第3話 特別な味覚
菓子調理室は和菓子派が占領しているため使用できない。夏来部長が手を回してくれたので、エクストリームスキー部の合宿所の調理場を使わせてもらえることになった。あれは冬にならないと使わないので。というかエクスキーの合宿所がなんで校内にあるのか意味がわからない。
多田野は「勝たなくても副部長を次期部長になるようにして欲しい」と依頼してきたが、なぜそのような回りくどいことになるのかというと、理由は三つあった。
「なんらかの方法」で勝利をした場合、まちがいなく遺恨が残るということ。そして、またこの案件も「ヘル部」が関与したのではないかという疑念を抱かれる可能性が高いということ。実際、ヘル部の活動の結果として、さまざまな事件が「解決」されてきているのは周知の事実であり、それは実績である一方で、そのまま悪評でもある。利害は相対するからだ。特に、オレが関わった案件に関しては、その解決方法は秘匿されているわけだから、疑念はなおのこと深い。思えば、この半年でだいぶ仕事がやりにくくなった気がする。
もう一つの理由はもっとリアルでパーソナルなものだ。多田野乙女は、本多命琴を「敵に回したくない」のだ。好き嫌いは関係ない。本多は家柄もよく金回りがいいので、取り巻きが多い。それに凡人の多田野が勝利してしまうと、なにかと都合が悪いのである。だから「勝たないで」という条件が不可避になる。わからなくもないが、なんともスッキリしないものだな、女子の社会というものは。
三つめの理由は、調理室で実際にやってみせると多田野が言うので、わざわざ場所を確保した訳だ。多田野とオレが密室で二人きりだといろいろまずいので、誰か一人を立会人として連れてくるように頼んだ。今後のことを考えると和洋研以外の人物がいい。
多田野がLINEでクラスメイトを呼び出している間に、ちょっと聞いてみた。
「多田野さんさ」
「なに?」
「……なんでヘル部に依頼を?」
「ヘル部っていうか、五階堂くんになんだけど」
「へ? オレ指定なの?」
「姫路さんからの推薦」
姫路か! かろうじて動揺を抑えたが、ちょっと表情には出てしまったかもしれない。
そういえば
「なんか聞いてる?」
「ううん。なんにも」
「なんでオレを推薦したのかな」
「さあ」
姫路が事件の真相を覚えているはずはないのだが、結果的に解決はしたのだからなにかの役には立つと思っているということか。それともオブリビオンの作動が不十分で、記憶が残っているということか。再調査は面倒だなあ。嫌われる前ならいいが、事後だとコンタクトも容易じゃないからなあ。
再調査で苦労したのは、第三号被験者の
手続きは正しく。オレが業務上の経験で身につけた鉄則である。
「乙女ちゃーん」
と声がしたので振り返ると、両手で手を振りながら駆け寄ってきた
「美河ちゃーん」
多田野はぴょんぴょん飛びながら北越を出迎えた。いいっすねJKは。多田野ほどではないが、北越もくりんとした愛くるしい顔立ちをしている。ただし、笑っている場合に限る。オレを睨みつける顔は、お世辞にも可愛いとは言い難い。
「美河ちゃんごめんね帰るところだった?」
「ううん、大丈夫。まだ部活だったから」
北越は複写製本研究会のメンバーだから、孤高祭が近いので忙しいはずだ。複製研のコピー機の保有台数は校内で随一で、各団体の印刷物の依頼を大いに請け負っている。それら業務のおかげでこの部の資金は潤沢で、今年からホットメルト製本機も導入したと北越が自慢げに言っていた。まだ嫌われる前のことだが。
「てか、忙しかったんじゃないの?」
「平気平気。だいたい、乙女ちゃんとこいつを二人っきりになんかできないからね」
すいません。オレは心の中で謝罪をした。かつては北越とオレが夜の学校で二人きりだったこともあったのだがなあ、と思いながらもちろん腹にしまっておいた。
「遅くなるから、さっさと済ませてくれ」
「感じ悪いよ五階堂は」
「まあまあ」
多田野がとりなして、調理場の鍵を開けた。少しカビ臭いが荒れてはいない。多田野は手際よく調理器具を確認して、支度をはじめた。
揃えた食材は、鶏卵同好会から分けてもらったたまご、銭湯保存会で常備している瓶牛乳、学食の売れ残りの食パンだった。ボウルでたまごと牛乳をかきまぜて、カットした食パンを浸す。その間にフライパンにコンロにかけ、熱まったところで油を引き、ボウルから取り出した食パンを焼く。たぶんフレンチトーストだ。
「乙女ちゃん、それ……」
北越が何かを言おうとしている。オレも違和感を感じていた。
「……なに!」
多田野は真剣な表情で、なかば怒鳴るように聞き返した。手際のよさで気づかなかったが、あまり余裕がないようだ。北越は唖然として、
「いや、なんでもない。なんでもない」
と、いいかけた言葉を飲み込んでしまった。
「できた」
