第32話 残念

 ミオさんは笑顔で手を振りながら駆け寄ってきた。


 まるで1番親しかった時のように。いや、それ以上かもしれない。

しばらく連絡していなかったのが嘘のようだった。


 そしてミオさんはこれまた久しぶりに会うのでもないように、

「あのいつも言ってたカフェに行こうよ。夜でもやってるんだよね」と言って、そのままスタスタと一緒に歩き出した。


 まるで先週まで普通に会っていたようで、しばらく連絡してなかったのが嘘のように思えた。


 ミオさんは水色のシャツの上にフワッと肩の空いたベージュのセーターを着て、胸元には茶色系のチョーカーをしていた。


 ウエストにも茶色いベルトをしていたのがアクセントになって、とても女性らしさを感じる。


 オリーブ色の細身のパンツが細い足を彩り、茶色いショートブーツがスッキリとその脚を締めくくっていた。


 いつもながらにオシャレでかわいい。


 そしてまだ見慣れない肩までの髪がとても似合っていた。そして横を歩いているだけなのに、すごく甘くていい匂いで僕の頭の中は一杯になった。


 ジロジロ見てる僕の方をちらっと見上げて、「なあに?」と笑った。

「何でもない」と答えた僕の声の語尾は自然とウキウキしてしまっていた。


 いつものようにミオさんが奥に座り、僕が手前に座った。


 席にちょこんと座ったミオさんは

「久しぶりだね。夏にケンちゃんにひどいこと言って以来だよね」と笑顔で言ってから少しうつむいた。


 そして「あの時はごめんね」と上目遣いで言いながら、目尻にあのかわいい、しわを浮かべながら「エヘヘ」という感じで笑った。


 もう強烈に可愛かった。

「なにこのかわいい生き物!」と思った。

 そしてその思い浮かんだことを口にしてしまいたかった。


 ミオさんは何かが色々入ったキャラメルラテを両手で飲みながら、

「私ね。ようやく色々吹っ切れたんだ」と言って微笑んだ。


 そう思って改めてミオさんを見てみると、確かに以前とは雰囲気が違っていた。どことは明確に言えないけれど、まとっている空気が違うと感じた。


 最初にミオさんに会ったときから充分魅力的だと思っていたけど、今思えばあの時だって失恋した後でミオさんにしては元気がなかったのかもしれない。


 そう思うくらい、今のミオさんはこれまでよりも軽やかで、なんだかふんわりしてて、とてもかわいかった。すっと通った美しい鼻筋も前よりもきれいに感じる。それは久しぶりだったからだけではないと思う。


「ケンちゃんはこの辺でよく飲んでるの?」

「いや、凄く珍しい。ちょっと関係したプロジェクトのお客さんがこの近くで」

「ホント!そうなんだ!私も会社でこの時間まで残業なんて1年ぶりぐらいなの。何となく寄り道して歩きたい気分になって、たまたまここを通ったんだ」まるで室内犬のように人懐っこくミオさんは楽しそうに話した。


「なんか、そんなに偶然が重なると運命感じちゃうね」と楽しそうに笑うミオさんは手を出せば届きそうに思えた。そんなことできるわけもないのに、無性に手を伸ばして抱きしめたくなった。


 そんな僕に続けてミオさんは聞いた。

「その後ケンちゃんはどうしてるの?彼女できた?」


 その言葉で僕は急に現実世界に引き戻された。そうだ、僕は今ワタナベさんと付き合い出している。ふと一瞬、その事実をごまかしてしまいたくたくなり、僕は少し言いよどんでしまった。


「ええっと」

 そんな僕を見てミオさんは僕がまだ何も進展してないと誤解したのか、

「ああ大丈夫。すぐ彼女できるよ。確信してる」と楽しそうにラテを両手でもう一口飲んだ。


 そのままごまかそうとしたらごまかせたのかもしれないけど、やっぱり僕にはそんなことはできなかった。僕は思い切って言った。

「付き合い出したんだ!…合コンで知り合った女性と」

声がかすれてうわずった。まるで僕の声があまり言いたくないと言っているかのようだった。


 ミオさんの顔から一瞬笑顔が消えた。僕はその一瞬で心臓が凍りかけた。


 でも、次の瞬間にはミオさんはもう笑顔になっていた。

「おめでとう」優しい笑顔で、でもさっきまでとは違う笑顔でミオさんは言った。


「うん。ありがとう。これもミオさんのおかげだよ」と僕は言った。でもその声には感情がこもっていなかった。ビジネスの例文を口に出しているような気分だった。


「ううん。元々ケンちゃん、いい人だったしね」とミオさんが言った後に会話が途切れた。

 それは、話がうまくて、いつまでも会話が続くミオさんにしては珍しかった。


 僕は相変わらずこういう時に何て話を続けていいのかよく分かっていなかった。


 いや、以前の僕と違ってドラマの話や最近できた店の話を切り出すことはできた。でも、今の状況にあった話が思い浮かばなかったし、それが本当に話ししたいことかというと、微妙に違っている気がした。


 ミオさんはラテの横に横向きに頭をパタンと置いた。

「確かにいい思い出にすると言ったもんね」と言ってから「時間も経ってるしね」と続けた。


 表情が見えない角度だったので、ミオさんがどんな顔をして言ったのかは分からなかった。でも、何だかミオさんが少しは僕のことを気にかけていてくれたのかもしれないことで、僕は少し心踊ってしまった。


 その後は以前のようにミオさんは自然に色々な話をした。最近の仕事の話や最近読んだ本の話。


 夜も遅くなってしまい、ミオさんはふと腕時計を見てビックリしながら、

「え!もうこんな時間。さすがに帰らなきゃ」と言った。


僕は、

「うん。そうだね」とだけ言った。でも、大切なことは何一つ話ができていない気がした。


 でもこのままいても、今の自分の気持ちを話すことはできない気がしたので、特に引き留めるでもなく、駅までミオさんを見送った。


「風が気持ちいいというより、ちょっと寒いくらいになってきたね」とミオさんは言った。

「あ、でも私冬のコートとかブーツとかは好きなんだ」と続けてから、

「でも、ちょっと人恋しい季節になってきたのは嫌かも」と少し笑った。


 僕はミオさんが話し続けている間ずっと、頷いているばかりだった。

「ケンちゃん送ってくれてありがとう」とミオさんが振り返って言った。

「そして、おめでとう」と続けたので、ありがとうと口を開こうとした。


 その時ミオさんは斜め下を向いて小声で何かを言った。


 それが「ちょっと」という言葉だったのが分かったのと同時くらいに、ミオさんは顔を上げて「残念」と少し困ったような笑顔で小さく呟いた。


 ミオさんは直後に、

「頑張ってね!応援してる!」と大きな声で満面の笑みで手を振ってその場を去った。

 その言い方で、ミオさんは本当に応援してくれているんだと感じた。


 でも、僕はというと「残念」の言葉がいつまでも胸に刺さって、しばらくその場に立ち尽くした。


 何とか、もう終電の時間間際だという事に気付いて駅に走ったけど、電車に掛け乗ってからも、「残念」という言葉はいつまでも胸から消えなかった。


 終電の車内は少しがやがやしていたけど、僕の胸には何も響いてこなかった。

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