Section5-1 発動された個種結界
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
この世の崩壊ではないかと考えてしまう地鳴りと地震は無論、八櫛亭にも届いていた。
「なんだこの揺れは! 普通じゃないぞ!」
「あわわわわ~!? ひ、避難しないと! 高いところ、高いところにぃ~!」
「待った愛沙! 流石にこんなところまで津波は来ないだろ」
何事かと八櫛亭の外にある駐車場へ出た孝一と愛沙は、『それ』を見て危うく腰を抜かしそうになった。
二人とも、目を大きく見開く。
「なんだアレは……?」
孝一が呟く。あんな存在、嫌でも目に入る。
「はわわわわわわわわわ……」
瞳を涙で潤ませた愛沙が、ぺたん、と弛緩してその場にへたり込む。いつ気絶してもおかしくないほどパニックに陥っているように見えて、その実彼女は気丈にも冷静な思考を残していた。
「ひ、ヒロくんたち、どうしちゃったのかな?」
あんなものを見てなお、愛沙は友人の心配をしていたのだ。確かに彼女の心配はもっともだ。『それ』がそこに在るということは、例の儀式とやらが盛大に失敗したことを意味している。
『それ』――すなわち、ヤマタノオロチ。
遠くに見える山峰よりもさらに高い位置に八つの頭が並んでいるほど巨大な幻獣。苔むした背に、なにかで爛れた腹部、尾も八本ある。八つの頭には十六の目がホオズキみたいな赤色を煌めかせており、まるで誰かを捜しているように周囲を見回している。
「ははは、すげえ。怪獣映画の中に入った気分だぜ」
思ったことをそのまま口に出して落ち着こうとする孝一。地震は収まったようだが、ヤマタノオロチを生で見たことによる心拍数はなかなか平常時まで低下してくれない。
と、その時だった。
トクン。
孝一の体に、異変が起きた。
∞
「しまった! 個種結界を張られたわ!」
ウェルシュにおぶさって空を翔る香雅里が叫んだ。紘也たちの背後には見上げるなんてレベルではない巨大な生命体が存在感たっぷりに八つ首をうねらせている。
いつかはこうなると思っていたが、些か早過ぎる。もう少し待ってくれてもいいものを。日下部朝彦はヤマタノオロチが『生贄の姫巫女』の体に入っているうちに片づける気満々だったが、一体なにをやっているのだ。
「葛木、その〝霊威〟による妖魔化ってのはどのくらいかかるんだ?」
「人それぞれってところよ。風邪のウイルスと同じで抵抗力が違うの。あなたみたいに魔力が無駄に有り余っているような人間なら、制御できなくても妖魔化まではしないと思う。けれど、あの二人にそれほどの力はないわ」
「そうか。まあ、あの二人がそう簡単に〝霊威〟とやらに侵されるとも思えないけどな」
二人の抵抗力を信じるしかない。紘也たちは会話できるギリギリのスピードで飛んでいるが、ここからはもっと速度を上げるべきだろう。といっても、人間なんの装備もなければ時速百五十キロメートルを超える前に呼吸ができなくなるらしい。なんで幻獣には速度メーターがついてないのだ。
「ウロ、ウェルシュ、俺たちが死なない程度に速度を上げ――」
《見つけたぞ。人間》
ゾワっとした感覚に背筋が凍りつく。
「ビービービー! ウロボロスレーダーに敵攻撃反応確認! 紘也くんしっかり掴まっててよ!」
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
突然ウロとウェルシュが戦闘機のように旋回したため紘也と香雅里は短く悲鳴を上げてしまった。香雅里はともかく、紘也はウロの背に起立している状態なのだから仕方ないだろう。上下が反転してよく落下しなかったなと浮遊魔術の安定効果に感心した。
そして、ウロたちがそうする必要があったのだと一瞬後に理解する。
今の今まで飛んでいた空間を、レーザー光線のような水流が引き裂いたのだ。水流はそのまま紘也たちの正面にあった山肌へと吸い込まれ――
――鼓膜が破れそうなほどの轟音を立てて山岳の半分以上を抉り取った。
「……」
「……」
地形が変わるほどの一撃に、紘也はもちろん香雅里すら言葉を失くしている。
「や、やばいだろなんだよ今の! あんなのくらったら文字通り即死じゃないか!」
正気づいても紘也は喚くしかなかった。
「だから言ったのよ! あの妖魔は復活させちゃダメだって!」
「そ、それでも日下部をみすみす生贄になんてできるわけないだろ!」
「あいつに皆殺しにされたら結局意味ないわよ! 今だって夕亜たちが生きてるかどうかもわからないし」
「くっ」
既に紘也もヤマタノオロチに勝てるなんて幻想じゃないかと思い始めている。このまま孝一と愛沙の下へ辿りついたとしても、あの水流砲で狙い撃ちされたら逃げようがない。
「……マスター、ここはウェルシュが敵を引きつけておきます」
意を決したように、ウェルシュが提言した。
「いや、お前、大丈夫なのか?」
訊くと、ウェルシュはコクリと力強く首肯した。確かに彼女の〝拒絶〟と〝守護〟のチート性能ならなんとかしてくれるかもしれないが、世の中万能なものなんてないことを紘也は知っている。誰かが奴の相手をしなければならないのなら――
「ウロ、お前もウェルシュと行ってくれないか」
戦力は多い方がいいに決まっている。
「紘也くん!? あたしに腐れ火竜と共闘しろって言うんですか!?」
「そうだ。できるだろ? お前らなんだかんだで気が合ってるみたいだし」
「じょ、冗談じゃあないですよ! そんなことするくらいならスライムの海で百六十八時間耐久水泳大会に参加した方がマシだね!」
「なんだその無意味そうな大会?」
「腐れ火竜、あんたも嫌でしょうが!」
「ウェルシュもウロボロスと共闘なんて嫌です。ですがマスターの命令なら我慢できます」
「どうやら、ウェルシュの方が大人だな」
「ウェルシュ、大人です。えへへ」
「ぐぬぬ……ええい! わかった! わかりやした! やりゃあいいんでしょやりゃあ! その代わり紘也くん、全部終わったらあたしのお願いを一つ聞いてもらうよ!」
「……ずるいです、ウロボロス。ウェルシュもお願い聞いてほしいです」
話している間にもヤマタノオロチがそれぞれの口から時間差で例の水流砲を放ってくる。合計八発。ウロとウェルシュは巧みに回避してくれているが、そうする度に眼前の景色が大変悲惨な状態になっていく。この幻獣たちの『お願い』がまともであるとは到底思えないが、渋っている場合でもない。
「ああ、わかったよ! 無茶振りでなければなんだってしてやるよ!」
「いよっしゃ言質取ったぁあっ! 紘也くん紘也くん、約束破ったらペルーダ千匹飲ませるからね!」
そんな背中に毒針が並ぶ蛇頭蛇尾の四足獣を一匹でも飲んだ日にはどんな奇跡が起きようとも跳ね除けて死ねる。
「そういうことになった。葛木、いいか?」
「お、オーケーよ。私としては、早く地面に足をつきたいから……」
心なしか香雅里はぐったりしていた。顔色も非常によろしくない。度重なるアクロバット飛行のせいで乗り物酔いならぬウェルシュ酔いを起こしたのかもしれない。
ヤマタノオロチが次の攻撃を溜めている隙に紘也たちは地上に降りる。ここからなら走っても八櫛亭は目と鼻の先だ。
ウロとウェルシュが再び飛び立つのを見送り、紘也と香雅里は道なき道を駆け下りる。
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