Section3-2 霊祭の準備

 鷺嶋神社は蒼谷市西区の外れに突き出た半島の先に位置している。

 距離にして僅か一キロメートル程度の半島で、民家は鷺嶋家のみという物寂しい場所だ。しかし年に一度の鷺嶋霊祭の時期が近づくと、西区の祭好きたちが集まって準備期間から賑々しくなってくる。中には神社に泊りがけで作業に没頭する気合いの入った物好きも少なくなく、鷺嶋家が総出で彼らを持て成すことはもはや恒例行事と言ってもいい。

 なにを隠そう、紘也と孝一もその『物好き』のカテゴリーにインしているのだ。とはいえ持て成される側ではなく、持て成す側の手伝いになるのだが。

「おーい、紘也くん! 悪いけど倉庫の方にある角材を持ってきてくれー!」

 あちこちから聞こえるガヤガヤとした喧騒と作業音に混じって、神主である愛沙の父親――禿頭で優しそうな細目のおじさん――の大声が紘也に届いた。前の手伝いを終えて手持ち無沙汰になっていたから丁度いい。

「あー、はい! 何本ですか?」

「四本! けっこう重いから気をつけて運んでくれ!」

 指を四本立てて示す愛沙の親父さん。了解し、紘也は神社の左翼側にある倉庫へと向かった。祭のメイン会場とは離れているため倉庫付近は閑散としている。

「あれか」

 倉庫横に山積みされている大量の角材を見つけ、一本引き抜いた。

「うっ……」

 ズシッとした圧力が両腕にかかる。肩に担いでみても、重い。これをやぐら舞台の建設現場まで四回運ぶとなると骨だ。魔力制御で肉体強化できないだろうかと真剣に考え始める紘也である。

 と――

「手伝うわ、秋幡紘也」

 フッと重圧が軽くなった。いつの間にやってきたのか、紘也の後ろ側を葛木香雅里が支えてくれたのだ。

「サンキュ、助かる」

「まったく、男ならこのくらい軽々と持ってほしいわね」

「そんなマッチョになる気はない」

 今年は彼女を含む葛木家の人間が大勢、警備を兼ねて手伝いに来ている。もちろんあの怪しい黒装束ではなく私服であり、本来の理由は伏せて『愛沙の友達とそのお供』ということで皆には納得してもらった。なんにしても街の有力者が支援してくれるのだ。作業が例年より円滑に進んで愛沙の親父さんは満面の笑みだった。

「確かにマッチョなあなたは気持ち悪いわね。想像するだけで通報したくなるわ。――近寄らないでくれる?」

「勝手な想像で勝手に変質者にして勝手に引くなよ!? 葛木こそ強化術式でも使ってパワーファイターっぷりを存分に発揮すればいいだろ」

「わ、私のどこがパワーファイターよ!? 女の子がいきなりそういうことしたら不自然でしょ!?」

「おわっ!? 馬鹿いきなり手ぇ離すな!?」

 冗談の通じない香雅里は紘也を引っ叩こうとしたが、そのせいで担いでいた角材の重心が変動し――

「ちょっ、こっちに倒れてこなひゃあっ!?」

「危なっ!」

 バランスを崩した紘也は香雅里も巻き込んで盛大に転倒してしまった。

 ガランゴロン、と石畳の地面を転がる角材が乾いた音を響かせる。

「痛っ……葛木、大丈――ッ!?」

 身を起こした紘也は目を開けて絶句した。

 香雅里が目の前、というか下にいたのだ。

 紘也が覆い被さる形。傍から見ればさながら紘也が香雅里を押し倒したと思われること間違いなしな状況である。

 すぐさま紘也を跳ね除けるだろうと思われた香雅里は――かぁああああっ。どういうわけか顔を郵便ポストのように真っ赤にさせて身を縮こませていた。なんか涙目であうあう言っている。

