∠4 はい、論破



二階堂宇美にかいどううみは、特別な存在に憧れを抱いている。


その対象は時にアイドルだったり、起業家だったり、芸術家だったりと、移ろいやすいものだった。


最近では、既製品の服を着るのが嫌になり、洋裁の勉強をし、自分のブランドを立ち上げるのが目標なのだが、それもまた特別なものへの憧憬に過ぎない。


そんな宇美が、宝蔵院高校に入学して早々、クラスメートに失望するのに時間はかからなかった。


桜の花びらを見て、猿のようにはしゃぎ、携帯ゲームにのめり込む彼らに憐れみすら感じる。


「高校生で企業してる子もいるっていうのに、嘆かわしい限りね」


一年花組の教室の片隅で、宇美は憂鬱そうに頬杖をついていた。古臭い木造の校舎も、幼稚なクラスメートも、神経を逆撫でする材料でしかない。


おまけに数分前、人とぶつかり、その蟠りは解消していない。相手に謝罪の意思は希薄だったし、開き直るように、大金を見せびらかすような侮辱も受けたのだ。


相手の名前は聞かなかったが、恐らく自分と同じ新一年生であろう。世間ずれしていない箱入り娘、今度会ったらただではおかない。


「さっきから、心の声がだだ漏れなんだが」


宇美の机の側面に立っていたのは、金髪の男子生徒だった。よく目を凝らせば、金髪の根元がまだらに黒くなっている。急拵えの仕事の後が見えた。背は高く百七十後半、唇薄く、情が薄い印象を与えた。


「な、なに、聞き耳立ててるのよ。プライバシーの侵害だからね!」


宇美は、過剰とも取れる反応を示した。男子と話すのは、あまり慣れていない。中学時代も数えるほどしか会話がなかった。ましてや、高校デビューでヤンチャを決め込んだヤンキー小僧は手に余る。


