第十話「夏の雪明り」
199/オレンジ色
第十話「夏の雪明り」
下校時刻をしばらく過ぎた小学校の教室に、
女の子は、その日、教室の中に誰も居なくなるまで校舎裏の花壇で待って、夕暮れ時の無人の教室に戻って来た。今日はちょっと特別な日だから、一人で、感慨に浸りたいなんて思ったのだ。
教室には、まだ昼間の子供達の気配が残っていた。それぞれが、両親に愛されているからだろうか。残されている気配は、みなどこか優しい。
「今まで、ありがとうね」
女の子は教室の自分の机の上を指でなぞって独りごちた。明日になると、自分は今日の自分と変わってしまっているかもしれないから、今までの分が確かなうちに、この優しい教室にお礼を言っておきたかった。
女の子は、小さい背丈に、まだちょっと釣り合わない赤いランドセルを背負っていて、髪の毛は藍色のリボンでツインテールにまとめている。
女の子の左胸の名札に、藤の校章と共に記されている名前は。
――
幼い明日美が話す、ちょっと哲学的な想念は、同級生には理解して貰えなかったけれど。それでも、ちょっと変わった子という前提なりに、みんな交流を続けてくれていた。だからありがとう。
頭の中で色々と考えている、様々な難しいことに関しては、分かって貰えなくても別にイイ。そっちの方面には、明日美には唯一無二の理解者がいたから。
理解者とは、明日美のお母さん。今日も、明日美が「時間」について気付いたことを、聞いてもらうつもりだ。
童心なりに感謝の心を噛みしめた明日美は、教室を後にして家路についた。今日は特別な日なので、家の途中の橋の所までお母さんが迎えに来てくれていた。さっそく、矢継ぎ早に今日考えていた想念について、明日美は母に語りかける。
「お母さん。その視点はなかったなぁ。明日美ちゃん、地球上にないようなことを考えるねぇ」
「時間」についての明日美の見解を、母は真面目に感心したような顔で受け止めてくれる。でしょ? と、認められた心地よさから、明日美の顏は得意気になる。
「今日は、ケーキを食べたら、
そう、何が今日は特別な日かと言ったら、明日は明日美の誕生日なのだ。
その誕生日の前日に行われる儀式を、母も、明日美も年月の中で自然なものとして受け入れていた。明日美の義体には一年の期限があるので、誕生日へと日付が変わるその時、新しい義体へと、アスミの「たましい」を移動させるのだ。
実は、この頃の明日美には、難しいことはよく分からなかった。ただ、自分は他の人間とは少し違うとか。それくらいの感覚で。
「お母さん」
明日美は愛する母に笑顔を向ける。
「今年一年、ありがとうね」
「そうだね。お母さんも、今年一年の明日美ちゃんに、ありがとうだよ」
母と娘、ゆっくりと手を繋いで歩いて行く。二人の影が、橋の
これが、幸せだった頃の「空瀬明日美」の記憶。色は燃える紅蓮と言うよりは、温かに世界とそこに生きる人間を包む、淡いオレンジ色だった。
◇◇◇
しかし彼女は、紅の炎を燃やさなくてはならなかった。優しい夢の時間は、長くは続かずに、途切れてしまった。
◇◇◇
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