59/恋愛談義

 志麻にとって他人の恋話ほど興味がない事柄もなかったが、ジョーの姉の宮澤カレンという女は、運ばれてきたビールで喉を潤しつつ、最近自分に彼氏が出来た、などという話をしている。


「これってどうなの?」


 一通りカレンとその暮島という彼氏の状況を説明された後に、意見を求められた。カレンはこんな条件のイイ男が、自分に求愛してくる理由が分からない、という趣旨のことを語って聞かせている。ノロケなのか素で疑問に思っているのか。志麻は段々表情を取り繕うのが面倒になってきて、作り笑いにキレがなくなってきている。


「どうでしょう。私、恋愛沙汰には疎くて」


 ちびちびとオレンジジュースに口をつけながら、てきとうに相槌を打ってしまったが、この切り返しはよくなかった。


「えー、それは嘘だなぁ」


 まじまじと志麻の顏を見るカレンの発言には、これだけ容姿が綺麗なのに、恋愛沙汰に疎いということはあるまいという含意がある。


 志麻は自分なりの美を自身に追及していることは自覚しているし、自惚れとは違う次元で、ある程度それが実現できているのも理解している。ただそうした求道があるからこそどこかで、美しさを自己顕示の道具に使い、異性からの承認で満たされている類の女を、しょせん自分とは違う幸せな側にいる人間だと、冷めた目で見ている所があった。ここまでの宮澤カレンの印象は、この女もそんな類の女。だから、少しばかり、あなたと私は違うんだという自意識を込めて言った。


「悲しい友達がいて。彼女の行く末に寄り添いたいと思っているんです。今は自分の恋愛とか、考えられません」


 決然とした態度を示したつもりだったが、カレンの反応は柔和なものだった。


「ふーん。何か、君も色々背負ってるものがあるんだねぇ」


 そう言って、赤貝の刺身を中央の皿から志麻の皿に取ってよこす。


「てっきり志麻ちゃんはジョーのことが好きで、お姉さんの私に探りでも入れてくるのかと思ってたよ。将を射止めるなら、まず馬から、みたいな」


 心外であった。


「そんなことは、全っ然っありませんから」


 全然、の所を強調して応える。既に対外用の微笑をたたえた少女像は崩壊していた。気持ちが荒ぶる。ジョーに対しても、自分はまだまだ認めたつもりもない。


「陸奥ちゃんの方はどうなの?」


 陸奥は、地元の名酒をカレンの酌で口に運びつつ、コース料理の海の幸盛り合わせを、恍惚とした表情で食していた。愛くるしい女の子がもぐもぐと食べ、幸せそうにしている様子には、少しカレンにはつっかかってしまった志麻の表情も緩む。


「私はですねぇ」


 色恋沙汰の話だと分かっているのかどうか。陸奥は焼きがれいを箸で器用に解体しながら軽い感じで応える。


「ありのままですかね。既に、ジョーさんと私は魂の奥の部分で繋がってますからね」

「うわ、余裕発言」


 カレンは、陸奥と志麻の顏を交互に見る。その、ジョーのハートを射止めているのは陸奥なの、志麻なの、というような態度が志麻には気に食わない。


 一言文句を言ってやろう。そう、口を開きかけた時、居酒屋の中央の方から、何やら渋い音楽が流れてきた。これは、演歌か。見れば、店の中央の一段高いスペースをステージに見立てて、店内にいたお年寄りの集団のカラオケが始まろうとしていた。


 志麻たちが座す隅のスペースは、今日は仕切られていない。改めて店内を見渡すと、様々な人物がいるのに気づく。お年寄り、カップル、つなぎを着た街の修復工事関係の仕事を終えた人々。


 しばし意識がそちらに向いたので、口から出かかった言葉を忘れてしまう。そしてその時、志麻は気づいた。志麻と同じ様に店内で歓談の時を過ごす人々を見ていたカレンのまなざしが、とても優しいものであったことに。

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