Section3-2 夜襲

 草木も眠る時間とはよく言ったもので、人里離れた渓谷の夜は異様とも思える静寂さを見せていた。

 川のせせらぎだけが聞こえる。もっと虫たちが静かながらも心地よい音色を奏でてくれると思っていたが、それもない。

 だからなのか、紘也はエアーマットに寝転んで目を閉じていても一向に眠れそうになかった。今日はいろいろと騒ぎ倒して疲れているはずなのに、自分でも不思議なほど目が冴えている。

 同じテントで横になっている孝一はまだ起きているのだろうか? 寝息らしき呼吸音も聞こえるし、起こしては悪いので声はかけないでおく。

『気をつけなさい、秋幡紘也。あなたたちが戦った妖魔は例の宝剣強盗が仕向けたものよ』

 昼間、ツチグモに襲われた後の香雅里の言葉だ。眠れないとなるとどうしてもなにかを考え込んでしまう。

『とにかく、宝剣強盗がいつなにを仕掛けてくるかわからないわ。遊ぶのはいいけど、警戒だけは怠らないで』

 いつ襲ってくるかわからない敵。この〝夜〟という時間帯は最も警戒しなければならないだろう。寝込みを襲われてはたまったものではない。特にこちらの主戦力であるウロボロスは一度眠りへとシャットダウンしてしまうと再起動に時間がかかってしまう。


 じゃり。


「!?」

 流水の音に混じった異音を紘也の耳は確かに捉えた。

 じゃり。じゃり。じゃり。じゃり。

 何者かが河原の砂利を踏み締める音。気配を最小限に、誰も起こさぬように、次第に紘也たちのテントへと近づいてくる。

「(紘也、気づいているか?)」

 孝一が小声で話しかけてくる。まだ眠ってはいなかったようだ。もしくはあの足音で目を覚ましたのか。忍者のような寝起きのよさを誇る孝一ならば後者もありえそうだ。

「(ああ、誰かがこっちへ来ている)」

 紘也もテントの外に漏れないように小声で返す。

 じゃり。じゃり。

「(近い……?)」

「(みたいだな。どうだ紘也、例の宝剣強盗か?)」

 紘也と孝一はテントの入口を挟むように移動する。

「(わからない。けど魔力を感じる。というか孝一、危ないからお前は下がってろよ)」

「(それは紘也だって同じだ。お前は魔術とか使えないんだろ)」

 紘也は魔術を使えないが、魔力制御の応用で他人の魔力に干渉することができる。うまくやれば襲撃者の魔術を一時的に封じることくらいなら可能だ。しかし、それ以外は孝一の言う通り一般人と変わらない。

