。


 堕ろさないから!


 言ってみたい。すっごい言ってみたい。


 でもおにいはしっかりしてるから、避妊具は用意してるだろうな。次の機会には針かなんか持ってきて穴を開けよう。ピルなら飲まないフリだ。怒るかな、捨てられるかな。でもそのときは言っちゃうんだ。


 おにいが妹に手を出したこと言いふらすから!


 言ってみたい。すっごい言ってみたい。


 もう町中から迫害されちゃう。友達もみんな逃げちゃって、わたしたちは二人きり、世界を敵に回したおにいはしっかりしつづけられるのかな。酒に溺れちゃったりするのかな。無気力になってギャンブルにハマって、働かなくなって、わたしを風俗で働かせたりするかな。


 妹に手なんか出さなきゃよ!


 言うんだろうな。すっごい言うんだろうな。


 でもその時にはわたしは、お店で出会ったヤクザな男とデキちゃってるのでした。逆上したおにいが奪い返そうとするけど返り討ちで哀れ駿河湾に沈められちゃうんだ。深い海の底でタカアシガニの餌に。


 波乱波乱波乱。


「おにい」


 わたしは部屋のドアをノックする。


「入っていいぞ」


「うん」


 部屋の中は真っ暗だった。


 おにい、本気だな。


 わたしはあえて目を瞑る。


 ベッドの位置はわかってる。上手く押し倒されなくっちゃ。たぶん告白しながらガッときて、ムッと唇を奪いながら声を出せないようにするはずだ。抵抗しながら、だんだんとろけていく感じ、演技力が要求されるぞ。


「リツ」


 おにいがわたしの名前を呼んだ。


「どう、したの? マジメな話って?」


 さあ、ここにいるぞ!


 その血を飛び越して恋! 


 その血を飛び越してきたら!


「驚かないで聞いてくれ」


 恋恋恋!


「オレはリツが好きだ」


「えっ」


 わたしの演技は完璧だった。


「ずっと、好きだ」


 おにいは緊張した声で、繰り返す。


「迷ってた。兄妹だから、よくないことだと」


「……」


 わたしは黙って頷く。


 最高のおにいだ。


 わたしの望みを叶えてくれる。


「でも、もう限界だ」


「おにい」


 またしても完璧に健気な妹を演じてしまった。


「見てくれ」


 パチッと部屋の照明が点いた。


 見る?


「お……ああああああっ!!」


 薄目を開けて、わたしは演技ではなく驚愕した。予想外だった。これはわたしの望んだ方向の波乱ではない。ちょっと考える時間が。


「ま、待ってくれ」


 おにいはわたしの口を手で押さえる。


「好きだから、オレは、リツになることにした」


 どういうことなの。


 部屋の様子が変わっていた。いつの間に模様替えしたのかわからないけど、おにいの部屋はとなりあうわたしの部屋とまったく同じになっていた。開け放たれたクローゼットに並ぶ服までおんなじ。


 そして。


「近親相姦は良くない。けど」


 しっかりとしたことを言いながら、おにいはわたしの格好をしていた。わたしと同じ長さになるようにウィッグを着けた髪、わたしと同じサイズの制服、わたしと同じ長さのスカート。鏡でみるのとまったく同じ。


「オレは、リツと一体化して生きたいから」


「そう、なんだ」


 演技なんか出来るわけがない。


 近親相姦の方が良かった、とは言えなかった。

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