第10話 猛るクロウ、迫る時間
午後5時8分。ハリアル訓練学園三号館外。
あれからハリスは聡やクラスメイトに三号館を任せ、クロウと共に他の校舎を制圧しようとしていた。しかし、そこで問題が発生した。
クロウが、姿を消したのである。
そこで、単身外に出て、ゆっくりと身を隠すように、ハリスはクロウを探していた。
姿を消したクロウは、戦いに身を任せ自分を見失っている可能性がある。面倒なことになる前に、急いでクロウを見つけ出さなくてはいけなかった。
辺りは段々と暗くなってきている。もう数十分程で恐らく真っ暗になるだろう。身を隠して進みたいハリスにとっては潜入には好都合だった。だが、敵は全員『死神』の格好の黒装束。暗闇になってしまえば、ハリスにとっても発見しづらくなる。
注意しながら辺りを見渡すと、2人の警備兵が近づいてくるのが見えた。ハリスは近くの木陰に身を隠し、歩いている2人の会話を聞くことにする。
「聞いたか、処刑延長だってよ」
「ああ、とりあえずは1時間程らしいな」
「それだけ時間あっても、どうせヤジダルシアは全部の閉鎖地区は解放しねえだろうし、時間の無駄だと思うんだがなあ」
「ま、いいじゃないか。隊長もきっと何か考えがあってだろう」
そこで2人の会話は終了する。これ以上有益な情報を得られないと判断したハリスは、2人を背後から襲う。1人を足掛けと肘打ちで地面に叩きつけ、もう1人の顎に蹴りを入れて気を失わせる。気を失った2人を木陰に運んで隠し、通信機や縄といった小道具を奪ってから木に縛り付ける。
「このマントは……貰っておくか」
マントがあれば発見されたとしても、すぐに不審に思われることはないだろう。1人からマントを奪って、制服の上に羽織る。サイズは少し大きく、ハリスの体を隠すには十分だった。体を少し動かして、マントを羽織ながらでも戦えることを確認した。
道に出て周囲に感覚を研ぎ澄ます。数秒その場で周りに気を配ってみたが、クロウの気配は感じられなかった。
「……あいつ、ご丁寧に気配消してやがる」
クロウは今頃どこかで暴れていそうなものだが、周りに気を配る程度の余裕はありそうだ。
できるだけ暗がりを選んで歩きながら、クロウの行動の跡や、戦闘の跡を探す。この近くには戦闘の跡はありそうになかった。ハリスはある程度探した後に、近くの校舎に目を配る。
ハリスが二号館に目をやると、一瞬だが、窓から光が漏れたような気がした。その光は、三号館制圧の際にクロウが出していたような、一瞬の閃光。
「……行ってみるか」
ハリスは少し小走りで二号館に向かった。
午後5時8分。ハリアル訓練学園二号館。
廊下を一瞬閃光が駆け抜ける。
それと同時に多くの警備兵が、体から血を噴出しながらその場に倒れ伏す。
クロウは立ち止まり、血で真赤に染まった自分の手を見る。
ほんの少しだけ荒れた息を整えながら、クロウは笑いをこらえきれずに高笑いをする。
その笑い声は、いつものカッカッ、という陽気な笑い声ではない。どこか不気味さを含んだ、楽しそうな笑い声。
「ハ、ハッハッハッハッ! ……懐かしいねえ、この血の匂い、この感じ」
気がつけば、近くの教室の中から1年生が怯えたようにクロウの方を見ていた。クロウはそちらの方に視線を向け、近づいていく。途中、倒れた警備兵から流れる血を踏んでパシャッ、と音が鳴る。
「どうした、怖いのか?」
クロウは座り込んだ1年生に視線を合わせるようにしゃがみこみ、話しかける。
1年生はガタガタと震えるだけで何も答えない。その目には恐怖が見える。
「こんな学園に入学しといて、血みどろは怖いってか。大したもんだな」
クロウは言いながらも、笑いをこらえ切れなかった。口からクックッ、と笑いがこぼれる。
「安心しろ、てめえらには手は出さねえよ。殺すのはくっだらねえこいつらだけだ」
そう言いながらクロウは後ろで倒れ伏す警備兵を指さした。クロウは立ち上がり、廊下へと向かう。廊下に出ると、ひどく充満している血の匂いが鼻につく。だが、クロウはそれを気にもせず今度は屋上に足を向けた。
