第9話 動く反抗者、動く歴史

 午後4時26分。ハリアル訓練学園三号館4年C組教室。

「そろそろ、か」

 女性の『死神』が呟いた。教室の静寂を破るように突如発せられたその声に、教室中の視線が女性の『死神』に集まる。

 女性の『死神』はその視線を意に介さずに、テレビの電源を点ける。テレビは、3時間前にも見ていたニュース番組を放映していた。アナウンサーは何か政治のことをコメンテーターと話しこんでいる。

 その話が終わった頃、アナウンサーはスタッフから紙を受け取った。それを見たアナウンサーは神妙な顔になり、口を開く。

「えー、速報です。ハリアル訓練学園占拠事件の続報が入ってきました。えー、犯人グループから新たなビデオテープが送られてきたとのことです。えー、そのビデオテープを一部お流しします。どうぞ」

 アナウンサーの声に合わせて画面が切り替わる。映し出されたのは、ハリアル訓練学園第一闘技場のアリーナ。そして多くの人質と、画面に背を向けた『死神』の格好をした人物。そのマントには、白い十字線が入っていた。その人物は振り向き、ボイスチェンジャーによって変えられた声で話し始める。

「こんにちは皆さん、『死神』です。現在、ヤジダルシアや軍からは、何の連絡も入ってきません。というわけでこちらは交渉決裂、と判断いたしました。よって、午後5時より、この国に対して、制裁行動を取りたいと思います。とはいえ、こちらも望んでやる行為ではありません。残りの時間、国や軍からなんらかのコンタクトがあれば、制裁行動は致しません。さて、その制裁行動ですが……」

 『死神』の口調は3時間前とは違い、どこかふざけたものになっている。ここで『死神』は大げさに振り返り人質達に向かい両手を広げる。ハリスはそれを見て、まさか……、と呟いた。

「順次、ここにいる人質の首を、落としていきます。人数にして89人。数に不足はありません。落とす度にこちらからは何かしらのコンタクトを取りましょう。……そうですね、盛大に花火でも上げましょうか。この花火が皆さんの目に届くことが無いよう、ヤジダルシア国政府、並びにヤジダルシア軍の皆さん、良い返事を期待しています」

 『死神』が口にした内容は、ハリスにとってとても信じられないものだった。そしてその内容とはちぐはぐな、『死神』のふざけた口調、態度が、印象深くハリスの頭に刷り込まれた。

 そこで画面は切り替わり、スタジオに戻る。が、アナウンサーが何か言い出す前に画面は女性の『死神』によって消された。ハリスは、画面が消えてもなお、テレビの画面を見続けていた。

