第8話 魔法使いの妄想が止まらない
「黒一色でなかったことは評価しよう」
それがミオさんの第一声だった。何ですかその口調……。
……ちょっとかわいいじゃないですか。
「でも、ちょ〜っと変えたらすっごく、よくなるよ。きっと。今日はそれを二人で見つけに行こうね」
「二人で」という表現がちょっと嬉しかった。なんて素敵な言葉遣いをするんだろうと思った。
今日はミオさんに服を選んでもらう日だった。
最初に会ってから一週間後のことだ。
4月半ばの爽やかに晴れた休日の午後、これから、先週初めてミオさんと会った街の、もう少し山側のオシャレなエリアで何軒か服屋を回ることになっていた。
少し補足しておくと、この街は駅から北側が山側で坂道の途中に異人館やカフェや雑貨屋や服屋さんが多い。南側は海側で港やタワーがある。
先週は駅より南側の古いビルを改装したようなオシャレなエリア、今週は駅より北側の、坂道もなだらかなオシャレエリアだった。
考えてみれば、この街オシャレエリアばかりじゃないかと気づいた。確かにこの街は全体的にオシャレなイメージがあるけど、僕はこれまでその中でもオシャレなイメージのないところでばかり生息していたようだ。
ミオさんは先週とは違いピンクの長袖のシャツ(ブラウスって言うの?)に白いパンツとを着てた。ピンクのシャツにつやつやとした茶色めの長い髪がよく似合っていた。
歩く度にふわっと髪が揺れるのに目が奪われそうになる。毛先が内側に軽くカーブしているのだけど、実はかなり僕の好みの角度のカーブだった。
僕は濃いめのジーンズ、薄めのグレーのTシャツ、黒い上着という格好だった。先週真黒なのを指摘されたので、全身真っ黒なのだけは回避した。でも、そもそも上着は黒しかないし、ジーンズは黒以外では今日のものしかなかったので、選択肢はあまりなかった。
今日の趣旨は、その少ない選択肢を増やすための会なので、本当にありがたい機会を作ってもらったと思う。
「今日はすごくいい天気だね。ケンちゃんは晴れ男?」とミオさんはさらっと話題を投げかけてきた。
「割とそうだと思っています。この間は勝負時だったのに雨降ってましたけど」
「あー。そういえばそうだね。でも、実際の晴れの確率はどうあれ、自分で自分が晴れ男だと思っているのっていいらしいよ」とミオさんは笑顔で言った。
「そうなんですか?」
「うん。ポジティブな証拠なんだって。自分のいい時を覚えがちなんだって」
「あー。なるほど」
「でもさあ、それって生まれた場所にもよるよね。この辺りって晴れてる日多いじゃない?」
「多いと言われればそうかもだけど、そんなに多い?」
「私、出身が日本海側だから結構曇ったり雨が降ってたりするんだよね。しかも地方の名前を山陰地方って言うけど、陰なんて文字が入っているってひどくない?」
「はは。確かに。じゃあミオさんは雨女なんですか?」
「うううん。私晴れ女だよ」
「じゃあ今までの前振りはなんだったんですか!」
なんだかとても自然に話ができる。ミオさんは本当に話が上手なんだなと思う。
こういうエリアには全く来ないので、アウェー感はあったけれど、横にミオさんがいるだけで、なぜだかとても心強かった。「横に女性がいる」だけで、「ここにいてもいい権利」を得たようだった。
この街のいたるところにある男性一人では行きにくいところをこれまで避けて生きてきた。だけど、その避けてきた危険地帯も、ミオさんがいると入れるのだ。
もしかして・・・ミオさんは魔法使い?・・・って、あほか。何この空想。
そんなことを考えてミオさんに付いていってたら、ミオさんが振り返って、
「また自然と敬語になってるよ。敬語禁止ね!歳を考えさせないでよね」
と微笑みながら言った。
「うん。分かった」
と返事するのがなんだかくすぐったかった。
ファンタジー空想空間に逃げ込むのは今日は止めておこう。
「まずは一つ、きちんといいブランドのアイテムを買おう。それを着てたらオシャレになるというやつね」
楽しそうにミオさんはそう言った。
