∠ 65 幸せな女の子
梅雨に入り、傘を持つ日が増える。放課後、一人になったイルカは昇降口で煙るような雨を眺めていた。
ここ数週間、光太郎と会う頻度が減っている。噂によるとバイトをしているらしい。自分に相談もなしに、勝手なことをしているのが癪に触る。
(私と一緒にいたいって言ったくせに放置するなんて。それに玉を探す約束はどうなったのでしょう)
天気と呼応するようにイルカの機嫌も悪かった。こういう日は、家来たちも気兼ねして距離を置いた。
「よく降るな」
光太郎が隣に並んだ時、イルカはそっぽを向いた。会いたくない日に限って現れる光太郎が疎ましい。
「本当に憎たらしいです。雨粒の一つ一つがどなたかの顔のよう」
「そいつは幸せ者だな。イルカに想ってもらえて」
はぐらかしたいのか、かまをかけているのか、光太郎の態度は不誠実だ。イルカは怒濤の質問責めに移る。
「最近どこ行ってるんですか? 学校にはちゃんと来てますか? メッセージもくれないし、はっきり言って迷惑です!」
「何怒ってるんだ、お前」
「八角殿が怒らせてるんです。約束だって守らないし。ツクヨミ殿は、例の玉の目星がついているらしいですよ。どうするんですか」
光太郎の頬が一瞬痙攣したが、すぐに元の鉄面皮に戻る。ゆっくりと口を開いた。
「それは、困った」
「そうは見えませんけど。自分で言ったことぐらい守って下さい」
イルカは連日の怒りをぶちまけ、冷静になってきた。同時に愚かで浅はかな言動を後悔した。きっと嫌われる、軽蔑される。いっそ逃げようかと傘に握る力を込める。
光太郎は鞄から、紙包みを取り出していた。その音にイルカは顔を上げる。
「迷惑料になるかわからんが」
光太郎は慎重な手つきで、ラッピングされた紙包みを渡してきた。開けてみると、淡い光が広がった。
「わあ……」
イルカの表情が、みるみる解けていく。
透明感のある黄緑色の石が、ネックレスになっている。小粒だが、目を引くのに十分な光彩を持っていた。
「ペリドット。お前の誕生石だ。誕生日近くに渡そうと思ったんだけどな」
「そのためにバイトを?」
「ああ。勝負に負けそうだから、その埋め合わせだ。姑息で悪いけど」
イルカの体は弛緩し、光太郎に抱き止められた。
「バカ……、勝負なんてどうでもよかったのに。隠し事するなんて、こーたろーのくせに生意気です」
イルカが落ち着いた後、光太郎はぎこちない手つきでネックレスをかけてくれた。時間がかかり過ぎて、教師に見つかり怒られた。それすらも、二人の気持ちを盛り上げるエッセンスにしかならない。この瞬間から、イルカは最も幸せな女の子になった。
帰宅しても、ネックレスをしたまま姿見の前から離れなかった。光太郎は諸矢に相談して、クレープ店で働いていたようだ。
宇美たちは頻繁にその写真をSNSに上げていたのだが、イルカは気づかなかったため、誤解が生じたのだ。だが、もはやそんな些細なことは気にならない。光太郎に送られた二つ目の宝に夢中だった。
「帰ったぞ」
髪の毛先から水滴を滴らせたツクヨミが部屋に入って来ても、イルカは目もくれない。その態度も自分が手にした宝を見せれば変わるだろうと、構わず近寄る。
ツクヨミの誤算は、宝そのものの価値が絶対であると侮ったこと。それ以上の付加価値が存在するとは考えなかった。まるで、御伽噺の愚かな貴公子のように。
鏡が反射した光に、ツクヨミは我を忘れた。のたうち回り、獣のような叫び声を上げる。イルカが異変に気づき、宥めようとするが、逆に押し倒された。ツクヨミは死に物狂いでイルカのネックレスを奪おうとする。その必死さにイルカは恐怖を覚え、助けを呼ぼうとするも頬をぶたれた。
「その石がなんなのか知っての狼藉か! 太陽の石だ。予を愚弄しおって」
月の神であるツクヨミと対極にある石だ。イルカは石の意味を知らなかったが、渡してなるものかと抱え込む。
「渡せ! さもないと」
「嫌です……、これだけは」
イルカの姿が、昔日の面影をツクヨミに思い起こさせる。あの時、あの女も、男にもらったつまらない花を大事に抱えていた。ツクヨミはそれを奪って踏みにじった。今度も同じことをするだけだ。
「ふふっ……、婚礼の前の余儀として悪くない」
ツクヨミはイルカの上から退くと、讃岐家を出ていった。
同時刻、光太郎はさぬき市を流れる川の土手を歩いていた。念のため、模型の目玉を探していたのだ。宝石は保険に過ぎなかった。
「殊勝だな。その忠義ほめて使わす」
さぬき市の西側と東側をつなぐ、倉持橋という鉄橋に差し掛かると、対岸にツクヨミの姿を認めた。
「目玉、見つかったか」
「ああ、ここにある」
ツクヨミは手の平の上に目玉を載せ、お手玉のように宙に何度も放り投げた。
「俺の負けだな」
「まあな。だが、予は寛容だ。貴様に機会をやろう。予と戦って勝てば、この目玉渡してやらんでもない」
言いながら、ツクヨミの上腕部が風船のように何倍にも膨れ上がる。湯水のように溢れる殺気のせいで、野鳥が遠くに逃げた。
(断れる空気ではない。やるしかないか)
光太郎は死を覚悟して、両腕を胸の前に構えた。
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