第38話 どうしてそんなものを…
クリスマスイブの夜にミオさんと出会ったあの港町で会うことにした。ライトアップのイルミネーションはもうないけれど、そんなことはどうでもよかった。
僕は夜ご飯を一緒に食べようと思って、レストランを探し始めた。レストランの口コミサイトを見て、フランス料理で1番評価の高いところを見つけた。
カタカナのふりがなを見なければ読めない店名でなんだかキラキラしていた。以前の僕なら決して近寄ろうとしなかった場所だ。
料理の値段は異様に高くて、普段のご飯の何倍もした。でも、値段は気にしたくなかった。こういう時のために普段働いているんだ。
話をするだけでこんなに幸せな気持ちにしてくれるミオさんに少しでもいい思いをさせたかった。そして、おいしいものを食べて喜んでいるミオさんを見たかった。
もう時間が遅かったので、見つけたレストランに電話をするのは次の日の夜にしてその日はゆっくり眠った。なんだか幸せな夢を見た気がした。
次の日の夜、いそいそと年末で慌ただしい雰囲気の職場を抜け、家に帰って昨日見つけたレストランに電話した。
…クリスマス当日は予約で一杯だった。
「そっか。クリスマスはやっぱり混んでいるのか〜。さすが1位」と呑気に思いながら口コミサイト2位の店に電話した。予約で一杯だった。
3位の店に電話した。一杯だった。
4位の店に電話した。一杯だった。
「え?あれ?こんなに一杯なものなの?」僕は少し焦りだしていた。
そして5位の店に電話して、店員さんが当たり前じゃないかという雰囲気で予約で一杯だと言った時に、ようやく僕は理解しはじめた。クリスマスはどこも店が埋まっているものなのだ。
そうは言っても僕はまだ、その事態を充分には理解できていなかった。僕はそのまま機械的にランキング20位までの店に電話したが、全て予約でいっぱいだった。
電話しているのがフランス料理の店だからかと、イタリアンやスペイン料理で評価の高い店に電話ををかけてみたが、それでもどこも一杯だった。
あまり経験したことがない事態に僕の心は既に折れかかっていた。
こんなになくさんの人からNOを叩きつけられるのは生まれて始めてだった。電話を切った後に正座で僕はうなだれていた。
…振られたこともないのに!
…って、付き合ったこともないのに(笑)
…って、ミオさんに一回振られてるか!
そんな馬鹿な一人語りをしながらも事態は笑い事ではなく、このまま電話しても永遠に空いている店なんて見つからない気がした。
でも、こんな一世一代のチャンスに後ろ向きになっている場合かと、自分で自分を鼓舞した。その後も僕はさらに電話を続けた。途中で自分が「電話をかけて断られるマシン」になった気がした。
電話を50件以上かけてようやく、少しお洒落なベトナム料理の店が空いているのを見つけて心底ほっとした。
砂漠の中でオアシスを見つけた時ってこんな感じかも、と思った。でも、本当にそんな状況におちいった冒険家が聞いたら呆れられるな、きっと。
ともかく!クリスマスって恐いと本気で思った。
そして僕は次に自分が直面している事実に気付いた。
…ベトナム料理なんて食べたことない。。
そもそもミオさんがベトナム料理大丈夫かどうか分からなかったので、メッセージアプリで聞いてみた。
「うん。いいよ。パクチーとか好きだし」と返事がきた。
なんだ?「パクチー」って?変換ミスかと思った。
一向に言いなおすメッセージがこないので、検索してみた。
パクチーと検索したのに、コリアンダーという名前で、どう見ても雑草にしか見えない変な草の写真が出てきた。
「エスニック料理によく使われる香菜というハーブの一種」と書かれていた。
エスニック料理?香菜?説明文が全く日本語に見えなかった。ハーブという単語がちょっと聞いたことあるくらいだ。意味知らないけど。