「後は、定時連絡の兵士だけか。……ホント、よく気付かねえよな」
これだけ大暴れして、ひどい有様になっているのに降りてこない兵士には逆に感心させられる。本当に気付いていないのか、それとも怯えて出てこれないのか。どちらにせよ、そんなものでよくも兵士やってられるな、と心の中でクロウは嘲笑した。
屋上に着くと、クロウは乱暴に扉を蹴破った。扉が大きな音を立てながら2,3m吹き飛んでいく。屋上を見渡せば、驚いたようにこちらを見ている警備兵が1人いた。
「ハッ、ホントに気付いてなかったのか」
それだけ言うと、クロウは足に力を込め、駆け出した。驚異的な速度で、警備兵に通信すらさせぬまま、右手で警備兵の首を掴んで床に叩きつけた。警備兵が背負っていた鎌が床に当たり大きな音が響くが、クロウは最早周囲のことなど気にしていなかった。見つかろうが、人質が多少殺されようが、全て制圧、蹂躙してしまえばいい、と考えていた。
「お前に1つ、選ばせてやる」
クロウは警備兵の首を絞めながら話しかける。クロウの顔には、狂気の笑みが浮かんでいた。
「……脅し、か? 残念だが、脅しには、乗らないぞ」
警備兵は首を絞められながらも懸命に言葉をつむいだ。警備兵が必死にもがく様を見て、クロウの笑みはさらに狂気を帯びていく。
「ハッ、勘違いすんじゃねえよ雑魚が。てめえが死ぬのは決定してんだ」
「……なに?」
「オレがてめえに選ばせてやるのは、死に方だ」
その言葉を聞いて、警備兵は怪訝そうな顔つきになった。脅しならまだしも、そんなことを言われるとは夢にも思っていなかった。
「どんな死に様がいい。さくっと体を真っ二つに裂かれるか、一瞬で頭を潰されるか。それともじっくり殺すか? 体中の至るところを切り刻んでから殺してもいい。えぐってから殺してもいい。ゆっくりと首を絞めて殺してもいいな。……オレと戦って、無様に蹂躙されながらその命を散らしてもいいぞ。どれにしても、俺は楽しめる」
クロウの顔に浮かぶひどく狂気的な笑み、クロウの口から紡がれる狂気じみた言葉、クロウの体から感じる快楽による震え。その全てが、警備兵の体中から冷や汗を噴出させた。同時に、恐怖で警備兵の顔が青白く染まっていく。
「いいねえ、その感じ。恐怖で身がすくんでいく感じ。さっきのガキも、いい怖がり方だった。その恐怖を全身で受け止められた。……いやあ、ホント楽しいな、殺しってのは、殺戮ってのはよ」
この男は、いかれている。そう感じた警備兵の体が、徐々に震え始める。元々命乞いなどする気は無かったが、クロウの言葉は、警備兵の中に微かに残った、生きようとする意志すら簡単に奪い去った。
「さあ選べ。てめえの命の最後を」
クロウは右手に力を込める。警備兵の体の震えが増していく。クロウはそれを見て、興奮を抑え切れなかった。このまま絞め殺すか、とクロウが呟いたとき。
クロウは左手を後ろに思いっきり振った。確かな殺意を持って振ったその左手は、常人には反応できない速度で振られていた。しかし、何者かに腕をつかまれる。
「俺だ、クロウ」
「……ハリス」
クロウの左腕をつかんだのはハリスだった。ハリスは右手で、クロウの左腕を強く握り締める。クロウは煩わしそうにその手を振り払いつつ口を開く。
「邪魔すんじゃねえ。今いいところなんだ」
「……アホ、やりすぎだ」
ハリスはクロウの頭をぺん、とはたく。ハリスからは見えなかったが、クロウの顔からは狂気の笑みは消えていた。邪魔されたという苛立ちで、怒りに顔がゆがんでいた。ハリスもクロウが怒っているのは感じ取っていたが、それは気にせずに言葉を続ける。
「敵に悟られたらどうする。面倒なことになるぞ」
「ハッ、構いやしねえよ。オレが全部殺してやる」
いつもとは違うクロウの様子に、ハリスは少し眉をひそめる。
「……人質を殺されたら意味がねえだろ」
「それこそ構いやしねえ。別に人質の命なんざ、オレにとってはどうでもいいな」
「お前にとってはどうでもよくても、俺はどうでもよくねえんだ」