「えーと」

 たぶん、いろいろまずい。誰かに見つかる前に早くどかなければ紘也は大変なものを失ってしま――

「おーい、紘也くん! やっぱり一人じゃ重いだろうからおじさんも手伝……う……」

 神がかっているとしか思えないタイミングで、親切にも手伝いに来てくれた愛沙の親父さんが現場を目撃して硬直した。

「……」

「……」

「……」

「い、いやぁ、その、二人ともお年頃なのはわかるけど、世間にはTPOというものがあってだね。神社でそういうことしちゃうのはちょっと」

「「違ぁああああああああああああああああうっ!?」」

 二人して否定の絶叫を上げる。が、愛沙の親父さんは苦笑しながらそそくさと立ち去ってしまった。

 しかも災難は紘也たちに体勢を整えさせることなく立て続く。

「ぬぶはぁーっ!? ひ、ひひひ紘也くんななななんでかがりんとラブコメってんですか!?」

 見つかると最も面倒で厄介な奴に嗅ぎつけられてしまった。

「ウロボロスさん的嫌な予感センサーがビンビンズビャヒョーンって反応すると思って来てみれば! そこは紘也くんのスーパーヒロインたるあたしの役割でしょうぐぁあッ!?」

 血の涙を流しそうな勢いでウロが歩み寄ってくる。ズシン、ズシン、とわざとらしく怒りの足音を鳴らして。

「悪い、葛木。怪我はないか?」

 とりあえずスルーした。永続性自動拡声機能付人型騒音生成装置がオート起動したせいで人が集まってしまう恐れがある。話が余計に拗れる前に状況を変えておかねばならない。

 立ち上がった香雅里は私服の汚れをはたき、何度か深呼吸をして落ち着きを取り戻す。

「だ、大丈夫よ。このくらいで怪我するような鍛え方はしてないわ」

 気まずそうに目を逸らされた。

「そっか、よかった。ホントに悪かったよ。変な誤解までされて」

「謝らないで、秋幡紘也。それより後で話があるから、時間空けときなさい」

 それだけ告げると、香雅里は逃げるように駆け去ってしまった。やはり怒らせてしまったのだろうか? 話とはそのことで、無理難題な謝罪を要求されるのだとしたら今のうちに腹を括った方がいいかもしれない。

 それはそれとして――

「くぉおおおおらぁああああっ!? 無視すんなぁああああああああっ!?」

 スルーしたらしたで、紘也の体をゆっさゆっさ揺さ振るウロは大変ウザかった。

「よう、ウロ。山田小屋作ってた時も思ったけど、お前その半被似合うな」

 このまま無視し続けた方がしんどいので、適当に服装でも誉めて話を逸らすことにした。

「え? やっぱ?」

 よし、乗ってきた。

「その金槌ってけっこう良い物なんじゃないか?」

「にゅふふ、わかります? そりゃああたしは建築のプロですからね。プロたるもの形から入るのは当然です」

 素人の要素しかない。

「その捻じった鉢巻もイカスな。まさに棟梁って感じだ」

「んもう紘也くんってば褒め上手なんですからぁ。そんなに褒められたらあたし嬉しくてついクネクネしちゃうじゃあないですか――って違うから! 誤魔化そうとしても無駄だから! さっきまでかがりんとなにやってたんですか白状しんしゃい!」

