∠18 新しい王子さま
香具山城の本丸前広場は、桜の名所となっている。この時期は県外からも桜目当ての観光客が押し寄せてくる。
四月の半ばの花盛り、宝蔵院高校一年生の親睦会は代々ここで行われるのが慣例となっていた。
綾瀬イルカは白いロングカーディガンにワイドパンツ、トートバックを提げて路面電車に乗った。
イルカは幼少の頃から香具山城を遊び場にしているため、公園に向かうこと自体に真新しさは感じない。それでも、桜の枝は毎年違う花をつける。これからどんな花に出会うのか楽しみだ。
ツクヨミが失踪して三日が経過していた。イルカはもちろん、翁たちも捜索に協力してくれているが、手がかりは見つかっていない。ツクヨミの執念深さからいって、何もわずに消えるとは考えづらかった。
そのような状況下で花見を楽しむのはイルカとしても気が引ける。それでも行っておいでと、翁たちに背中を押された。よほど塞いで見えたのだろう。
謎の男、月影も捜索に加ってくれているのだろうか。イルカは彼が嘘を言ったとは考えなかった。初対面のはずなのに、初めて会った気がしない。また会えることを、密かに期待している。
香具山城の石垣が見えてきた。大手門前で電車を下りる。
坂を上り、まっすぐ城を目指す。桜舞う公園は、人でごった返していた。幸い、すぐに宝蔵院の制服を着た一団を発見することができた。
「姫姫、こっちこっち!」
家臣改め友人の二階堂宇美が、シートの上で手招きしていた。距離が隔たっていたにも関わらず声がよく通る。
イルカが他人のシートに道を塞がれ、まごついていると待ちきれなかったのか宇美の方から近づいてきた。
「あたし、場所取りで朝五時からいるの。ヤバくない?」
「まあ、それは大変でしたね。お疲れさまです」
イルカは宇美の頬を両手で包んで揉んであげた。
「ほんとだよぉ。あれ、八角は一緒じゃないの」
宇美によると、光太郎も親睦会に参加する意志を示していたが、待ち合わせ時間になっても現れていないらしい。
「二階堂さん、綾瀬さん、始めるよ!」
会の始まりを告げられ、イルカと宇美は他人のシートをよけて集団に向かった。一際大きな木の下に陣取ったのはのは総勢十五人。クラスの半分にも満たない人数だが、イルカはほとんど面識がない。選択授業が多いため、このような場がなければお互いの顔を知らずに卒業することもあり得た。
「カンパーーイ!!!」
クラス委員長の
「綾瀬さん、来てくれて嬉しいよ。私、膝を付き合わせて貴女と話してみたかったんだ」
「私も級友の方と親睦を深めたいと思っておりました。仲良くしてくださいね」
「綾瀬さんって、輝夜姫なんだって? それってどういう意味なの?」
悪意はなさそうだがあけすけに物を言う小町に注目が集まる。イルカは物怖じすることなく、人差し指を口に当てた。
「秘密、です」
あざとくて顰蹙を買うのではないかと、宇美は気が気でなかった。幸い、小町はそれ以上言及してこなかった。
「へー、そうなんだ。今度詳しく教えてね」
イルカが難攻不落の城だとわかると、小町は潔く男子と話し始めた。
それを見計らって宇美はイルカの袖を引いた。小声で訴える。
「ねえ、ちょっと」
「はい?」
「どうして私服で来たのよ。制服で来ないと駄目だって昨日言ったのに」
イルカを除いた全員が、宝蔵院の制服を着ている。名門校の所属を自慢したいというよりも、共通のユニフォームを着ることで連帯感を高めようという狙いがあるらしい。
「そうでしたか」
「そうでしたかじゃないよ、もう。ぼんやりしてるんだから」
言われてみれば昨日、宇美に忠告を受けたかもしれない。イルカは機械に疎く、携帯を持たないため、クラスの連絡が行き届かない。宇美が唯一の橋渡しとなっていた。
