5話目

 指定されたエリアには、既に現役の船外活動士パイロットが待機していた。

 セリアは深呼吸を一つして、よし! と己を鼓舞する。

『全員、位置に着いたな。カウントを開始する!』

 教授の確認の後、テンカウントが始まる。

 いつものように、機会音声のカウントに自分の声を乗せた。

「スリー、ツー、ワン……スタート!」

 最大加速で一気に対戦相手との距離を縮める。

 三秒で現役の船外活動士パイロット機の射程圏内に入ったことを知らせるアラームが響いた。迷わずビーム砲発射ボタンを二連打し、宙域から離脱する。

 モニターで確認すれば、相手は紙一重でセリアの攻撃を回避していた。

 今の急な方向転換は、Gによって身体へ相当な負担をかけられているが、セリアの目と、判断と、動きは、慣性とは無関係であるかのように軽やかな反応を続ける。

(ここは宇宙という海、さぁ泳いで……!)

 地球上の戦闘機は重力の影響を受けるため、どうしても上下左右という絶対座標の感覚で動かなければならない。

 だが宇宙は違う、無重力下では上や下という感覚は、自らを基準とした相対座標でしかない。

 船外活動士パイロット達はその相対座標の感覚を得なければならない。決して平面の動きをしてはならない、立体をイメージして動き続けろと言われている。

 セリアは魚のように縦横無尽に宇宙空間を泳いだ。だがここだと思うタイミングで攻撃しても、向こうに当たらない。逆にセリアがビームを撃つ一瞬の隙を狙って、現役船外活動士パイロットのストームブルーから手痛い反撃が繰り出される。

「っ避弾する……!」

 回避不可能と判断するや否や、セリアは敵機に照準を合わせた。どうせ当たるなら少しでも相手にダメージを与えておきたい。『勝つ』ためのとっさの判断だ。

 『蓄積ダメージ ガ 五〇% ヲ 越エマシタ』

 まともに被弾したセリアのストームブルーは、淡々と現実を告げる。だがセリアの攻撃も相手に当たった。かすった程度でなく、きちんとしたヒットだ。

 けれどセリアにとって喜べる状況ではない。こんなことを繰り返していたら、自分が負けてしまう。

 そして現役船外活動士パイロット側のストームブルーも、まともなヒットから戦術を変えてきた。セリアの隙を狙った慎重な攻撃ではなく、自ら大胆な攻撃をしかけ始めたのだ。そうなれば追う追われるの立場が変わる。セリアは天敵に襲われて逃げまどう小さな魚だ。反撃など、考えることすらできない。

「……速い!!」

 ひたすら逃げるなんてこと、セリアは今まで一度もしたことがなかった。月面カレッジの自他共に認めるエースのディック相手だって、セリアは三回に一回は勝利を収める。敗戦になったときでも一方的に逃げる展開はない、互角に戦って勝つか負けるかだ。

 ――ただ円を描くだけじゃ駄目! もっと緩急付けて、でもスピードは維持して!

 逃げる、ただそれだけのことに集中しているのに、それすらもできない。

 避けているつもりでも偶に攻撃がセリアのストームブルーをかすめていく。細かいダメージが蓄積され、イエローアラームが点滅を繰り返す。

『制限時間 マデ 残リ一分。カウント ヲ 開始シマス』

 一分を切ったところで十秒ごとのカウントが始まる。そして三十秒を切れば一秒ずつのカウントだ。セリアは必死に反撃の手だてを考えながら、操縦桿を動かし続けていた。一瞬でもスピードを緩めたら、たった一撃で敗北が決定してしまう。

 こんな感覚は初めてだった。自分がこれほどまでに圧倒的な被食者になることは今までなかった。逃げても、逃げても、逃げきれない。反撃など頭に思い浮かぶこともなく、ただ食われるだけ……。

 『Time up』

 カウントがゼロになり、モニターに敗北を示す単語が現れる。今までに何度も見ている画面だ。なのに、いつもとは違う気持ちでそれを眺める。

「わたし……負けちゃったんだ……」

 蓄積ダメージ八〇%、相手は二〇%、誰がどう見ても、セリアの惨敗だ。

「イメージ、できなかったですね……」

 これまでは敗因をすぐに分析できた。

 どうして負けたのか、ではどうしていたら勝てていたのか、そして次回に生かせることはなにか。

 誰かに教えられなくても、自分で結論を出し、次につながる勝つイメージをすぐに思い浮かべた。

 今回は全く勝利する姿が想像できない。それどころか、なぜ負けたのか、どうしたらよかったのか、根本的なところさえわからないのだ。

 自問自答で頭がいっぱいでも、セリアは軽やかにストームブルーを動かし、スペースポートへの帰還ルートに入る。着いてから、ようやく自分以外の残りの四人のことを思い出した。戦闘中、他の戦況を見る余裕なんて、一切なかった。

