第6話 春の嵐


 「いやー。実は男の子の着せ替えコーディネートみたいなのやってみたかったんだよねー」



ミオさんはあっけらかんとそう言った。



「後から言ったら感じ悪いから先に言っちゃった」といたずらっぽい言い方で続けた。そして、尚も「実はそういうのやってみたい女の子って世の中結構いると思うのよね。そう思ってる男の子と女の子をカップリングしたら結構ビジネスになるんじゃないかなと思うんだけどね」と楽しそうに続けた。


 そう話し続けて、ふと、その場に取り残されてじっとりしている僕に気が付いたようで、ちょっと顔を引き締めた。でもすぐに笑顔になって、

「でも、悪い話じゃないでしょ?ね?ね?」とかわいく言ってきた。もちろん、僕にそれを断るような選択肢なんてあるわけがなかった。


 だけど、女性にそんな願望があるなんて、-とはいってもどんな願望なのかはよく分かっていないが-、僕には意外だった。


 いや、本当に女性という生き物はよく分からない。逆に男性側から考えると、そんなの・・・。僕が15歳の女の子の着せ替えをする・・・。いやいやいやいや。だめだめそんなの想像するだけで犯罪っぽい香りが「ぷーん」とする。香りというより匂いと言った方が近いかもしれない。


 楽しそうなのは否めないが、これ以上想像したら戻ってこれなくなりそうなので、止めておこう。


「もしかしたらそういう気持ちに近いのかな?」と思った。

「それだったらミオさん、悪い人だな」なんて、ぼんやり考えた。


 盛り上がっているミオさんを前に、そんな空想をしていた僕は「まあ・・」と言うのが精一杯だったが、悪い話ではないと思っていたのは間違いない。


 さっきの空想を横に置いておいても、ミオさんと服を買いに行って、服を選んでもらうなんていかにも楽しそうなイベントだった。少なくともこれまでの僕の人生では一度もなかったイベントである。


 なんだったらお金を出してもいいくらいかもしれない。いや、本当にお金を出したら、「いやらしいイベント」の香りがほんのりして、ミオさんも提案を取り下げるかもしれないので、これは口にしないでおこう。そうしよう。



 その動機はともかくとして、僕はその時「楽しいかも」と思っていた。だけど、照れくさくて、楽しいかもと思う気持ちを全くと言っていいほど表現していなかったし、できなかった。口にするのはもちろん、そんな雰囲気も出せなかった。


 でもミオさんは勝手に盛り上がっているので、別に僕がそんな気持ちを表現しなくてもいいだろうと思っていた。こういうのは盛り上がる人が盛り上がっていて、こちら側はそれを否定しなければそれでいいのだ、と思い込んでいた。



 ミオさんはそれを見透かしていたのかもしれない。ふと真顔になって、頬杖をついて、外を見ながら、

「なんか、私一人で盛り上がっててつまんない」と僕に聞こえるように独り言を言った。


「え。あ。いや、僕も、ちょっと、楽しいかもと、・・・思ってます」とドギマギしながら言ったら彼女は嬉しそうに、ニヤリとしながら振り返った。よくこんなふうに笑顔を使い分けられるなあと僕は心底感心した。僕にできる笑顔は多分ぼんやりとして、人によってはニヤニヤと見えるような照れ笑い一種類だけだった。


「ミオさんのアドバイス、そのいーち。」と口を大きく開けて言いながらミオさんは、少し芝居がかった感じで人差し指を立てていた。そして、「喜怒哀楽ははっきりした方がいいよ」と笑顔で言った。


「そういうもんですか」と僕はつぶやき返しながら、なんとなくそれはきっと好みの問題で、ミオさんが喜怒哀楽のはっきりした人が好きなんだろうなと勝手に思っていた。


 そんな僕を見透かしたように、ミオさんは「うん。喜怒哀楽の分からない人って、何考えているか分からなくて怖いんだよね」と、さらっと、僕が全く持っていなかった視点を投げかけてきた。そして、

「特に喜ぶところははっきりしないと、相手も不安に思うじゃない?こういうのが楽しいんだなって思うと安心するし、こちらも楽しくなる、と思わない?」と続けた。


 僕は「なるほど」といたく納得した。


 確かに今、まさに僕がミオさんこういうのが好きなんだ、こういうのは不満なんだと明るくはっきり表現してくれるのでとても安心して楽しい雰囲気に浸れていた。


 心底なるほどなあと思いながら、本当に分かりやすい授業みたいだなと思っていた。そうやって、僕が一学生のようになっているところにミオさんは続けた。


「お互いを理解する努力を相手だけに求めちゃだめだよ。僕は何もしないけど、勝手に盛り上がっていいよ、じゃ相手任せすぎるからね」

 そう言いながらミオさんは、「ちょっと理屈っぽかったかな?」と照れ笑いした。


「私、女の子にしてはちょーっと、理屈っぽいってよく言われるんだよねー」と続けた。


 僕は「とんでもない。いや、とんでもないことないか。でも、僕、あまりよく分からないけど、ミオさんがすごく話しやすいです。理屈っぽいっていうけど、筋道立てて話してくれるから分かりやすいです」と早口でまくしたてた。


