31話目
「負けたらどうしようって思わないわけでもなかったんだ。でもこういうのは勝ったことを想定して動くべきなんだよね。いやいや、残金の大半をこれに使って正解だったよ」
ケイは笑いながら、なにかの箱を大量に運ばせていた。
彼は既に制服に着替えて、実行委員としてツァーリと色々なことをやっている。
「主役のディックとセリアは、取り敢えず着替えてきて。今からグラウンドの特設会場で勝利報告会だからね、急いで急いで」
勝った場合と負けた場合、実行委員会は両方のスケジュールを組んでいた。
本日のこれからの予定は、負けた場合のデータを一切使わずに済む。
急いで着替えた
五十人近くがグラウンドの特設会場の壇上に立ち、興奮を隠しきれない笑顔を皆に見せていた。
「実行委員長のセリア・カッリネンです。本日行われた星群カレッジとの対抗戦にて、月面カレッジが勝利しました!」
セリアからの勝利報告に、大講堂から来た生徒、教師、そして企業に就職したOBや関係者等がこれでもかという大歓声をわっとあげる。
一旦収まるのを待ってから、セリアは続けた。
「それから、
セリアの言葉を聞きながら、壇上の生徒達は誰もが誇らしげな顔になる。
対抗戦の協力を申し出た彼らは、最初は物好きだと周りから呆れた眼で見られていた。
だが、今は全く違う。次は自分があそこに立ちたいと羨望の眼差しが向けられている。
「最後に星群カレッジの皆さんへ拍手を贈りたいと思います。貴方達がいたからこそ、わたし達は成長できました。月面カレッジの良きライバルが誕生したことを祝いましょう!」
再び大歓声と拍手が響く。星群カレッジもよく頑張ったと皆が称えた。勿論、そのあとに『でも俺達の方が頑張った』とつけ足すのも忘れない。
「勝利報告はこれで終了です。さて、初めての『月面カレッジ』の勝利を体験した皆さんは、どうやって喜びを表現したらいいのかさぞかし戸惑っているところでしょう」
セリアからマイクを受け取ったケイは、にこやかな笑顔を集まった生徒へ向け、語りかけた。
「勝利の祝い方は様々です。というわけで、無国籍風に祝える方法をご用意しました。はいみんな『これ』を手に持って!」
ケイが持っているのは、プラスチックの蓋が付いた瓶入りのサイダーだ。
サポーターのみんなが壇上から降りて、グランドの生徒や教授、関係者へ次々に渡していく。
ひやりと冷たい感触が気持ちよかった。皆が乾杯でもするのかと思っていたのだが、ケイはそれを裏切るように遠慮なくサイダーの瓶を上下に振る。
「Cheers!」
蓋を親指でぽん、と開けた。
当然、遠慮なく振られた炭酸飲料は、強烈な勢いで飛び出す。
それは隣にいたディックに容赦なく降り注ぎ、反対側のセリアは悲鳴を上げた。ちなみにディックは悲鳴すら上げることができなかった。なぜなら、顔面に叩きつけられたサイダーが、悲鳴すらも遮ったので。
「お国柄でビールだったりシャンパンだったりするでしょうが、未成年者も遠慮なく参加して頂きたいので、サイダーで! では皆さん、主役へ遠慮なくどうぞ~!」
「……おい、ケイてめぇ!!」
「あ、振ってからじゃないと飛び出さないからね。別に逆さにしてぶっかけてもいいけどさって、うわ冷たァ!?」
ディックが仕返しとばかりにケイにサイダーを浴びせかける。それがきっかけでグラウンドはサイダーかけ大会が始まった。
勿論、主役の二人は眼を開ける暇はなかった。
一位でゴールしたディックは次々にサイダーをかけられ、三位でゴールしたセリアも同じ目に遭った。
