∠19 桜色舞う頃

諸矢に指定された場所は、二の丸の外れにある人気のない場所だ。保存状態のいい櫓の下を通り、整然とした石垣の前で立ち止まる。


「菱川殿ー! どちらですか?」


呼びかけに応じるように背後から諸矢が現れ、イルカの肩をゆすぶる。


「わあっ! な、何事」


「あはは、びっくりした?」


イルカは振り向きざま諸矢を親の敵のように睨んだ。


「そんな怒んないでよ。ちょっとした悪ふざけやんか」


「はあ……、子供じみた真似しないでください。穴場に向かうんですよね、ついでに宇美殿を探しましょう」


「あの子、戻って来んみたいやで」


諸矢が携帯を見せてくれたので、イルカは画面をのぞきこむ。


光太郎を連れてくるから遅くなると送られてきていた。諸矢はクラスの人間の連絡先を入手しているらしい。もちろんイルカを除いてである。


「八角君とイルカちゃんは友達なんか?」


「はい。幼なじみなんです」


諸矢は目を丸くしてイルカに詰め寄る。


「君みたいな育ちの良さそうな子が何であんなヤンキーとつるむの? もしかして弱みでも握られてるとか」


「八角殿はヤンキーじゃありません。弱みとかも握られてません」


イルカが断固とした態度を取っても、諸矢は腑に落ちないようだった。


「ほんま事実は小説より奇なりやなあ。勉強になりました」


諸矢はなかなかのくせ者かもしれない。イルカと堂々と渡り合っている。凡夫なら宇美のように家臣にされてしまっただろう。


「菱川殿は何故、宝蔵院に入学したのですか?」


「ぶっちゃけ深く考えんかった。もっと考えたらよかったな。優秀そうな奴ばっかやん、ここ。へこむわー、やってけるかな」


心配そうに肩を丸める姿がミーアキャットのようにきしゃに見えてイルカはおかしくなった。


「菱川殿なら大丈夫。上手くやっていけます」


「ほんまか? 良かったー。イルカちゃんに言われるとほっとするわ」


当初、彼と打ち解けなかったイルカだったが、慣れない環境を不安に思う同志を得たようで勇気づけられた。


「さ、参りましょう。花はどちらです」


「花ならここにあるやん」


諸矢は不審がるイルカの髪に触れる。


「菱川殿……?」


 「ほら、これ」


諸矢の人差し指に、桜の花弁がついている。


「花って不思議やな。俺らからしたらみんな同じに見えるけど、本当は違う。花見してると、その美を無闇に浪費してるようで心苦しくなる」


宝蔵院の生徒だけあって、他者とは違う視点を持っているようだ。イルカはその意見に共感していた。


「私も貴殿の意見に同意します。ですが、限りあるからこそ大事にしたいとも思います」


イルカの臆面のない答えが気に入ったようで、諸矢は何度も頷いた。


「それもそうか。イルカちゃんは賢いなあ、さすがやわ」


「そんな……、賢いだなんて。初めて言われました」


要領が悪いとはよく言われるが、翁の教育のおかけで人並みの知識はあるつもりだ。それでも自分が人より優れている面は何もない。輝夜姫であるという事実を除いて。


「あれ?」


イルカは自分の置かれた状況の異様さに気づいてしまった。


「菱川殿、ちょっと動かないでくださいますか」


諸矢の頬を掴んで自分の顔に近づけさせた。


「ち、ちょ、何なん、イルカちゃん、うわあ、顔近。さすがに恥いわ……」


諸矢は至近距離で顔をのぞきこまれ目を逸らそうとするが、輝夜の姫はそれを許さない。


「やっぱりそうだ。貴殿の目は怖くない。丸くないからですか」


「目は丸いもんに決まってるやん。三白眼だからかな。でもかえって怖ないか。ほんまけったいな子やな」


イルカは丸いものを忌避している。それは目玉であっても例外はない。しかし、諸矢の目を見つめても、息苦しくはなならない。どうしたことか。


もしや自分の病が治ったのかと、イルカは期待したのだが、サッカーボールが飛んできて、その期待は打ち砕かれる。


「ひい! 丸い! 円運動!」


体を硬直させるイルカを庇って、諸矢がサッカーボールを受け止める。


小学生が誤ってボールを飛ばしてしまったらしい。諸矢はボールを蹴って、子供たちに返してあげた。


「ほんまに丸いもん苦手なんや。球技はほぼ無理か」


諸矢はそれほどイルカの問題を深刻に捉えていないのか、驚きも薄かった。


「苦手なんて誰にでもあるやんけ。克服できるといいな」


簡単にいかないから悩んでいるのだが、諸矢に言われると、食べ物の好き嫌いを指摘されているようで、イルカも少し楽天的になることができた。


諸矢といると不思議と和む。光太郎と打ち解ける空気と似ていた。その意味を知らぬまま彼と一緒に過ごした。

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