「チッ、気づいたか」

「舌打ちが露骨!?」

 このままでは答えるまで絡みつかれたままだ。というか黙秘しては誤解は解けないからきっちり説明しておくべきだろう。ウロにも、愛沙の親父さんにも。

「――というわけで、アレは不幸な事故だったんだ。気にするな」

「なおさらラブコメですよそれ!? うぅ、なんで紘也くんはあたしとはそういう事故すら起こらないんですか!?」

「お前はあざと過ぎるんだよ」

 故意的に起こした事故はもはや事故ではない。事件だ。

「(こうなったらなにかラッキーハプニングが起こるまで紘也くんにべったりがっつり張りついて……)」

 なにやら思案顔でウロはぶつぶつ呟き始めた。そういうところがあざといと紘也は言ったのだが、恐らくこの蛇は一生直すまい。

 とにかく誤解は一応解けたみたいなので、角材の運搬を再開する。

 だがこれを一人では流石にキツイ。香雅里も愛沙の親父さんもいなくなってしまったとなると……選択肢は一つか。

「ウロ、ちょっと頼みたいことがあるんだが」

「今日、俺と風呂に入ってくれないか?」

「ウロ、ちょっと頼みたいことがあるんだが」

「今夜、一緒のベッドで寝てくれないか?」

「ウロ、ちょっと頼みたいことがあるんだが」

「毎日、君の作ったホグフィッシュの煮物が食べたいな」

「さぁーいしょーはチョキィイッ!!」

 ――グサッ!

「ふぎゃああああああごめんなさいでしたぁあああああああっ!?」

 繰り返されるくだらない遣り取りに、紘也の右手Vの字は我慢の限界に達した。これでもなるべく目潰しは控えようと心掛けているのに、こいつと会話していると時々そうしなければ抜けられない無意味な無限ループに入りそうになるから困る。

「あうぅ、えっと、頼みとはどのようなものでございましょうか閣下」

「誰が閣下だ! これ運ぶの手伝ってくれ」

「オゥ! 早速ラブコメのチャンス到来! 紘也くん紘也くん、後ろはあたしに任せてください!」

「余計なことしたら即サミングだからな」

「や、やだなぁ、わかってますって」

 ダラダラと冷や汗を滝のように流すウロ。釘を刺しておいて正解だったと確信する紘也である。

「本当はお前の無限空間を使えば楽なんだろうけど」

「誰かに見られちゃ面倒ですもんねぇ。おっと足が滑っ――」

「あ?」

「――らなかった! ふいー、危ない危ない。もう少しで紘也くんのお膝様をカクンてさせるとこでしたよ。いやぁ、紘也くんも足元には注意してくださいね。……ぐすん」

 釘一本だけじゃ足りなかったか、と自分の詰めの甘さを少し後悔する紘也だった。

 そうして頻繁に仕掛けようとするウロの企てを未然に阻止しつつ四往復を完了させると、今度こそやることがなくなってしまった。去年まではなにかと忙殺されていたはずなのだが……葛木さんちの精鋭が有能過ぎるせいだ。

 神社の縁側の日陰になっている場所にウロと二人で腰を下ろす。なんだかんだで夏真っ盛りのため日陰に入ると天国のように涼しい。

「まったくおかしいと思うんですよ! なんでこのプロたるウロボロスさんが邪魔者扱いされにゃならんのですか!」

 張り切って金槌を振り回そうとしていたウロは、本物のプロの大工に「嬢ちゃんそこいたら危ないよー」と適当に締め出されたのでご機嫌斜めだった。わかりやすくプンスカしている。

「あたしは幻獣界で無限級建築技師の資格を半日で取った稀代の天才ですよ! だのに現場に入れてくれないとかおかしいと思うんですよ! そこんとこどうですか紘也くん?」

「お前の語る幻獣界がやる気なくすくらい胡散臭いことがよくわかった」

 日本だと二級建築士の受験資格を得るだけでも七年の実務経験が必要だというのに。

「あ、ヒロくん、ここにいたんだぁ」

 十分ほど涼んだところで、神社の中からのんびりとした声をかけられた。

 愛沙だ。いつもは下ろしている黒髪を後ろで一つに束ね、和風でお淑やかそうなエプロンを身につけている。そろそろ昼時だから食事の準備をしていたのだろう。

「……マスター、冷たいお飲物はいかがですか?」

《ぐぅ。愛沙のためとはいえ。なぜ吾が人間の雄どもに奉仕せねばならぬのだ》

 ウェルシュと山田も一緒だ。二人とも小学校の給食係みたいな割烹着を装着していた。愛沙がお古を貸したのだろうが……山田が似合い過ぎて噴き出しそうになった紘也である。

 わたし山田オロ子8ちゃい――ぶっ!