「……いよいよ始まったね。さて、何人殺されるか」

 その声を聞いて、ハリスは敵意ある視線を女性の『死神』に向ける。

「お前、お前ら……、ふざけてるのか……」

 静かに、呟く。その怒りは気迫となってハリスから漏れ、教室を支配する。

「ふざけてなんかないさ。私たちはあくまでもテロ組織。こんなことをするのは当然だろう」

「当然……?」

「ああ。せっかく手に入れた人質なんだ。有効に使わなければ、私たちの目的は達成されない」

 ハリスは黙っていたが、その怒りは抑えられなかった。その怒りを気にせずに、女性の『死神』は言葉を続ける。

「こうでもしないと、きっとこの国は動かない。国も、軍も。何もしない」

「だからって、あいつらを殺していいことにはならねえだろうが!」

 ハリスの怒声が教室に響く。女性の『死神』はハリスを一瞥すると、言葉を続ける。

「そうだね。あんたの言う通りだ」

「なら……!」

「でも、ヤジダルシアは、この国は、私たちの祖国の人々に同じようなことをした。戦闘民ではなかった人々を、皆殺しにした」

「……っ!」

「私たちはね、それを許さない。ヤジダルシアの国民にも同じことをして、無意味に殺される恐怖を、怒りを思い知らせる」

 女性の『死神』は淡々と言葉を続けた。ハリスは何も言うことができなかった。

「さっきの……ユイ、とかいったか。あの娘もまさか、3時間前の会話があんたとの最後の会話だとは思わなかったろうね」

 最後の会話。

 その言葉がハリスの脳内で何度も何度も繰り返し再生される。

 そして、ハリスの頭が真っ白になりかけた頃。

「はあいどうもご機嫌麗しゅう」

 突如、教室に声が響いた。

 少なくとも、元から教室にいた者から発せられた声ではない。その声は、窓の方からだった。その場にいた全員の視線が、窓の方に向かう。

「お、ハリス、状況最悪じゃねえか?」

 その声の主は、クロウだった。不敵な笑みと声は、頭が真っ白になりかけていたハリスの頭を覚醒させる。

「……なっ、に、誰だ、きさ」

「おっと、叫ぶな嬢ちゃん」

 先ほどまで窓際にいたはずのクロウは、叫ぼうとしていた女性の『死神』の口を、一瞬の内に背後から押さえていた。クロウが踏み台にしたであろう机が、少しガタッ、と揺れる。

 その余りの速さに、ハリスを見張っていた『死神』も、クラスメイトを見張っていた『死神』も一瞬動作が停止する。女性の『死神』は、何が起きたか理解できずにいた。

「とりあえず、寝ててくれや」

 クロウはそう言うと、女性の『死神』の首を軽く締める。女性の『死神』は声をあげる暇もなくその場に崩れ落ちる。

 クロウは、さて、とつぶやくと残りの2人の『死神』に目を向けた。ようやく我を取り戻した2人の『死神』は、1人は連絡を、もう1人は反撃を繰り出そうとするが両方の顔をクロウが掴んだことにより阻止された。

「てめえらも邪魔なんだ、ちと倒れててくれや」

 そのままクロウは両手に力を込め、2人の頭を思い切りぶつけ合う。2人の『死神』は、がっ、と短い声をあげるとその場に倒れこんだ。

 あっという間に制圧された4年C組の教室で、クラスメイトは声をあげることすらできなかった。何が起きたかわからない、という表情が全員に浮かんでいた。

「よーうハリス。元気だったか?」

「……あのさあ、クロウ」

「ん? なんだ、礼か?」

 クロウは機嫌よさそうに、ハリスの両手足にかけられた手錠に手をかける。一瞬だけクロウの手が光ると、ハリスにかけられていた手錠は砕かれていた。

 手錠から開放された手を少し振ってから、ハリスは息を、ふうー、と吐いた。そして、クロウの頭に思いっきりチョップした。

「い、って! 何すんだハリス!」

「助けてくれたことは礼を言うけど何も考えずに全員気絶させるとか何考えてんだ!」

 静かに、周りに響かないような声でハリスはクロウを怒鳴りつける。その言葉を聞いて、クロウはキョトンとしていた。

「え、ダメなのか」

「色々と考えなくちゃいけねえんだよ……。見回りとか定時連絡とか……」

「おー、なるほど」

「なるほどじゃねえ!」

 もう一度ハリスはクロウにチョップをしようとするが、カッカッカッ、とクロウは笑いながらそれをかわした。

「ま、どうにかなるだろ」

「あー、作戦考え直しだ……」

 ハリスは頭を抱える。そこでハリスは、クラスメイト達のことをほったからかしにしていたのに気づいた。

「あー、そうだな……」

 クラスメイト達は、まだ何が起きているか理解できない表情を浮かべる者、クロウという助っ人が来たことに喜んだ表情を浮かべる者、これからのことを考えて不安そうな表情を浮かべる者と、バラバラな反応を示していた。

