時間(とき)よ、二人を乗せて

@yuri

第1話

片手に写真を一枚持っている男。昨日カバンを整理している時に、見つかった写真。若い女の子が写っている。

「あれ、なんでこんな所に、こんな写真が…。誰だろう、めっちゃ可愛いけど」

 そのカバンは、通勤用に使っていた。ジーンズの生地で出来た、肩掛け用の物だった。

今の若者は、とても使わないような、長持ちするタイプ。しかしその反面、がっちりしている。そのカバンの内ポケットに入っていた。

「どうしよう。なぜ、一枚だけ、しかもこんな所に」

 自分でも何で入れたのかは、分からないらしい。おぼえがあるだろうか、右手に持って、しばらく身じろぎもせず眺めていた。そのうちふと、裏を見た。その顔は、しだいにほころび、優しい眼差しになった。嬉しそうだが、すぐに、無表情に戻った。

「そうか」

 独り言をぼそっと呟くと、大きな息を吐いた。男の頭の中は、大学時代に戻っていた。

するするっと、まるで凍った川の上を滑っていくかのように、滑らかに戻った。そして、四年の春の景色が蘇っていた。


「おはようございます」

「あら、早いね」

と返ってきた。

「この時間に起きられるなら、上等じゃない」

夕べは相当遅かったのかな。頭が痛い。せめて、食事で気分を変えたい。

「今朝は、ちょっと外で食べてきます」

頭を抑えながら、おばちゃんに言った。

「あら、珍しい。自炊じゃないの。相当効いたんだね」

苦笑いしながら、管理人のおばちゃんは笑った。久しぶりに上京した、田舎の友達とハシャギ過ぎてしまった。おばちゃんにはああ言ったが、果たして朝飯が入るかどうか、怪しい。ちょっと横を向いただけで、頭が割れるくらい痛い。ひどい二日酔いだ。窓の外の、陽射しがまぶしい。風に当たりに行こう。散歩に出ることにした。歩きながら、

”山に行きたいなあ”

と呟いた。人に疲れた。気持ちのゴムが、張りっぱなしになっていたみたいだ。行き交う人の顔さえ見たくない。人から離れたくて仕方ない。昨夜騒いだのも、心の奥底に悶々としたものがあったからだ。

♪会いたくなるほどの気持ちもわかない一日なら、自分ひとりで歩いていたい、表参道なら、なおいいさ♬

と言う、拓郎の歌があった。ちょうどそんな心持だ。人が恋しくなるまで、人と離れていたい。この大都会【東京】で、自分を常に平静に保つのは難しい。一度外に出ると、自分の家に辿り着くまで、仮面を被っている時がある。【東京】が四年目だと言うのに、まだこんなにも、【東京】に心を許せていない自分がいる。自分としては、新宿の人混みにも十分慣れたつもりでいたのに、本心から向き合ってはいなかった。

アスファルトの道を黄色く照らす、初春の明るい陽射しに照らされながら、ふらふらと歩きまわっていた。そしていつの間にか、青木の家の前に来ていた。

「おおい、暇ねえかあ」

大きな声で、青木を呼んだ。その日の夕方、四時五十五分発の夜行で、北陸路をまわる事にした。全く先が見えない自分。学生最後の年。四年になると言うのに、まだ就活もしていない。家からは、『熊本に帰らなくても、東京にいて良い』と言われた。しかし、自分は、故郷へ帰りたいと思っていた。【東京】は、肌に合わない。時間が速過ぎる。それなのにどういうわけか、東京に名残が出ている自分を感じる事がある。

“えっ、この気持は、何だ”

と思って驚く事がある。と言うのも上京してすぐの頃は、大都会【東京】が、嫌いでたまらなかった。今もそれは感じている。それなのに、

“東京にいても、いいかも知れない”

と、時々思ったりもする。しかしこの気持ちは、やりたい仕事が見つからない事への不安を、すり替えているだけなのかも知れない。ただ自分の進路が見えない事の言い訳を、考えているだけではなのかも知れない。

“東京に居れば何とかなる。そのうち、やりたい仕事が見つかるはず”

とでも、思っていたのだろうか。

“いったい自分って、何をしたいんだろう。一生をつぎ込める仕事、って何だろう。とにかく、旅にでも出てみよう”

何かを変えなくては。博は、もがいていた。友達が仕事をドンドン決めていく。自分はやりたい事さえ見つからない。焦りからなのか、開き直りからなのか、なぜなのかはわからない。しかし、アリ地獄に落ちたアリが、這い上がれずにもがくのと同じだ。迷路に入り込んで、出口が見つからない。


「お前、今朝まで二日酔いだったんだろう」

 青木が呆れたように言う。それもそのはず、二人が手にしているのはビールだ。あくまでも、ビールだけ。貧しい旅に、つまみなどある訳は無い。この二人の周りの、友達はみんな金が無い。教科書や生活費、本代、部活代等に消える。