しばらく一つづつ難解用語をスマホ検索で調べて、どうやらベトナム料理はエスニック料理に属するということ、コリアンダーというのがパクチーのことだということが理解できた。
辞書を片手に英語の本を読んでいるような気分になった。プログラムの本や数学の参考書の方がよほど読みやすい。
調べている途中で「カメムシソウと呼ばれている」という恐ろしい表記があったのは気のせいだと思うことにした。気のせいだと思うことにしたけれど、胸の奥に黒いものをしまい込んだ気がした。
しばらくして、ミオさんから電話がかかってきた。メッセージが既読になったけど僕の反応がなかったからだった。僕が、パクチーについて調べたことを話すとミオさんは大爆笑した。
しばらく呼びかけても全く話が通じなかった。笑いすぎでお腹が痛くなって泣いていたらしい。大人の女性でも泣くほど笑うことがあるんだなと不思議に思った。
でも、泣くことないのに…。
強烈で猛烈に恥ずかしかった。けど、でも、なんか嬉しかった。
「食べたことなかったらパクチーは最初は無理かも」とミオさんは言った。
「そうなんだ。どうして、みんなそんな変な味の草を食べるの?」
ミオさんはまたも笑いながら答えた。
「いや、慣れたらくせになっておいしいのよ。でも、なんでベトナム料理にしたの?」
「店が全然取れなくって」
「!」ミオさんははたと気付いたようだった。
「そっか、こんなクリスマス直前によく店とれたよね。ごめんね」
「ううん」
「ケンちゃん。ありがと」
そのミオさんの一言でその日の何時間の苦労がいっぺんに報われたような気がした。
「私嬉しいな」優しい声でミオさんは続けた。
「どんなに私が嬉しいかわかる?」
「分かるよ。だって僕もすごく嬉しいから」
僕はちょっと浮かれて気分が高揚していた。まるでお酒を飲んだ後のようだ。
「ねえ。」と声をかけて思いきって言ってみた。
「報われなくてもいいから、好きって言ってもいい?」
冷静になれば何を言ってるんだと思うようなセリフだけど、その時の僕は真剣そのものだった。
でもそんなバカな僕に対してミオさんの返事は予想の上を行くとても甘いものだった。
「ダメっ」と優しい声が聞こえた後、
「だって今それ言ったら、満足しちゃうでしょ?」
意外で、しかも夢のような返事に頭がぽわんとして無言になっている僕に
「でしょ?」ともう一度ミオさんは続けて言った。
「その気持ちを勝手に満たさないで。私まだ何ももらってないよ」
「それって」と言うのがその時の僕の精一杯だった。
「続きは次にあった時…かな?」と言ったミオさんの声は、僕の人生で聞いた過去最高に素敵な声だった。僕の脳の真ん中を力強く揺さぶった。
それで若干僕は脳しんとう気味になったのかもしれない。そこから数日間の僕は確実に浮かれていた。
仕事中もずっとミオさんのことを考えていて、さくさく仕事が進んだが、後で見直したらやり直しの嵐だった。
一人でふわふわと甘い気分に陥りながら、週末のクリスマス当日を迎えた。
その日はお互いの路線の同じ名前の駅で待ち合わせた。
交差点に近づく前に交差点の向こうのミオさんが見えた。
いつもながらにミオさんは美しかった。
冬で着込んでいるだろうにコートの細く女性的なシルエットがとてもきれいだった。
と、思っていたらへんな酔っぱらいがミオさんの横を歩いてきた。危ないなあと思っていたらなんとその酔っ払いはミオさんにぶつかった。
「っ!!」
僕は慌ててミオさんのもとに走って行こうとした。
その時の自分に鳴らされている衝撃的な音で、僕は自分が交差点に飛び出していることに気付いた。
僕の全身が暴力的に眩しい車のライトに包まれた。
「ドン」という車にぶつかった音が消えゆく意識の向こうで聞こえた気がした。
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