Section3-3 陽の黒鳥

 その頃、岩塊の牢獄の外。

「愛沙様、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよぅ。ありがとう、ウェルシュちゃん」

 愛沙は体を支えてくれるウェルシュに感謝した。彼女は隆起した岩塊に呑み込まれそうになったところをウェルシュに助けられたのだ。

「ダメ。この壁、どうやっても壊せないわ」

 香雅里は悔しげに歯噛みした。この壁の向こうには秋幡紘也とウロボロスがいる。そして先程あの男が中へ降りていくのを見た。ウロボロスの個種結界も発動し、魔力の衝突も感じられる。分厚い壁に遮断されて音は聞こえてこないが、戦闘が始まっていることは確かだ。

「香雅里ちゃん、諦めちゃそこで終わりよ」

「わかってるわ、夕亜」

 香雅里は既に〈冰迦理〉の力で幾度となく岩壁に氷弾をぶつけている。しかし砕けるのは氷弾ばかりで、壁には傷もつけることができない。

「この壁、土気を操る〈沓薙剣〉の力ね」

 香雅里が持つ〈冰迦理〉とは魔武具としての格が違う。足掻けば足掻くほど力の差を思い知らされるようで無性に腹が立つ。

「〈天叢雲剣〉があれば破れたかもしれないけど」

 件の宝剣はウロボロスの無限空間にある。それに〈天叢雲剣〉を香雅里が所持していたのなら、宝剣強盗は彼らを狙わない。

 そこで香雅里は疑問に思う。

「……どうしてバレたのかしら? 秋幡紘也に宝剣を預けたこと」

 日下部家の人間の一部には話してある。まさか、彼らの中に内通者がいたのだろうか? 宝剣強盗は単独犯ではなかったのか?


「知りたいか? 答えは簡単だがな」


 ドサリと、なにか大きな質量が香雅里の背後に落下した。それも二つ。

「ひゃっ」

 鷺嶋愛沙の短い悲鳴。彼女は地面にへたり込み、口を押さえて瞠目している。

 その視線の先、香雅里と愛沙の間に二つの物体が乱暴に放置されている。それは――

「申し……訳ありません……香雅里様……」

「我々では……力及ばず……」

 香雅里たちと共に八櫛谷へ来ていた、葛木の術者の二人だった。香雅里では拷問しても意味がない。だから宝剣の在り処を知っているだろう彼らがやられた。

「あなたたち……そんな、また、私は……」

 ――守れなかった。

 傷つき倒れた部下を前に、香雅里の脳裏にヴァンパイアとの戦いがフラッシュバックする。あの時も自分の無力さと浅はかさのせいで多くの仲間が倒れた。

 ――許さない。

 強く熱い感情が香雅里の胸中で渦を巻く。

「我が拷問したわけではないが、随分と強情だったらしいぞ」

 低い男性の声は空から。キッ! と視線で射殺すつもりで香雅里は睨め上げる。全長二メートルに近い三本脚の黒鳥が羽ばたいていた。

「滅してやる!」

「香雅里ちゃん落ち着いて落ち着いて。魔力が乱れてるよ」

 夕亜に諌められて香雅里はハッとした。冷静さを欠いては勝てる戦いも勝てない。

 黒鳥の嘴が動き、人語を紡ぐ。

「安心しろ。情報を引き出した後に殺すほど我が主は残忍ではない。その者たちが死ぬことはあるまい。放っておかなければ、だがな」

「あなた、ヤタガラスね」

「いかにも」

 ヤタガラス。日本神話において、神武東征の際に高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内を任されたと言われる霊烏のことだ。太陽の化身ともされており、こうして喋っているということは人語を解するほどの知能もあるようだ。その気になれば『人化』もできるだろう。

 向こうから襲ってくる気配はない。ヤタガラスの役割は香雅里たちの足止めと監視だろう。なんにしても邪魔である。

「こいつは私と夕亜で片づけるわ。ウェルシュ・ドラゴン、あなたは秋幡紘也の下へ行きなさい」

「……了解しました」

 彼女ならば〈拒絶の炎〉で壁に穴を穿つことができるかもしれない。それが無理でも空から壁の内部へ侵入できる。上が開いていることは宝剣強盗が侵入したことでわかっているのだ。

