3話目
午後のAランクのストームブルー搭乗訓練にサプライズがあると言われていたセリアは、楽しみにしながらツァーリのうしろについてせかせかと必死に足を動かしていた。
加重エレベーターに乗り、3分かけて身体を1/6の重力に慣らしたあと、女性用更衣室にてスペーススーツに着替える。
宇宙空間に出れば、重力がなくなる。つまり、男女の身体的特徴の違いの一つ『力』というものもなくなるのだ。それでも体力の違いは残るが、男女の覆しようのない能力差は地球とは異なり、かなり縮まっている。逆に繊細な作業を得意とする女性の方が
ストームブルーに乗れば、セリアは女の子ではなく
「えーっと、髪ゴム……」
セリアは髪ゴムを右手にとった。これはセリアにとって意識を切り替える儀式のようなものだ。いつもはそのまま流しっぱなしにするセミロングの髪を、左手の人差し指と薬指を使って頭のてっぺんから滑らし、髪を三等分にする。慣れた手つきで三等分にした髪を三つ編みにし、髪ゴムで毛先をぎゅっと縛った。
「……よし!」
鏡を見れば、いつものぼんやりした女の子ではなく、船外活動士の顔が映っている。ヘルメットを抱えて格納庫へ行けば、既に結構な人数が集まってた。そして皆、薄型端末であるFPTを真剣に覗きこんでいた。
「お、セリア。見ろよ、本物だぜ」
きょろきょろしているセリアに気付いたのか、ディックがちょいちょいと手招きしてくれる。
セリアはディックの隣に座りこみ、ディックのFPTを見せてもらう。そこにはストームブルーが海を泳ぐ魚のように宇宙で美しい軌道を描く光景が映し出されていた。
他人の端末だが、セリアは気にせず指を伸ばしてカメラをズームインさせ、ストームブルーを恒星のような光の粒にする。光の軌跡の美しさに、セリアはほうと息を吐いた。
こんな動き、このAクラスにもいない。誰がストームブルーに乗っているのかということも確かに気になるのだが、今はただ見とれるばかりだ。
「……魚、がいます」
「その表現ツァーリに怒られたばっかりだろ」
「う、ぅっ」
「とりあえず
「わっ、わたしはいいです!」
そんなことは怖くてできない。今までも、そしてこれからも、セリアはこの罵り言葉は使うことはないだろう。
「あのぅ……なんでそれロシア語なんでしょうか? エーヴェルトはロシア出身じゃないのに」
「イメージの問題じゃねぇの? オレはツァーリはロシア出身と言われる方が納得できるけどな。ロシアだろうがフィンランドだろうがスウェーデンだろうがなにがどう違う? って感じだけど」
「全然違います……」
特にフィンランド人はロシア人ともスウェーデン人ともそもそも民族が違う。
今は混血も多いし、昔ほど明確ではないが……と身近なスウェーデン人のツァーリの顔を思い浮かべた。
「オレよりケイの方が大雑把だぞ。アメリカ人もロシア人もまとめて『ガイコクジン』。名前で大体わかるだろと言ったら、自国語以外の言語ならまとめて『ガイコクジン』」
「ひぃっ!」
世の中にはそんな大雑把な国もあるのかとセリアはびっくりする。
ケイの国は閉鎖的なのだろうか、それともグローバル教育に力を入れていないのだろうか。見た目は繊細そうな心優しい少年に見えるのに、ディックより大雑把とは意外だった。
「――お、目視できる距離になった」
ディックはFTPに表示されている光と宇宙港との距離を確認すると、立ち上がって宇宙空間が広がる透過セラミックに近づく。ちかちかと光が瞬き、微かにストームブルーが見えた。
「中身は多分本物だ、理事長辺りがコネ使って連れてきたみたいな」
「サプライズってこれのことだったんですね」
本物――つまりはこの学校の卒業生で、第一線で活動している現役の『
「本物を間近で見るチャンスなんて学生やってるうちはねぇ、お前に感謝しとかないと」
「わたしに?」
「なんで本物を連れてきたのかわかんねーのか、コギト・エルゴ・スム。お前とツァーリだよ。卒業一年半前に
「まだ、
そう言って近くなるストームブルーの光にセリアは意識を向ける。
ディックは口笛を吹いて流石優等生と茶化すような素振りを見せたが、セリアにぞくりと得体の知れないなにかを感じとった。
――そうでないと、
ぞくりとする。それは悪い意味ではない、手強いライバルが存在することへの歓喜だ。
「で、お前はどうだ?『教えて』欲しいのか?」
「貴方と同じです、ディック」