「とりあえずはクロウ、みんなを解放してやってくれ」

「あいよ」

「みんな、そのまま聞いてくれ。こうなっちまった以上、反撃を開始するしかない。……ユイも救い出さないといけないしな。俺とクロウは今から出るけど、大丈夫か?」

 クラスメイト達の大半が頷く。しかし、何人かはやはり不安そうな表情を浮かべている。それを見たハリスは、ふう、と小さくため息をついた。そして、クロウに話しかける。

「……クロウ、とりあえず、見回りを片付けるぞ」

「ん? ああ、そうだな」

「見回りさえ片付けちまえば、少しは安心できるだろ。……ほんの少しだろうけどな」

 そう言ってハリスとクロウは廊下側に近づく。近くに警備兵達はいないようだった。だが、もう少しすれば、見回りはやってくるだろう。

「クロウはあっちだ。俺はこっちをやる」

 ハリスがクロウに指示したのは廊下のほぼ9割だった。クラスの数にして17クラス分。対してハリスが担当するのは2クラス分だった。

「あっちって……随分長くねえか、ここ」

「できんだろ、お前なら。それに、見回りはどうやら鎌を背負ってねえ。好き勝手やれるぞ」

「カッカッカ、言うねえ」

 それから2人は、教室の前後の入り口にそれぞれ別れ、ドアに寄りかかり教室を飛び出す準備をする。

 クロウが指を動かしゴキゴキ、と骨の音を鳴らす。ハリスはそれを見て、フッと笑うと、静かに手を上げた。そして少しの間を空けて、その手を思いっきり振り下ろす。

 そして2人は教室を飛び出した。

 いきなり現れた2人を見て、近くにいた警備兵の動きが驚きで一瞬止まる。すぐさま声を上げて緊急事態を知らせようとするが、その口はクロウの手によって塞がれた。

「騒ぐなよ」

 警備兵の腹に拳を入れる。ぐっ、という声を静かに出して警備兵はその場に倒れる。倒れた警備兵を壁際によせてから、クロウはしゃがんで状況を確認する。

 他の教室の扉は開いている。教室の壁には窓がついているが、しゃがんで進めば中からは見えないような造りだ。

「さて、と」

 クロウは身を低くしたまま駆け出す。すぐに近くの警備兵が気がつくが、声を上げられる前にその意識を途絶えさせる。そこで足は止めず、先へと進む。幸運なのは、この辺りに警備兵がたまっていないことだった。何も気にすることなく、進む先々に現れる警備兵を蹴散らすことができた。

 だが、H組の教室近くに来たあたりでクロウは一旦身を隠す。警備兵が4人ほどたまっている箇所があり、しかもちょうど教室前でたまっていたためだ。

「あそこにいられたんじゃ、迂闊に倒せねえな……」

「おい」

 突如後ろからかけられた声にクロウが慌てて振り向くと、声の主はハリスだった。クロウはなんとなくハリスを小突きながら、口を開く。

「なんだてめえか、ビビらせんな」

「悪いな。で、あいつらどうする」

「そりゃ、強行突破だろ」

「……そう言うと思ったよ。じゃ、俺は教室の中をやる。お前はたまってるやつらを頼んだぞ」

 ハリスの言葉を聞いて、クロウが、にいっと笑う。その笑みは少し不気味なものだった。

 それから2人は飛び出した。クロウが警備兵の元へと駆けていき、ハリスが教室に侵入する。

 クロウはこちらに背を向けている警備兵の首を掴むと、後ろに思いっきり引っ張り床に頭をぶつけさせる。そのまま正面にいた警備兵の腹に拳を入れ、両脇にいた警備兵の腹にも拳を入れた。

 正面にいた警備兵が倒れこみ視界が開けると、奥のほうの警備兵がクロウの方へ振り向こうとしていた。クロウは一気にそちらへと駆け、そのままの勢いで膝蹴りを腹にくらわせた。しかし、まだ奥にも警備兵はいる。その奥にも。見える範囲の警備兵はこちらを見ている。

 それを見て楽しそうに微笑んでから、クロウは短く息を吐く。すると、クロウの足の周りに、黄色いオーラのようなものが広がった。

 クロウは足に力を込め、一気に駆ける。その速さは、常人にとって不可視の速さ。黄色いオーラの残像が線となり、閃光のように廊下を走る。駆けながら警備兵達の顎や腹等の急所に拳や蹴りを入れていき、その攻撃により生じる黄色い残像は、まるで稲妻の様に綺麗に廊下を光った。