そこで2人の会話は途切れる。数秒その場を静寂が支配した後、右手で警備兵を持ち上げつつ、クロウがゆっくりと立ち上がった。警備兵が息をしようともがく。
「……ハリスよお、てめえ変わったなあ」
「…………」
クロウは、哀れみの表情を浮かべていた。そしてクロウは、右手でもがく警備兵を煩わしく感じたのか、警備兵を乱暴に床に叩きつけて意識を飛ばさせる。
「平和ボケってのはこういうことか。感心しねえなあ」
そう言うと、クロウはゆっくりと、ハリスとにらみ合うように顔を近づけていく。
「なあハリス、久々にやろうや。久しぶりに、ガチの勝負だ」
クロウは哀れみの表情から嘲笑の表情に変わる。ハリスはそれを見て、煩わしそうにため息をつく。
「クロウ、今は時間が無い」
「言ったろ? オレには人質なんざどうでもいい」
「勝負なら後でいくらでも付き合ってやる。いくらでも蹴散らしてやるからよ」
「……ハ、ハハッ、蹴散らす、ね! いいねえ、その自信!」
顔を手で覆いつつクロウはクックッ、と静かに笑う。
「自信だけは変わってねえってか」
「てめえより強いってことも変わってねえよ」
「カ、カッカッカッ! いいねえハリス!」
気付けばクロウが持っていた鋭利的な雰囲気は、どこか穏やかなものに変わっていた。
「ただし、これが終わったら俺をきっちり満足させてもらうからな」
「上等だ」
クロウはカッカッと笑いつつ、ハリスから離れていく。そして床で気絶している警備兵の服を乱暴につかみ持ち上げ、顔を何回か往復ビンタする。
「ほれほれ、起きろー」
「なんとかそいつに定時連絡させないとな。……誰かさんが大暴れしたから」
「うるっせえな。別にいいだろそんくらいよ」
クロウが警備兵を起こしている内に、ハリスはこれからのことを考えることにする。マントを奪った警備兵の話によれば、処刑の執行は午後6時まで延長された。多少は時間の余裕はできたが、学園の広大な敷地を考えれば、残り時間は少ない。
このまま第一闘技場に乗り込んでもいいが、敵の兵力も、実力も分からない今、下手に飛び込んで危険な状況になってしまうのを、ハリスは避けたかった。クロウに本気を出させれば制圧は簡単だろうが、クロウの実力を多くの人間に知られるのは避けたい。だが、危険な状況を避けるためには、やはり人質をどうにかして救出しないといけない。
「なあクロウ」
「あん?」
「校舎まるごと1つ、制圧するのにどれくらい時間かかる」
「あー、まあ、10分もあれば定時連絡の奴を脅すのも含めていけるんじゃねえか?」
「そうか」
そこで会話は途切れ、ハリスは再び考え込み始めた。クロウは再び警備兵の交渉に戻る。
人質の処刑が再び開始される時間まで、残された時間は50分もない。それに対し残る校舎は一号館、四号館から六号館、それと図書館。宿舎や闘技場、訓練場を含めると時間の内に全てを2人で制圧するのには少し無理がありそうだった。
そこまでハリスが考えたところで、クロウが口を開いた。
「お、ハリス、交渉終わったぞ」
「ん? いつの間に起こしてたんだ」
「いや、さっき。ていうか、こいつめっちゃ震えてめっちゃ従順なんだが」
警備兵は顔を真っ白にして、ガタガタと震え上がっている。クロウに対する恐怖から来るものだったのは明白だった。それを察したハリスはため息をつく。
「やりすぎたんだバカ」
カッカッカッ、とクロウは愉快そうに笑っていた。
午後5時10分。ハリアル訓練学園一号館通信室。
普段は軍などの外の機関と通信を行うためのその部屋は、今は『死神』のテロ集団に制圧されて、テロ組織の中核となっていた。そしてその中ではせわしなく通信兵が機械を動かし、周りの状況や軍の状況などを確認している。
その中で1人、部屋の中央で画面を見ながら思慮にふけっている男がいた。
「軍はあれから動きがない……。突入は諦めたのか……? しかし、諦める理由も見当たらないが……」