そしてこれがチャンスと、ツァーリは男子生徒に集中砲火を浴びた。女生徒は嬉々として濡れたツァーリも素敵だと撮影をして、それから自分もかけにいった。
「なあ、対抗戦、またやろうぜ!」
ディックの言葉に、ケイはいいねと顔を拭いながら返事をする。
「次はいつがいいかな?」
「ソーケイセンって年一回なんだろ、なら対抗戦も年一回ぐらいか。また来年、星群を叩きのめすぜ!」
「はい! また来年、絶対にやりましょう! 次はディックも抜いて、わたしがトップでゴールしますからね! 覚悟しておいてください!」
「おォ? よく言うぜ、何秒差あったと思っているんだ!」
「ひぇええええ! 背中にサイダーは駄目です、あぅうううう!」
セリアはディックに襟首を捕まえられ、制服の中にサイダーを注ぎこまれた。冷たさに悲鳴を上げてじたばた暴れ、なんとかディックの手から逃れる。
よく見れば、会場はもうとんでもない騒ぎだった。あちこちで胴上げが始まり、ディックは何度も宙に浮く。止める立場である教授が率先してサイダーかけに加わり、来年は我々だけでもビールでやりましょうと他の教授と意気投合する。
誰もが勝利を全力で喜んだ。
皆、こんな騒ぎをしたことがない子供達だったが、ぎこちなさがあったのは最初だけだ。今は普通の若者らしく、叫んで、笑って、大騒ぎを全身で楽しむ。
「ひぇえ……サイダーで制服が絞れるなんて初めてです……」
セリアは適当なところで会場を抜け出し、びしょぬれの制服を絞ぼった。
もうこれはクリーニング行きが決定だ。乾き始めたサイダーはべたべたと肌にまとわりつき、不快感を訴え始めている。
しばらくは馬鹿騒ぎが続きそうだったので、今のうちにシャワーでも浴びに行こうと忍び足で校舎に入ったのだが、視界の端に金色がちらりと見えた。
「……ツァーリ?」
主役の一人であるツァーリが、一人でベンチに座っていた。
冷たいサイダーのシャワーと、嫌がらせの胴上げにげんなりして抜け出したのだろう。
眉間の皺がそれを物語っている。セリアは慌てて会場へと引き返し、とあるものを手にしてまた校舎に戻った。
「ツァーリ、お疲れさまでした。乾杯しませんか?」
ベンチのツァーリに呼びかけたセリアの手には、未開封のサイダーが握られている。
ツァーリはため息をつき、ついてこいと言って立ち上がる。
「サイダーは暫く見たくない」
「たしかに、ここまで濡れると飲みたいとは思えないですよねぇ」
互いにびしょぬれで、サイダーのほんのり甘い香りもついている。
手短な教室へと入ったツァーリは、待ってろと命令してからどこかに消えた。そして戻ってくると、手に瓶とマグカップを持っている。
「乾杯ならこっちだろう」
「――未成年ですよ?」
「今日飲まなくて、いつ飲むんだ?」
ツァーリが持ってきた瓶は、本物の白ワインだった。しかもこれは高級品だ。
セリアの記憶では、ツァーリは特に酒好きというわけではなかったはずだ。家族のお祝い事で出されたら付き合いで飲んだりはするだろうが、自分からは手を出す人ではない。
おそらくこれはもらい物で、飲む機会がなくてツァーリの自室のどこかに放置されていたのだろう。
ならば遠慮なくお付き合いして減らしてやるのが、幼馴染みの勤めだ。
「はい乾杯!」
「乾杯」
ワイングラスはツァーリの部屋にはない。ツァーリの私物のコーヒー用のマグカップにワインを入れ、二人はがちんという陶器の音を鳴らす。
「無事かどうかはまだわかりませんが、対抗戦がついに終わりましたね」
「そうだな」
グラウンドの馬鹿騒ぎの声がここにまで聞こえてくる。
その後始末を終えたら、無事に終わったとやっと言えるだろう。