「……酷いですね、わたしの損害率」

 ストームブルーを降りてドッグの待機ルームに向かえば、大型モニターには先程行われた五つの1to1の結果が出ていた。セリアの蓄積ダメージだけ、ずば抜けている。

「――どうだった?」

 戻ってきたディックは悔しそうにセリアに問う。

 セリアは苦笑して、見ての通りですと答えた。

「情けない戦いをしちゃいました」

 教授に叱られてまでしたかった本物の船外活動士パイロットとの1to1。

 絶対に負けない、対等に戦ってみせると意気ごんだのに、この様だ。

「ディックは凄いですね、蓄積ダメージ三〇%はここまでで一番低い数字ですよ」

「遊ばれてただけだ。お前みたいに一撃ですらまともに入れてねぇ」

「一撃の代償は大きすぎました。あれでは駄目です」

 モニターを見ればディックの相手機の損害率は三%。遊ばれていたという言葉の意味がわかり、ああと頷いた。そして一つ下の欄にエーヴェルト……つまりツァーリの名前と結果がある。こちらもダメージは少な目だが、相手機のダメージも少なく『遊ばれていた』ようだった。

 珍しく苛立ちを見せるツァーリにセリアは声をかける。結果はわかりきっているから、別のことを聞くために。

「――どうして負けたか、わかりますか?」

「わかったら、残りの試合を苛立たしく見ることはない。お前は?」

「わたしもさっぱり。なんで負けちゃったんでしょうね、わたし達……」

 セリアは自分と戦ったストームブルー7番機の映像を自分の端末へと呼び出した。

 当たると思ったはずの攻撃のところでスロー再生にする。繰り返しても、自分の納得する答えが出ない。今度は逆に避けたと思ったのに避けきれなかった7番機の攻撃のところを再生した。

「セリア、戻ってこい。終わった」

 しばらく己の世界に没頭していたセリアは、ツァーリの言葉と肩を叩く感触に我に返る。端末から顔を上げれば、最後の1to1が終わっていた。結局、学生側は誰一人として善戦すらできなかったのだ。

 全員が宇宙港に戻ると、教授が現役の船外活動士パイロットの紹介を始めた。今日は特別に講師として来てもらったと説明された生徒達は、彼らを拍手で迎えた。

 一人ずつ簡単な所属と自己紹介の後、予定では授業の後半は懇親会だったのだが、急遽実習となったことや、そのせいで質疑応答の時間がとれなくなったことと、だが講演会を行うので是非一番前で聞くようにと色々言われる。

 では解散と今日の授業の終わりが告げられ、セリアは悶々としながら反省会を再開したのだが、教授から呼び止められてしまう。

「ディック・デイル、セリア・カッリネン、待ちなさい」

『説教か?』『説教ですね』とディックとセリアは顔を見合わせて会話をする。

 覚悟を決めていくと、そこには教授だけではなく、本物の船外活動士パイロットの一人が待っていた。

「……この二人が?」

「そうだ。今のツートップだな。頭一つ抜けている。……が、見ての通り問題児でもある」

「学生時代、俺もよくそう言われました。あの障害物走は見ていてわくわくしましたね」

 改めて初めまして、と手を差し出されて、セリア達は握手を交わす。

「君達の才能に感服したよ。卒業したら一緒に宇宙を飛ぼう。待っているよ」

 多分、喜ぶところなのだろう。でもセリアも、ディックも喜べなかった。

 こんな風に言われるぐらい、自分たちは格下だったことをもう一度突きつけられた。






 ――負けちゃった……こんな風に負けたのは初めて……。

 セリアは無重力体験室でその身体を浮かせ、宇宙空間をじっと見つめていた。

 無重力体験室は全面透過セラミック素材でできていて、三六〇度の宇宙を見ることができる。屋内で最も宇宙を肌で感じることができるこの無重力体験室は、月面カレッジの中でセリアの一番のお気に入りだった。

 セリアは暇さえあればここで浮いて、脳内でテキストの暗唱を繰り返していた。本当にぼんやりできたら一番幸せだが、このカレッジでそんな悠長な暇は存在しない。

 だがただ浮いて、微動だにしないセリアを他人は理解できず、哲学者コギト・エルゴ・スムと呼ぶようになる。


「うお~哲学者コギト・エルゴ・スムだ。やっぱり見た目は美少女だよな~」


 無重力体験室の前を通りがかった男子生徒が、目立つ銀髪に足を止めた。

 人形のように美しい横顔に、思わず見入ってしまう。

「でもさ、美人ランキングに入っても彼女にしたいランキングには入らないアレだろ、電波だろ。あいっかわらずなにを考えてるかわかんねぇ」

「電波っても哲学者コギト・エルゴ・スムはディベート部のエースだぜ。あのぼんやりした普段の話し方とは全く別人になるから初めはすごく驚いた」

 いつもああだとモテるのにな~と結論づけた男子生徒達は、さあ行こうぜと歩き出す。

 だが冷たい声に呼び止められ、振り向くことになった。

「ねぇ、ちょっと、そこにセリアいる?」

 月面カレッジの非公式ミスコンで一位を取ったユーファ・シュウが仁王立ちしている。思わず『イエス! マム!』と言いたくなるのを堪えて、男子生徒はいますいますと首を縦に振り、慌てて走っていった。 