赤い一本線が入ったマントを羽織った男、レッドだった。レッドが見ている画面には、通信傍受や情報収集によって得た軍の動きなどが地図に示され、さらに文章で軍の動きが細かく書いてある。軍の突入部隊は準備だけを整えて、こちらには向かっていないと画面には書いてあった。レッドには、まだ軍の真意がつかめずにいた。
「ヤジダルシア軍は何を目的としているのか、何か思惑があるのか……」
レッドは手に持っていた通信機をくるくると回しながら軍の真意を探ろうと考えをめぐらす。そんな時に、通信機に通信が入った。
「お、っと。はい、こちらレッド」
「こちら校舎警備隊。二号館から不審な音がした。これより確認に向かいます」
「了解。慎重にお願いします」
こんな時に……、とレッドは悪態をつく。軍の真意を探ることに集中したいレッドには、少し煩わしかった。しかし、何者かが侵入している可能性があるため、邪険に扱うことはできない。
「……軍が侵入している可能性も、考慮に入れなくてはいけませんね」
念のため、全警備兵に警戒するように通信をまわすことにする。
「通信兵」
「はい」
「全警備兵に連絡を。何者かの侵入の可能性あり、と」
「了解です」
通信兵に指示を出してから、レッドは『死神』へと通信を開始する。
「こちらレッド。『死神』さん、応答を」
「どうした、こちら『死神』」
「杞憂だとは思いますが、軍が侵入している可能性が」
「……何かあったのか?」
『死神』の声が少し重くなり、警戒の色を匂わせた。
「いえ、二号館で不審な音がしたとの連絡があっただけです。念のため」
「そうか。警戒は厳にしておいてくれ。ここまで来て計画を邪魔されたくない」
「ええ、もちろん」
「ところで、軍からなにか通信は入ったか?」
レッドは近くの機械をいじり、通信履歴を確認する。
「いえ、特にないです。交渉班がこちらに向かっていると言う情報は入ってきていますが」
「そうか、了解した。引き続き警戒を頼む」
「了解です」
そこで通信は終わり、レッドが一息つく。再び思慮にふけろうとしたところで、立て続けに通信が入った。
「こちら校舎警備隊」
「こちらレッドです、どうぞ」
「二号館を確認したが、異常なし。警備に戻ります」
「了解です」
その通信を聞いて、やはり杞憂でしたか、とレッドは一安心した。再び軍の真意を探ることに集中するが、どうにも考えがまとまらない。少し、不安が残っているということだろうと、レッドは判断する。
「ふう……。少し、二号館周りを見回りしてきます」
「わかりました。お気をつけて」
通信兵に一声かけてから、レッドは通信室を出る。二号館なら一号館から歩けばそこまで遠くない位置にあった。何か危険があったとして、すぐに戻れるだろうとレッドは判断した。
まとまらない頭を抱えながら、レッドは二号館へと向かった。
午後5時15分。ハリアル訓練学園二号館玄関外。
レッドは1人の警備兵と話していた。
「先ほどの不審な音とは、どういう音だったんですか?」
「なにかが床に落ちた音のような、そんな音です」
「発生源は?」
「特定はできていませんが、警備兵は誰も異常を確認してないと」
「ふむ……。少し辺りを散策します。着いてきてください」
レッドと警備兵は歩き出す。警備兵は歩きながら、その顔に冷や汗を垂らしていた。そしてマントの下では、いつでも戦闘態勢に入れるように短刀のハリアルを生成してあった。
警備兵は、変装したハリスだった。レッドが近づいてくることを察したハリスが、二号館内で倒れ伏した警備兵から、大鎌等の装備を慌てて奪って変装したものだった。今のところ、レッドにバレている形跡は無い。フードやマスク、そしてマントが、ちょうどハリスであることを隠してくれているため好都合だった。
ふとハリスが屋上を見上げると、クロウがニヤニヤしながらこっちを見ているのがわかる。明らかにこの状況を楽しんでいるようだった。思わずハリスは、あいつ……、と呟いてしまう。その言葉にレッドが反応した。
「ん、どうかしましたか?」
「え、いえ、何も」
「そうですか」