「それから鷺嶋さん。あなたは彼らの手当てをお願いできるかしら?」

「ま、任せて」

 語気を強く愛沙が言う。

「……まずは目障りな壁を破壊します」

 ウェルシュが空中に炎の魔法陣を描く。〈拒絶の炎〉ならばたとえ貫通しても中にいる紘也たちに被害はでない。

 ヤタガラスもウェルシュの攻撃には壁も耐えられないと踏んだのだろう、急降下を始めた。

「我が主は取り込み中だ。邪魔をさせるわけにはいかない」

「あなたの相手は私たちよ!」

 香雅里は〈冰迦理〉を一閃し、天に向かって氷刃を放つ。その後ろでは夕亜が護符を用意し、封術の準備をしている。葛木家と日下部家は遥か昔からこのように肩を並べて戦ってきた。今ならどんな妖魔にも負ける気がしない。

 氷刃は楽々とかわされた。だがそのロスのおかげでウェルシュが〈拒絶の炎〉を放射することに成功する。

 真紅の火炎波は分厚い岩壁など障子のごとく簡単に突き破るだろう。――途中で邪魔が入らなければ。

「させん!」

 ヤタガラスの翼から眩いなにかが無数に射出される。それは太陽のような輝きで形成された羽根だった。赫灼する羽根は豪雨となってウェルシュの炎に集中し、岩壁に届く寸前で飛散させた。

 妨害はそれだけでは緩まない。続いてヤタガラスを中心にとても直視できない白光が広がる。

「きゃあっ!?」

 誰の悲鳴だったかはわからない。一瞬でこの場を支配した光に、香雅里たちは眼球を貫かれたような痛みに襲われ苦悶する。ヤタガラスの個種結界、〝陽〟の特性。夜が一転して昼間よりも明るくなっている。

 視力を奪われた香雅里たちへ更なる追撃がくる。ウェルシュの〈拒絶の炎〉を相殺した〈太陽の羽根〉だ。掠っただけでも焼けるような痛みに、香雅里はどうにか急所だけは守り切らねばと身を丸くした。


 そして個種結界が解かれ、再び夜の闇が下りる。目が眩み、〈太陽の羽根〉によるダメージを受けた香雅里たちはまだ動けない。

「これでしばらく視力は戻るまい。さて――」

 香雅里たちをほぼ無力化させたことを確認したヤタガラスが岩塊の裏へと回る。

「魔術師でもないのに、なかなか度胸のある人間だ」

 そこでは一般人の少年――諫早孝一がロッククライミングの要領で岩壁を登っていた。

「げっ、バレたか。もう少しだったのに!」

「力のない人間が駆けつけたところでなにが変わるわけでもなかろうが、念のため排除させてもらう」

 壁に張りついた状態の孝一に成す術はない。あっさりと蹴り落とされてしまった。

「ぐっ、やばい」

 高さは優に校舎の三階分はある。生身の孝一が落死するには充分だった。

 しかし孝一が地面と衝突することはなかった。ヤタガラスとは違う羽ばたきの音がした後、彼の体は空中でキャッチされた。

 真紅の竜翼を背に生やした少女――ウェルシュ・ドラゴンに。

「お怪我はありませんか、孝一様?」

「あはは、助かったぜウェルシュ。サンキュ」

 孝一を地面に下ろしたウェルシュは、竜翼をはためいて再度浮遊する。

「我が陽光を目に浴びて、まさかもう回復するとは」

「もう二度と、ウェルシュにあのような攻撃は効きません」

 彼女の掌が真紅の炎を灯す。

「香雅里様にはマスターの下へ向かうように命じられましたが、ウェルシュがヤタガラスを〝拒絶〟することにします」

 赤熱の火炎弾がヤタガラスへと迫る。

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