本物が目の前にいるなら答えはただ一つ。テクニックだとか、コツだとか、そういうものはもう教えてもらう必要はない。そんなのは今までにうんざりするほど教科書と教授から教えてもらっている。あとはそれが本当に自分に備わっているかどうか。
「――本物の魚と1to1をしてみたい」
船外活動機は宇宙船の修理やコロニーの建設に使われるために開発された。だがその認識は過去のもの、誰だってもう本当はなんの目的で開発されたのかわかっている。きたるべき、宇宙の資源競争の際に訪れる武力行使に備えての宇宙戦闘機のプロトタイプだ。
月面カレッジの練習機『ストームブルー』も勿論戦闘能力を備えている。
たしかに今はまだ戦闘行為に発展するようなことはない。けれど二十年後、五十年後は分からない、そんな時代だ。学生のときから擬似戦闘訓練を『小隕石やスペースデブリの衝突回避』を名目に行っていた。
セリアの言う1to1は極秘訓練で、
「でも残念なことに、訓練の相手はしてくれないらしい。あくまでも『教える』だからあちらさんはストームブルーに乗ることはない、だと」
「今、乗っていますよね……?」
「訓練機の具合を見てるんじゃねぇの。最新のストームブルーにいつもあちらさんは乗ってるだろうからな」
月面カレッジで使うストームブルーは、現場で役目を終えたストームブルーである。必ず一世代違うため、本物の
「……残念です」
「その割りには、顔が残念っていってねぇぞ、
「ディックもです。……予定にないなら、変更させればいいんでしょう?」
セリアとディックは顔を見合わせる。そしてにっと笑った。
互いに、同じことを考えていたのだ。
「ウォーミングアップ代わりの『
「はいっ!」
ディックの言葉にセリアは頷く。ディックは十三期生の中で誰よりも早く
にぃと笑ったその顔は、例え本物だとしても絶対に負ける気がしないとはっきり言っていた。
ストームブルーに乗りこみ、右手をモニターへつける。ストームブルーは搭乗者の生体パターンを読み取り、Aランク修得者かどうかを確認し、Aランク修得者なら学籍番号と名前がモニターへ表示する。Aランク修得者でないならエラーとなり、コクピットにロックをかけて、外部からの操作でのみ開閉できるようにする。
Aランク修得者として認識されたセリアは、パスワードを打ちこみ、ウェルカムと書かれた起動画面を表示させた。
『Welcome to STORMBLUE』
最低限の明かりだけだったストームブルー内のコクピットは、次々に光を灯し、目を覚ましたことを知らせる。やがて起動完了したことを、腹に感じる独特の低い音で教えた。
セリアは
「――行きます!」
他の誰でもない、己に宣言をして、セリアはストームブルーを宇宙港から迷いなく飛び出させた。
『ポイント E199、23、5 ニ 到着シマシタ』
指定の場所に着いたとストームブルーが告げる。
1to1の前に、まずは基本の動きの速さ、正確さを要求するBクラスで行っている『
全員が配置についたところで、テンカウントが始まる。それに合わせ、セリア自身も声に出してカウントをする。
「スリー、ツー、ワン……スタート!」
できる限りの強さと勢いでペダルを踏みこみ、セリアはストームブルーを急発進し、加速させた。
一斉に皆が飛び出したはずなのに、それでも差ができる。
スタートの反応のほんの僅かな違いが、ストームブルーの動きに現れるのだ。
いつもディックが真っ先に前に出て、セリアはその次だった。、
「またディックに負けてしまいました……でも次は負けません……!!」
セリアはただ前を見つめる。Aランクをとる者は、目をつむってもストームブルーを正確に操作できる。それぐらい身体に覚えこませている。
――ここは海、魚をイメージして、私は自由に泳ぐ。
セリアはプールで泳ぐのが好きだった。水中は無重力の疑似体験だと言われてから益々好きになった。
宇宙は海だ。宇宙船がゆったりと泳ぐ大きなクジラのようなものだとすれば、ストームブルーは素早く動く小さな魚。自分の手足を動かす感覚でストームブルーと一体化し、自由に泳ぐ。
「さぁ、きた……!」
目の前にはうねるトンネル、ランダムに襲いかかる隕石を模した岩石、大きな壁に赤外線の網……ここを誰よりも速く駆け抜ける、それが『
真っ先にゴールする栄光を掴め、とセリアは己に叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。