それだけでレッドは再び周りの警戒に戻る。ハリスはマントの中で静かに胸を撫で下ろすのと同時に、クロウを軽く睨みつけておいた。
それから数分、レッドとハリスは校舎の周囲を散策した。幸いにも、途中ですれ違った何人かの警備兵達にもハリスは不審がられることはなかった。
「ところで、生徒達の様子はどうですか?」
突然、レッドがハリスに話しかける。ハリスは慎重に言葉を選びながら口を開く。
「いえ、特に変わった様子は」
「そうですか。くれぐれも注意しといてください。貴重な人質です」
そこで会話は途切れ、ハリスはレッドの対処を考えることにする。
彼の持つ雰囲気、僅かに見えた体格、そういったものから判断して、戦闘になった際に勝てる自信があった。今襲っても、簡単に対処は出来るだろう。しかし、マントに走る一本線や周囲の警備兵からの扱いを見るに、彼はリーダー格。今ここで排除しても後で何かしらの障害となる恐れもある。
思慮を巡らせながら歩いていると、2人はいつのまにか二号館の玄関外に帰ってきていた。再度周りを見渡してから、レッドが口を開く。
「特に異常はないようですね、よかった。私はここで通信室に戻りますが、何か異常があったらすぐに報告を」
「はい、もちろんです」
レッドはマントを翻しその場を後にする。レッドが見えなくなるまで見送ってから、ハリスは二号館へと入った。屋上へ少し早足で向かいつつ、隠していたハリアルを消してフードとマスクを外す。その道中、レッドのことをハリスは考えていた。
屋上に到着すると、クロウがニヤニヤしながら出迎える。とりあえずクロウの頭を一発はたいてからハリスは口を開く。
「あいつ、多分リーダー格だ」
「ああ、そうっぽいな。雰囲気は強そうだったし」
「もう少し情報を探れればよかったんだが……」
「ま、バレなかっただけで十分じゃねえか? お前にまったく気付かねえマヌケなんだしよ」
「それもそうだな」
会話を終えたハリスは屋上から辺りを見渡す。相変わらず警備兵達が歩いているものの、その警備は死角があるのが見て取れた。これならいける、とハリスは安堵しつつ口を開いた。
「とりあえず、次の作戦に移ろう」
「お、なんかあるのか」
「ああ。俺が四号館を制圧しに行く。その隙に、お前は五号館と六号館。あと図書館の制圧を頼む。一号館は、さっきのリーダー格がいることも考えて後回しにしよう」
ハリスがそう言うと、床に座り込んでいたクロウは眉をひそめた。
「別にいいんだが、俺だけ多くねえか?」
「俺はちょっと交渉もしなくちゃいけねえからな」
「交渉? 誰と」
「学園内ランクで、トップ10の奴らと」
それを聞いたクロウは一瞬だけ考え込んで、それから納得したように笑ってから立ち上がる。
「なるほど、そいつらの手も借りようってか」
「ああ、まあな」
「んじゃ、パパっと制圧しに行きますか」
こらから戦闘ができると思い、クロウは楽しくなって拳や首の骨を鳴らす。さらに戦闘準備の為か、肩も何回か回して体をほぐしている。ハリスはそれを見て、軽く言葉を投げかける。
「やりすぎんなよ」
「わーかってるって。ちゃんとセーブすっからよ」
それを聞いて、ハリスは安心したように笑い、口を開く。
「よし、行くか」
「おうさ」
2人は屋上から飛び降り、一気に二号館の玄関外に降り立つ。近くに警備兵がいたが、すぐさまクロウが気絶させた。クロウは気絶させた警備兵を回収して、適当に二号館の中に放り込む。
それから2人は視線だけ交わすと、ハリスは四号館に、クロウは五号館へと駆け出した。
午後5時19分。ハリアル訓練学園四号館二階廊下。
2階建ての四号館に非常階段から侵入したハリスは静かに状況を観察した。警備兵が三号館に比べて数が少しだけ多い。通常は5年生が使用している校舎だけあって、警戒は厳密になっていた。だが、数が多かろうがハリスには関係ない。少し時間がかかるだけで、制圧にはなんら問題は無かった。
「確か5年生は17クラスだったか……?」
自分で口にして、クラスの多さに面倒くささを感じる。ここまで多いとさすがに時間がかかってしまいそうだった。