 その勢いのままクロウは廊下を駆け抜け、12クラス分の警備兵を倒しながら、廊下の端にたどり着く。クロウが黄色いオーラを出してから、わずか4、5秒の出来事だった。

 しかしクロウは足を止めない。そのまま廊下の壁に足を着くと、今度は教室へと侵入し、教室内の警備兵を倒していく。クロウの視界には驚く生徒達の顔が一瞬だけ写っていた。

 1つの教室の警備兵を倒すと、すぐに教室を出て次の教室の警備兵を倒しに行く。その動きにより生じる光線は、美しく校舎内を照らす。

 段々と楽しくなってきたクロウは、そのまま全てのクラスを制圧しにかかる。軽く口笛を吹きながら、R組、Q組、P組と、そのまま順番に教室に侵入し、警備兵を蹴散らしていく。途中、N組に侵入した辺りで、ハリスの呆れた顔が視界に入った。

 クロウはそのままの勢いで、A組の警備兵まで全てを倒し終えた。A組の廊下前でクロウは立ち止まると、満足そうに笑い始めた。

「カッカッカッカッ! やっぱ楽しいねえ、殲滅は!」

「やりすぎだ、っつう、の」

 ポン、と軽く小突かれた。もちろん小突いてきたのはハリスである。

「お、ハリス、もう戻ってこれたんか」

「お前が片付けてくれたからな。一気に駆け抜けてこれたよ」

「そりゃ、よかったじゃねえか。……んじゃ、オレはこのまま他の階も制圧してくるぜ」

 楽しそうに準備体操をしながら、クロウはそう言った。しかし、それをハリスが静止する。

「……あーいや、ちょっと待て」

「ん、なんだ、どうしたよ」

「さっきH組で尋問しといたんだが、どうやら、この校舎をまとめてリーダー格に定時連絡してるやつがいるらしい。そいつは屋上で待機してるそうだから、俺が捕まえておく」

「おう、頼んだぞ。んじゃ、行ってくるわ」

 それからクロウは他の階へと駆けていった。光線を残したまま。それを見たハリスは短くため息をつくと、C組の教室に戻った。

 教室で待ち受けていたのは、クラスメイト達からの羨望や、混乱の混じった視線だった。その中で代表して、聡が口を開く。

「な、なあハリス……。あの光線……」

「ああ、クロウのだよ。あれは……」

 どう答えたものか、とハリスは少し考える。しかし上手く誤魔化す方法も思いつかないし面倒くさいので、正直に話すことにする。

「あれが、人体実験の結果だそうだ。あれも一応、ハリアルだ、ってよ」

「あれが、ハリアル……?」

 聡の表情には混乱が明確に現れていた。無理もない。ハリアルの五つの規則の内の、特殊な能力などはハリアルには存在しない、という規則を破っているようにしか見えないからだ。

「さっき、A組の前で話してたとき、クロウの足元に、その、オーラみたいなんがあったよな……? あれが、ハリアルだってのか……?」

「ん、まあ……、そうらしいな」

 ハリアルは武器を生成する能力だという大前提がある。それを当たり前だと想って生きてきた聡やクラスメイト達には、オーラをまとう特殊能力がハリアルに存在するなんて、そんなにすぐには受け入れることができなかった。

