5.竜と旅立つよ

「少年よ! お前の今こそお前の真価が試される時だ!! 心せよ!」

 さっちゃんの第一声がそれだった。

 たしかさっちゃんとは、クラスメイトでもあったはずなのだがしばらく会っていない。声を聞くのも久しぶりだ。

 そのさっちゃんの声も肉声ではない。それが残念なことのなのかそうではないのかは残念ながら今の僕には判断できない。

 いま、かりんとふたりでさっちゃんから送られたビデオレターを見ている。といっても媒体はビデオではなく――というか媒体すらなく――、単にWEB上にアップされたさっちゃん自作の動画をみているのだった。

 その動画のURLはこともあろうに、アナログ世代へ逆行まっしぐら。裏が白いチラシを破ったとしか思えない――事実URLが書いてあるのと逆の面には、野菜か電化製品の安売り情報が載っているのだろう――紙片に書いて渡された。めんどうだからみないけど。

 かりんが大事そうに握り締めて帰ってきたそのチラシ、もとい重要機密文書に基づいて僕はパソコンにURLを打ち込んだ。

 どうせこんなことになるんだろうなという予感はあったけど、まさに的中って感じで、いそいそとビデオのスイッチを入れてバミリでもしていたのか足元を気にしながらポジションを移動して、さらにもう一度カメラの手前まで来て録画されているかを確認するさっちゃんが映っていた。

 その後ようやく咳払いをひとついれて、放たれた言葉が、さっきの「少年よ~~」のくだりだった。

 この時点で先がおもいやられるけど、かりんが興味津々で見ているので無下に停止ボタンを押すわけにも、いきなりブラウザを閉じるわけにもいかない。

 仕方なくさっちゃんの言葉に耳を傾けてみることにした。

 だけど、こういった状況はこれが最初ってわけではない。考えてみればそうだった。昔からちょくちょくとこういったさっちゃんのやり口には手を焼かされている。

 かりんを信頼してというか、僕一人だと無視される恐れがあるからその監視役としてかりんをうまく使っている。

 現に今も僕はかりんに促され、勧められるままにさっちゃんの次の一言を待ちわびている。実際には待っているってわけじゃないんだけど、全部見ないことには始まらないというか終わらない。

 再生バーの長さから、メッセージフロムさっちゃんはほどほどの時間を僕に要求しているようだ。

 だから仕方なく……ほんとうにやむを得ずさっちゃんの仕掛けた罠に捕らわれようとしているのだった。




 そういえば気になることがひとつある。正確にはふたつだけど、どっちも気になる現象が違うだけで、根本的には同じことなのでひとつだけだと思うことにした。だって、どうせなら懸念事項や疑問は数が少ないほうがいい。

 それでも、説明するからには二つ並べないといけない。仕方なく頭の中で整理する。ふたつの事柄。

 ひとつめは、音の問題。さっちゃんが立てている物音以外で聞こえてくるごそごそ鳴っている。理解不能な今まで聴いたことの無い叫び声? 鳴き声のようなのも聞こえる。

 さっちゃんが使ったビデオカメラがそんなに高性能ってわけじゃないだろうから、音源を立体的に捉えることは到底無理だし、そもそも僕は普通のパソコンでこの動画を見ているわけで、僕のパソコンのスピーカはあらかじめ内臓されているステレオで左右の音量を調整するのがやっとの貧弱なものだ。だから、さっちゃんが仮に高性能のマイクでこれを録画してたとしても、聞こえ方は同じはずだ。

 とにかく、どこから鳴っているのかわからないけど、謎ちきりんな音が聞こえる。

 それともうひとつ。どっちかというとこっちが重要。いや、さっきの音の問題も重要なんだけど音って簡単に作れるよね。さっちゃんならなおさらだ。

 さっちゃんは、僕を騙すためにはどんなことだってしかねない。だから音についてはまあ、陰謀説を推すとして、なんだか画面の端から端までピュって飛んでいく黒っぽい塊がさっきから何度も目に付いている。

 まあ、これだって最近の画像処理ソフトを使えば素人でも結構簡単に映像を加工できるらしいから信憑性が乏しいといえばそうなんだけど。

 このふたつの何がひっかかってるって、もちろんこれが竜の仕業だと考えてしまいそうになるってことだ。

 いっそのこと、こいつだそうだってバーンとアップで撮ってくれたらいいのに、さっちゃんはまだそうしない。おそらく何がしかの効果を狙ってのことなんだろう。じらし作戦とか。