「(わかった。侵入してきた瞬間に挟撃しよう)」

 孝一と頷きを交わし、紘也は外の気配に集中する。真っ先に紘也たちのテントを狙ってきたということは、敵は紘也が香雅里から宝剣を預かったことを知ったということだ。

 だが、紘也は〈天叢雲剣〉をウロボロスの無限空間に保管した。そのことを知るのはウロと、温泉に入る前に話しておいた香雅里だけだ。

 じゃり。…………。

 止まった。紘也と孝一は固唾を呑んで息を殺す。

 カーテン状の入口が徐々に開いていく。

 思っていたよりも細い片足がテント内に踏み込み――

 ――そいつは侵入した。


「ムフフ、紘也くんはどんなプリチィな寝顔してるのかなじゅるり」


「――ってお前かぁあッ!?」

 孝一との挟撃のはずが、動いたのは紘也のV字に構えた右手だけだった。

「ぎゃにょわあああああああああああああああああああああああああッ!?」

 安定の目潰し攻撃にウロは普段通り煩悶する。ついに紘也は暗闇の中でも正確に急所を射抜ける技術を身につけてしまった。

「ははは、警戒損だったな」

 ふう、と脱力したように孝一がその場に座り込む。紘也もそうしたいところであるが、その前に夜這を仕掛けてきた愚か者を摘まみ出す作業が残っている。

「さて、一応、どういうつもりだったのか聞いてやる」

 弁解のチャンスを与えると、ウロは訥々と自分の行動を説明し始めた。

「いえその、紘也くんのテントから禍々し――」

「本音を言わなければぶッ刺す」

「渓谷の夜は冷えますからウロボロスさんが添い寝してあげようかと思った次第です」

「なるほどよくわかった。確かに夜は少々寒いな。火星に帰れ」

「行ったこともないよ!?」

 彼女が目覚めている状態で近くにいるのはとりあえず安心だ。安心だが、常時発情期という状態異常にかかっている蛇と一夜過ごす不安を補うことなど到底できやしない。

「なんでもいいからテントに帰れよ。お前がいないことに気づいたら愛沙が心配す――!?」

 ズン、と。

 突然、重力が倍化したような力のプレッシャーを紘也は感じ取った。紘也は慌てて外に飛び出し、周囲を見回す。

 なんだ? 魔力が異常に高まっている?

 誰の? と考える余裕はなかった。

「紘也くん!」

「ウロ、孝一を頼む!」

 無言で了解したウロが孝一を抱える。困惑する孝一に構わず、紘也たちは地面を蹴ってできるだけ遠くへと飛ぶ。

 次の瞬間、天から凄まじい勢いでオレンジ色の輝きが降ってきた。

 それは紘也たちがさっきまでいたテントを直撃し、爆発する。

「くっ……」

 熱風と爆音が圧力となって押し寄せる。足でしっかりと地面を踏み締めていなければ紙切れのように吹き飛ばされていたことだろう。

 黒炎が立ち昇る。それを目で追うように見上げると、夜空に巨大な鳥のような影を発見した。幻獣だ。しかし、先程感じた魔力はあの幻獣のものではない。

「誰だ!」

 紘也は叫ぶが、答えは帰って来ない。

「秋幡紘也! なんなのこれは? それにさっきの魔力も」

「うわうわっ! なになに火事?」

「マスター、敵襲です。幻獣の臭いがします」

「ヒロくん、コウくん、ウロちゃんがいないよぅ」

 それぞれのテントから香雅里たちが飛び出してくる。愛沙はウロの姿を見つけると安堵したようだが、他の三人は険しい表情でこちらに駆け寄ってくる。

 と、再び魔力の高まりを感知する。見ると、上空の巨鳥の上で何者かがなにかを振るった。炎の光を一瞬反射したそれは剣のように思えた。

「みんな危ない! 飛べ!」

「「「――ッ!?」」」

 もう一度さっきの火炎が来る――そう思った紘也だったが、予想は外れた。

 下から突き上げてくるような大地の揺れに全員がバランスを崩す。直後、爆発的に地面が隆起し、巨大な岩塊が意志を持っているかのように天を衝いた。

「痛……なっ!?」

 起き上がってその光景を目撃した紘也は絶句する。先程までただの河原だった周囲が、分厚い岩の壁で覆われていた。

「くそっ! 閉じ込められた!」

 一緒に岩塊の牢に投獄された者はそこで打った頭を押さえているウロだけ。他のみんなはこの壁の外にいる。封じられたのは紘也とウロ。ならば、外にいる香雅里たちが危険だ。

 幸い、天井が開いている。

「ウロ、飛ぶぞ! みんなと合流する!」

「あいさ! 了解であります! でもその前に念のため個種結界張っとくね」

 幻獣が戦闘時に使う個種結界は、それぞれの幻獣が持つ特性を付加させた結界のことだ。ウロボロスの場合は〝再生〟と〝無限〟の特性が働く。これによって結界内部で生き物以外の物や自然が破壊されても修復され、外部からの侵入を困難にさせることができる。ちなみに人払いと認識阻害の効果もあるが、他に一般人はいないためあまり意味はない。

 結界を張り終えたウロが背に竜の翼を出現させ――る前に、上から黒い影が降ってきた。

「そうはさせない。俺は貴様に用がある」

 黒のロングコートを纏い、顔を隠すためかロングマフラーを巻いた男だった。見ているだけで暑苦しい。季節を先取りし過ぎである。

 だが男の格好などどうでもいい。問題にするべきは、どういうわけか彼の周囲を円運動している三本の剣である。櫛状の刀身を持つ日本刀、剣尖が平らな直刀、そして二重刃の曲刀。三本とも形が全く統一されていない。

