第20話 蝉の声
「いや実は持ってないんだよね。 合コンの必勝法なんて」最初にあっけらかんとミオさんはそう言った。 「だいたい私、実は合コンで付き合ったことないしね」
梅雨も明けてすっかり暑くなった休日の午後に、いつもカフェのカウンターで隣同士で座りながら、僕は「そうなんだ」と口だけで呟いた。
元々そんなに必勝法に気がなかった僕の、無関心さからくる無気力な反応に、少しミオさんは戸惑ったのかもしれない。
「 ごめんね。怒った?」 と顔を覗き込みながら 上目遣いで言った。
今度初めて合コンをやることになったので、その前に一同相談しようということで今日ミオさんと会うことになった。
でも僕は合コンの必勝法のことより、カフェが混んでてテーブルが空いていなかったから、カウンターで二人並んで座っている嬉しさで心が一杯だった。
向かって左にいるミオさんを意識して、左の胸がいつもよりもうるさく高鳴っているような気がした。なんとなく僕は、外のうるさい蝉の声に、自分の胸の音を重ね合わしていた。
今日のミオさんは、黒いキャミソール型のワンピースの上にシースルーの白い上着を着ていた。少し透けている服が、こんなにも視界を持っていかれるものだとは思わなかった。
好きな人のこんな服装、誰だって思わず覗き込んでしまうだろう。僕は視線に細心の注意を払った。こんな服を考えた人は、天才か頭おかしいのかどっちかだろうと思った。
その上、さらにミオさんがかわいく顔を覗き込んでくるから、自分が何を考えているのかバレそうで怖かった。
合コン必勝法なんて心からどうでも良かった。僕にとって合コンは、単にミオさんと会う口実だった。でも それを知られてはいけないと思っていた。
だから事前に打合せしたいとメッセージを送った返答でミオさんが、「よしっ。じゃあ合コン必勝法を伝授しよう」なんて軽口を叩いているのに、すごく喜んだスタンプで返したんだと思う。
「本当は合コンでうまくいく必要ないと思ってるんだ」 なんとなく返事をし損ねている僕に向かってミオさんは続けた。
「要は女の子と話す場数だと思うんだよね。場数だけ踏めれば、すぐに彼女なんて見つかるって思ってるし。 だからそんな怒ったような顔しないで?」
怒っているわけではない。デレデレしてしまわないように気をつけているだけ。でも、それを知られないように注意を払いながら僕は答えた。
「別に怒ってないよ。でも…」
「でも?」とミオさんはまた顔を覗き込んできた。距離が近いからかもしれないが、今日のミオさんはいつもに増してかわいく思えた。
顔が赤くなっていないだろうかと心配しながら、斜め下に視線を外して僕は続けた。
「今日もし僕がタナカを連れてきてたらどうするつもりだったの?」ミオさんはこの日の前のメッセージのやりとりで、これまた軽く「友達も一緒に打合せしようよ」と言っていたのだ。
さらに僕は斜め下を見ながら「用事があったからいいようなものの」と続けた。
でも、それは嘘だった。タナカを誘ってなどいなかった。友達想いのふりをしてタナカを合コンに誘ってたくせに、ミオさんからこんな提案があったら、ミオさんと二人きりで話したいという自分の欲望を優先させていた。
我ながら「とんだ偽善者」だと思う。「こんなに姑息なやつなのだ」と自分で自分に驚いた。今まで知らなかった本当の自分を知ってしまった気がする。知りたくもなかったのに。
「恋をする」なんて、とてもメルヘンなファンタジーのよう思っていたのに、なんだろう。「今の自分はメルヘンやファンタジーとは程遠い、生々しいまでの生き物のようだ」と思った。
自分に対する嫌悪感で押しつぶされそうになりながら、そんなことがちっぽけに思えるくらいミオさんとの時間を欲していた。
そんな僕には気付かずにミオさんは、
「あのやり取りしてる時、ちょっとお酒飲んでて悪ノリしちゃったかも」と可愛らしく笑顔で、見えるか見えないかくらいで舌を出した。
その小さな舌に目が奪われそうだった。全身の意識が持っていかれそうだった。でもなんとか堪えた。一瞬しか経っていないのに、さっきの自分への嫌悪感など、もうすっかり忘れていた。
「でも、同じように最初に正直に言って、暖かく二人の作戦の打合せを聞きながら途中でアドバイスとかしてたと思う」とミオさんは続けた。
「まあ、合コンでうまくいく必要はないということか」
「そうそう、そうだって」とミオさんは勢いこんだ。
ミオさんは一時期の元気がなかった頃とは違い元に戻ったようだった。それに僕は安心し、心から喜んだ。
「だいたいある程度女の子に慣れて警戒感を持たれないような接し方をしていれば、あとはタイミングだと思うんだよね」
「タイミング?」
「うん。付き合うって殆どの場合は、出会ってこの人が運命の人って衝撃が走るようなものでなくて、なんとなくいいなと思ってお互いに気になって、少しづつ仲良くなっていくものだと思うの」
「なるほど」
「でも、女の子と接してなかったり、女の子に対して挙動不審だとそんな関係に近づかないし、永遠にいい雰囲気になるタイミングなんてこないと思うのよね。だからその練習ってことで」
ひとしきりミオさんの持論を聞きながら、そういうものかと思った後に、
「そっか。分かった。じゃあ、気負わずに臨んでみるね」と僕は軽い気持ちで言ったつもりだった。
でも、そんな僕の言葉に
「臨むなんて、表現が大袈裟っ!」とミオさんは楽しそうにコロコロ笑いながら言った。
「私もさあ、前の彼氏とは最初は友達の知り合いの人で、感じのいい人だなあくらいだったんだよね」カウンターの前の通りを行き交う人を眺めながら、ミオさんはサラリと話し始めた。
「なんか向こうがちょっと気に入ってくれたみたいで、友達から『連絡先を聞いてきたから教えてもいい?』なんて聞かれてから、急に意識しだしたんだよね。はは。懐かし」
全く笑っていない「はは」だった。
カウンターの前の通りでは、右から左へ歩いているスカートの女性が、待ち合わせていた男性に気づいたのか駆け寄ろうとして躓きかけていた。この二人やその他のこの通りを歩く人にも色々な物語があるのかもしれない。でもミオさんの話の前では、それは全くのどうでもいい風景だった。
「悪い人ではなかったんだよね。ほんとに」と言った最後の声が震えていたのに気が付いて、何も考えずに僕は左にいるミオさんの方を向いてしまった。
まっすぐ正面を向いて動かないミオさんの瞳がいつもの3倍位に、にぶくキラキラ輝いていて、その輝きはミオさんの頬を美しい角度で駆け下りていった。
その美しさに見とれながら僕はどうしていいか全く分からず途方に暮れながら、ただ感じたままに悲しくなっていたら、自分の視界もぼやけてきて、頭が痺れたようになった。自分の頬も一筋だけすごく熱くなったような気がした。
ミオさんは顔を正面に向けたまま、ゆっくり瞳だけこちらを見て、声を出さずに
「優しいね」と口にしたような気がした。
どれくらいの間そうしていたのか覚えていないけど、理由もないのにミオさんを前より知ることができて、悲しいのに、その悲しさにずっと浸っていたいような不思議な気分だった。
不意にこちらを向いたミオさんは「合コンうまくいくといいね」と言って笑った。
その笑顔は既にいつものミオさんの笑顔だった。
しばらく鳴き止んでいた蝉が、またうるさく鳴き始めた。
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