 見事にじらされた僕は、さっちゃんの部屋には今やっぱり竜がいるんだなとか思ってしまいそうになっている。

 だからといってすぐには信じない。竜といってもいろいろあるし、それこそさっちゃんの創り上げたギミックなのかも知れないから。

 だけど、やっぱりがさがさ音が鳴ったときや、「キャ」とか「ギャウ」で始まる鳴き声が聞こえてきた時なんかは、耳を傾けてしまうし、部屋を飛び回っている何かが映ったときには、少しでも見極めようと若干集中してその映像を凝視してしまっている。

 これが悪いくせなんだ。この好奇心とかその他もろもろさえなければいまごろさっちゃんとは手を切って、平凡で平和な暮らしができてそうなもんなんだけど。



とにかく僕はさっちゃんの次の言葉を待った。隣にいるかりんはボーっとしていて、焦らされているのかそうじゃないのか、何も考えてないのか、続きがみたいのかそうでないのか、さっぱりわからない。

 けれど、これまでのかりんからしたら、どちらかというと見たいんだろうなと思う。こいつはさっちゃんをある意味信奉しているところがある。信奉というのは言いすぎだけど。

 まあ、一種の信頼というかなんというか。叔父さんも叔母さんも家を空けがちで、友達も少ないかりんは、いわば僕が一番信頼できるというか頼れる存在。だと僕自信は勝手に自負している。かりんに直接聞いたわけじゃないけど、おそらく、結構な確率で、いやほぼ100%といっていいほど間違いないだろう。

 で、その次くらいに来るのがあろうことかさっちゃんなのだ。

 さっちゃんにしても、かりんの純真さ、純粋さ、幼さを知ってか気にしてか、単なる気まぐれか、僕には検討もつかないけれど、かりんに接する態度は何故かひどく優しい。

 一緒に居るところを見たことないけど、かりんから聞く限りにおいてはそうなのだ。

 不思議とこれについては、さっちゃんの陰謀めいた黒いオーラは漂ってこない。もちろんかりんを手なずけておけば、おまけの効果で僕をコントロールしやすくなるっていう損得の電卓を叩いた結果での行動ってのも考えないではないけれど。それが第一目的だとは思えない。


 さっちゃんの第一声からしばらくの時間が流れている。

 さっちゃんは伏線というか、計画の下準備というか、まあ手の込んだことが好きだ。

 覚えている限りで、いやな思い出ばかりなのでだいたい忘れられずにいるのだけど、まあ印象深かったエピソードとしては、まださっちゃんも小さくて、悪戯に可愛げが残っていた小学生の低学年くらいの出来事がある。

 バレンタインを過ぎたころだった。その年のバレンタインではさっちゃんは僕にチョコレートをくれなかった。当然といえば当然だけど。でも4月くらいから伏線を張るというか、翌年のバレンタインに向けての準備が着々とスタートしていた。当然その頃僕も同じく小学生、それも2年生くらいだったので、今から思い起こせばということになるが。

 さっちゃんは、やはり当時から精神年齢が高めだったように思う。僕もそうだ。だけど目的が違う。僕のは日常を無難に乗り切るため。

 さっちゃんのは、手の込んだ悪戯を無難にこなすため。そう、いつだって無難。僕とはベクトル違いの無難。大事にはいたらない些細ないたずら。それでいて最大限のダメージを与えてくるのだから始末に終えない。

 今回だってきっとそうだ。少し気分が重くなる。


「というわけで、こんどの日曜の朝、6時に駅前集合」

それだけいうとビデオの映像は途切れた。まあ途切れる前に、さっちゃんが再びカメラのほうに近づいて手を伸ばし、スイッチを切るような仕草をした。その直後に動画は終わっていた。黒い画面がしばらく続いて、関連動画の一覧に自動的に切り替わる。

 いつもそうだ。これだけ手の込んだことをして、こっちの気持ちをはぐらかす。だからといって怒る気にもなれない。そうなればさっちゃんの思う壺だからだ。

「あのね、これ……」

 かりんが一枚の紙切れを手渡してきた。メモのようだ。URLの紙と切り口が一致するかもれない。面倒だし意味がないからしないけど。

”こんどの日曜日”の持ち物や服装などの留意点が事細かに書かれている。

 だったらなぜ、あんなビデオを用意したと腹を立てるでもなくもはや達観した気分で、そう、落ち着き払って日曜日を迎えねばならない。

 さっちゃんとの直接対決。おそらく竜も連れてくるんだろう。さっちゃんのほうからは全く触れていないが、そんな分かりきったこと確認するまでもないだろうというスタンスに違いない。とか考えていて全然別の用件だったらどうしよう。前にもそんなパターンがあった気がする。

 とにかく平常心。それでいて、さっちゃんにしてやられないような心構え。平穏と警戒。相反する二つの課題を掲げて僕はきたる日曜日に備えた。

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