「ま、やりますか」
ひとまず近くに人がいないことを確認してから近くのA組にハリスは入る。格好が『死神』の格好なので、特に不審がられることもなく入ることができた。しかし、突然入ってきたハリスを見て、A組にいた3人の警備兵の内の1人が話しかける。
「どうした、何かあったか?」
「いや、ちょっと連絡を」
そう言ってハリスはその警備兵に近づいた。耳打ちをする振りをして、かなり近くまで近づく。そして、思い切り警備兵の腹に拳を入れた。
「……な、に」
警備兵がその場に倒れこむ。他の2人の警備兵が異常に気付き戦闘態勢に移行するものの、ハリスはそれよりも一瞬早く1人の背後に回りこみ首を締め上げる。残りの警備兵が駆け寄ってくるが、ハリスは体を回転させて顎に蹴りを入れ、気絶させた。
一瞬にして制圧されたその場で、縛られていた5年生達が呆然とハリスを見上げている。その中の1人に近づきしゃがみ、縄を解きながらハリスは口を開いた。
「ランク7位のハリス・メイソンです。助けに来ました。ひとまずこの校舎を制圧してしまうので、皆さんはここに残っていてください」
「……ありがとう。よく、脱出できたな」
「ええ、まあ。なんとかして。……ところで、A組には確か、9位のリーサさんがいたと思ったんですが……、どこに?」
「ああ、彼女はこの下の小体育館に連れてかれたよ。恐らく、他の8人もそこに捕まってるんじゃないかな」
ハリスは厄介だな、と小さく口にする。トップ10の9人が集められているとなると、警備兵も当然そこに固まっていることが予想できた。簡単に制圧できそうもないな、と考えていると、5年生が口を開く。
「しかし、1人で大丈夫か? 僕達も手伝おうか」
「いえ、大丈夫です。このくらいなら問題ありません」
そう言うとハリスは立ち上がる。軽くストレッチをしつつ、再び口を開いた。
「それに、下手に動いて敵に察知されると面倒なんで」
「あ、ああ……。それも、そうか」
少し困ったような表情をしながら5年生は黙り込む。ハリスはそれも意に介さずにストレッチを終えると、A組全員に向かって口を開く。
「くれぐれも、ここで静かに待っていてください。あ、協力といってはなんですけど、こいつらは縛っといてもらっていいですか。あと、他の教室とか廊下のやつらも。んじゃ、行ってきます」
ハリスは言い終えると教室の外に出る。廊下にいる警備兵の数だけでも相当数がいることが確認できる。これに合わせて教室にいる警備兵が16クラス分。あまり時間はかけられないので、A組を助けたときのような作戦は取れない。
「と、なると……」
ハリスは足に力を込め、駆け出す準備に入る。クロウほどの速さはないし、疲れるためやりたくはないが、クロウと同じ事をするしかない。やるなら迅速に、気付かれないように、確実に。軽く息を吐き、一気に駆け出す。身に着けていたマントが大きくはためくが気にしている暇は無い。
まずはB組に入り、3人の警備兵に振り向かせる暇も与えないまま、みぞおちや顎に一撃を入れる。できるだけ倒れたときの音がしないように、倒れる途中一度全員の体を上に軽く引っ張ってから床に伏せさせる。そして1人の生徒の縄を切り、声も交わさぬままに廊下に出る。廊下には警備兵が1人。近くにはどうやらいないようだった。その警備兵も難なく倒し、B組の中へと入れておく。次はC組、廊下、D組、廊下、と同じ作業を繰り返す。
幸いなのは廊下であまり警備兵が固まっていないことか。クロウのような速さを持ってない以上、警備兵が廊下で固まっていられると、ハリスは対処に困ってしまう。この広大な廊下では、警備兵を倒しているところを見られていたら、それが他の警備兵に見られ、そのまま連鎖的に続いていく可能性があるからだ。
一旦ハリスはI組に止まり、この先の廊下の状況を窺う。この先の廊下で、警備兵達が固まっている様子をハリスは確認した。どの警備兵を倒しても、連鎖的に多くの警備兵に気付かれるだろう。しかし、教室の警備兵達を優先的に排除しても、その途中警備兵に気付かれるリスクはある。
