∠20 私を離さないで
光太郎と宇美は、正午になってようやく合流した。
「おそーい! 寝坊?」
「いや」
開口一番宇美が非難しても、光太郎は言葉少なく否定するだけだった。もう慣れっこだったが、彼の服装が頂けない。黒のTシャツに、デニムに軍用ブーツという格好だ。
「あんたも、あれだね。空気読まないね。姫とおんなじ」
光太郎が薄く笑ったのを宇美は見咎める。
「何嬉しそうにしてんのよ」
「別に」
二人は並んで公園に向かった。光太郎が無表情でクラスに参じた時は一瞬、空気が固まったかに見えたが、宇美がタイミングよくフォローを入れる。
「八角君が、お詫びに踊りを披露したいそうです。皆さん、はくしゅー」
「おい、二階堂、何言って……」
一同が好奇心に駆られたように光太郎の周りに集まってくる。逃げ場がない。光太郎は柄にもなく動揺した。
さらに悪いことに、その中にイルカの姿がなかった。宇美に聞いてもとぼけて埒が明かない。
「そういえば」
手がかりを教えてくれたのは、委員長の小町である。
「菱川君がトイレに行った後に、綾瀬さんもどっか行っちゃったんだよね。二人とも戻ってこないけどどうしんだろ」
光太郎は役目を放り出しイルカを追いたかったが、クラスメートの心証をこれ以上悪くするのも避けたい。彼らに迷惑をかけてしまった責任も感じている。
念のため宇美に相談した。
「二階堂、俺は能でも舞えばいいのか?」
「えっ、ガチな奴じゃんそれ。すごいけどかえってみんな引くよ。もっと軽いのないの」
「都々逸ならなんとか」
「うーん、それもいいけど。もっとさ、盛り上がるような。歌! そうだ、歌えばいいんじゃないの」
踊れとか歌えとか、わがままな奴だと内心光太郎は不満に思った。
「歌、か。流行りはよくわからんが、それでもいいのか」
「もういいよ、何でも。早くやっちゃいな。でもあんまり古いのはナシだからね」
宇美に釘を刺され、光太郎が喉を慣らそうとした時、イルカが集団に戻ってきた。隣には光太郎の知らない男の姿がある。
「あ、ちょうどよかった。綾瀬さん、菱川君。八角君が歌うそうだから一緒に聞こう」
小町に事情を説明されたイルカと諸矢はシートに腰を下ろし、一同の注目が再び光太郎に集まった。
光太郎は上の空で、喉を震わせる。音程を外さなければ顰蹙を買う恐れもないだろう。感情はこもっていなかった。
歌いながらも光太郎の目はまっすぐイルカに向いている。見たところ怪我はないようだ。隣の男と何を話してるのか聞き取れない。級友と話すなとも言えないし、自分はその立場にない。
「まあまあだったんじゃないの」
歌い終えた光太郎は、宇美に飲み物を手渡された。イルカはまだ男と熱心に話している。意識を向けないようにしているが、どうしても目に入ってきてしまう。
「もう一曲歌おうか」
光太郎が申し出ると、宇美は驚いた顔をして、続いて笑いだした。
「あはは、何あんた、結構目立ちたがりね。姫の言った通りだわ。盆踊りにも行くんだって?」
「まあ……」
運が悪ければ、イルカと踊るのは今年で最後になるかもしれない。
茶化されても笑う余裕はない。あの男は誰だ。単なる同級生か。数メートルしか隔たっていないのにイルカを遠く感じるのは何故なのだろう。
「さて、お開きにしようか」
小町によって閉会の挨拶が告げられる。知らない間に時間が立ち、三時を回っていた。光太郎は足が痺れて暫く立てなかった。並々と注がれたコップを握ったまま憮然としていた。
クラスメートたちは荷物を片づけると、校園内の清掃まで始めた。小町が当然のように指揮を取る。塵一つ残さないような仕事ぶりだ。
「あの子すごいね。リーダー気質って奴なのかな」
羨望ともやっかみともつかない視線を小町に向ける宇美。無い物ねだりなのはわかっていたが、自分はこの場にいるにはあまりに無個性だと思った。
「二階堂、今日は」
「ん?」
光太郎は座ったまま言いにくそうに口を開いた。
「イルカのこと感謝する。俺がいなくても仲良くしてやって欲しい」
宇美は明後日の方に顔を向け、嘯く。
「あたし、家臣から友達に格上げされたからね。一緒にいるのはわけないわよ。あんたも言いたいことあるなら本人に直接言った方がいいよ」
宇美の目線の先には、並んでゴミ拾いをするイルカと諸矢の姿がある。第三者から見ても、仲むつまじい様子に映るだろう。