「こ、こう暑いと、いくら水分補給しても足りないよな」

 笑いを堪えるため誰もが感じていることを敢えて口にしながら、紘也はウェルシュに差し出された盆から麦茶の入ったコップを受け取った。

《こら人間の雄! 今吾を見て笑っただろ!》

「にょはははは! 山田似合い過ぎワロタ! ヒィー!」

《黙れ金髪!?》

 容赦なく笑い飛ばすウロには、絶対に釣られてなるものか。爆笑なんて紘也のキャラじゃない。イメージ保持イメージ保持。話題の転換。

「ウェルシュはずっとお茶汲みやってたのか?」

「はい。なぜか他の事をしようとすると追い出されてしまいます」

 稀に見る不器用さのウェルシュは組み立て作業などの手伝いは到底できないだろう。被害が拡大する前にやんわりとお払い箱される光景が目に浮かぶ。

「ウェルシュにはお茶汲みがお似合いということでしょうか……?」

 悲しそうに目を伏せるウェルシュ。アホ毛もしゅんと項垂れていた。

 フォローしておくべきか。

「いやそこは重要な任務だぞ。脱水症状防止の水分補給係だからな」

「じゅ、重要な任務ですか……えへへ、ウェルシュ重要です」

「ああ、これからも頑張ってくれ」

 フォロー完了。嘘はついてないが、素直なウェルシュはウロや山田より断然扱い易くて助かる。

「それで愛沙、俺らになんか用か?」

 大爆笑するウロ、それに怒る山田、やる気を取り戻したウェルシュを横目に紘也は愛沙に問うた。仕事の手伝いなら喜んでさせてもらう。暇だから。

「えっとね、そろそろお昼ごはんができるのです。みんな準備に夢中だからわたしたちが先に食べちゃっていいんだって」

「ああ、そっちか。わかったすぐ行くよ。――そういえば、孝一は一緒じゃないのか?」

 各々散開してから一度も見かけていないが。

「呼んだか?」

 真後ろからポンと肩を叩かれた。

「うわっ! 相変わらず湧いて出るのが得意だな、孝一」

「そのG扱いやめてくんない?」

 ガクッと落胆したように肩を落とす孝一だったが、すぐに気を取り直してこの場に揃った面子を見回した。

「ところでみんな、昼からの予定はどうなってる?」

 ニヤリとしつつどこか無邪気さも含んだ笑み。なにか楽しいことを閃いた時の孝一だ。

「俺は特に決まってないから、仕事探すところからだな」

「あたしも紘也くんと同じですね」

「……ウェルシュはお茶汲みを頑張ります」

《吾は愛沙と共にいる重大な役割がある》

「愛沙は?」

 孝一が訊くと、愛沙は人差し指を顎にあててしばし考え、

「う~ん、お昼のお片づけが終わった後は舞の練習までなにもないかな」

 全員暇だということが判明した。

 孝一の笑みがさらに深くなる。

「よーし、じゃあ決まりだな。昼からはみんなで遊ぼうぜ。思いっ切り羽目外してさ。葛木も後でオレから誘っておく」

 そんなことだろうと紘也は思っていた。

「いいのかよ。俺ら手伝いに来てんだぞ」

「それなんだよ、紘也。今年は葛木家の支援があるせいでオレらには簡単な雑用しか回って来ないだろ? ならいっそ子供は子供らしくはしゃぎ倒すべきだ。愛沙の親父さんにはもう言ってあるし」

 子供って自分たちはもう高校生なのだが――いや、高校生はまだ立派な子供か。孝一なんて脳内年齢はきっと小学生だ。

「遊ぶのには全身全霊をかけて賛成しますが、どこでです? この辺だと邪魔になりませんか?」

 ウロの珍しく空気を読んだ問いに、ニヤ顔の孝一は親指を立てて後方を示した。


「この神社の裏手はな、天然のプライベートビーチになってるんだ」

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