既にセリア達は、いつもの優等生モードに意識が切り替わってしまっていた。
「惜しかったな」
「――ぇえ? ……あ、ぇ、わたしですか? 惜しかった……でしょうか。ディックとはかなりの差がありましたよ」
「順位だけなら惜しかったと言っていいだろう」
「順位だけですよ。中身は全然駄目でした。でも来年は必ずトップでゴールします」
もうセリアの気持ちは来年に向かっている。
第二回の対抗戦でトップを取るという目標ができ、歩き始めた。
「……ならキスは来年だな」
ツァーリの爆弾発言に、セリアはワインを吹きそうになった。
そう、すっかり忘れていたのだ。対抗戦前にトップでゴールしたらキスをするとツァーリに宣言したことを。
「ああああ、あれはっ……いや、あれは、そのっ……!」
「来年、トップでゴールするんだろう?」
「そ、そっちは本当です、はい! その通りです!」
「宣言通りになるなら、前払いでも構わない」
「まえばらい……って……」
セリアは頭の中で情報を整理する。
対抗戦にてトップでゴールできたら、セリアはツァーリにキスをできる。
今年はできなかったが、来年の対抗戦では絶対にトップでゴールするつもりだ。
つまり来年はツァーリに絶対キスをする。
それが前払いになるわけで……。
「ぇぇえええええええ!?」
「あれは冗談か? だとしたらジョークセンスは最悪だな」
「貴方にジョークのセンスをとやかく言われるのは……ってそうじゃなくて!」
一瞬別の方向に話が進みそうになったが、セリアはなんとか軌道修正をする。
そうだった、これはツァーリとキスをするしないの話だった。
「い……いんですか……?」
「最初から構わないと言ったはずだ」
「あぅ……そ、そうでしたよね……うぇえーっと……」
かーっと頬を染めたセリアは俯き、スカートの端をぎゅっと握りしめる。
頭の中はキスのことでいっぱいだ。色々なことがぐるぐる回っている。
――チャンス? これはチャンスでしょうか!? 行くべきですか!? それとも引くべきですか!?
「青春です!」
セリアは右側に座っていたツァーリの肩に、自分の手を置く。
力をこめて腰を浮かせ、ツァーリと視線の高さを揃えた。
綺麗なアイスブルーの眼に一瞬怯みそうになるが、ぎゅっと眼を閉じて顔を近づける。
おそるおそる、いや、いけ、と自分を叱咤して少し勢いをつけ――……。
―――そして、ついに、唇になにかに触れた。
「はっ、はわっ……あああああ、ご、ごめんなさいぃいいいいい!」
柔らかな感触を感じたセリアは、勢いよく顔を離す。
眼をつむっていたため、本当にキスできたのかわからないぐらいの、一瞬の接触だった。
したかもという曖昧な事実に、なにがなんだかわからなくなり、叫ぶように謝ってから全速力で教室を出て行く。
「……一人で飲めと?」
教室には、ツァーリだけが取り残された。
おまけに、セリアが置いていったマグカップには、ほぼ口がつけられていない白ワインが残っている。
ツァーリは仕方く一気にそれを煽り、ゆっくりと立ち上がった。
そしてなぜか、二列前の座席の背に手を伸ばす。
「悪くないな」
長くて綺麗な指には、超小型端末が摘まれていた。
――キスしちゃいました! あのエーヴェルトと、キス!!
セリアは走りながら、先程のできごとを脳内に思い浮かべる。
なんでキスをすることになったのかは未だに理解できていないが、来年のトップゴールのご褒美を前払いでもらえたことだけは理解できていた。
なら、絶対に来年は誰にも負けられない、あのディックにだって!