「いいよ、最後の旅になりそうだし、思いきり行こうや」

 青木の心配も何のその。博は、声を掛けた。

最後になるかも知れない旅。それは、北陸にした。二人とも北陸は初めてだった。先の見えない長谷川博は、同じく、先の見えない未知の、北陸に行く先を決めた。缶ビールで乾杯して、ぐいっと飲んだ。窓に目をやると、埼玉であった。あと一時間ほどで群馬に入る。流れる景色の中に、田んぼや畑が目立ってきた。

「おい、何時だ」

ビールを飲み終えた博が聞いた時、すでに車窓からは、半月の淡い光が射し込んでいた。列車は、高崎を過ぎていた。

「お前さあ、就職、だいたい決まってるんだろ。納得してるのかよ」

青白い月の光を顔半分に受けながら、博は、青木に向かって聞いた。

「そうだなあ、完全に満足、とは言えないけど」

「どんな所が」

「うーん、朝が早過ぎる、ってとこか」

 青木は、出身地である【静岡総合市場】への、就職内定をもらっていた。

「そりゃ、市場なら仕方ないだろう」

「そりゃ分ってるよ。でもさ、二時起きだぞ。夜中だよ」

「でも、お前、やりたかった仕事なんだろ」

博が一番知りたいことを聞いた。同じ野球の同好会だったのに、あいつの方が成績も上で、アルバイトもしっかりやっている。趣味のワンゲルも、自分のペースで楽しんでいる。しかし青木は、いつの間にか、就職先を決めていた。そんなに順調に、自分のやりたい仕事が見つかるのか。博が一番悩んでいることだった。

「そうだなあ、まあ」

「じゃ、完璧じゃ無かったのか」

「そうだなあ。でも、ほかといろいろ比べると、やっぱり生鮮青果の流通には、興味があるね。全国から集まって来るのが、そこで行き交う訳だからさ。面白そうじゃん」

青木は、経済学のゼミを専攻している。

「いきなり帽子被って、大きな声上げて《セリ》やるのか」

「いや。《セリ》は、もっと後らしい。最初は、集まって来た野菜や果物の、仕分けかなんかじゃないのかな」

「じゃあ、最初は荷物運びってとこか」

「ああ、多分な」

「それでも満足なんだなあ」

「やっぱり、最初は仕事の中身も分かんないからね、しゃあねえよ」

「せっかくもらった一生を、このまま就職して、結婚して家族作って。俺さあ、それで良いのか、踏ん切りがつかないんだ」

「でも、良かったかどうか、は、終わってみねえと分かんねえだろう」

「何かやってみないと、それも分かんないしなあ」

「そりゃ、そうだよ。でも、時間ないしよ。あれこれ考えたって仕方ない。だいたい、百パーセント満足できる仕事に就ける人って、そうはいないと思うよ」

青木は、ビールをぐいっと流し込んだ。ピーナッツをつまんだ博は、さらに話を続けたが、青木はすでに眼鏡をはずしていた。眠い時の、彼の癖だった。しかし博は、独り悩みを吐露していた。

「何をしたいのかはっきり見極めもしないうちに、何となくベルトコンベアに乗って流れるような人生。レールからはみ出すこともなく、与えられた仕事をこなしていく。それで社会では良し、とされている。それでいいのかなあ」

青木の瞼は、閉じている時間の方が長くなっていた。必死に眠気と戦いながら、博の話を聞こうとしている。

「そうだな。ま、それを強要されている、とまでは言わないまでも、ふわあ」

青木の体は、前後に揺れ始めていた。話の途中であくびも出て明らかに眠たそうだ。しかし、頭は半分起きていて、博の言葉に反応している。

「ところで、教員はどうなの」

 青木は、目をつぶったまま尋ねてきた。

大学での彼らの専攻は経済。博が別に専攻している教職課程は、当然、別な履修単位が決まっていた。要するに、教職課程を受講すると、それだけ負担が大きかった。実際に博も、教職課程が始まった二年からは、毎日二時間余計に受講時間が増えた。しかし、なぜか教職課程の方が、経済よりも楽しく成績も良かった。

「ああ。でもな、この前の青年心理学の講義を聞いて、怖くなったよ。一挙手一投足が手本になるなんて、俺には無理だな。あんなの怖い」

「じゃ、どうしたいって言うの」

「教育と言うのは、もう少し柔軟な発想ができるように、人を育成した方がいいんじゃないか、と思う。もちろん就職に対しても」

「だからあ、お前はどうしたい、って言うの」

目をつぶったまま、面倒くさそうに言った。

「その答えが出てれば、こんな旅に来てないさ」

真っ赤な目を開けて、ぐいっとビールの残りを飲んだ青木は、

「じゃ、がんばって、この短い日にちで答えを出しな。おやすみ」

そう言うと、さっさと眠ってしまった。ふと時計を見ると、すでに、夜中の一時である。周りを見ても、ほとんどの人が目を閉じていた。高崎を過ぎてから、ついぞ見なかった、車窓に目を向けた。代わり映えのしない夜景の中、時々過ぎていく無人駅。水銀灯に照らされたその駅は、そこだけ時間が止まって、周りから取り残されたように見えた。どんな小さな駅にも、駅員さんはいる。終電が出て、始発が出るまで、朝早くから夜遅くまで、駅のお世話をしている。