「……くそ、面倒くさいな」
残るクラスはJ組からQ組までの8クラス。そのくらいの数ならば、多少無理をしてもなんとかなる自信はあった。だが、その途中倒れる音をごまかすようなやり方をしていては、さすがに途中で失敗に終わる可能性がある。
「あれは疲れるから、やりたくないんだけどな……。くそ、仕方ない」
ハリスは覚悟を決め、足に力を込めた。一瞬、ハリスの足が微かな光に包まれる。それからハリスは息を吐くと、一気に駆け出した。
駆け出したハリスのスピードは、先ほどに比べて格段に速くなっていた。クロウ程ではないが、やはり常人では出せず、対処も出来ないようなスピード。
廊下にいる警備兵達の意識を確実に落とすために、ハリスは勢いに任せて多少手荒な手段で倒していく。勢いは落とさずに、確実に。そのまま教室には寄らず、廊下の端まで一気に駆け抜け、ハリスは廊下の警備兵達を排除した。振り返れば、異常に気付いたであろう警備兵達が何人か教室から顔をのぞかせている。
少し荒れる息を無視し、今度は各クラス内にいる警備兵達の排除にまわる。ハリスにはもはや手段を選んでいる暇は無かった。警備兵達が背負っている大鎌が床に当たっても構わない。ハリスが出しうる最高の速さで、各クラスの警備兵達を排除してく。クラスに侵入、警備兵を攻撃し、警備兵達が倒れ付す前にはもう教室にはハリスはいない。そんな速さでハリスは駆けていた。
常軌を逸した速さで駆け抜けるハリスの息は完全に荒れていた。しかし、それを無視し、ハリスは1階へと駆け降りる。異常を察した警備兵が階段を上っていたが、軽く膝蹴りを食らわせて、その場を立ち去る。
四号館の1階はそのスペース全てが小体育館に使用されている。一階廊下にあるのは5年生用の下駄箱と、小体育館へ入るための扉。ハリスは荒れる息を抑え廊下、下駄箱にいる警備兵達を倒しつつ、先ほどとは違い大鎌を奪っていく。そして閉ざされた扉の前に立ったハリスの手には、2本の大鎌が握られていた。
ハリスは短い時間で息を少しだけ整え、扉を蹴り、開け放つ。奥には、警備兵が30人程。それを見たハリスは軽く舌打ちをし、駆け出す。息が荒れているとは思えないその速さは、警備兵達の目では追いつくことができない。人質達の目の前に置いてあった椅子を踏み台に、一瞬の内に警備兵達を飛び越えつつ、持っていた大鎌を数人の警備兵の顔めがけ放り投げる。かなりの速さで投げ出された2本の大鎌は、警備兵達の意識を奪うには十分だった。
ハリスは飛びながらその手に短刀のハリアルを出現させ、着地と共に1人の生徒の手錠にその刃を差し込むように叩きつける。勢いよく叩きつけられた短刀の刃は折れることなく、頑丈な手錠の破壊に成功した。手が自由になったことを確認し、歓喜の笑みを浮かべながらアザハート・シュタインは叫んだ。
「……よくやった、少年!」
「少年じゃ、ねえっつの」
アザハートは、自由になった手でハリアルを生成する。アザハートの手には、一瞬の閃光と共に、鞘すらない長剣が現れた。アザハートはそのまま足錠を破壊し、ハリスの加勢に回る。
9人の生徒を囲むように、つまりは円を描くように警備兵達は立っていた。半円部分ずつを2人で担当し、鎮圧にまわる。
アザハートは鮮やかで力強い剣技で警備兵達を切り裂いていく。警備兵達は懸命に防御、回避をしようとするものの、あっけなく隙を突かれ倒れていった。片やハリスは速さに身を任せ、一瞬で数々の警備兵を切り裂いていった。その速さの前に、警備兵達は何もすることができなかった。
最後の1人が倒れ付すと共に、体育館には静寂が舞い降りる。そして、ハリスが息を荒らしながら膝を着いた。心配そうにハリスに駆け寄ってからアザハートが口を開く。
「お疲れさん。礼を言うぜ」
「ああ……。礼は後で。悪いけど、多分屋上に、警備兵が1人、いるんすけど、連れてきて、くれないですかね」
「ん? ああ、わかった」
「できれば、急ぎめで」
