6話目
ケイは木曜日鬱の信奉者だ。金曜日はまだいい、今日で終わりだと思えばかったるい授業も朝から出る気になる。だが木曜日はまだあと金曜日もあるじゃないかと朝からげんなりする。毎週木曜日が妙にローテンション。その代わり金曜日はハイテンション。
毎日元気なディックはケイに対して『曜日でテンションが違う面倒せぇ奴』と思っている。
「あ~金曜日っていいな~いいな~」
朝からテンション高くうきうきとカレッジ内を歩いてたケイだが、うしろから風を感じた瞬間、なぜか身体が前のめりに走り出していた。
「うぇっ、え!?」
「おはようございます! ちょっとつき合ってください!」
小柄なセリアが走りながらケイの腕を素早く手にとり、つられてケイも走り出す羽目になったのだ。正直、今は走るとさっき食べたばかりのものが出てきそうで怖い。
「昨日、ケイも見てたんですよね、1to1!」
「ああうん、見てたけど……というより、覗き見してたけど……」
「1to1に限りなく近いゲーム、ありませんか!?」
セリアがケイを掴んで向かっているのはクラブハウスが並ぶ場所だ。
ケイは自ら作った『ヤングカルチャー同好会』の部長にして唯一の部員である。内容はマンガ読んだりアニメ見たりゲームしたりと、ケイが自分の部屋でやっていることと大差ない。
「1to1ねぇ……近いゲームじゃなくて、シミュレーションそのものなら持ってるよ」
「どこで……あ、やっぱりいいです訊いたら駄目ですね……!」
月面カレッジのサーバーにアクセスして引っこ抜いたか、それを作った企業をハックしたか、どちらかだろう。しかし、どちらでも退学で終わらない行為である。今は目をつむってなにも知らない振りをして貸してもらうしかないのだ。
「それ、コピーをさせてもらってもいいですか!?」
「いいよ。カスタマイズもご希望?」
「話が早くて助かります!」
走りながらカレッジ内を走り抜け、ようやくクラブハウスに着いた。
ケイはぜーはー言いながら、肉体労働は僕の分野じゃない……と制服の襟元を緩める。
一方セリアは息を切らせることはなく、ケイのカードを勝手に使ってヤングカルチャー同好会の部屋のドアを開けた。
「さ、どうすればいい? 本物に限りなく近づけるなら、そこそこ時間かかるけど」
たとえば方向転換時の重力とか、衝撃とか、そういうものを忠実に再現するのなら大がかりな設備や機材がいる。流石のケイも一から作れと言われたら、一週間ぐらいはかかるだろう。
「ただのゲームでいいんです。対戦相手を強くしてください。わたしより、遥かに強く」
「それって対戦相手の基本設定をストームブルー以上にするってこと? スピードの限界値を現実より上げるとか?」
「はい、それと射程も長めに。とにかく、わたしより強くして欲しいんです」
「それなら基本設定値を弄るだけだね、すぐ終わるよ」
ケイはモニターを立ち上げ、ごちゃごちゃした画面の中から不思議な文字のファイルを開いた。ご飯を食べながらメッセージチェック、そんな気軽さでケイは片手でほいほいと該当部分の修正を終わらせる。
「セリアの端末、貸して」
「はい」
ケイはセリアの薄い透明のカード型端末をスキャン機器に滑らせ、データを移した。完了~とすぐに返す。
「本当にありがとうございました、助かりました」
ケイの手をぎゅっと握りぶんぶん振るセリアに、どういたしましてとケイは笑う。
すぐにモニターの電源を落とし、行こうかと部屋を出た。ここでのんびり話していると、遅刻してしまう。
「そういえば、ドキュメンタリー番組の撮影はどうなった? 終わった?」
歩きながらケイは気になっていたことを尋ねる。
セリアはつい先日、ツァーリの拳骨によってもたらされた痛みを思い出し、頭をさすってしまった。
「ええっと……多分、わたし達へのインタビューは無事に終わったと思います」
「いつオンエア? 友人インタビューの部分が愉快……いやいや興味深いことになりそうだから、予約しておこうと思って」
