∠ 62 誤解
池の錦鯉を眺める光太郎に、呼びかけるものがあった。
「奇遇ね。こんなところで会うなんて」
竹で作られた柵の上に、カラスが一羽留まっていた。嘴が、声に合わせて上下に動いている。月の船団は魂を分割できる。ミカが操っているのだろう。だが、カラスには人間の声帯がない以上、本体が別の場所で喋っていると思われる。
光太郎の立場は複雑だ。死闘を演じた相手と時に語らい、共闘する。指令塔の翁からして、ツクヨミの目と鼻の先で過ごしている。あれだけ豪語して、よくこの家で暮らせるものだと感心する。
ミカが翁の話を盗み聞きしていても不思議はない。タイミングからして、光太郎の真意を確かめに来たと見るのが妥当だ。
返答を誤れば、死闘になりかねない。イルカが在宅か確認しておけばよかった。怖い目には合わせたくない。
(もう自分を傷つけないでください)
少し前までは、戦いで命を落としても構わないと思っていた。だが今は違う。勝って生き残ることに迷いがない。
「ついでに確認したいのだけど、同盟はまだ有効?」
深読みし過ぎて、危うく殺気を放つ所だった。まだ油断はできないが、音便に済むならそれにこしたことはない。
「話を聞くだけなら」
「用心深いわね。まあその方がこっちとしてもやりやすいけど」
話を聞くと承ったが、ミカはいつまで経っても話を始めない。光太郎は焦れてきたが、急かすのも話に乗り気なようで言い出せない。
「玉を、探してるのよ」
ミカが重たい口を開くと、すぐに事情が伝わった。
「イルカの人体模型のことか。俺も探してるが、あんたの方が有利なんじゃないか。カラスを動かせるんだろ」
「それもあるんだけど、それより大事なモノ。えーと、なんて言えばいいか。あんたも男なんだから察しなさいよ!」
謎かけを交えた誘導尋問だろうか。光太郎は話を切り上げて、この場を去る算段をする。最悪、ミカを殺さねばならない。黒い感情に支配されそうになる寸前、床を踏む足音が聞こえた。
「あれ? 八角殿?」
悪いことは重なるものだ。
今一番この場にいて欲しくない人間が、背後にいる。
イルカにとっても、光太郎の出現は寝耳に水だ。自宅ということもあり、完全に油断していた。
「わーっ! 何でいるんですか。呼んでないのに。それに、玄関から入りました?」
「い、いや」
「もー、泥棒みたい。駄目ですよ。あっ、後ろ振り向かないで下さい。部屋着だから恥ずかしいです。私のお部屋で待っててくれますか。着替えてきます」
イルカが走り去る音が遠のくと、光太郎はようやく息をつけた。落ち着いて語感を働かせたが、庭にカラスの羽が落ちているだけで、ミカの気配は既になかった。
子供の頃から訪れているため、イルカの部屋に至る道筋も記憶している。それでも、高校生になってから足を踏み入れるのは初めてだ。緊張してきた。
イルカの部屋は、子供の頃とあまり変わっていなかった。桐のタンスに学習机、そしてリハビリ用の人体模型が壁際に置かれている。模型の右目は欠けていた。
襖を閉めるとイルカの匂いを意識してしまい、鼻を押さえた。光太郎の嗅覚は常人より優れているため、余計に気を取られる。
別のことに意識を向けるため部屋を見回すと、畳まれた布団に目が留まった。
布団の隙間から生白い足首がのぞいている。光太郎は野菜を引っこ抜くようにその足を引っ張り出した。
「うわああ!? 誰だ、貴様」
頬を紅潮させたツクヨミが、白日の下に晒された。イルカの布団の匂いを嗅いでいたようだ。
(俺もこいつと同類だったか)
光太郎は自己嫌悪にうなだれる。一方、ツクヨミは色に耽っていても頭の回転は衰えない。すぐさま状況を把握する。
「貴様、いつぞや予の命を狙ったニンジャだな」
ツクヨミと光太郎の初顔合わせは、この屋敷での暗闘だった。
忍でいる時は、動きの型を普段と変えているのだが、ツクヨミは一瞬で見破った。光太郎はツクヨミと目線を合わせ、あっさり肯定する。
「あの時は大暴れしたよな。家の修繕費結構かかったらしいぞ」
「問題なかろう。どうせ翁の財は予の懐から出ているようなものだしな」
家の一部損壊は未だ復旧していない。痛みわけとは到底言えない戦いだった。光太郎は一方的にこの化け物に負けたと思っている。
「そして貴様は輝夜の家来だな」
ミカが調べたのかツクヨミ独自の千里眼かどうでもいいが、光太郎は律儀に間違いを訂正する。
「元だ」
「それが解せぬ。何故縁の切れた主を恋い慕う」
それがわかれば苦労しない。いや、頭ではわかっているが、認めたくないのだ。認めてしまえばイルカはきっと悲しむ。要らぬ心労はかけたくない。
「幼なじみが変な奴に絡まれたら誰だって心配する」
「変とは何だ! 貴様、今一つ予の偉大さが理解できておらぬな。見よ、この神々しさ」
ツクヨミが、シャツをめくってへそを露わにする。へその周りが、ほのかな光を放つ。蛍の光程度で、真昼では自然光と区別がつかない。
「お茶淹れてきましたー」
お盆を持って入ってきたイルカの目が点になる。光太郎がツクヨミの腹に顔をくっつけているところを目の当たりにしたのだ。
「……、お邪魔しましたー」
イルカは襖をするすると閉めてしまう。誤解を解くのに、十分近くを要した。
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