「オシャレになるというよりは、オシャレになった気がするっていうのが近いかもだけど、気分が違ったら自信も付いて顔付きも変わるしね」
「そんなものなのです・・・なの?」
と慌てて敬語を修正するとミオさんはじとーっと僕を見つめてから、ふと許してくれたように 、
「そうそう。差なんて本当に少しよ。じゃあ、まずこの店!」と店を指差した。
白い壁に緑やオレンジの窓枠の店に僕は足を踏み入れた。
安売りの服屋と違い、店内にずらっと服が並べられているのではない品揃え。いくつかの胸だけのマネキンに服が着せられている以外では棚には服がちらほら。
色んな雑貨となぜ服屋の店内にあるのかよく分からない皮のソファ。売り物なのか売ってない物なのかの境界線が僕にはさっぱり分からない。
オシャレだというのは分かる。またもや僕にとっては異世界だ。
そんな僕には全く気付かずにミオさんはすたすたと異世界に入っていった。
やはり、魔法使い!・・・いやいや、この妄想はさっき止めておこうと思ったばかりだ。
店内をあちこち見ながらミオさんは中へと進んでいった。
「うん。ちょっとこれ着てみて」
綺麗で黒く上品に光った黒いジャケットを手にして、ミオさんは100%楽しんでいた。
嘘とか気を遣ったとかではなく、本当にこういうのやってみたかったんだなあと分かった。
そしてその笑顔が、僕を安心させた。僕が何もしていないのに楽しんでくれてるんだなと。
ちょっと違うか、とつぶやきながらミオさんは上着を戻した。店のあちこちを見回し、新しいおもちゃに気付いた猫のようにぱーっと走って店の奥に行った。
ミオさんの後ろになびく髪が描く弧の美しさに目を奪われそうになる。
でも、ミオさんは恋愛アドバイザーとして接してくれているんだから、好きになっちゃダメなんだ。ということを思い出して、自分の心の中のバリアを厚くしようとした時だった。
ミオさんが、店の奥からシャツを見つけてきて、ぱーっとこちらに戻ってきた。
「これっ!」
ミオさんがシャツを僕の胸にかざした。
「!」
その時ミオさんの指先が僕の肩の前面に触れた。僕の体に電流が走った。その触れた点の周辺が熱くなった。反射的に全身をその指先に向けて寄せてしまいそうだったが、なんとか踏みとどまった。
ひわいなことは言いたくないが、僕の体の中心は血が集まって硬直してしまった。気づかれないように腰を心もちやや後ろに引いた。そおっと、そおっと気づかれないように。
これは絶対見つかってはいけない。大事なことだからもう一度言うが、見つかったら取り返しのつかない事になるから絶対見つかってはいけない。ミオさんといるこの素敵な魔法空間が解けてしまうに違いない。
中学生のような身体反応だが、考えてみれば経験値は中学生レベルな僕だ。とするとこの反応も仕方ないかもしれないと、自分が愛おしくなってきた。しかし、今はそんな場合ではない。自己愛に陶酔している場合ではない。
必死にもう何年も使っていない微分積分の計算を頭に思い浮かべ、集まった血の気を頭に集めようと努力した。この努力がこの状況に適しているのかどうか分からないけど、今、携帯で調べるわけにもいかない。明らかに不審者だ。大体なんて単語で調べるんだ。
そんなことを必死に考えていたら、ちょっと収まってきた。本当に中学生レベルで悲しくなりそうな事態だった。
でも、これ以上考えても、恥ずかしさと自己嫌悪しか湧いてこないのは分かっていたから、なるべく考えないようにした。
「ちょっと色が明るすぎませんか?」辛うじて戻って来た正常心で僕は答えた。
ミオさんがなおもハンガーを宙にかざしながら惜しそうに見続けているシャツは、眼が覚めるようなオレンジで、自分では絶対に手に取ることすらしないシャツだった。
「ワンポイントで目立つのを入れたら後は地味な安物でもよかったりするのよ。これっていうのを一つ買わなきゃ。いや、でも残念ながらちょっと地味かな」
地味?僕がこれまで身に着けてきた服で一番派手さという戦闘力が高いものの10倍以上も戦闘力の高そうなこのシャツが!
