第36話 街のライトアップ
その港町では、毎年12月になると大規模なライトアップをしていた。
そのライトアップは僕の小さな頃から毎年行われていたけど、自分には全く無縁なイベントだった。
世の中にはいくつかこういう、男性一人、または男性だけのグループには無縁で、それ故に無慈悲なイベントがある。
中学生くらいの頃には幾分そういうイベントに無縁なことを寂しく思うこともあった。
外から見るとそういうイベントはとてもキラキラとしているように見えたからだ。
でもある時期から自分が全く無縁過ぎて、自分の視界には全く入ってこなくなった。
人は自分の世界に順応する生き物なんだなと思う。深海魚がわずかな光で生活できるように、僕の目に映る世界にはそういう光輝くイベントはなくなっていた。
でも、今年は急にそのキラキライベントが向こうからやってきた。彼女ができたのだから、当然だったのかもしれない。
でも僕は、僕の世界では遥か昔に絶滅していたキラキラした物体が突然現れることを全く予測していなかった。深海魚にはそのキラキラは眩しすぎて、ちょっと体に悪いもののようにさえ見えた。
気がつくとクリスマスももうすぐで、街はすっかり恋人達の季節になっていた。何年もの間、冬はそういう季節でもあるということに僕が気づいていないだけだった。
ライトアップに行く当日は、駅でワタナベさんと待ち合わせていた。
そして、少し話をしながら、ライトアップのエリアに歩いて行った。
「私ね、このライトアップがすごく見たかったんだあ」
とワタナベさんは柔らかく笑いながら言った。
僕はぼんやりと微笑みながら
「そうなんだ」と言った。
凄い人出でちょっと酔いそうになった僕は、どうして人はこんなに集まって来るんだろうかと思っていた。
「すごい人出だね」となんとなく口に出していた。その言葉を吐いた息が白くなるのを見ながら、他人事のように寒さを感じていた。
「本当。年末って感じするね。冬のイベント…」ワタナベさんも独り言のように口にした。
角を曲がるまでは全くライトアップが見えなかったから気を抜いていたのだけど、人混みに紛れながら角を曲がって僕は息を飲むような光景に圧倒された。
僕はこういうイベントがキラキラしているというのは比喩的な表現だと思っていた。でも、初めて見る目の前のキラキラとしたライトアップは本当にキラキラとしていた。想像の遥か上を行っていた。完全に僕はそのキラキラに圧倒されていた。なんじゃこりゃ!
様々な光という光が刺さるように僕の目の中に容赦なく飛び込んできて、沢山の人がその光の渦の中へと進んでいった。まるでみんなが光に向かって進む虫のように思えた。
「危ない。みんな!だめだ。そっちに行っちゃ!」というセリフが頭に浮かんだが、僕はそっとそのセリフを心の奥にしまいこんだ。
「きれい…」と言いながらワタナベさんはウットリしていた。
僕はまだこの光景を綺麗と感じるまでには、その状況に馴染めていなかった。
でも、人混みが前に前にと進むので、逆に歩くわけにもいかずに、流されるままにその光の渦の中に進んでいった。
ライトアップで光り輝く門を2つほど過ぎた頃だった。ゆっくり歩こうとする人と後ろからくる人で人混みはさらに密度を増していた。
あまりの人込みで、僕は少し流されてワタナベさんと離れそうになった。何人かの間をくぐり抜けて、ワタナベさんが僕の方に戻ってきた。
「手でも繋がないと離れちゃうね」とワタナベさんが何気なく言った。
その時僕がどんな表情をしたのか分からない。
でもワタナベさんは笑いながらこう言った。
「そんな顔しなくていいよ。繋ごうって言ったわけじゃないし」
そして寂しそうに微笑みながら、
「私、このライトアップがすごく見たかったんだあ」ともう一度言った。
ワタナベさんのその一言がきっかけになって、何故だか僕の目には涙があふれてきた。こんな純真な存在に辛い宣言をしないといけないのだと思ったら、なんだか感情が高まってしまったのかもしれない。
目の前をにじませながら僕は必死に、僕のことでなくワタナベさんのことを考えながら言った、
「話があるんだ」
「うん」
ワタナベさんは明るく、いつもの優しい微笑みで、
「ライトアップを抜けたらお話ししよ」と言った。
僕はワタナベさんの優しい微笑みにいつものように安心させられるのを、その時ばかりは少し心苦しく思っていた。
ワタナベさんは残りのライトアップの間、僕の前を歩いた。だからどんな表情をしていたのか分からないし、まして何を考えているかなんて全く分からなかった。
圧倒的な人混みと光の渦を少し抜けて、駅に近づいた時にワタナベさんは僕の方にクルリと振り返った。
「私ね。本当にこのライトアップがすごく見たかったの」ともう一度言った。
僕は何度も繰り返してワタナベさんが言うその言葉を、一文字づつ体に流し込もうとしていた。何度も言うから大切なことなのだろうと、ぼんやりとワタナベさんの話す言葉を理解しようとしていた。
そんな僕にワタナベさんは続けて言った。
「だから今日まで強引に付き合ってもらっちゃった」
「それは違う」と言おうとしたけど、違うという言葉自体が何か違うと思って僕はその言葉を口にできなかった。
何て言葉だったら、僕の気持ちを表現できるのか、僕は全く見当もついていなかった。
そんな僕をよそにワタナベさんは軽やかに言った。
「だから、もう終わりにしよう」手を振って立ち去りながらワタナベさんは言った。
「だから今日ここでバイバイね。タガワさんと付き合えて良かった」
ワタナベさんは振り返ってスッと歩き出し、そのまま人混みに消えていった。
あまりも、あっさりと綺麗に僕の視界から消えていった。優しい魔法のような消え方だった。
僕は何もできずにそので場立ち尽くしていた。
最後に見せたワタナベさんの軽やかな笑顔がいつまでもその場に残っていた。
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