 教室が、少し暗い空気に包まれる。そこにいるハリス以外の生徒は全員、今の状況を受け入れられずにいたからだ。その空気に耐えかねてか、ハリスが口を開いた。

「とにかく、さっきの説明は全部終わった後にクロウにしてもらおう。今は、この状況を打開することが先決だ」

 その言葉に聡や他のクラスメイト達もなんとか頭を入れ替える。

「とりあえず、聡、着いてきてくれ」

「ん、ああ、わかった」

 C組の中では、ハリスを除けば一番の実力をもつ聡を引き連れ、2人は屋上へと向かう。その道中、聡が不安そうに口を開いた。

「……なあ、ハリス」

「……どうした」

「……いや、なんでもない。今は集中しよう」

 聡が懸命に浮かべた苦笑いを、ハリスは見ないようにした。

 微妙に重い空気のまま、2人は屋上の扉にたどり着いた。扉で待機することはなく、ハリスは一気に扉を開け放つ。屋上にいた1人の男は、扉へと歩いていた途中だったようだ。いきなり開け放たれた扉を見て、瞬時に戦闘態勢に移行するものの、瞬時に後ろに回ったハリスによりその身を捉えられる。

「ぐっ……」

「おおっと、喚くなよ。……聡、運び出すぞ」

 その言葉に聡は頷くと、手際よく男の口や手足を縛っていく。こういった捕縄術は、授業でもたまに教わっていたために手際よく行うことができた。

 縛り終えると、2人は身を屈めつつ協力して男の体を運ぶ。建物の中に入って階段の踊り場まで運ぶと、ハリスが男のボディチェックを済ませ、通信機などを外していく。ある程度チェックしてから短刀のハリアルを出す。そして男の喉に短刀を当てながら、男の口の縄を解いた。そして、威圧するような声で話し始める。

