87/プロメテウス(第四話・前編・了)
超女王にとって、支配下の存在が捕食により栄えていく中、自身が余剰として没入する享楽は至上の喜びであった。超女王は体を、精神を溶け合わせたいとばかりに執拗に志麻の肉体を視認し、触り、舐め、匂いを味わっている。
毒による麻痺で抵抗ができない志麻は、どこかで危険な悦楽を感じ始めていた。ずっと、どこかで「向こう側」に渡ってしまいたいという気持ちを抱えていた。その気持ちを押しとどめる道徳のようなものが自分に残っていると思っていた。だがそんな不確かな気持ち、超女王のような世界の本当の過酷の中で生きてきた人間からしたら、一抹の軽薄な虚飾に過ぎないのではないのか。だとしたら、このまま自分と同じ痛みを抱えているという超女王に支配されるということが、自分のようなくだらない人間にはふさわしく、また快感なのではないかと。
志麻自身が再構築したナイフで超女王は志麻の上衣を切り裂くと、恍惚と顕わになった乳房を視認する。
「綺麗な、肌です」
それは気持ちイイことなのだと、受け入れてしまえばイイじゃないか。乳房を指でなぞられる感覚に、目を閉じて没頭してしまおうかという時である。場に、冷たい風が吹き込んできた。
真夏の生ぬるい風とは違う、冷やかさ。その風を知っている志麻は、そこで我に返る。
「いやっ」
志麻が残された力で拒絶の意志を示し、超女王を突き放した時、何かが超速で風に乗って割れた窓から飛び込んできた。
飛来する殺気は超女王を狙っていた。志麻に対する興じに意識を割いていたゆえか、超女王の反応が一瞬遅れる。
疾風には重力が乗っていた。超女王に向かってくり出されたのは飛び蹴り。衝撃で周囲に円形に飛散する風と、舞うツインテール。かろうじて片腕で直撃をガードした超女王に対して、さらに肩口を踏み台にして、離れ際に空中で左の回し蹴りを放つという体術を見せる。紙一重で避ける超女王としばし視線を交わしたのは、凛然とした赤い存在変動律。少女はそのまま後転して間合いを離して志麻の前に立つと、超女王を一睨みする。
「この、エロ女っ」
アスミであった。純粋に相手への侮蔑がこもってる言動だと志麻には分かった。
「遅い」
毒による麻痺で横たわったまま、強がりの言動を送る。
「走ってきたわよ」
軽口を叩くように志麻に向かって振り返った時、アスミは超女王には見えないように、眼球を左右で別々に動かして見せた。それは、アスミと志麻にだけ解る暗号になっている。志麻はアスミから伝えられた事柄を納得する。
「蹴りを受けた時、見えました。あなた、普段は認識阻害の
これまでの落ち着き払った態度と異なり、超女王の口調からは苛立ちが感じられる。それは、自分の支配下に取り込めたはずの女を解放されたからか。ある種、異性を奪い合う野生の法則に身を置くからこそ生じる感情か。殺気立つ動物のように、現れた
アスミに降り注ぐ鱗粉は、キラキラとして見方によっては綺麗だ。その表層の美しさと、相手の行動を奪うという特性が気に入っているのか、超女王の能力の中では使用頻度が高い攻撃でもあった。
しかしアスミは毒鱗粉の霧の中、表情一つ変えずに佇んでいる。片瞳を瞑り、サっと自身の髪の片房を
「貴様。
アスミはポケットからマッチを取り出すと、慣れた手つきで、シュっと擦ってみせる。
「『
マッチ棒の火種はまたたくまに毒鱗粉を焼き払うと、形を円形へと変化させ、空中でぐるぐると旋回を始める。
「『火のハイデガー』」
アスミが作り出した明滅する紅蓮に対して、蝶が、鴉が、蜂が、その場にいた生物群が忌避するように距離を取った。それは生物の本能のようなもので、この感覚を持つ者には人間も含まれる。超女王は、無意識のうちに一歩だけ後退した。
いつものように、アスミは気だるそうな死んだ目をしている。そのあり方がブレなくて、私の親友は頼もしいなと志麻は思った。
場には風と炎が渦巻いている。その中心で重心を落とし、いつでも俊敏に動けるように足にバネをためたアスミは獲物に飛び掛かる直前の猫のよう。
超女王の言動に淡々と返答した。
「そんなたいそうな
/第四話「サヨナラの色」(前編)・了
第四話(後編)へ続く
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