第39話 不思議なクリスマス
災難だったのは車を運転していた人の方だ。
三十代後半くらいのその男の人はキタガワさんという名前だった。念の為に病院に行った時に、「こんな日に申し訳ないけど」と言っていた。
こんな日に申し訳ないのはこちらの方だ。
キタガワさんが独身で今日も特に予定はなかったと言うので、少しだけ僕はホッとした。奥さんとお子さんが家で待ってるなんて聞いたらいてもたってもいられなかっただろう。
まあそれでも、クリスマスに急に自分の車の前に人が飛び出してくるなんて災難以外の何物でもない。
車に当たって体がボンネットの上に乗り上げたけど、僕は実際かすり傷程度しかなかった。
「大丈夫、大丈夫」と僕が言うのに、周りに集まってきた人は口々に
「今は興奮してるけど、後からくるんだから。念の為に病院行きなさい」と言った。
集まってきた人達の方がよほど興奮していると思ったけど、優しさから言ってくれてるのだろうから大人しく話を聞いていた。
それに合わせるようにキタガワさんも、
「車で送るから病院行こう」と少し震えた声で言った。逆の立場だったら、この後が不安だし病院に行ってほしいと思うだろうと思ったので僕は大人しく従った。
病院にはミオさんも付いてきた。僕が車でひかれるのを目の前で見て、ミオさんは慌てて走ってきた。ミオさんは青ざめていたからか、白い顔がいつもよりさらに白くて、キレイだななんて呑気にぼんやり思ってた。
病院ではMRIで脳に異常がないか検査されることになった。それまでそんな機器で検査されたことがなかったので、こんなSFみたいな機械があるんだと感心した。
予約した時間には到底間に合わそうなので、病院での検査を待っている間に予約したベトナム料理店にキャンセルの電話をした。
迷惑そうに対応されるかなと思ったら電話口の店員さんは少しホッとしていたように感じたので少し救われた気持ちになった。
病院で診察や会計を待っている時間はとても長く感じた。年末が近いからか救急病院は慌しそうで、そんな中に大した怪我もしていない僕が検査をしていることが気まずく感じた。
「ごめん、ミオさん。帰っていいよ。今日の埋め合わせはまたするから」
と僕が言うと、ミオさんは曖昧に笑ってすっとその場を立った。
そこまであっさり帰るとは思っていなかったので、僕はちょっと拍子抜けした。「嫌われてないといいけど」とまるで他人事のように思った。
考えてみると僕も興奮して変だったのかもしれない。冷静に考えたら、嫌われてるかもしれないことは他人事では決してない。
残されたその場にはキタガワさんと僕の2人になったので、無言に耐えられなくて、なんとなく世間話を始めた。
どうして自分1人ならずーっと長い間でも平気なのに、知らない人がそばにいると無言が耐えられないのだろうと思いながらお互いにどうでもいい話をしていた。
しばらくすると、ニコニコしながらミオさんが戻ってきた。
「その横に閉まってる軽食スペースがあるからそこで食べましょう」とシアトル系のコーヒーショップの袋とコンビニの袋を両手に抱えながら、僕とキタガワさんを誘った。
キタガワさんは最初ちょっと遠慮していたけど、ミオさんの誘い方が自然だったからか、
「だって、こんなところで一人で待ってもらうの申し訳ないですよ」という誘いかけに応じて、三人で病院の軽食スペースで小さなカフェタイムになった。
キタガワさんは商社の営業をしているらしく、あまり人見知りしないようで、すぐにすんなりと打ち解けだした。病院なのに3人で笑いあいながら話をした。
「いや、ほんと死んだかなと思ったもん。人でなく猫だったらいいのにと思ったけど大きいし」
と言うキタガワさんのぶっちゃけ話に3人は病院だということを忘れそうに笑った。
はたと気付いて声をひそめてから、目で「いけない、いけない」と会話した。
コーヒーとサンドイッチとクッキーでプチクリスマス会をしているような気がした。
「クリスマス会」なんて10年以上していないけど、 飾りつけもケーキもないのに 、なんとなくそんな感じがした。
楽しそうに笑うミオさんを見て、こんな状況なのに、僕からしたら今までで一番幸せなクリスマスかもしれないと思った。
その一方、ミオさんからしたらこれが幸せなクリスマスではないだろうことに気づき、悲しくなった。
「今日は二人で用事があっただろうに」とキタガワさんが話の途中で気の毒がりだした。
「いえいえ、とんでもない。こちらこそ。あ、大丈夫ですよ。まだ付き合ってないので」
とミオさんが笑って言った。
こんな状況だというのに、僕はその「まだ」という形容動詞がとてつもなく嬉しくて、ニヤニヤしそうなのを一人で抑えていた。
幸せな気持ちになったり、悲しくなったり、なんて浮き沈みが激しいのかと、自分で自分に驚いていた。
病院の後、警察での調書が終わった後には、もう夜9時を回っていた。
キタガワさんとは連絡先を交換して、そこで別れた。
僕がもう一度ごめんねと言おうとしたその時に、
「行きたいとこがあるの」とミオさんは言った。
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