「命が惜しかったら騒ぐんじゃねえ。いいな?」

「あ、ああ、わかった……」

「この校舎はほぼ制圧が完了してる。無駄な抵抗はしない方がいい」

「な……、そんな気配なんて……!」

「気配丸出しで制圧なんてするわけねえだろ、アホか。……さて、それで、だ。お前にはやって欲しいことがある」

 要求を言うときに威圧的になるように、喉を深く切らない程度に短刀の刃を押し込む。男が唾を飲み込むのがわかった。

「……お前らの要求はわかるさ、定時連絡を、異常なしで報告しろ、ってことだろ?」

「お、察しがいいじゃねえか。それならちょうどいい。分かってるだろうが、お前に拒否する権利はねえ」

 その声はひどく威圧的なものだった。あまりの気迫に、一瞬聡も軽く身構えてしまうほど。

「……わかった、従おう」

「……やけにあっさりと従ってくれるんだな。さすがのテロリストも、命は惜しいってか」

 呆れた様子のハリスは、男の喉元から短刀を話すとゆっくりと立ち上がり、男を担ぎ上げた。そして聡に話しかける。

「とりあえず、教室に戻るぞ」

「ああ、そうだな」

 教室に向かうまでの道中、ハリスは感覚を研ぎ澄ました。なんとなくだが、まだクロウが暴れている気配がする。それを察すると、ハリスは短くため息をついた。

 教室に到着すると、ハリスは男をクラスメイトに預けた。見張りや脅しなど、いくつか指示を出してから、ハリスと聡は教室を出る。

「聡、ちょっと相談がある」

「ん、なんだ、どうした?」

「いや、大したことじゃないんだが……」

 2人は廊下に設置してある椅子に腰掛けて、話し始めた。ハリスが少し逡巡してから口を開く。

「ちょっと、気にかかることがあってな」

「気にかかること?」

「ああ。さっきの定時連絡の奴。やけに従順だったから気になってよ」

 それを聞いて、聡はあー、と呟いた。それかれ少し考えてから、返答する。

「ハリスも言ってたけどさ、命が惜しかったってだけじゃねえのか?」

「……ま、そうかも知れないけどな。それだけだったら俺も気にしないんだが、他にもいくつかあってな」

「なんだ、もったいぶって」

 ハリスは髪を軽く掻き乱すと、意を決したように話し始める。

「まず、俺達があんな雑な制圧方法をしたのに気付かなかったこと。定時連絡を任されるってことは、多少なりとも強者のはずだ。なのに気付かないのは、引っかかる」

「……気付いてなかったのが嘘、とでも?」

「わからん。んで、次。この校舎にあるクラスは確か40近くあったはずだ。それだけの定時連絡を1つにまとめちまうのは、さすがにおかしい」

 聡は、ふむ、と短く言って黙り込んだ。顎に手を当て、何かを考えている様子だ。ハリスはそれを構わずに話を続けた。

「気になることはこの2つだ。他にも細かいことはいくつかあるけどな」

「……確かに、これだけクラスがあれば、まとめるならもう少し数を増やしたほうがいい気もする」

「ま、今は考えたってしょうがない。とりあえず、他も制圧していかないと」

 そう言ってハリスは立ち上がった。軽く準備体操をして、戦闘の準備をし始める。

「なあ、ハリス」

「ん?」

「俺は、何をすればいい?」

 聡に投げかけられたその質問に、ハリスは一瞬動きを止めて、考えをめぐらせる。しかし、それほど時間もたたずにこう言った。

「お前はここの防衛。皆を守っててくれ」

「それだけ、か?」

「ああ」

 それだけ言うと、ハリスは教室に向かって歩き出した。聡はそれを追わずに、椅子に座ったまま1人呟く。

「……俺じゃ、力になれないのか」

 悲しそうにそう呟くと、聡はハリスを追った。




 午後4時55分。ハリアル訓練学園第一闘技場。

 第一闘技場内の空気は張り詰めていた。

 制裁行動の予定時間まで残り5分。人質は自分の命が奪われるかもしれない、という緊張に支配されていた。また警備兵達も、いよいよ始まるんだという緊張に支配されていた。

 そんな中でただ1人、『死神』だけはただ通信機を見つめていた。

「何も来ない、か……」

 『死神』は呟く。何かしらヤジダルシアからコンタクトはあるだろうと『死神』は考えていたが、さすがに何もないとは思わなかった。

「……ま、それならそれでいいさ」

 『死神』は心の奥で湧き上がるヤジダルシアへの呆れと怒りの感情を静かに抑え、警備兵達に話しかける。

「さ、そろそろ準備を始めるぞ。撮影班はカメラのチェック、後はボイスチェンジャーのチェックとか、最終確認は怠るなよー。それから、人質の手配もなー」

 間延びした『死神』の声を聞き、警備兵達が慌てたように動き出す。その動きを見て人質達は、自分が選ばれるかもしれない、と感じて恐怖に震え始める。

 縮こまる人質達を、『死神』は哀れみの視線で見つめる。それと同時に、『死神』はすまないな、と小さく口の中で呟いた。

「隊長」

 通信機に突然通信が入る。『死神』は一瞬驚いてから返答する。

「どうした」

「国から、接触が」