「……セリア、そろそろ哲学の時間は終わりにしなさい。いつまで浮いてるつもり?」

 無重力体験室の入り口に立ったユーファは、逆さになって浮いているセリアへ声をかけた。一度だけでは反応しなかったので、今度は大きな声で戻ってきなさいと呼ぶ。

「……ユーファ?」

「哲学の時間は終わり。ついてらっしゃい、お茶の一杯ぐらいは出すわ」

 セリアはユーファと共に無重力体験室を出て、夜のカレッジ内を歩く。

 学生と、講師、そしてその関係者しかいない月面カレッジは治安がすこぶる良い。真夜中に女一人でふらふら出歩いても問題なかった。

「今日、船外活動士パイロット課程のAランクは現役の船外活動士パイロットと対戦したんですってね」

「はい……」

「授業中、ケイが端末で映像を覗き見してたわ。見つかったら退学ものよ。あの子、本当に馬鹿ね」

「このカレッジの回線でケイが入れないところはないみたいですだから……」

 ケイは宇宙整備士エンジニアのAランク修得者、つまりシングルエーだ。元々情報関係に強く、カレッジ入学の三カ月後に宇宙整備士エンジニアのAランクをスキップで習得した天才である。三カ月というのは、実は実習単位をとるために必要な最短の時間だ。入学前にAランクの実力を持っていたケイは、密かに『Already Aすでにエー』と呼ばれている。

「座って、茉莉花茶。多分口には合わないけど、気にせず飲みなさい」

 セリアはユーファの部屋に招かれたあと、椅子に座って出されたお茶を口元へ運ぶ。

 不思議な、でも嫌な感じではないお茶の香りがふわりと立ち上った。ふーふーと冷ましながら一口飲んでみる。

「不思議な味です」

「私もそう思うわ。一応国産らしいけど、私に飲む習慣はないから」

 ユーファは美味しくなさそうに口をつけて、すぐにカップをソーサーに戻した。

 それから自分の端末を持ち上げ、部屋に備え付けてある大きなモニターを操作し、起動させる。そしてケイから流してもらったAランクと現役船外活動士パイロットとの1to1の映像を再生した。

「全員惨敗したんですって?」

「……うん、どうして勝てなかったのかなって、ずっと思ってたんです」

「敗因がわからないの?」

「もしかしたら敗因が多すぎてわからなくなってるのかもって思いました。初めての敗因が多くて、処理しきれなかったのかもって」

 ユーファはセリアの言いたいことがなんとなくわかって、そう、とだけ言う。

「ディックも勿論強いなって感じたんですけど、あとツァーリも。でも、自分がなにしても敵わないって思うのは初めてで……」

「私はよくあるわよ」

 例えば目の前にいるセリア、そしてツァーリ、この二人には何しても敵わないとユーファは毎日思い知らされている。それはユーファだけでない。このカレッジの生徒なら殆どの者が、羨望と諦めを交えて思うことだ。

「……よく、あるんですか」

「普通はあるわ。――でも、そうね、このカレッジにいる限りAAAトリプルエーの貴女は『以下』の相手しかいないわね」

「以下……」

 月面カレッジの授業はどの課程も実力に応じてのクラス分になっており、BランクがCランクやAランクと同じ授業を受けることはない。

 セリアはAランクをとってからは、ユーファが言ったように『同じレベル』はいても『自分より上のレベル』との対戦はなくなっていた。

 その瞬間、セリアの頭の中で、気泡が弾ける音がした。疑問という名の気泡は、細かい泡となって静かに脳内へ沈んでいく。

「――分かりました! そっか、わたしプールでしか泳いだことないんだ! ユーファありがとう! わたしがんばりますね!」

 突然叫んだセリアは、また明日とユーファの部屋を飛び出す。

 セリアは自分の部屋へは戻らず、今気づいたことをカレッジに戻って実践することにした。一秒すらも惜しい、全力で走り続ける。


「……何やってるんだろう私……こんなことをしてる余裕なんてないのに」


 残されたユーファは、苛立ちに任せてテーブルを強く叩く。カップが揺れ、ジャスミンティーがこぼれた。

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