ミオさんはどこまで戦闘力を上げる気なんだ。僕の体はそれに耐えられるだろうか。あ、いけない。また・・・。思考を現実世界に戻さないと。
考えてみたら、僕の意見は完全に無視のようだった。
尚もミオさんが戻したオレンジのシャツの戦闘力の高さに僕が慄いていたら、
「よし、次行くよ!」とミオさんは僕の服の裾を引っ張った。
服の裾を引っ張られるって、こんなに全身が気持ちよく一方向に吸い寄せられるんだと僕はびっくりした。
口には出さなかったが、上機嫌に「はーい」と言って、引っ張られる方に陽気に駆け出してしまいそうだった。背中に小さい羽根が生えだしていた。
次の店は茶色い屋根にクリーム色の扉で、絵本の中のお家のようなお店だった。
お店の殆どは女性用の服だったが、1角に何点かだけ男性用の服が置いてあった。
どうしてこういう構成になっているのだろうと、幾分、僕は憤慨していた。昨日までの僕なら絶対に店に入ることができなかったような構成だ。
こういう店で服を買えるのは、女性慣れした人だけだと妬ましく思った。置いている服も少なかったので、ぱっぱっと見てミオさんはすぐに店を出た。
店の選択を間違えたんだろうなと思っていたが、その次に入った店もその次の店もそんな感じだった。
「男物があまりない店だと、いいの中々ないですよね」と思わず僕が呟くように口にしたら、ミオさんは、
「あら、こういう女性用のブランドで男性の服も作っているところの服って結構女子受け良かったりするのよ?」
と教えてくれた。
また全く知らない知識だった。いったいどこに行ったらそんなことを教えてくれるんですか。
「そういうものなんですか?」
「うん。やっぱり異性の視点が入っているとまた違うというか。。」
とミオさんは言った後、
「だから髪も異性に切ってもらった方がいいのよね」と言った。
話がつながっていない気がしたが、とにかく異性の視点が入っていた方がいいらしいということだけは分かった。ここで話を切ったら、きっと芥川龍之介の蜘蛛の糸ばりに地獄にまっさかさまであろう。
「とにかく僕一人だとこういう店って絶対に入れないので、入るだけで貴重な体験です。ありがとうございます」
「そういってもらえると嬉しいな。なんかこうやって男の子と店に入るのって楽しいな」
ミオさんは無邪気にそう言って笑った。
その笑顔がとてもかわいかった。
そして、その時「胸がしめつけられるような苦しみ」とみんなが呼んでいるのではないかと思われる、水面に落としたしずくによってできた、広がっていく波のような違和感を胸に感じた。
「この笑顔は僕のものではないんだな」と思って悲しくなった。こういう時って、優しさが却って悲しくなるんだなと学んだ。期待しないようにしなければと思った。
ミオさんは恋愛感情ではなく優しさで付き合ってくれているのだ。期待したら、「相手は悪くないのに勝手に傷つくだけ」なのが目に見えて分かった。
その後、何軒か店をまわって、鮮やかな青色と赤色と爽やかな白色のボーダーの長袖Tシャツを買った。
これはオシャレ素人の僕でもまぶしくなるくらいオシャレだと分かる一品だった。そして自分ひとりでは気恥かしくて絶対買えなかった一品だ。
それから僕がいつも行っているカジュアルチェーン店で、ジーパンとジャケットを買った。
いつもと同じ店なのに、ミオさんが見るとまるで別の商品が、ハンガーや棚の奥から現れたようだった。ジーパンはなぜか同じ商品のものを何点か試着したが、サイズと型番が同じでも微妙な色落ちの違いで雰囲気がちょっとづつ違うんだなあとびっくりした。
何軒か店を廻る間に、何度かミオさんにかすかに触れる瞬間があった。
多分ミオさんは触れた事にすら気づいていないと思う。
そのかわいらしい手や、綺麗な髪や、きゃしゃな肩が、僕の背中や手や肩に当たる度に、僕の神経はその一点に集中した。
ぽわんとした幸せな気持ちの直後からズキンとくる悲しみがすごい勢いで僕を通り過ぎた。僕はなるべくそれに気づかないようにやり過ごした。
いつも話している友達がたまたまいなくて本もなくて、校庭をぼんやり眺める休み時間のように。責める対象もいないけど辛い時間はただ通り過ぎるのを待つしかない。
今のこの気持ちがさらに辛いのはぽわんとした幸せな気持ちがコントラストになってしまって余計に辛いのだ。
僕は気づいてしまった。先週僕がこれが人を好きになるってことかなって思ってたことは全部違う。どうやらこれなんだ。
はっきりと分かった。
ミオさんが好きだ。
間違いなく「恋」だと思う。
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