宇美は人の目が気になるようだが、周りのクラスメートはイルカを放置して、銘々楽しんでいるように見える。もちろんイルカ自身も気にしていない。
「八角殿、どうしたのかしら」
「あ、やっぱ気になっちゃう」
宇美が耳ざとくイルカの声を拾う。
「あいつ陰気だし、こういうの得意じゃないでしょ。来れなくなったんじゃないの、お腹痛くなって」
「そんなはずはありませんよ。八角殿は必ず約束を守る方ですし、意外とイベント好きなんです。毎年夏は一緒に盆踊りに参ります」
宇美は、盆踊りに興じる光太郎の姿が想像できない。人は見かけによらないものだと俗な考えを抱く。
「それならなおのこと変じゃん。ちょっと電話してくる」
そう言って宇美は席を立った。イルカの預かり知らぬうちに連絡先を交換したようだ。自分を差し置いて二人の距離が縮まるのは少し思う所があった。それでもイルカに出来ないことを宇美ができるのは心強い。
イルカは宇美がいなくなっても静かに正座して、コップを握っていた。コップの縁が丸いので正面を向き、一応、グループの話の輪に加わろうとする態度だけを貫いた。輪というのは円陣を意味したし、その仲に加わるのは苦痛だったが、実社会にとけ込む努力を怠るつもりはなかった。
「綾瀬さん、楽しんでる?」
いつの間にか見知らぬ男が、イルカの右隣にいた。制服のジャケットを脱ぎ、ワイシャツ姿で袖をまくっている。髪はワックスで立てており、どことなく軽薄な印象は拭えない。優男だったが、世慣れした雰囲気が彼の印象を濃くしていた。
「え、ええ、おかげさまで」
イルカは人見知りであるかのように、男から視線を巧妙に外した。
「俺、ぶっちゃけこういう集まり苦手やねん。君もそういう所あるん違うかな思うて」
関西訛りの男は、イルカの心情を的確に見抜いた。
「貴殿の名を伺ってもよろしいですか」
「貴殿なんて大層なもんやないけど。
諸矢は手を差し出す。イルカは軽くその手を握り友好の挨拶を済ませた。
「なあ、後で抜けださへんか」
面識を得てわずか数分で、イルカは逢い引きの誘いを受けた。
「せっかくですが、よく知らない人についていってはいけないと家人に言われていますから」
「ははー、見かけ通りお堅いんやね。別に変な意味じゃないよ。静かに花見ができる穴場みっけたからどう? さっきのお友達、二階堂さんやったっけ。あの娘も一緒でいいよ」
「宇美殿は添え物じゃありません。もう話しかけないでください!」
イルカが反発し体の向きを変えると、諸矢は、あちゃあと頭を抱えた。
「俺、親元離れて一人暮らしてるんよ。寂しいなあ、ああ、寂しい。どこかにやさしい人はおらんかな」
わざとらしいとはいえ、イルカは同情に少し心を動かされた。どうしたものかと辺りを伺っても、肝心な時に宇美はいない。
そもそも動機が寂しさから来るものなら好んで寂しい場所に移動する必要もないのである。イルカは簡単な罠を見落としていた。
「わ、わかりました。宇美殿が帰ってきたら相談しましょう」
「さっすがー、話わかるわー、イルカちゃん。ほな、後で」
十時過ぎに始まった宴も、昼前には何人かが消えて空席になっている。宇美はいつまで経っても戻ってこない。
「あー、俺、便所。今にも催しそうや」
諸矢が席を立つ口実を口にすると、仕切り屋小町が軽く非難する。
「ちょっと、菱川君、下品」
「すまんなあ、生理現象や。ほな行ってきます」
立ち上がった際、ちらとイルカに目配せし、諸矢はその場を離れた。
宇美はいつ戻るか知れず、一人待ちぼうけさせるのは忍びない。クラスの集まりで妙な真似はしないだろうとイルカは覚悟を決めた。
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