興奮するセリアは、自分のことしか見えていない。
そのせいで、ツァーリの行動の裏の意味を全く読みとることができなかった。
あのディックでも、つい先程のセリアとツァーリの会話を聞いていたら『なんだそれ、気持ち悪りぃな、この馬鹿ップル!』と言えるぐらいの、とてもわかりやすいものだったのに。
「はー……ああもう、すごい一日でした……」
あっと言う間の、そしてセリアにとって今までで一番濃密な一日だった。
期待や興奮や緊張が混ざった状態で始まり、そして終わりかけの今は少しの切なさも感じている。
だからだろうか、グラウンドから聞こえる遠い歓声の中、一人で廊下を歩く自分の足音が妙に響いた。
あれだけ多くの仲間と共に過ごし、今までにない達成感を得たのに、それでもそのあとはなぜか寂しくなった。オレンジ色の優しい光に包まれ始めるカレッジの中で、セリアは初めての感情を知る。
「――うん、ですが、これからもっと頑張れそうです」
ようやく立ち止まり、暫くできなかったぼんやりするだけの時間を味わう。
でも長くは味わえない。そろそろ後片付けの時間だ。
気合いを入れてグラウンドに戻ろうとしたとき、セリアの端末が呼び出し音を鳴らし始めた。
「え、と……ケイでしょうか。あわっ、防水はしてますし、あとで洗えば!」
べたついた手で端末に触ることを躊躇ったが、まあいいかと諦めて端末の通話をオンにする。
知らない相手だが、この対抗戦の準備中はセリアの端末番号が連絡先としてこれでもかと回りに回っていたので、サポーターの誰かだろう思い、はいと出た。
「セリアです」
だが相手は名乗らない。おや、と首を傾げると、ようやく相手が声を発した。
『……対抗戦の勝利、おめでとう』
端末から聞こえてきたのは、数カ月ぶりの声だった。
忘れるはずがない、大切な友達の声だ。
「ユーファ!?」
『
「ユーファ! ユーファ、わたし……!」
『三分、それだけよ。三分経ったら切る。これは
「はい!」
まさかユーファから連絡してくれるなんて、セリアは思ってもみなかった。
驚きと嬉しさで、涙がにじむ。
『三位おめでとう、私も通信室で見ていたわ。……最後、ストームブルーを手動モードに切り替えたときは驚いた』
「次は手動モードへの切り替えを禁止するかもしれませんね。ARGを作動させないのは、自分でも卑怯だったなって思っていますから」
けれど、今回は禁止されていなかったため、作戦の一つとして準備していた。
来年はまた新しい切り札を用意しなければならない。
「ユーファ、途中からそちらの
『さあどうかしら。私は予備の
否定しないことが肯定を現していて、セリアはユーファの英断のシーンを想像し、くすくすと笑った。
きっと星群カレッジの司令官はさぞかし驚いたことだろう。
元月面カレッジのミスコン一位であるユーファ・シュウこと『クイーン』は、あのツァーリに平手打ちをお見舞いした唯一の女性だ。
『……ねぇセリア、来年また対抗戦をしましょう。あとで、こっちから申しこみに行くわ。来年は絶対に負けないから』
「わたしも次はトップでゴールします。絶対に誰にも負けません」
『そうね。それと、来年は私、実行委員になる。セリア達みたいに、皆で対抗戦を作りたい。それで来年の対抗戦までには絶対に
「待ってます! わたし、ユーファを待ってます!」
来年はユーファとも競い合えるかもしれない。
想像だけでも、嬉しい話だ。すごく楽しみにしているのだと、セリアは想いをこめて伝えた。
「ユーファ、貴女のおかげなんです。今回の対抗戦は、貴女がいなかったら実現しなかった。本当にありがとうございます!」
『買いかぶりすぎね。でも来年は、本当にそう言わせてみせるわ。私がいたから成功したって、みんなに思わせたい』
セリアは今回、生徒だけで作り上げる対抗戦を望み、成功させた。
でも星群カレッジ側は、オズウェルが用意してくれた配役とシナリオで準備をし、当日もほとんどその通りに動いた。
敗北しても、仕方ないという雰囲気がある。
ユーファはそれが嫌だった。悔しいともっと思いたかった。
でも、次は負けない、今度は自分の手で勝ってやると目覚めた者もたしかにいた。手応えが全くないわけではない。
『ツァーリと仲よくね、じゃあまた』
三分経ったところで、ユーファは素っ気なく通話を切る。
すぐに終わってしまった三分間の会話だったが、セリアは胸がいっぱいになり、眼を閉じた。
対抗戦に向けて、緊張と興奮と不安等、様々な感情を混ぜた期待で落ち着かなかった。
終わってみれば切なく寂しい気持ちに浸された。
そして今、次の対抗戦へ挑む新たな期待が生まれている。
来年はどうしようか、来年のためにもっと勉強しなければ――。
未来のためのエネルギーが、セリアの中で燃えさかる。
「場所が違っても、想いは同じ……」
一人でも前を見ることができる。だが
対抗戦を通じて得たのは、栄光だけではない。今はまだその実感はないけれど、少しずつ気づくことが増えていくのだろう。
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