言葉で伝えるのは苦手だ。口先ではなく行動で示す。光太郎は自分をそう戒めていた。
「ほな、綾瀬さん。また学校で」
諸矢は名残惜しそうにイルカと別れた。連絡先を交換したかったようだが、イルカは携帯を持っていないし、自宅は翁がうるさいから教えられなかった。
宇美は他のクラスメートと連れだって二次会のカラオケに向かった。イルカは疲れていたので光太郎に送ってもらう。行きと同じく路面電車に乗り込んだ。
「今日は楽しかったですね」
イルカは席に座り、感慨深げに息をついた。離れた位置で立っている光太郎の目は聞こえなかったように車窓に向いたままだ。
「もしもし八角殿?」
イルカは、注意散漫な様子の光太郎を呼ぶ。イルカの問いかけを光太郎がこれまで無視した試しはない。前例のない行いに不思議がること必至だ。
「ああ、何だ、イルカ。何か言ったのか?」
「楽しかったですねって言ました」
光太郎にも同じ気持ちでいて欲しかったが、彼は仏頂面でそうでもないらしい。歌を皆の前で披露するなどして彼なりに楽しんでいるとイルカは思いこんでいた。
「菱川殿という方をご存じですか? 色々楽しいお話を聞かせて頂きました」
「ああ、お前と話してた奴か」
「はい。日本史のクラスが同じだったのですが、これまで知りませんでした。あの方がいるの」
「そのまま気づかなけりゃ良かったのにな」
「えっ?」
電車でゆっくりと停車し、光太郎が先に降車口に立つ。イルカは光太郎がどうして怒っているのかわからず戸惑っていた。
「ねえ、何怒ってるんですか?」
讃岐家への階段を上りながら、イルカは光太郎へ追いすがる。
「別に。怒ってなんかない」
「嘘です。こんな顔をしているくせに」
イルカは宇美にされた時のように光太郎の顔を掴んでもみくちゃにした。それでも光太郎の顔の強ばりは解けることがなかった。
「俺の顔はいつもこうだよ。ろくに見もしないくせに」
光太郎は失言だと気づいたが、遅かった。イルカは泣きそうな顔で、背中を震わせている。
「ご、ごめんなさい。もうここでいいですから。さようなら」
早口で別れを口にし、階段を駆け上がろうとしたイルカの腕が光太郎に掴まれる。この後に及んで何を言いたいというのだろう。イルカは本格的に泣き出しそうであった。
「俺の目の届かない所に行かないでくれ、頼むから」
光太郎は勇気を振り絞ったのだが、イルカは無表情で腕を垂らしている。内心では尋常でないほど感情が波打っている。人に弱みを見せない光太郎が、イルカに助けを求めているのだ。応えなければと前に進み出る。
「大丈夫、私はどこにも行ったりしませんよ」
光太郎が、今日初めて肩をなで下ろし笑った。昔のように屈託無く。思春期を迎え、二人の間には見えない柵のようなものができていた。イルカはそれが歯がゆくてならなかったが一時でもその柵を乗り越えられたことに満足した。
二人は至近距離で見つめあい、動こうとしない。第三者の咳払いを経て、我に返る。
「すまんが通してもらえるかね」
通行の許可など元より必要はなかったのである。階段の所有者である翁が、憤慨した様子で二人を見上げていた。
イルカと光太郎は、即座に両側に割れ、翁に道を譲る。翁はハンチング帽をかぶり直し、大きな靴音を立てて二人の脇を横切る。
「帰ったのなら油を売ってないで、家に入りなさい」
イルカは黙って光太郎の袖を握っている。
「返事がないぞ」
翁は歩みを止めることなくイルカを叱責した。
イルカの手は光太郎の袖を離れてしまう。光太郎は思わず腕を伸すが、届かない。イルカは急いで翁の後を追ったのだ。
二人が去って後、光太郎は掴むもののない手を下ろし、階段に座り込んだ。
イルカは翁に渋々ついていき、家に着くと最短距離で自室に駆け込み、後ろ手で襖を閉める。
「俺の側にずっといろ、だって。きゃー!」
感極まって人体模型に抱きつき、黄色い声を上げる。若干、曲解していたがイルカは舞い上がって気づかない。
「ん?」
人体模型の眼球があるべき場所に収まっていない。眼窩の空洞を直視し、虚無に吸い込まれる。
「……きゅ〜〜〜」
興奮の最中、イルカの意識は途絶した。
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