 その言葉に『死神』と、その近くにいた警備兵達は目を見開く。このギリギリのタイミングで接触してくるとは。何か言いたげな警備兵達を手で制止し、通信を再開する。

「確認は」

「取れてます。逆探知も完了してます」

「そうか……。奴らはなんて?」

「要約すると、交渉の席に着く。時間をくれ、と」

 明らかな時間稼ぎだった。『死神』は少しだけ考えてから、再び口を開いた。

「どれくらい要求してる」

「明確には要求してません。ところで、ヤジダルシア軍が隊長と話がしたいと」

「……繋いでくれ」

「少しお待ちを」

 それから数秒通信は途切れる。オペレーターが通信の準備を整えている間に『死神』はボイスチェンジャーのスイッチを入れた。

「繋ぎます」

 オペレーターの言葉が切れ、ブツッ、と音が鳴る。少ししてから、通信機から声が発せられた。

「こちら、ヤジダルシア軍。そちらは……『死神』、か?」

「ああ、そうだ。リーダーの『死神』で間違いない」

「ギリギリになってしまったが、交渉の用意は進んでいる。聞いているとは思うが、時間を頂きたい」

 通信機の向こうから聞こえる声には、少しだが焦りの色が見えた。

「時間、ね……。悪いが、こっちとしても命がけなんだ。そう簡単にはやれねえな」

「……30分もあればそちらに到着できる」

「あんたらも分かると思うが、そう簡単にそちらさんの要求を飲んだらこっちの格が下がる。交渉の用意だけじゃダメだ。もっと、何か動きを見せてくれないとな」

 ヤジダルシア軍兵士はその言葉を聞いて少し黙ってしまった。向こう側で考えているか、もしくは話し合っているのだろう。

 その隙に『死神』は時計を確認する。午後4時57分。周りを見渡せば、着々と準備は進んでいる。選ばれてしまった1人の男子生徒が顔面蒼白で震えていた。それを見た『死神』は、近くにいた警備兵を呼び寄せ、静かに耳打ちする。

「本部に確認を取ってくれ。軍にカメラの映像を送れるか」

 それを聞いた警備兵は通信機を取り出し、本部と少しだけ言葉を交わすと、首を縦に振った。『死神』はそれを見てから再びヤジダルシア軍に通信を繋ぐ。

「あー、今から映像を送る」

 それだけ言って『死神』はカメラを手に取る。そのまま選ばれた男子生徒の元まで近寄り、カメラの電源を入れた。男子生徒はついに始まるのか、と目をきゅっと瞑った。その目からは涙がボロボロとこぼれている。

「見えるか、兵士さん」

「……ああ」

「今から殺すのはこいつだ。あんたらが迷えば迷うだけ、その分こいつの命が無くなる時間は近づいてくる。……いいのか、見捨てちまってよ」

 再び兵士は黙り込んだ。カメラは相変わらず男子生徒を写している。男子生徒は小さい声で助けて、助けて、助けて、と何回も繰り返し、その身は震え、歯はガタガタと音を鳴らしている。

「……第九閉鎖地区を、解放しよう」

 その様子を見たためか、ようやく兵士が声を発した。その声は、明らかに震えていた。怒りからか、嫌悪からか。

 通信を聞いていた警備兵達は、静かにガッツポーズをしている。ハイタッチをする警備兵達もいた。それを見て満足そうに、『死神』は口を開く。

「了解した。今から……午後5時5分までは待とう。それまでに解放されたと言う確かな情報がなければ、否応無しに制裁行動を実行する。解放されたと確認がとれれば、そうだな……。午後6時までは時間をやろう」

 それで通信は切れた。通信が切れたのを確認してか、歓声が湧いた。少しだけ命が助かったのを実感したのか、男子生徒は目をゆっくりと開いた。

「おいてめえら、喜ぶのはまだ早いぞ! こんなもんじゃダメだ、もっと解放させないとな!」

 『死神』が警備兵達にそう言葉をかけると、警備兵達からはおーっ! と歓声で帰ってくる。『死神』は士気が高まるのを実感して満足そうに頷いた。それから男子生徒に優しく語り掛ける。

「よかったなボウズ。これで少しは命が延びた。軍に感謝するこったな。……ま、解放されなかったらお前さんは終わりだけどな」

 男子生徒はゴクリと唾を飲み込んだ。相変わらず、その体は震えていた。男子生徒の頭を軽く撫でてから、『死神』は少し薄暗くなり始めた空を見上げる。

「しっかし、まさかヤジダルシアが要求を飲むとはな……」

 『死神』は正直ヤジダルシアが要求を飲んでくるとは思っていなかった。そのため、この結果は少し意外だった。

「さて、と……」

 『死神』は周りを見渡した後、客席を駆け上がり第一闘技場の外壁に立つ。そこからアリーナ部分を見下ろせば、歓喜している警備兵達。確かな士気の向上を感じ、『死神』は満足そうに微笑んだ。それから再び薄暗い空を見上げた。

「ここからが、正念場だ……」

 黒いマントの中で、『死神』は拳をしっかりと握り締めた。


 午後5時3分。全国ニュースで第九閉鎖地区の解放が宣言された。

 戦争終結から4年。これまでの歴史の中でも、ヤジダルシアが占拠した地区を解放するのは初めてのことである。

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