「お前が宝剣強盗って奴か」

 紘也はたじろぎそうになるのを堪えて敵を凝視した。とんでもない威圧感だ。葛木玄永とも引けを取らない。寧ろ軽薄さがない分宝剣強盗の方が強く思える。

「貴様と会話をするつもりはない。大人しく〈天叢雲剣〉を寄こせ。惚けるなよ。貴様が持っていることは承知している」

「なぜ宝剣を狙う。お前の目的はなんだ?」

「言ったはずだ。貴様と会話をするつもりはないと」

 取りつく島もない。冷徹な瞳が鋭い視線だけを放っている。

「や、やばいよ紘也くん! こ、この人、この人」

「ウロ?」

 あのウロがわなわなと震えていた。信じられない。それほどなのか、この男の実力は?

「この人、素で『貴様』って言葉使ってますよ!」

「悪いが宝剣は渡せない。力ずくで奪おうとしても無駄だ」

「あ、やっぱりスルーするんだね」

 こんな場面でどうして緊張感なくいられるのか紘也には不思議でならない。

「……」

 男はギラつく瞳で紘也たちを観察している。やはり彼の周囲には三本の宝剣が惑星のように公転し続けており、隙らしい隙がまるでない。

 やがて男は、フン、と鼻息を吹いた。

「なるほど、想像を絶する魔力制御能力だ。それほどの魔力量を、魔術も使わずにある程度まで近づかなければ感知できないほど抑え込んでいるとはな。昼間の様子を見るに、強力な妖魔を二体も引き連れている。連盟の大魔術師にも匹敵する術者のようだ。宝剣を任せるに値する」

 どうやらぶつぶつと紘也を分析しているようである。困ったことに激しく買被り過ぎだった。

「会話はしないんじゃなかったのか?」

「独り言だ。しかし、貴様も倒せないようでは俺の目的は達成できない。ならば、貴様を殺してから宝剣を奪わせてもらう」

 円運動する宝剣に変化が起きた。一本が軌道から外れ、地面と平行になるようにピタリと停止する。二重刃の曲刀だった。まるで銃口を向けられているような緊張感。

「――吹き飛べ」

 曲刀の刀身に魔力が宿る。それと同じ魔力の高まりを紘也は二度感じている。が、生じる現象はまたも異なった。

 ビュオオオオッ!!

 曲刀から発せられたのは渦巻く大気の流れ――竜巻だ。

「ぐっ!?」

 紘也は咄嗟に横へ転がり飛んで回避した。すぐに体勢を立て直したが、竜巻の痕跡を見て驚愕する。

 地面が深く抉られていた。アレは単なる竜巻ではない。規模は小さいが威力は凄まじく、そして恐らく裂刃。一度巻き込まれるとミキサーにかけられたように一瞬でミンチと化すだろう。

 風気の宝剣――〈都牟刈大刀〉。厄介だ。

「避けたか。流石は彼の大魔術師、秋幡辰久の息子と言ったところだな」

「!? お前、なぜそれを……」

「フン、素生を調べてないとでも思ったか」

 男はそう言っているが、完璧に調べ尽くしたわけではないようだ。もしそうなら紘也が魔術を使えないことくらい知悉しているはずだ。あのような分析にはならない。

「次は確実にあてる――む?」

 再び曲刀が竜巻を纏った瞬間、ウロがその刀身を思いっ切り弾いた。

 甲高い金属音。彼女が手にしているのは、淡い金色をした、宝石のように透き通った両刃大剣。ウロボロスの鱗から鍛えられた武器――〈竜鱗の剣〉だった。本人はアホみたいな名前で呼んでいるが、持ち主の意思で無限に伸縮し、そして自在に操ることのできるチート武器である。しかも自己修復のオプションつき。

「……妖魔、ウロボロスか」

 忌々しそうに吐き捨てる宝剣強盗に、ウロは自分の身長よりも大きな剣を軽々と肩に担ぐ。


「あんたが紘也くんを殺すなんて百那由多年早いんですよ! この〈ウロボロカリバー〉のサビにしてくれます!」

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