“自分が好きでその仕事に就いた時、果たしてそこまで出来るのだろうか。自問自答しても、自信はなかった。じゃ、どういう仕事なら、できるんだろうか。あいつが言ったように、この旅で見つけなきゃ“

博は、瞼を閉じたものの、眠れずにいた。そのうちに列車は糸魚川を過ぎ、いよいよ北陸へと入って行った。暗い窓の向こうには、漆黒のベールに覆われた日本海が、珍しく静かだった。月光は水平線まで延びていた。その頃やっと博も、水平線に吸い込まれるように、眠りに落ちていった。

「お前、相変わらず早起きだなあ」

翌朝、博が眠そうな顔で時計を見ると、午前六時半だった。青木を見ると洗顔も済ませたのか、さっぱりした顔をしていた。窓の外も薄明るくなっている。海は、灰色で荒れている。

「おい、まさに日本海だなあ。《荒れ狂う》って言う言葉がぴったりだぜ」

「うん、すごいけど」

「どうした。感動ねえか」 

「ああ、俺。海ってやっぱり青い空に、透き通るような水、白い砂浜、って言うのが、海のイメージだから、ぐいーっと引き込まれる、って所まではないなあ」

「そりゃあ、お前。天草の海の色と比べるなよ。灰色で重いイメージだけど、これはこれで俺は好きだな」

流れゆく車窓の景色を見ながら、二人は話していた。

博の実家は、九州は熊本。その西の果て天草だった。周囲を穏やかな海に囲まれた島だ。上島と下島があり、東シナ海を望む、その景色は雄大だった。牛深の海に代表されるように、海の水は透き通っていて、海底の白砂が綺麗だった。博は、素潜りをするので、そんな景色が海のイメージだった。

いつの間にか、反対側には富山平野が広がっていた。春とはいえ、まだまだ寒い。冬の寒さを耐える体になってしまっている人間にとって、春の陽射しはもどかしいくらいに弱い。しかし、だからこそ日だまりで、その弱い陽射しを掻き集めて、暖をとるのも楽しみとなる。立山であろうか、まだまだ春の声は遠く、白い雪化粧で頂を覆っていた。南国育ちの博には、感動に十分値する景色であり、さっきまで眠そうだった目を、まん丸にして、食い入るように眺めていた。

「おい、腹減らないか」

やにわに青木が声をかけてきた。

「いや、俺はまだいいよ。よく入るなあ、昨夜あんだけ食べといて」

苦笑いしながら博が言った。

「そんなに食ったっけ」

青木は、立ち食いうどんをすすり、パンを買った。高岡駅に着いたのは、午前七時過ぎだった。社内の通路を通る人も多くなり、手には洗面具が握られていた。石川へ向かって動き出した列車は、時々、民家の近くを走った。窓の外には、通学途中の高校生の姿も見えた。スモックを着込んだ、女子高生の吐く息が白く、寒さが容易に想像できた。

「金沢~金沢~金沢でございます。お忘れ物のないように」

初めての北陸。【金沢】のアナウンスに、眠気も吹っ飛んだ博は、足早に歩いた。青木を有名な【兼六園】へと誘い、はやる気持ちを抑えて入園した。背の低い梅の木を植え、その間を縫うように小川が流されていた。江戸時代、加賀の殿様が、その小川に歌を詠んで流すと言う、優雅な遊びをしたそうである。時間もゆっくり流れ、悠長な時代だったのだろう。しかし、その悠久の時間の流れを感じるには、観光客が多過ぎた。旗を持ったバスガイドに、ぞろぞろ付いて回る観光客。彼らに押し出されるように【兼六園】を後にした。こういう人込みを避けて、せっかく【金沢】に来たのに。早速、人に疲れてしまった二人は、【犀川】を目指すことにした。「室生犀星」がその名をとったと言われる【犀川】は、金沢市内を流れる一級河川である。澄んだ川の水は、百万石の城下町と加賀友禅を今に伝える。金沢の悠久の歴史そのものだった。時がゆっくり流れている。【犀川】を眺める橋の上で、二人は、しばし佇んでいた。川底がはっきり見える澄んだ水の、その冷たい流れで反物をすすいでいる。加賀友禅の技法を今に伝える、加賀職人の誇りや伝統の重みを感じていた。そのあと川岸のベンチで、ゆっくりパンを頬張った二人は、すっかり【金沢】の歴史の重みを堪能した。夕方までしばらく時間がある。二人は、それでも時間を惜しむように、次の目的地を地図で探していた。何か、目的があってきた旅ではない。

“とにかく、旅へ”

と言う、言わば来てしまった旅である。しかし、時間は限られている。博は、焦っていた。

“何かをつかみたい。いや、掴まなければ”

【金沢】駅で早速、絵葉書を買い、列車を待つ間ペンを走らせていた。

《今から倶利伽羅に行きます。卒論の進み具合はどうですか》


 


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