Section5-2 妖魔化
孝一の様子がおかしいことに愛沙は気づいた。
「こ、コウくんどうしたの? 大丈夫?」
掌で顔を覆うようにして両膝をつく孝一に愛沙は駆け寄ろうとするが、
「来るなぁあっ!!」
「ひぅ!?」
えも言わぬ怒号にビクリと愛沙の肩が震えた。彼はどう見ても普通ではない。頭痛を堪えるように呻き、まるで見えないなにかと戦っているみたいだ。
上空を通過するヤマタノオロチの水流砲が現在進行形で八櫛谷の地形を変えているのだが、谷の窪みにある駐車場からでは破壊の爪跡を眺めることはできない。というか、愛沙はそれどころではなかった。どうしていいかわからずオロオロする。
「えっと、えっと……そ、そうだ。お薬持ってくるよぅ」
八櫛亭に戻ろうとする愛沙だったが、異変が起きているのは孝一だけではないと知る。
蛇がいた。
猪がいた。
野犬がいた。
愛沙たちのいる駐車場を多種雑多な動物たちが取り囲んでいた。ただし、どれもこれも愛沙が知っているような姿形はしていない。蛇なら一つの体に三つの頭があったり、猪ならマンモスみたいに反り上がった太い牙を生やしていたり、野犬なら頭部から鋭く長い一角が突き出ていたりと、全てがモンスター然とした姿だった。怪物たちは一様に赤い目をして獲物を狙うハンターのごとく愛沙を見詰めている。
「ふぇ? こ、これみんな幻獣……さん?」
中には普通の動物もいた。しかし、愛沙が一つ瞬きする間にその動物も怪物へと変異してしまう。
「幻獣さんに……なった?」
そうとしか考えられなかった。一体この八櫛谷になにが起こっているのか。全てはあのヤマタノオロチらしき怪物が現れてからこうなった。
そして、最初の異変。
「もしかして、コウくんも?」
彼の苦しみは怪物になる予兆なのではないか。人間も怪物に変わってしまうのではないか。そんな不安を愛沙は覚えた。
逃げないと……。
そうは思っても、怪物に囲まれている恐怖に足が竦んで言うことを聞いてくれない。それに孝一を置いて一人逃げるなんて愛沙にはできなかった。
がるるる!
「――ッ!?」
ウサギのように怯える愛沙に、ついに野犬の怪物が痺れを切らして襲いかかってきた。
「ひ、ヒロくん、ウロちゃん」
今どこにいるかもわからない友達に助けを願う。しかしそれは叶わず野犬の怪物は愛沙へと飛びかかる。
もうダメだと目を閉じたその時――
きゃうん! と犬らしい悲鳴が聞こえた。
恐る恐る愛沙は目を開ける。そこには、日本刀を構えた黒服の男が二人、愛沙を庇うように立っていた。
確か、愛沙たちがつい先程まで看病していた葛木家の陰陽師の二人である。
「あれ? え?」
困惑する愛沙に、術者の二人が言う。
「もう大丈夫だ、お嬢ちゃん」
「負傷しているとはいえ、我々は葛木の陰陽剣士。この程度の雑魚妖魔に遅れは取らんよ」
「しかしなんだこの状況は? まさか儀式が失敗したのか?」
「そうとしか思えんだろ。それと考えるのはこいつらを蹴散らしてからだ」
二人は頷き合うと、堰を切ったように雪崩れ込んでくる怪物たちをとても怪我をしているとは思えない動きで斬り倒していく。
だが、ある程度まで数を減らした時には二人とも体力の限界に近づいていた。
「はぁ、はぁ、やはり、これは奴の〝霊威〟か?」
「そうだろうな。お嬢ちゃんはどういうわけか無事のようだが、向こうの少年は〝霊威〟の侵食が始まっている」
二人は今もなお蹲っている孝一を見た。
「あ、あの、コウくんを、コウくんを助けてください!」
愛沙は涙目で縋るように片方の黒服を掴んだ。二人は困ったような表情になり、
「そうしたいところだが、今の我々ではどうしようもないんだ」
「香雅里様か夕亜様なら〝霊威〟を跳ね返すほどの結界を張れるだ――ぐはっ!?」
愛沙が掴んでいない方の男が、言葉を言い終わる前に突然吹き飛んだ。アスファルトの上を盛大に転がった彼は、駐車場の隅にある木製の柵にぶつかり、動かなくなる。
「コウくん!?」
「お嬢ちゃんは離れているんだ!」
彼を蹴り飛ばしたのはさっきまで苦しそうに呻いていた諫早孝一だった。孝一は姿こそ人間のままだが、その目が怪物たちと同様に赤く染まっている。
「はぁっ!!」
残った方の葛木の術者が容赦なく刃を向けて孝一を斬りつける。しかし、それは空振りに終わった。孝一の姿が消えている。彼は愛沙の目では追い切れない速度でかわしたのだ。
「がはっ!?」
男の背後に回り込んだ孝一は、肘鉄で男の後頭部を強打した。糸が切れたように倒れた葛木の術者をさらに蹴り飛ばし、孝一はその赤眼を愛沙に向ける。
「あ、あ、コウ、くん?」
一歩一歩近づいてくる孝一に愛沙は後ずさる。すぐに木製の柵へと追い込まれてしまった。後ろは急な崖で逃げ場はない。
孝一の手が愛沙に伸びる。
と。
「!?」
危険を察知したかのように孝一が獣じみた動きで大きく跳び退った。入れ替わりに二つの人影が愛沙の前に立つ。それは――
「ヒロくん! カガリちゃん!」
愛沙は希望に満ち満ちた表情で二人の名を呼んだ。
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