ツァーリの親友と紹介されたディックのコメントは、ドキュメンタリー番組の中で一番の笑いどころだろう。次点は電波なところを必死に隠しつつも微妙に漏れ出てしまったセリアにツァーリが青筋を立ててるところだ。
「あ、まだ撮り途中なんです。あと三カ月ぐらい追いかけたいって」
「へぇ、かなりしっかり作るんだその番組。実質
ケイは世間話のような軽さの声で、勝利を確信する言葉でセリアの応援をしてくれた。
「なら本物に勝った、でエンディングを締めてもらおう。
「はい!」
「Give me five!」
「Give me five!」
セリアとケイは互いの手の平を高い位置で叩く。小気味いいパンッと高い音が鳴った。
「ケイの身長が低いおかげで、わたしは楽にハイタッチできるので助かります」
「……それは、うん、いや、母国では平均身長ぐらいなんだよ、僕。ただツァーリとかが高すぎるだけでね……」
ケイは自分でも、言い訳の声が妙に情けなく聞こえてしまい、がっくりと肩を落とした。
講師として招かれた五人の現役
セリアに与えられたリベンジまでの猶予は金土日の三日間。その間に本物の
「……それはいいんだけど、Aクラスってもう一度講師に来てもらえるの?」
昼休み、セリアは教室の机に備え付けられているモニターを使って1to1に限りなく近いゲームを続けた。
あたたかいお茶の差し入れを持ってきたユーファは、そういえばとセリア達のスケジュールを確認する。
「そうですよね、今のうちに申し込んでおかなきゃいけませんね」
「予定ないの!? 再戦はどうやってるするつもりだったのよ!」
呆れたわとユーファはため息をつき、セリアのモニターの電源を切った。
「あっ!?」
「あじゃないわよ、今から行くの。今どこにいるのか、ケイなら分かるでしょう。まずはケイを捜すわよ」
予定にないプライベートで再戦をしてもらうなら、事前に話を通すことは一番大事でしょうと言うユーファに、セリアは引っぱられていく。
昼休みならまずはいくつかあるカフェか食堂にいる可能性が高い。セリアは今日の擬似天気を慌てて端末で確認した。
月面カレッジは温度・湿度を全てコントロールしている。当初は人体に通年で最適な温度・湿度を一定に保っていたのだが、逆に身体の免疫が低下する結果となり、今ではわざと季節を作っていた。
今は春の季節となっており、風がある日は少し冷たく、ない日はとても暖かい。今日はその風がない日なので、ケイは外で昼食を取っている可能性が高かった。
「いたわ、あそこね」
外のカフェは結構な混雑だ。だがユーファは二人がけのテーブルにケイとディックがいることにすぐ気づき、セリアにほらと教えてくれた。
近づいてくるユーファとセリアに気づいたケイは、やあと手を挙げる。
「美人に捜されるっていいね」
「ソイソース男を捜す趣味はないわ。用があるのはセリアよ」
ケイはフィッシュアンドチップスを頼んだらしく、皿にはチップスと鱈のフライがのっている。その鱈はフライ部分がはがされて、黒い液体……ソイソース、つまりは醤油がかけられていた。
なぜそのような食べ方をしているのか、セリアには理解できない。
「知ってる? 僕の血は醤油でできているんだよ。ここはフライばっかりでただの塩焼きが存在しないから、妥協策でこういうことに」
「だからって自前で用意すんなよ。オレにまでソイソース臭が染みつくだろうが」
ディックの文句からすると、どうやらケイの醤油は自前らしい。実は、自ら用意した調味料を持ち出してくる生徒はケイだけではない、結構多いのだ。
カレッジ内の食堂で、要望があった世界各国のメニューを全て用意するのは難しい。なので、誰であろうと早々に食べ飽きる。故郷の味が恋しくなるのは自然なことだった。
「で、セリアの用事って? あのゲームの調整?」
ケイに問われて、セリアは黒くなったフィッシュアンドチップスから顔を上げる。
「現役
「居場所? 彼らが持ってるIDはお客さま用かな? ちょっと待って」
ケイははいはいと自分の端末を使って学内サーバーに入る。
