∠24 幽霊の影

図書館への道のりは、既に宇美と行ったことがあるので迷わずに辿りついた。遠目からもわかる近代的な建築。開放的な作りが売りだ。


イルカは肩を怒らせ、自動扉を通り過ぎた。ガラス張りのフロントにはバランスボールに似た丸っこい椅子があるので、よけて歩く。


天窓から差す光が館内をやさしく照らしている。とはいえ気だるい空気が支配してるわけではなかった。


鬼気迫る表情をした上級生が分厚い本を並べてレポートを書いていたり、普通の高校とは趣が違っていた。


イルカは忍び足で宇美を探す。本棚に挟まれた通路に素早く影が走った。イルカは後を追いかける。


「宇美殿! お待ちなさい」


呼び止めると観念したのか宇美は硬直したように立ち止まった。拳を固めてぶるぶると震えている。


「お、怒ってる? 姫」


宇美は後ろめたさから、イルカの顔を直視しない。振り返ることすらできずにいる。お伺いを立てながらイルカの腹を探ろうとしているようだ。


「さあ? 宇美殿は私を怒らせるようなことをしたのでしょうか」


イルカは困らせるつもりでとぼけたのではなかったが、が、宇美はひたすら謝罪を繰り返す。


「ごめん、ごめん。魔が差したんだよー、許して」


宇美に顔を近づけられ、イルカはとっさに目線をそらす。心根は伝わったのでもう十分だ。


「それほど怒ってませんよ。誰にでも間違いはありますから」


イルカの寛容さに打たれて、宇美は涙した。本音では問いつめたい気持ちもあったのだが、安堵の方が強く許してしまった。やはり友達はかけがえないのだ。


「感動の再会ね」


毒の込もった声がした方向に、二人は体を向ける。制服の上に柔らかそうなパーカーを羽織った国木田涼子が腕を組んでいた。


「出たな、オレオ。私たちの絆を分断しようたってそうはいかないんだぞ」


宇美は涼子を完全に敵と見なした。イルカにとっては戦の大義がないのだから、落ち着いている。


それを知ってか知らずか、涼子の戦意は高揚している。


「ここまで来た勇気は誉めてあげる。でも逃げ出すなら今のうち」


「あのー、私は何故ここに呼ばれたのでしょう? お泊まりなら準備をしませんと。ね、宇美殿」


宇美と涼子は、揃って困惑した。イルカに敵意を向けても受け流されてしまう。これはある意味血を流して戦うより難しい。イルカは対話を拒まない。それは高校に入って彼女が自分に課したことの一つだった。


「お、お泊まりって。小学生じゃあるまいし。私は勝負を」


「国木田殿はお泊まりしないのですか。残念です。では宇美殿、参りましょう」


涼子をその場に残し、イルカは宇美を連れ出す。


「ま、待ちなさい! やらないとは言ってないでしょ。私は負けない。お泊まりにだって勝ってみせる」


図書館に響きわたる声で、涼子はイルカを呼び止めた。親睦会を兼ねたお泊まりに勝敗はないと宇美は指摘したくなったが、せっかく餌に食いついた魚を逃す手はない。


準備をするため一端解散し、二時間後に集合することになった。


「あんた、人の扱いが上手くなったね」


二人きりになった時、宇美がイルカの耳に囁く。権謀術数に長けていると言われているような含みがある。


イルカは澄まし顔で抱負を述べる。


「家来……、じゃなかった。友達を増やすチャンスですから」



「この図書館にはね、幽霊ファントムがいるの」


怪談話に花を咲かせるには、時期的

に少し早い。それでも、好奇心を煽るにはおあえつらえ向きの話題だ。


解散後、銘々準備を整え図書館の前で再集合してからは話に花が咲いている。


今、イルカ達のいる図書館の上層階には、十万を越える蔵書が収まるが、地下の書庫にはそれを上回る数の本が保管されているらしい。


「書庫は広いからね。司書さんでもどの本がどこにあったか忘れてしまうの。そんな時、探していた本が関係ない本棚に突っ込まれているのを見つけたりするんだって。それはつまり幽霊の仕業。金髪の幽霊の仕業」


「ちょっと待てよ。何で幽霊が金髪だってわかるんだよ。見たのか? それに本の目録はデータベース化されてるから間違えるわけないじゃん」


背中を丸めて声を落とし、おどおどろしい雰囲気を作っていた涼子を完ぷ無きまでに打ち砕く宇美。容赦がない。


「は? データベース化される前の話なんですけど。話ちゃんと聞けよ。バーカ」


 聞くに耐えない罵詈雑言をよくあきもせず続けるものだと、イルカは嘆息した。激化する口論から距離を置いていると、目をつけられた。


「ねえ、姫は幽霊なんているわけないと思ってるよね」


宇美に質問されイルカが迷っていると、今度は涼子が同意を求めてくる。


「貴女、輝夜の姫なんでしょ。超常の許嫁もいるんだし、その手の話は信じるはずよ」


イルカはどちらかに決められず笑ってごまかした。どちらかと言うとオカルトの類を信じやすい性質だ。


「まあ、話は後にしてご飯にしませんか。お腹が空きました」


涼子たちはまだ論争を続けたそうだったが、強引に話を打ち切る。


地下に飲食の出来るスペースがあり、そこで媼に持たされたお弁当を食べることになっていた。三段重ねの重箱を紫の風呂敷で包んでいる。


イルカを除いた二人は、既にエレベーターに乗り込んでしまった。


イルカは、広いエントラスホールに立ちつくしていた。


私語を慎みつつ、なれ合う生徒の群れが幾度も通り過ぎる。


「畜群に染まって何が嬉しい」


母の言葉が耳に痛い。それでもイルカは喜びを押さえきれなかった。その期待がいずれ打ち砕かれることも知らずに暢気なものだった。


イルカの腰に突如、重たい衝撃が加わる。踏ん張り切れずよろけた。背後を振り向いても影も形もない。


「姫ー、置いてくよー」


宇美がしつこくイルカを呼んでいる。怪現象に戸惑いつつも腰をさすり、エレベーターに乗り込んだ。


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