額の汗をぬぐいながら、多田野はとびきりの笑顔で皿に載せた「フレンチトースト」をオレたちに差し出した。見た感じ、美味そうではある。焼き加減は絶妙なようだ。
「ありがとう」
北越とオレは一切れずつフォークで刺して、口に運んだ。
オレは、広大な草原に立っていた。
空は高く、青い。
そうだ。羊たちを集めて、ゲルに帰らねばならないのだった。
愛馬にまたがり、駆け出した。
家に帰ると、妻が出迎えてくれた。多田野の顔をしている。
お前、モンゴルの服に合うなあ。
モンゴルの大地では、調味料は貴重品だ。遊牧生活のあいだは、満足な食材は得られないから、砂糖などはなかなか口にできない。乳は羊が出すから豊富だ。パンは手に入りにくい上に、ぱさぱさしてかたい。それをミルクに浸して食べる。今日はニワトリがたまごを生んだからちょっとコクがあって美味い。
妻の友人が遊びにきていた。
ウリヤスタイの印刷工場の夫人だ。北越の顔をしている。
大きな街だから、食生活は欧米化していると聞いたことがある。
このような遊牧民の食事は口に合わないのだろう。微妙な顔で食べている。
そうだなあ、砂糖でもあれば、もっとよかったのかもしれない。
今後市場に行くときは、砂糖を買ってこよう。そうしよう。
「美味しくない?」
多田野が上目遣いで聞いてきたので、我に返った。どうやらオレは少し遠くを旅をしていたようだ。
「いや、なんというか。素朴というか、壮大な風味というか」
オレがモゴモゴと言っていると、
「乙女ちゃん、味見してなくない?」
北越が言った。そうだ。味見してないぞ。記憶を辿るがモンゴルの前がよく思い出せない。だが、たぶんしてないはずだ。そういう味だ。
「そ、そうだよね」
多田野が慌てて一切れ口に運んだ。もぐもぐと食べている。北越とオレは、その小さくて可愛らしい口元が動くのをじっと見守った。
「うーん。こんなもんだと思うんだけど」
「マジ?」
北越が聞き返した。
「うん、ごめん。あのね、あたしちょっと味覚が人と違うみたいなんだよね。美味しいと思っても周りと合わないんだ。クラスのみんなには内緒だよ」
「家族は?」
「家族はみんな、なんでも美味しい系だからなあ」
「そうなんだ……」
四切れめのモンゴルトーストを口に運ぶ多田野を、北越があぜんとして見守っていた。
三つめの理由はこれか。つまり多田野乙女は、可愛い外観とは裏腹に極度の味覚オンチであるわけだな。これでは勝てるはずもない。クッキングバトルの勝ち負けと関係ないところで、千口平副部長を次期部長にしなければならないという条件指定は、不可避であったわけだ。うーむ。
「ところで、バトルってどうやるんだ?」
「えとね、本多さんとわたしで同じテーマのお菓子を作って、孤高祭で生徒に売って食べさせて、多く売れた方が勝ち」
「テーマ?」
「テーマは〈究極至高のプリンの再現〉なんだって」
「なにそれ面白そう。手伝うよ」
北越が笑顔で申し出た。そうそうその笑顔はいいよね。マジで。
そうか。プリンか。洋菓子派が有利なのかな。和風のプリンってものもたくさんありそうだが。それと、「再現」か。なんだ再現って。
「ありがとう。でも助っ人ダメなんだよね。一人で作らないといけないんだって」
「そっか。じゃあ応援するよ! いっぱい買うね」
「あ、ありがとう美河ちゃん」
北越は「勝ったらダメ」という条件を知らない。まあ友情に水を差すのもヤボなので黙っておいた。
「ところで多田野。再現というのが気になっているのだが」
調理器具を片付ける多田野に聞いた。慣れた手つきでボウルやフライパンを洗っていく。味覚は残念だが、手際はいいんだよなあ。
「そう。それなんだよね問題は」
「元々そういうプリンがあるのか? 究極だか至高だかっていう」
「うん。そう。ただ、レシピを知っているのは部長だけ」
「教えてくれるんだろう?」
勝負っていうからには公平性は担保されてしかるべきだ。
「ううん、本多さんにもわたしにも教えてないことになってる。あくまで考えて再現する能力を競うんだって」
「食べたことは?」
「ないよ」
「レシピも知らない上に、食べたこともないものをどうやって再現しろと」
「ねえ?」
まあ、和菓子派で本多推しの現部長としては、ハナから洋菓子派に勝たせるつもりもないのだろう。クッキングバトルなんておためごかしに過ぎないわけだ。
学校からの帰り道で、多田野が思い出したように言った。
「本多さんはどうか知らないけど、芽以先輩は食べたことあるんだよ。プリン」
「千口平副部長が食べたことあったって、たいしたアドバンテージにはならんだろ」
「あの人は〈絶対味覚〉持ってるから、一度食べたものはなんでも再現できるよ」
「なんだそれ」
多田野が語ったのが事実だとすれば、和洋研副部長・千口平芽以は、とんでもない超能力の持ち主だ。もっとも、今は絶賛行方不明中なわけだが。
続く
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