最近の日付で、同じ時間に連番で五つ発行されたIDを見つけると、それで学内の端末全てに検索をかけた。最終アクセスは十分前だ。教員用レストランを出て、重力エレベーターに乗っていた。
「スペースポートに行ったみたいだよ」
「どうも。行くわよ、セリア」
「ありがとうございました!」
セリアはケイへ今度お礼をしますと約束をして頭を下げて、慌ててユーファの後を追いかける。
早足で歩いて加重エレベーターに乗りこみ、十分後にはスペースポートへと到着した。
「……いたわ」
セリアはユーファの背中からひょいと顔を出し、前方を確認する。
ストームブルーが置いてあるドックの片隅で、現役の
セリアも
「セリア、どの相手?」
「ええっと、右奥の若い人です。栗毛の……」
「そう。いざというときは援護射撃をしてあげるわ。でも貴女が丁寧に頼めば、あの程度の男なら墜ちるでしょうね」
可愛い顔のセリアがお願いしますと笑顔を作れば、なら……と言い出す可能性は高い。
ほらとユーファに背中を押されたセリアは、低重力下でのスイムウォークで音もなく現役
現役
「先日の1to1に参加したセリア・カッリネンです。ミスタ・バートン、日曜日のほんの十五分でいいんです。わたしに時間をいただけませんか?」
自己紹介をして、返事を待つ。すると返事の前にセリアの制服の袖のライン数に気付いた別の男がもしかしてと呟いた。
「君、噂の
「はい、一カ月半前に最後のAランクを習得しました」
セリアの制服の袖のラインは三本。Aランクを習得するごとに増えていく袖のラインは、軍の階級を意識して作られていた。それだけではなく、
「十五分……ってことは、再戦希望ってことでいいのかな?」
マークはセリアに確認し、セリアはそうですと頷いた。
普段はおどおどした雰囲気のセリアは、話し始めると一気に変わる。はっきりとした声で怯むことなく、年上の男達の視線を受けとめる。
「今の君には私に勝てないと思うよ。それでも?」
「昨日のわたしは勝てませんでした。今日のわたしでも勝てないと思います。でも――三日後のわたしは、勝てる可能性を持っているかもしれません」
やられっぱなしで黙って見送ることなんてこと、絶対にできない。自分は
「いいねぇマーク、可愛い子に1to1のランデブーを申しこまれて」
「手も繋げないデートだけどな。何しろストームブルーには手がないっ!」
「いやいやドッキングはできるだろ」
他の
「いいよ、私からに話を通しておこう」
「有り難うございます!」
差し出された手を両手でセリアは握りしめ、勢いよく何度も振る。
精一杯頑張りますと宣言してから、ユーファへ朗報を告げるためにぽんぽんと軽快に飛び跳ねた。するとふわりとスカートが翻り、マーク達の視線がセリアのスカートの中身へと集中する。しかし見えたのは短いスパッツで、そうだったと学生時代を五人全員が思い出し、あーあと落胆の声を上げてしまった。
ユーファはマーク達に冷ややかな一瞥を送り、にこにことしたセリアに帰るわよと言う。結果は訊かなくても、顔を見ればわかった。
「ありがとうございます。大事なことを忘れていました」
「本当に馬鹿ね、再戦申しこみは一番大事でしょう。……あとは、好きにしなさい」
「はいっ!」
しっかりしているユーファは、いつもセリアのフォローをしてくれる。
いつだったかセリアがいつもすみませんと謝ったとき、世話を焼かずにいても自分が苛々するから別にいいと宣言した。
だからセリアは、お礼の言葉と、行動で気持ちを示すことにした。
「わたし絶対に勝ちますね、相手が本物でも」
ユーファの気持ちに応えたくて、ユーファの顔ではなく、真っ直ぐ前を見て言う。
隣を歩くユーファは、そうと素っ気なく呟いた。
――三日後には、またセリアと差が開く。
前を向くセリアは、苦い思いを噛み締めるユーファに気づくことはない。
友情と、羨望や嫉妬。それらは共存と両立ができるのだと、ユーファはセリアと出逢ってから思い知らされていたのだ。
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