「お前に似た奴を、俺は知っている」


金髪が、ゆっくりと口を開いた。


「だが、そいつは周りに溶け込もうと必死だった。今でもな」


金髪が通り過ぎ、宇美はほっとする。緊張し過ぎて、胸が痛い。


その時思い出したのは、あの金髪の自己紹介だ。寡黙そうなクラスメート、確か名は、八角光太郎。


宇美は、何故か彼の後ろ姿から目が離せなかった。


時を同じくして廊下にほど近い席、やおら発奮する姫カットありけり。


「教室で、オレオを食べないでください!」


綾瀬イルカは、円周軌道を憎む。眼球を体内に入れていると考えただけで、鈍痛を感じる。毛穴も円いため、下手すると掻き毟って潰してしまいたくなる。


「それは脳が作りだす幻の痛みです」と、精神科医は最もらしく諭す。


彼に勧められたのは、細かくパーツ分けされた人体模型で眼球を取り外す、代替行為であった。イルカが想像で血を流しているのを、誰も知らない。


そのイルカが教室で糾弾したのは、一人の女子生徒だった。


分厚そうなロイド眼鏡に、前髪がやたらと短いボブカット。背たけは高校生にしてはかなり小粒だが、成長期を加味して肩幅の合っていない制服を着ていた。


「何用?」


短い言語が、鋭い剣のようにイルカに向けられる。


「そ、そ、そのお菓子……」

震えるイルカの指先にあったのは、

円形のお菓子オレオだった。クリームをクッキーで挟んだものには齧った後がある。眼鏡少女は小さな口でまた一かじりした。


「教室で、お菓子を食べるのはいけないんですよ」


腰が引けそうな素ぶりをしながらイルカは忠告したが、オレオ少女は軽くあしらう。


「校則にそんなこと書いてないと思ったけど」


「書いてなくても社会道徳上よろしくないんです」


「遅刻した人が言う台詞とも思えない」


両者一歩も譲らず、ついにイルカはオレオを奪おうとした。


「人の物を勝手に奪おうとするのは、社会道徳上よろしいのでしょうか? お嬢様」


特大の皮肉に、クラスには失笑が溢れた。


イルカは周りの目が耐えられなくなり、教室の外に出た。光太郎が後をついてきたが無視した。




ほとぼりが冷めた頃、イルカが教室に戻ってみると、担任の教師に自己紹介をするように促された。


「綾瀬イルカと申します。夢は公務員。円いものが嫌いです。以上です」


味気ない自己紹介に、聴衆は不満そうだった。オレオ少女は堂々と文庫本を読みふけり、見向きもしない。


宝蔵院は単位制の高校で、授業カリキュラムは生徒の裁量に任されている、


例えばビジネスを学びたい者は経営学の講義を受け、外国語の授業も英語だけでなく、第二外国語の選択も推奨されている。


校長であるマリアの教育方針は、世界に通用する人間を育てることであり、そのためには自主独立の気概を養うことが必要と考えているのだ。

和を持って貴しとなせという校風からこの教育方針は意外に思われるかもしれない。しかし、グローバル経済を一つの円環と捉えた場合、人、物の流通はもはや縦の動きではついて行くことはできないのである。


もちろん、国語、数学、理科、歴史などは必須科目であり、卒業までに一定の単位の習得が義務付られている。

ひとまず、イルカは、考古学。

宇美は、経済学入門。

オレオ少女は、フランス文学史。の教室に各々向かった。


授業は三つある校舎のいずれかで行われる。選択した科目によっては、校舎が離れているため移動に手間取る。


イルカが向かったのは、校門から一番手前にある一号館。つまり、一年生の教室からは最も遠い場所にあたる。


教室内は傾斜のある段に、四人がけの長机が三列に連なる。


始業のチャイムと同時に、教員らしき男性がやってきた。背中の曲がったかなり高齢の男性だ。


彼は教壇にたつやいなや、いきなり中国で発見された先人の骨の特長を流暢に語りだす。周りを見渡すと、淀みなくノートをとっている。


イルカもそれに倣うが、ついていくのがやっとだった。


その日は、他の科目も受けてみた。基礎科目は問題ない。元々偏差値の高い宝蔵院に入学できる学力がある。慣れるのも時間の問題だろう。


「はい、論破ーって感じだったね。さっきは」


回廊を歩いていたイルカを追い越した少女が、振り向き様にからかいの手を入れる。


「貴殿は、確か……、当たり屋殿」


「あんたとは、いつかきっちり話しておこうと思ってさ。あたしの名前は、二階堂宇美。当たり屋呼ばわりはひどくない?」


「失礼しました。二階堂殿。貴殿のお名前、記憶しました」


話してみると、思い込みが激しいだけで、悪い子には見えない。宇美は先ほどのことを水に流し、親切心を発揮する。


「あたしのことはもういいんだ。それよりあんた、孤立してない? 大丈夫?」


「私は自立できる人間に成りたくてこの学校に来ました。心配は無用です」


満面の笑みを見せるイルカとは対照的に、宇美は真顔になる。


「我が強いのも結構だけどさ、孤立してると碌なことないよ。せめてLINEくらい参加したら?」


「LINE?」


宇美がスマホを振り向けても、イルカにはその意図が飲み込めない。


「携帯くらい持ってるでしょ? それもない?」


「はい」


宇美はますますイルカが心配になってきた。持ち前のおせっかいが顔を出す。


「クラスなんてあってないようなものだけどさ。一人は辛いよ。あんた、今週末にクラスのお花見会があるの知らないでしょ」


初耳である。連絡網は既に完成し、イルカは除け者になっていた。


「一応、伝えたから。それじゃ」


目的を達した宇美は踵を返そうとするが、イルカは彼女の背後からしがみついて離さない。


「えっ、ちょ、何それ」


「体に覚えこませるんです」


イルカは、宇美の肩甲骨に頬を擦り付けた。


「私、人の顔が覚えられませんから骨で記憶するしかないんです。二階堂殿の骨格ちゃんと覚えないと」


身をよじって逃れようとするも、イルカの拘束は万力のようだった。背後から腰を両腕でホールドし、両足を内側から絡ませている。


「あ、あんた、そっちの気があんの? あたしないから! 全然ないからマジで」


首筋に吐息を当てられ、宇美は悶絶する。


「二階堂殿は私に親切にしてくださいました。これより私の家来にしてさしあげます。滅多にないことなのですよ、これは」


好奇心猫を殺す。


遅すぎる後悔をしながら、宇美は人目も憚らず悲鳴を上げた。

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