 ミオさんは一瞬きょとんとした顔をした後、

「うん、なんだ。ちょっと熱っぽく話しできるじゃない。すごくいいわよ、それ。うん。うんうん、それそれ。そう言ってくれて嬉しい」と笑顔で言ってくれた。でもその後、耳打ちするような仕草で、

「でもね、女の子は大体筋道立てて説明されるよりも、うんうん、よしよしって分かって欲しいって言う生き物なのよ。これ、アドバイスその2ね」と言った。


 実際にはミオさんは、耳打ちするように近づいてきたわけではないし、正面の席に座って、体を近づけるわけでもなくそうしたのだけれど、僕は勝手にドキドキしていた。本当に自分が純粋―なんていい表現を使っていいのかわからないけど―なんだなと強く感じていた。


 その後、ミオさんは、楽しいことは二人で作りだすもので、美少女から勝手に繰り出してくるものじゃないからとか、熱く話すのはいいけど、こっちが加われない趣味にだけ熱かったりすると、それも話し辛いなどと色々と話をしていた。いろいろな経験があるからか言いたいことが結構あるようだ。


 その時、ふとミオさんはスマホで時間を確認して、

「もうこんな時間なの!」とびっくりしていた。

「ごめんね。今日はこの後用事があるから、この続きはまた今度ね」と続けた。


 なにげなく笑顔で口にした「この続き」という表現で、僕の頭は勝手に妄想でぱんぱんになっていたのだけれど、それは絶対にミオさんに悟られてはいけないと、僕は全力で無表情を装った。


 まあ、無表情力には自信があったけれど、今日はそれにも勝る慣れない出来事だったので、うまく隠せていたかどうかは自信がない。



「じゃあ、次の連絡のために連絡先を交換しようか」と彼女は持っていた携帯電話をこちらに差出しながら、

「でも、こういうのもケンちゃんから言い出せるようにならないとね」と楽しそうに言った。


 正直スマホのメッセージアプリのID交換の仕方もあまり知らなかったので、急いでいるミオさんがさらさらっとやったけれど、これもきっと本当は僕がやった方がいいんだろうなというのは容易に想像がついたので、また家に帰った後勉強しようと思った。



 それはそうと、口にはしなかったけれど、ミオさんは「女性との連絡先交換」という僕の初めてもさらっと奪っていった。


 ただ、女性の初めてのあれやこれやが神聖で清純なイメージがあるのに対して、男性の初めては圧倒的に汚く野暮なイメージがあるので、奪ってくれてよかったとミオさんには感謝の気持ちしか湧かなかった。


 急いでいるようなのに、ふと楽しそうに何かに気づいたミオさんは、

「じゃあ、課題いちね」とまた楽しそうに提案しはじめた。



「最初の連絡はケンちゃんからね」これまた爽やかな満面の笑みだった。



 僕は素直に「はい。頑張ります」と反応したので、ミオさんは大きく頷きながら、「うん。よろしい」と満足げに言っていた。


 そして、「じゃあ、ごめんね、またね」と言ってぱーっと店を出た。急いで出て行ったので、桜の花びらを散らす春風のようだと思った。


 ぽつんと店に残った僕は落ち着いてお茶を飲みほしてから店を出た。こんな落ち着かない店でこんなに落ち着けるのがとても不思議だった。何か特別な魔法でもかけられたのだろうかというと大げさかな。




 ともかくこれが、僕とミオさんとの出会いだった。




 僕の中で大きく何かが変わりだしたと勝手に僕は気分が高まっていた。




 その日の帰りの電車は行きと全く世界が違って見えていた。

 まだ何も始まっていないけれど、行きに思っていたような戦場からの帰りのような気分ではなく、僕にも彼女ができてどこかへ羽ばたいて行ってしまった友達のような羽が背中に生えたような気になっていた。


 いや、彼女ができたのではないのだから、この表現は適切でないのだろう。


 でも、何だか今の僕は何でもできそうな気分になっていた。まるでハッピーエンドの映画を見た後に主人公になったような気分になって力が湧いてきたような気分と言ったら分かってもらえるだろうか。



 多分、帰りの電車で僕はニヤニヤしてて気持ち悪かったと思うが、それはもう勘弁してもらえると嬉しい。


 空は春特有のぼんやりなもやがかかっているように見えたが、真っ青で雲が全くない快晴だった。

 何だか全くの方向違いの空回りだったかもしれないけれど、頑張って良かったと思った。


 そして、これからもっといろいろ頑張ろうと僕は決意を新たにした。

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