アザハートが体育館を駆けて屋上に向かうのを見送ると、ハリスは残りの8人の手錠を外しに向かう。
「大丈夫?」
心配そうに声をかけてきたのはアルカ・スィスエスだった。息を切らしているハリスを心配そうに見つめている。
「大丈夫です。ちょっと、ここまで体を、動かした、のは、久しぶり、だったんで」
疲れた体でゴードンの手錠をなんとか外すと、ゴードンは物々しいガントレットのハリアルを出現させ、いとも簡単に自分の足錠を破壊する。
「我が変わろう。君は休んでいろ」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
ハリスは近くにあった椅子に座り、息を整える。とりあえず、時間がない。手短に用件を伝えなくてはいけない。いくつか頭の中で整理してからハリスは話し始めた。
「えっと、そのままでいいんで聞いてください。今、五号館と六号館、それと図書館は俺の仲間に制圧しに行ってもらってます。二号館と三号館はもう制圧してあるんで、これで校舎はほとんど制圧できる形になります。それで、皆さんに協力してもらいたいことがあります」
話しながらハリスはちらり、とゴードンを見る。もっと丁寧にやれ、とアルカから小言を言われていた。大丈夫か、と思いながらも話を続ける。
「残りの宿舎、訓練場の制圧と、闘技場の偵察を。奴らが今どこで人質を預かっているかは、正直分かりません。映像から察するに、多分、第一から第三のどれかだとは思うんですが。俺は仲間と一緒に一号館を制圧します」
「別に構わないけど、各所に散らばっているであろう敵の鎮圧とかはもう済んでいるのかい?」
ファディ・オウス・ドゥジェスが口を開く。自由になった手の感触を確かめるように、ぷらぷらと手を振っていた。
「いや、制圧は済んでません」
「それなら、そちらにも手を回したほうが」
「まあ、そうなんですけど、多分そこまでやらなくてもいい気がします」
「どうしてだい?」
どうして、と聞かれハリスは少し頭の中を整理する。ここで時間を食っている暇は無い。的確に、簡単に答えなければいけない。
「この『死神』軍団の作戦、割と不十分な気がするんですよ」
「……というと?」
「正直、ここまで制圧するに当たって、無茶な手段で俺はやってきました。いつバレてもおかしくないような手段で。それに、どうやら定時連絡を1つの校舎につき1人に任せているようで。そんな手段をとっていれば、校舎が制圧されていても発見が遅くなる」
「……ふむ」
「二号館を制圧するときも、かなり危険な方法で制圧しました。それでも、今もなお騒ぎになっている様子は感じ取れない。これは、見回りが不十分ってことを表していると思うんです」
ハリスが喋る言葉を、ファディは真剣に聞き入る。その目はしっかりとハリスを捉えているが、頭の中で情報を整理しているようだ。
「だから見回りをきっちり制圧する必要はないかな、と」
「……そうだね、それなら片手間に制圧していっても別段脅威にはならなそうだ」
ファディがそう頷くのとほぼ同時に、体育館の扉が開く。そこにいたのはアザハートと、身包みをほとんどはがされ両手両足を縛られた警備兵の姿だった。
「おう、連れてきたぞ」
「ありがとうございます。それで、もう1つお願いが」
「ん、どうした?」
「こいつに、定時連絡をするように脅しと見張りを。それだけでも十分にやりやすくなります」
その言葉を聞いて、アザハートは少し頭を捻る。それから少しの間のあと、大きく頷いた。
「ああ、構わんぜ」
ハリスはその言葉を聞いて一安心する。これで、負担はかなり減った。あとは、一号館を手早く制圧して、早急にユイを助けなくてはいけない。
「それじゃあ皆さん、お願いします。俺はもう行きます」
「無茶しないようにねー!」
アルカが手を振ってくれているのを横目に、ハリスは駆け出す。
時間は午後5時30分前。タイムリミットは刻一刻と迫ってきていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます